10.我が家の子犬は愛犬に
アルスがラテール家にやって来てから三年の月日が流れた。
だが、その生活サイクルはあまり変わっておらず、アルス自身も子犬ではなくなったが、成犬というまでには成長していない。通常の犬であれば三年程で成犬になっているのだが、聖魔獣のアルスは成長が遅いようで、見た目はほぼ成犬だが体格が未だに小柄で大人に成りきれていないという状態だ。
一般的な犬でいうなら1歳前後くらいの見た目であろう。
もし人間で例えるなら、ロアルドと同じくらいの10代半ばに差し掛かる手前というところだ。
その為、ラテール家では未だにアルスは、やんちゃ盛りの子犬扱いをされる事がある。
だが、そんなアルスも現在では大分イタズラをする事が減った。
子犬の頃のキャンキャン鳴きは、現在成犬と同じようなワフワフという低めの鳴き声に変わり、愛らしく垂れていた耳は、今ではピンと立って凛々しさを感じさせる。
そして最近では何故かフィリアナではなく、兄ロアルドの勉学の授業にくっ付いて行く事が多い。
そんなアルスの様子は、まるで兄と一緒になって教育係から講義を受けているように見え、邸内の使用人達を和ませているが……。フィリアナだけは、大好きなアルスが兄の方へくっついて行ってしまうので、少々不満に思っている。
そんなフィリアナも現在は、アルスがこの邸にやって来た頃の兄と同じ9歳になっていた。
三年前までは常に兄の後ろをくっつき、子供らしいあどけなさと、小さな我が儘をたくさん口にしていたフィリアナ。しかし、この三年間で兄ロアルドの影響を受けてしまったようで、かなり口達者な少女へと成長してしまった。
だが、やはり兄には勝てず、言い負かされる事が多い。
それでも兄妹仲は良好で、現在でも仲良くアルスの世話係の取り合いをしている。
そんな少々小生意気に成長しつつある妹の部屋にロアルドがノック後、入室する。
「フィー、あと30分したら出掛けるけれど、支度は出来たか?」
「まだ………。あのね、兄様。こっちとこっち、どっちのブローチが強そうに見えるかな?」
濃紺を基調とし、白いフリルが所々に施されたドレスワンピースを着たフィリアナが、それぞれルビーがあしらわれた真っ赤なリボンと、真っ青なリボンを兄に見せながら、何故か不可解な質問をしてきた。その質問内容にロアルドが眉をひそめる。
「……どっちもそのドレスには、あまり似合わない。合わせるなら淡いピンクや水色のリボンの方が似合うと思う。そもそも『強そうに見える』って何だよ……。普通ここは『どっちが可愛く見える?』って聞くところだろう?」
呆れ気味な表情で指摘してきた兄にフィリアナが、盛大にため息を返す。
「可愛く見えたって仕方ないの!」
「何でだよ? もしかして嫌がらせをしてくる令嬢や令息達を警戒しているのか? それなら今回は、しっかり兄様が追い払ってやるって言ったじゃないか」
実は二年前、フィリアナは王太子セルクレイスが主催する子供向けのお茶会に兄と共に初めて参加したのだが……。社交界では、ラテール家にセルクレイスが頻繁に訪れている事が広まっていた為、フィリアナが王太子の婚約者として最有力候補ではないかと勘違いされていたのだ。
同時に兄ロアルドは、王太子の側近候補として将来有望な令息として見られていた。
その為、二人はそのお茶会で、それぞれ真逆な状況で大変な目に遭っていた……。
兄ロアルドは容姿の良さもあり、年齢の近いませた令嬢達に一瞬で群がられ、身動きが取れなくなる状況に……。
対して妹のフィリアナは、友好的な仮面を貼り付けたラテール家よりも家格や爵位が上の令嬢達に敢えて人気の少ない場所に誘導されてしまう。
すると、人目が無くなった場所についた途端、豹変した令嬢達に一斉に嫌味を浴びせられたのだ。
だが、気の強いフィリアナは、その状況に甘んじる事はなく……。
当時まだ7歳になったばかりのフィリアナは、格上の令嬢達に歯向かう事のリスクを理解していなかった為、兄と口喧嘩する要領で令嬢達に反論してしまったのだ。
それがたまたまド正論だった為、一番爵位が高い侯爵令嬢がカッとなり、フィリアナに手を上げようとした。
自分よりも二歳程、年上の令嬢のその暴力的な動きに当時のフィリアナは恐怖で固まってしまい、両目をギュッとつぶった。
だが次の瞬間、その状況を一人の令嬢が止めに入ってくれたのだ。
それがこの国一の最強騎士団を率いる辺境伯家の長女で、近衛騎士団の副団長を務める兄を持つルゼリア・アークレイス辺境伯令嬢である。
その事が切っ掛けで王太子セルクレイスの目に留まったルゼリアは、中性的で美しい凛とした容姿と、サバサバした内面を大変気に入られ、身分も申し分がなかった為、その後は早々に王太子の婚約者となった。その為、出会いの切っ掛けとなったフィリアナをセルクレイス共々、妹のように可愛がってくれている。
しかし、そんな未来の国王夫妻に気に入られた中級伯爵令嬢のフィリアナを妬ましく思う高位の貴族子女達は、確実に存在している。その為、フィリアナはお茶会等で兄と別行動をしていると、すぐにそういう令嬢達に絡まれてしまう。
だが、大人しくやられっぱなしでいる程、控え目な性格ではないフィリアナは、兄譲りの口の達者さで身分の高い相手でもすぐに言い負かす事が多かった。
そのフィリアナの行動が、同等の爵位の令嬢や格下の令嬢達にとってはカリスマ性を感じるらしく、友人もすぐに出来たので、一部の高位貴族の令嬢達の目の敵にされた事が、一概にマイナス要素とは言えない状況だ。
だが、妹に過保護な兄ロアルドは違う。
自分とは違い、攻撃対象として一部の爵位が上の令嬢達に目を付けられているフィリアナの状況が心配なのだ。
そんな兄の心境など、どこ吹く風なフィリアナは、今回の武装目的が全く別の部分である事を口にする。
「意地悪なご令嬢達の事なんか、気にしてないもん!」
「じゃあ、なんで自分を強く見せたいんだ?」
「だって今回のお茶会は、第二王子殿下が参加するかもしれないって聞いたから」
妹のその情報にロアルドが怪訝そうな表情を浮かべる。
「誰かそんな事言ったんだよ?」
「セルクレイス王太子殿下」
「はぁ!? いやいやいや、それはないだろう! そもそもアルフレイス殿下は、今でもあまり寝台からあまり起きられない状態だって、父上から聞いているぞ!?」
「でも今日のお茶会は、第二王子殿下の側近と婚約者候補の下調べ的なお茶会だって、この間遊びに来たセルクレイス殿下が『内緒だよ』って教えてくれたよ?」
フィリアナのその話にロアルドが、片手で両目を覆いながら天井を仰いだ。
「殿下……フィーに甘すぎだろう……。それ多分、かなり極秘情報じゃないか! なんでそんな簡単に口を滑らせちゃうんだよ……。フィー! それ、他の友人令嬢達に言ったりしてないよな!?」
「流石にそれは言っちゃダメって、私も分かってるよ!」
「それならいい……。だが、なんでそれが強そうに見せたい理由になるんだよ?」
怪訝そうな表情を向けながら質問してきた兄にフィリアナは、何故か勝ち誇るように胸を張りながら両手を腰に当てて答える。
「もしアルフレイス殿下にお会いできたら、はっきりと宣言する為だよ! アルスはもうすっかりラテール家の一員だから、お返しする事は出来ませんって!」
「フィー……それ、王族に対する不敬になるからな?」
「ならないよ! だってアルスはうちでの生活を気に入っているんだよ!? アルスの幸せを守るためだもん!」
「いや、それアルスの幸せじゃなくてフィーの幸せだろ……」
「同じ事だよ! アルスの幸せは私の幸せで私の幸せはアルスの幸せでもあるんだから!」
「お前なぁ……」
そんな会話をしていたら、入室の際ロアルドが半開きにしていた扉からアルスがするりと部屋に入ってきた。その事に気がついたフィリアナが、アルスを招くように両手を広げる。
「アルス! おいで!」
フィリアナの呼びかけにアルスが尻尾をブンブン振りながら駆け寄る。
そのアルスをフィリアナは腰を屈めてギュッと抱きしめ、そのフワフワの毛並みを堪能した後、先程ロアルドに見せた二種類のリボンブローチを手に取る。
「ねぇ、アルス。こっちとこっち、どっちのブローチの方が強そうに見える?」
愛犬にまで意見を求め始めた妹の様子にロアルドが呆れ気味な視線を向ける。
一方、アルスはフィリアナが手にしている赤いリボンの方にフンフンと鼻を近づけ、その後に一声だけ吠えた。
「こっちのリボンの方が強そうって事? じゃあ、今日はこの赤いリボンブローチにしようかな!」
そう言ってルビーがあしらわれた真っ赤なリボンをフィリアナは、自身の胸元に着ける。その様子を眺めていたロアルドが小さく息を吐く。
「それ、単純にアルスは自分とお揃いのデザインを選んだだけなんじゃないか?」
兄のその一言で、フィリアナが自分がアルスとお揃いのリボンを着けた事に気づく。
「本当だ! アルスとお揃い! だからアルスはこっちを勧めてくれたの?」
「わふっ!」
「そっかぁ〜! アルスは私とお揃いが良かったんだね! これでますます殿下に私達が仲良しだってアピール出来るよ!」
「アピールって……。もしかしてアルスをお茶会に連れて行く気か?」
「まさか! お城になんて連れて行かないよ! もしそのままアルスを第二王子殿下に取り上げられたら嫌だもの!」
「取り上げられるって……。お前、アルスの飼い主がアルフレイス殿下だって事を忘れていないか?」
すると、フィリアナがキッとロアルドに鋭い視線を向ける。
「忘れてないよ! でも殿下にアルスは絶対に渡さないんだから!」
「いや、もうその言い分だけで忘れているとしか思えないぞ……」
兄にそう宣言しながら、再びフィリアナはアルスをギュッと抱きしめる。
そんな妹の態度に呆れながら「準備が出来たなら、さっさと馬車に乗り込むぞ」とロアルドは、妹の身支度部屋を後にする。
すると、何故かアルスがピッタリとくっ付いてきた。
「アルス……。今日はお城に行くから、お前は連れていけないんだ。だからいい子で留守番な?」
すると、アルスは一瞬だけジッとロアルドの顔を見上げた後、勢いよく階段を駆け降り、そのまま邸の外へと飛び出して行った。
「こら! アルス! 自分だけで外に出るなって、いつも注意しているだろう!?」
ロアルドが慌ててアルスの後を追って屋敷の外に出たが、目に入ってきたのは中庭の方に向かって小さくなったアルスの姿だった。
「はぁー……。もうあんなに遠くまで……。でも最近は、自主的に戻ってくるから放っておいてもいいか。後でオーランドかカイルが気が付いて連れ戻してくれるだろうし……」
そんな事を呟いていると、今回の登城の際に同行してくれる護衛のウォレスと、荷物の積み込みをしていたフィリアナ付きのメイドのシシルが馬車の裏側からひょっこりと顔を出す。
「ロアルド坊ちゃま、アルス様がどうかされましたか?」
「それが今さっき中庭の方に飛び出して行っちゃったんだよ……」
「あー……。本日はお二人に置いて行かれる事にヘソを曲げられてしまったようですね……。あとでカイルが連れ戻すと思いますが……」
「どちらにせよ帰ったら、僕かフィーでたくさん遊んであげないとなー」
「そうですね。きっとお二人の事を首を長くして待たれていると思うので」
三人でそんな会話をしながら苦笑し合っていると、やっとフィリアナが二階から降りてきた。
「兄様、私も準備出来たよ! もう出発する?」
「そうだな……。少し早いけれど、そろそろ行くか!」
「うん!」
そう言って二人が馬車に乗り込むと、少し遅れて二人の世話係として同行するシシルも一緒に馬車に乗り込んできた。シシルはただのメイドではなく、二人の護衛も兼ねているので、それなりの風魔法の使い手であり、しかもメイド服の下に暗器を何本か隠し持っている。
そして今回馬車の外側の守りは、いつも二人の護衛を担っているウォレスが担当してくれるようだ。
ちなみにもう一人の護衛であるカイルは、本日は留守番のアルスを護衛する為、居残り組である。
「それじゃ、馬車を出してくれ!」
ロアルドが御者のハンクに声を掛けると、馬車はリートフラム城で行われる子供向けの茶会会場に向かって、ゆっくりと動き出した。
★【我が家の愛犬】の登場人物の年齢設定★
・フィリアナ→9歳
・ロアルド→12歳
・アルス→見た目が犬年齢で生後一年半くらい?




