02 私はただのモブ令嬢
ロザリンドはベッドから立ち上がり、窓辺に立って外を見つめる。
夜に覆われた景色は冷静に考え事をするのに適している。
――少し予定と違うが、ひとまず婚約状態を保留にはできた。
(あとは、お兄様と女主人公のアリーシャを引っ付けるだけ! 意外と頑なで驚いたけれど、アリーシャと出会えばお兄様も考えが変わるはず。すぐに私との婚約を解消したがるはずだわ)
ロザリンドには勝算があった。
クリストファーはラスボスになる男だが、女主人公アリーシャでちゃんとイベントをこなし、恋愛を進めていくと、なんとクリストファーが改心して仲間になるルートがあるのである。
そしてその場合は別のラスボスが湧いてくるという、乙女に親切設計なゲームだった。そんなこともあって、クリストファーは女性プレイヤーに絶大な人気があった。
しかも終盤に加入する隠しキャラクターだから雑に超強い。
――ちなみに、男主人公アルドの場合の隠しキャラクターは聖女になる王女で、このキャラクターも補助魔法が超強い。
(妹であり、ゲーム知識のある私がフルサポートすれば、必ずアリーシャはお兄様ルートに行くはずよ。だってお兄様はあんなに格好いいんだもの。ゲームの陰のあるクリストファーもよかったけれど、いまの完璧超人お兄様なら誰だって恋しちゃうはずよ)
ロザリンドは確信を持ちながら、窓に映る自分の顔を見つめる。
(うーん、美少女。個別グラフィックもなかったモブ令嬢には思えないわ)
豊かな金色の髪に、気の強そうな緑の瞳。
ここはゲームの世界と言っても現実だから、モブにもしっかり顔がある。
ゲームの中ではロザリンドは立ち絵はぼやけ、表情差分もない、作画コストの超低いモブ公爵令嬢――だったというのに。
そして、クリストファーと主人公を嫌って嫌って嫌い抜く、ワガママ放題の高慢貴族令嬢だった。
(まあ、自分の立場を脅かす最大の敵だものね……)
いまならその危機感も理解できる。クリストファーは超優秀で、ロザリンドはかすみまくっていた。尊い生まれなのに、正真正銘のモブだった。性格もひねくれるというものである。
しかも、ゲームのロザリンドはとても雑に死ぬ。
魔王として覚醒したクリストファーが、過去との決別のため家を燃やすシーンで、火事に巻き込まれ、父と母と共にあっさり死ぬ。
そのキャラクターに自分が転生していると気づいたときには、絶望したものである。
(記憶を思い出したのは、お母様に叩かれているお兄様を見たとき……)
その光景が、ゲーム中に表示される一枚絵――スチルと重なって、気づいたのだ。
クリストファーはいずれラスボスになる男だと。
自分はその義妹だと。
家族ぐるみでクリストファーをいじめて、最後は雑に死ぬ運命のモブだと。
――そう気づいたとき、クリストファーに駆け寄って叫んでいた。
――「わたし、おにいさまとけっこんします!」
その後、娘に大甘な父母はクリストファーに、ロザリンドに相応しい結婚相手にするために、食事と教育を与え始めた。
それから十年。
クリストファー・ロードリックは立派な貴公子になった。
家族の愛を知らず、孤独故に、自分の力を世界に認めさせたいが故に、闇の力に手を伸ばしたクリストファーはもういない。
これでも雑死亡エンドは避けられたと思うが、ゲーム本編はここからである。
なんとしてもクリストファーの闇落ちを回避しなければならない。
そのために、クリストファーには女主人公アリーシャとのエンディングを迎えてもらわなければならない。
個別ルートに入れば、放火イベントではなく永遠に解けない氷での凍結イベントになる。そしてアリーシャがクリストファーの心の氷を解かし、公爵邸の氷も解けて全員無事というハッピーエンドになる。
(やっぱり、クリストファーにとっての最高の幸せは、アリーシャとの恋愛成就よね。エンディングのスチル、すっごく美しかったもの)
愛を知らなかった孤独な青年が、主人公の愛によって癒され、自分自身の守りたいものを見つける、尊い終幕だった。
――ロザリンドは、あくまでモブ。本編に絡まない、背景で死ぬはずだったモブ。
モブは本編の――定められた運命の邪魔をしてはいけない。
◆◆◆
翌日。
空が明るくなり始めたころに目を覚ましたロザリンドは、日が昇る前に運動用の服に着替えて、髪を後ろで結んで庭に出る。
(さあ、今日も日課のスキル上げと行きますか)
庭の端――あまり人が来ないひっそりとした場所に、立派な木が生えている。
そこに打ち付けられた釘に、ロザリンドお手製の的がぶら下がっている。
辺りに落ちている小石を拾い集め、足元に置く。
――小石を、投げる。
【投擲:上級】【命中度補正:特大】
自動的にスキルが発動して、小石が吸い込まれるように的の中心に当たる。
小石を拾って、的の中心に投げる。それを数度繰り返していくと、的の中心に空いた穴に小石がめり込む。
(お兄様は、一体何を考えているのかしら)
一晩考えたが、やはりわからなかった。
小石を拾って、投げる。
(私から解放されて自由になりたいでしょうに……もしかして、お母様からの報復を恐れている? 私との婚約を解消したら、お母様の虐待がまた始まると……?)
めり込んだ小石の上に、小石が当たる。
(ううん、お兄様はもうお母様なんて怖くないはず。いざとなればお母様を追い出すことだってできるはずよ。それに、私だってそんなこと許さないし)
投げる。
投げる。
投げる。
深くに食い込んだ小石が、ついに的を突き破る。
そしてそのまま木目に沿って、的は真っ二つに割れてしまった。
「――あ。また、やっちゃった……」
的の残骸を拾って、労わるように撫でる。
小石を当てられ続けて、もうとっくにボロボロだ。
「ごめんね。お疲れ様」
意識して狙いを散らさないと、ど真ん中に投げ続けてしまってすぐに的を割ってしまうというのに。
ぼんやりしすぎた。反省する。
(今日はまだ時間がありそうね。入学しちゃうとなかなか時間が取れなくなるし、今日もフリーマップに行っておきますか)
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