42 女神と聖女
「よくもぬけぬけと! 何なの今更? 勝手にいなくなったくせに!」
アリーシャの怒りに満ちた声が響く。
やはりナビゲートマスコットキャラは主人公の傍にいたようだ。そして、いつの間にか離れていってしまった。
そこを、ロザリンドが拾った――という流れだろうか。
『あなたの選んだ方法は、いままで何度も失敗してきた方法です。わたくしは他の方法を探すため、あなたから離れました』
感情の揺らぎのまったくない、落ち着いた声で言いながら、ロザリンドを見る。
『ロザリンドの傍にあって、クリストファーを近くで観察し、確信しました』
「何をよ」
ナヴィーダは即答せず、両翼をふわりと広げた。
『――原初魔王は滅びそのもの。人の手で打ち勝つことはできません』
厳粛な声が重々しく響く。まるで天からの啓示のように。
『原初魔王の力を制御するには、人の器に入れないとならない。それでも、その力は圧倒的で、人が対抗できるものではありません。そうやってこの世界は何度も未来を閉ざされてきました』
大きな目から、はらりと涙が零れる。
ナヴィーダは世界の行く末に、深く嘆いていた。
『ゲームのストーリーのように、魔王クリストファーを実際に倒したものはいません。彼の力はそれほど圧倒的なのです』
「実はバッドエンドだけってこと? クソゲーじゃん!」
アリーシャの言う通り、ゲームだとすればありえないストーリーだ。
だが、そもそもこの世界はゲームではない――というのが女神ナヴィーダの言葉だ。
アリーシャの認識はまだゲームのままというのは、ナヴィーダから説明を聞いていないからだろうか。ナヴィーダが話していないのだろうか。
(ゲームでも現実でも、正直どちらでもいいけれど……)
ロザリンドにとっては、いま生きているこの瞬間こそが現実だ。
『まだ試していない方法はあります。クリストファーが魔王の意志を受け入れたうえで、自身を封印するという方法です』
ロザリンドは息を呑む。言葉の意味を噛み締めるほどに、指先が震えた。
『魔王の意志を未来永劫封印できれば、世界は救われます』
――それは、クリストファーに、世界を救うために、犠牲になれと言うようなものだ。
「どうやってそんなことさせるのよ。あたしが命令したところで聞かないでしょ」
ロザリンドはまっすぐにナヴィーダを見つめた。
「そんな方法を選ばなくても、お兄様なら原初魔王も倒せます」
確信をもって断言する。
「もちろん私も戦います。お兄様のサポートをします。そうすれば、相手が誰だろうと絶対に負けません!」
仲間の魔力も魔石に込めてもらえば、魔力共鳴することで絶大な力を生み出せるだろう。
それでも勝てないのなら仕方ない。
ナヴィーダにはもう一度最初からやり直してもらう。
(私の魂は、すべて忘れて元の世界に戻されてしまうだろうけれど……お兄様を犠牲になんてできない)
そんな選択肢はない。
『分の悪い賭けです。もっと成功率の高い方法があるのに、リスクは取れません』
ナヴィーダもナヴィーダで引かない。
女神自身、もう最初からやり直すことに疲れているのかもしれない。
何千回やり直してきたのかは、知らない。何万回かもしれない。何億回かもしれない。
だがそんなこと、ロザリンドには関係ない。
(私は絶対に、お兄様を犠牲になんてしない)
そんな未来で生きていきたくない。
『ロザリンド。クリストファーはあなたを愛しています。あなたを守るためならば、自らをも封印するでしょう』
「ひえっ? あ、愛?」
あまりにも予想外の単語に悲鳴が出る。
ナヴィーダはずっとロザリンドの中にいた。
「だ、だだだだ、だとしても! お兄様にそんなことはさせられません!」
『ならば、もう一つ方法があります。もっと簡単で確実な方法が』
「それは、いったい――?」
あまり期待できる方法ではないだろうと思いつつも、聞いてみる。
『ロザリンド、あなたが魔王の器となるのです』
――今度こそ、言葉を失う。
(魔王? 私が魔王? ――つまり、私がラスボスに? そりゃ、私ならお兄様より倒しやすいでしょうけど?!)
レベルを上げて鍛えていると言っても、単にレベルが高いだけだ。メインキャラクター達との才能の差は埋めようがない。彼らがレベルを上げれば、魔王化したロザリンドでも倒せるだろう。
「――モ、モブに魔王なんて大役を任せないでください!」
混乱しながら叫ぶ。
『モブだからこそいいのです』
ナヴィーダは憎たらしいほど冷静だ。
何がいいものか。まったくよくない。
『あなたの魂と、魔王の意志を完全に融合させ、あなたを殺して魂を元の世界に戻す――そうすれば、魔王の意志もこの世界から消え失せます』
「ちょっと待ってください。それって、私のいた元の世界に魔王を押し付けるってことじゃ?」
『ロザリンドとしての記憶が漂白されるとき、うまくいけば魔王の意志も漂白され、何事も起こらないでしょう。魔王の意志だけ残ったとしても、この世界は救われます』
まったくよくない。最悪だ。
他の世界に魔王を押し付けようとするなんて。
女神が一瞬にして邪神になった。
「いいわけないでしょクソ女神! あたしは元の世界に帰るんだから! 滅ぼされちゃたまらないわよ!」
アリーシャが怒って叫ぶ。
『帰ることはできませんよ』
「へ?」
『魂が元の世界に戻るには、あなたは死ななければならない。ですが死ねば、いま言った通り、あなた自身の記憶は消え、個は消え、あなた自身は何も残らない。無に帰すのです』
「――魔王はあんたじゃない! クソ女神!!」
邪悪だ。そして、女神本人はまったく悪いとは思っていない。
自分の世界さえ救えれば、それでいいと思っている。
「でも……あたしはやっぱり死にたくない。乗ったわ、クソ女神」
「アリーシャ?!」
「メインキャラを相手にするより、モブを相手にした方が楽だろうし。ロザリンド、お願いっ! 世界のために犠牲になって!」
「……そんな……」
「全員死ぬか、あんたひとりが死ぬかの違いじゃない。考えるまでもないわよね?」
アリーシャは笑っている。
(私ひとりが死ねば、何もかも解決……? そんなのって……)
聖女と女神がそう言っている。
世界がロザリンドの敵になった瞬間だった。
「どうやって魔王化させて、どうやって倒すかは考えていくとして……逃げられたら困るし、とりあえず投獄ね」




