23 舞踏会
王立学園の夏休みは二か月ある。大抵の生徒は王都の家で過ごし、領地に帰る生徒もいる。
夏休みに入る前には、王城と学園でそれぞれパーティが開催される。
王城のパーティに呼ばれるのはごく一部の生徒だけだ。
ロザリンドは、招待されているクリストファーのパートナーとして、王城のパーティに参加できることになった。
――パーティ当日。
(ドキドキするわ……パーティ自体久しぶりだし、うまく振る舞えるかしら)
使用人たちの手によってドレスに着替えながら、今回の舞踏会でのミッションを復習していた。
(とりあえず、お兄様とアリーシャを対面させて、お邪魔虫は気配を消して壁の花に徹すること。そしてあわよくば、私自身も素敵な男性とお近づきになること)
サブミッションはあくまでおまけだが――
鏡を見たロザリンドは、その中にいる自分に不思議な気持ちになる。
(ううーん、モブとは思えない美少女……それにこの豪華さ)
ドレスは落ち着いた青で、夜会用の肩を出すデザイン。スカート部分は数層のチュールとシルクが使用されていて、歩くたびに美しく波打つ。
首飾りやイヤリングには、ゴールドとエメラルドとダイヤモンドが使われていて、ドレスにも小さな宝石が散りばめられている。
派手過ぎず、品が良く。豪華。どこから見ても公爵家のご令嬢だ。
(これなら、本当に素敵な出会いもあるかも……いえ、私のことよりお兄様の方よ)
クリストファーとアリーシャがいい雰囲気になって、エドワードとアリーシャの婚約が後腐れなく解消になって、クリストファーとアリーシャが無事に結ばれて。
ロザリンドも素敵な男性と恋をして結婚して、この家から出ていくことになるのが、誰にとっても一番いい。
(そうなれば、みんなハッピーエンドだもの。頑張らなくちゃ)
心に決め、ロザリンドはパーティに向けて準備を整える。
この夜はきっと特別な意味を持つものになるだろう。
夕方になり、馬車で王城に向かう。
会場は王城の大広間で行われる。豪華な装飾が施されたそこは、舞踏会が始まる前から既に華やかな雰囲気に包まれていた。
来賓たちは、華美なドレスや正装を身に纏い、優雅に社交を楽しんでいる。
会場入りしてすぐに、たくさんの人がクリストファーに挨拶をしにくる。ロザリンドは隣で笑顔で立って、簡単な挨拶を返すことだけ続けていた。
(誰だかほとんどわからない……社交してこなかった弊害が……)
たまに王立学園で見かける顔があり、その時はロザリンドも安心して挨拶する。
そうしていると、ジュリアンがやってきた。
「やあ、ロザリンドさん。今日の君は一段と綺麗だね」
「ジュリアンさん、ありがとうございます」
「それじゃあまた学園で」
せっかく声をかけてくれたのに、そそくさと去っていく。
ロザリンドはクリストファーの隣に立ちながら、会場の中を見回す。
――アリーシャらしき姿はまだ見えない。
聖女であり第二王子の婚約者であるのだから、隣にはエドワードがいるはずだが、エドワードの姿も見えない。
まだこの場にはいないようだ。
(あそこにいるのは、カイルさんとミリアムさん……なんだか警戒中みたいだし……二人はエドワード様の護衛だから、邪魔をするのは悪いかしら)
やがて、舞踏会が始まり、クリストファーがロザリンドに手を差し伸べる。
「ロザリー、手を」
「はい」
ファーストダンスはクリストファーとワルツを踊る。
大広間は花が咲いたようにドレスが広がり、一層華やかな雰囲気に包まれていく。
最初のワルツが終われば、次からは好きな相手と自由に踊ることができる。
もちろんパートナーの合意があってこそだが。
周囲では次々とダンスパートナーが成立していく。ロザリンドも誰かに誘ってもらえるのを待った。待ったが。
「…………」
誰も、ロザリンドに声をかけてこない。
(どうして誰にも誘われないの……?)
ロザリンドは愕然とする。
婚約者がいても、結婚していても、ダンスはパートナーの合意があればいいはずだ。
舞踏会は社交の場でもあるのだから。
なのに、一向に誘われる気配がない。
男性と目が合っても、そそくさと逃げられてしまう。
一体何が悪いのか。今日のロザリンドの仕上がりは完璧なはずだ。使用人たちが一生懸命飾ってくれた。見た目だけなら、完璧な公爵令嬢のはずなのに。
(――つまり、中身が悪いということ? やっぱり私って、そんなに魅力がないの……?)
自分には、魅力がないわけではないと思っていた。
信じていた。信じたかった。
だが、現実の社交界は非情だった。
(いえ、挫けてはいられないわ。こうなったら、自分から声をかけに行ってみようかしら)
女性側から誘うのもマナー違反ではないはず。
勇気を出して一歩を踏み出そうとしたその時――
「あらあら、クリストファー。そんな怖い顔をしていたら、誰も近づいてこられないわよ」
「叔母様」
やってきたのは、父の妹でもある侯爵夫人だ。
言われて後ろを振り返ると、ロザリンドの後ろには、ずっとクリストファーがいる。黙って立っているだけなのに、圧倒的な存在感の義兄が。
――もしかして、この迫力のせいで、誰も声をかけてこないのだろうか。
ロザリンドは、こっそりと侯爵夫人に相談する。
「……叔母様、兄と踊りたいご令嬢たちはいらっしゃいませんか?」
侯爵夫人は美しく微笑む。
「それはもう、たくさんいるわよ。機会があったら取り次いでほしいと言っている子たちはたくさん。もちろん、この場にもね」
「ぜひ、お兄様に紹介していただけませんか? ……そしてよかったら私にも、男性を紹介していただきたいのですが……」
「あら? そうねえ……」
その時、ぐいっと後ろから肩を軽く引かれる。
振り返ると笑顔のクリストファーがいた。
「ねえ、クリストファー、あなたと踊りたがっている可愛らしいレディたちがいるのだけれど」
「申し訳ありません。妹をひとりにするわけにはいきませんので」
クリストファーは笑顔のまま、表面だけは申し訳なさそうに言う。
「お兄様、私はもう一人前です」
「だからこそだ。一人前のレディだからこそ、ひとりにはできないと言っている」
侯爵夫人は面白がるように二人を見つめ。
「愛されているのね、ロザリンド」
「お兄様は過保護なのです」
「婚約者が許してくれないのなら、紹介はできないわね。二人とも、末永く仲良くね」
侯爵夫人は笑いながら離れていく。
(ああ……唯一の救いの手が……)
縋るように侯爵夫人の背中を見つめるが、振り返ってくれない。
「ロザリー、踊りたいなら俺に言え。いくらでも付き合う」
「私は、他の方と交流したいんです」
それに、恋人探しもしたい。
こんなところで大っぴらに口にはしないけれど。
クリストファーが眉を顰める。
「駄目だ。お前は危なっかしい」
「子ども扱いしないでください」
「していない。俺は――」
一瞬口ごもり、決意したように言葉を紡ぐ。
「……お前が他の男と踊っているところを平気で見ていられるほど、俺は心が広くない」
感情をほとんど表に出さず、常に落ち着いているクリストファーが、こんな切実な表情を見せるのは珍しい。
ロザリンドの胸がきゅっと苦しくなる。
そんな顔を見せられると、本当に求められているのかと勘違いしそうになる。
(お……お兄様も勘違いしているだけよ)
周りから――特に両親から、そうあるように命じられたから。
次期公爵として、ロザリンドの義兄として、婚約者として。
その呪いが、まだ解けていないだけだ。
――その時、会場の雰囲気が一変した。
大広間の一角が盛り上がり、視線がある場所に集中している。
人々の視線の先には、白いドレスを着た女性を伴ったエドワード王子がいた。
「聖女様――?」
ロザリンドは吸い寄せられるように歩き出す。
迷いのない足取りで進むと、人だかりの中にすっと道ができる。
エドワードはこちらを見て、爽やかで品のある笑顔を浮かべた。
「やあ、クリストファーに、ロザリンド」
「エドワード殿下、ご機嫌麗しゅう」
すぐ後ろにいたクリストファーが、前に出てエドワードに挨拶をする。
ロザリンドは興奮を必死で隠し、スカートを両手でつまんで広げて、恭しく頭を下げた。
既に注目の的だった。
「ふたりとも、そんなに畏まらないでくれ。それにしても、こういう場所で二人に会うのは、なんだか不思議な気分だな」
エドワードは苦笑する。クリストファーはともかく、ロザリンドは社交の場にほとんど出ていなかったから。
「ロザリンド、そのドレスよく似合っているよ」
「ありがとうございます、殿下」
社交辞令に微笑みで返す。
その間、エドワードの隣の女性はずっとつまらなさそうな表情をしていた。
「殿下、こちらの女性はどなたでしょうか?」
「ああ、すまない。アリーシャ、彼女はロザリンド。ロードリック公爵の娘で、クリストファーの妹だ」
エドワードが呼んだ名前に、ロザリンドの身体が跳ねた。
(――やっぱり、アリーシャ!)
『エターナル・リンクス』の女性主人公――アリーシャ・エイドリアン。
ピンクブロンドの髪に、青い瞳。愛嬌のある顔立ちに、清楚な白いドレス。
(ブレスレットも、ティアラも、最上級装備のセイクリッドシリーズだし)
アリーシャに間違いない。
「ロザリンドと申します」
ロザリンドは再びドレスのスカートをつまんで深々と礼をする。
――やっと。
やっと会えた。
ようやく、彼女の人となりを知ることができる。
ロザリンドは全神経を集中して、主人公であるアリーシャの一挙一動を刻み付けていた。
「……クリストファーの、妹……? なんだ、モブじゃない」
ポツリと零された独り言を、ロザリンドは聞き逃さなかった。
(――モブ? いま、モブって言った?)




