31 side クリストファー
クリストファーは赤子の時から、気味の悪い子どもと言われていた。
落ち着いたといえば聞こえがいいが、幼少時から感情をほとんど表に出さない。
まるで魔族のような子だと、生母すら怯え、嫌悪していた。
だが、ロードリック公爵はそこを気に入り、クリストファーを養子に迎えた。公爵家を継ぐには凡人では務まらない。家を守るために、非凡な才能を欲したのだ。
その頃、ロードリック公爵は、後妻との間に実の娘が生まれたばかりだった。女子にも継承権があるこの国では、その娘に爵位を継がせそうなものだったが、その子どもに大きな問題があった。
――ロザリンドと名付けられたその赤子は、精霊の加護を持たない、か弱い生き物だった。
加護がない人間は弱い。弱い人間は、貴族として相応しくない。
そうして、クリストファーは分家から正式に養子として迎え入れられた。
養父母から愛情を与えられることはなかったが、成育環境には恵まれていた。貴族教育は厳しいものだったが、クリストファーはそつなくこなしていく。家庭教官たちからは神童と褒めそやされるほどだった。
それを一番面白く思っていなかったのは、後妻の公爵夫人だった。
公爵夫人は、実の娘に有能な婿を取らせて、娘に爵位を継がせようと考えた。
公爵もそれに強く反対しなかった。結局は、自分の子どもが一番可愛いようだった。
その計画のためにはクリストファーが邪魔だった。だが、分家に追い返す正当な理由もない。
ある日から、クリストファーを取り巻く環境が大きく変わった。
部屋と衣服は変わらなかったが、まず食事が質素になった。家庭教官は丸ごと入れ替えられ、公爵夫人や家庭教官から鞭で打たれるようになった。剣の稽古でひどく痛めつけられるようになった。それも、服で隠れる部分ばかり。
課題を完璧にこなしても、態度がよくない、目つきがよくない、綴りが一部間違っている。バランスが悪い、髪が乱れている。
クリストファーがどれだけ修正しても、努力しても、体罰は激しさを増すばかりだった。
公爵はそれを放置した。まるでクリストファーが見えていないかのように。存在しないかのように。
その一方、ロザリンドは溺愛されていた。
常に可愛がられ、愛情を注がれていた。
――いずれ、クリストファーは考え始める。
あの弱い生き物さえいなくなればいいのではないかと。
そうすれば、この理不尽な環境も少しは改善されるのではないかと。
愛情が欲しいとは思わない。
愛などというものは、人をいとも簡単に変えてしまう、気味の悪いものだ。
ただ、生き残りたい。このままではいつか殺される。そのために、この家を歪ませている元凶を取り除くのだと。
そう、考えていた時に。
――「わたし、おにいさまとけっこんします!」
ロザリンドがクリストファーに抱きついて、必死に叫んだその日から。
痛みが与えられることはなくなった。
その日から、ロザリンドはクリストファーに懐いてきた。
四六時中張り付いて、食事も一緒に取りたがり、一緒の部屋で寝たがるものだから、待遇はみるみる改善していった。
いままでのことが何だったのかと思えるほど、あっさりと。
小さくて弱い生き物は、触れてみると思った以上に、小さくて弱くて、あたたかかった。柔らかかった。弱くて、脆くて、簡単に壊れてしまいそうなのに、そのくせにワガママで、自分勝手で。
誰かが守っていないと、すぐに消えてしまいそうな儚さだった。
だが、この小さな生き物と一緒にいれば、ひとまず不当な待遇を受けることはない。
その上、更に高度な教育を受けられることになった。次期公爵としての本格的な教育を。
公爵は、大切な大切な実娘が、本当にクリストファーと結婚するつもりなら、クリストファーを完璧な人間に仕立て上げて、家と娘を守らせようと考えたのだろう。
それならそれで、好都合だった。
そしてその頃から、ロザリンドはおかしなことを始めた。
庭でこそこそと、石を的に当てるゲームを始めたのだ。それだけならただの遊びだが、その姿は妙に真剣だった。
すぐに飽きて新しい遊びを始めるだろうと思ったが、ずっとそれを続けている。
しかも、雨や雪の日まで。
偶然見かけたふりをして、どうしてこんな天気の中で遊んでいるのかと聞いたら。
「どんな天気でも、やらなくてはいけないときがありますから、慣れておきたいのです」
それは、実戦を意識した言葉だった。
ロザリンドはその言葉通り、どんな天気の悪い日も、体調が悪い日も、それを続けた。
さすがに高熱が出ているときはベッドに連れ戻した。
クリストファーが十二歳、ロザリンドが十歳になるころには、さすがに一緒に寝ることはなくなった。
ロザリンドは自分の部屋のウォークインクローゼットを改造して、何やらまたこそこそと何かを始めだした。
ある晴れた日、随分と動きやすい服を着て庭にいるなと思っていると、ロザリンドは緊張した面持ちでおもむろに目を閉じ、手を前に伸ばした。
「地図表示――フリーマップ『沼地のスライム』へ、座標転移」
その瞬間、ロザリンドの姿が消えた。
「ロザリー!?」
驚いて飛び出すが、ロザリンドの姿はどこにもない。一体、どこへ行ったのか、何が起こっているのか。
いまのは魔法なのか。風属性の魔法に移動するものがあるが、ロザリンドは精霊の加護がない。無属性魔法しか使えない。
見よう見まねで、ロザリンドがしていたのと同じように目を閉じる。
「地図表示」
その時、頭の奥に奇妙な声が響く。
『――【勇者システム】の起動を確認しました。ワールドマップを表示します』
――何者かの声が直接頭に響き、クリストファーは困惑して目を開けた。しかし、周囲には誰もいない。
改めて目を閉じて神経を研ぎ澄ませると、クリストファーの視界に地図が表示された。
(……確かロザリーは、『沼地のスライム』と言っていたな……ここか)
王都から、そう離れていない。
「――『沼地のスライム』へ、座標転移」
同じ呪文を口にする。
一瞬浮遊するような感覚の後、風を感じて目を開ける。
そこは丘の上だった。遠くには王都の城壁が見える。
丘の下は沼地になっていて、底には緑色の大きなスライムがいた。
そしてそのスライムとロザリンドが戦っていた。
(ロザリー?)
すぐさま助けに行こうとして、思いとどまる。
ロザリンドは一人前の戦士としてスライムと戦っていた。
的確に間合いを取り、遠距離から石を投げて攻撃している。
泣いていないし、怯えてもいない。まっすぐに敵を見据え、周囲の状況をよく見ながら、立ち位置を変え、戦ってる。
(あ――)
途中で転んだときは思わず飛び出しそうになったが、ロザリンドは泣きもせず自分で傷を癒し、再び戦う。
あの泣き虫が。
弱い生き物が。
「…………」
クリストファーはいざというときは介入しようと決め、陰からロザリンドの戦いを見守る。
何時間もかけて、スライムは倒れた。
「やったああああ!」
喜ぶ声が響き、クリストファーはほっと息をついた。
ロザリンドは顔を輝かせながら、スライムが落とした魔石を拾う。とても、誇らしげに。
「思ったより時間がかかったわね……早く帰らないと。地図表示――ホームへ、座標転移」
その瞬間、ロザリンドの姿が消える。
二回目は流石に慌てなかった。
ロザリンドと同じように呪文を唱えると、気づいたら自分の部屋に移動していた。
きっとロザリンドも自分の部屋にいるだろう。ロザリンドの部屋の前まで行き、中にいることを確認して、ひとまず安堵する。
――しかし、こんな現象、聞いたこともない。
どうしてロザリンドは知っているのか。
(――ロザリーは、精霊の加護こそないが、もっと他の使命を帯びているのだろう)
彼女は小さくも、弱くもない。
――強い。勇敢で、努力家で、そして優しい。
無垢で純粋なロザリンドを守れるのは自分だけだ。
(俺は、誰よりも強くならなければならない)
誰よりも優れた存在にならなければならない。ロザリンドの傍に在り続けるために。
そしてクリストファーは努力した。才能に甘んじずに努力し続けた。それを続けられたのは、ロザリンドが唱えていた呪文のおかげでもあった。
「ステータスオープン」
真似をして唱えてみると、目の前にずらずらと並ぶ数値が表示される。
「……興味深い現象だが、意味するところはよくわからないな……レベル12……これは年齢か?」
最初のころはよく理解できなかったが、何度も見ているうちに、それが自分の現状を示していることがわかってきた。
己がどれぐらい成長しているか良い指針になった。
そうして鍛錬を重ねて、五年の歳月が流れる。
クリストファーは十七歳、ロザリンドは十五歳になった。ロザリンドが王立学園に入学する直前、クリストファーは久しぶりに自分のステータスを確認した。
■クリストファー・ロードリック
【ステータス】
・レベル:86
・経験値:42000/45000
・HP:750/750
・MP:620/620
・攻撃力:580
・防御力:550
・魔力:720
・魔法防御:700
・敏捷性:530
・運:250
【スキル】
・【水魔法】アブソリュート・ゼロ:Lv.5(敵全体に水属性の高ダメージ)
・【支援魔法】アイス・バリア:Lv.5(全味方にダメージ軽減の氷のバリアを展開)
・【特殊能力】クリスタル・フリーズ:Lv.3(敵を氷で固め、行動不能にする)
・【剣技】グレイシャル・ストライク:Lv.4(強力な物理攻撃で敵を切り裂く)
・【指揮】ロイヤル・コマンド:Lv.1(戦場での味方の統率と士気を高める)
【称号】
・凍てつく守護者
【絆】
・ロザリンド・ロードリック:★★★★☆
順調に成長していると思う。気になるところがあるとすれば、ロザリンドとの絆が全部満たされていないことか。
絆とやらが何を示しているかもはっきりしない。
これは自分のロザリンドへの感情なのか。
それとも、ロザリンドからの感情なのか。
――どちらにせよ、まだ伸びしろがあると思うと、ひどく気分が高揚した。




