8.心の暴走
足立は車の中で頭を抱えて困惑していた。
「どういうことだ? 起爆装置は作動したのにアリスは動き続けている? 自爆に失敗したっていうのか?」
用意された爆薬はふたつ。ひとつはハンガーの後ろに大量のドラム缶と共に設置された。これは倉庫そのものを吹き飛ばし焼き尽くすためのものだ。
そしてもうひとつは、アリスの背中に設置されていた。これはアリスそのものを破壊するためのものだ。
両方が同時に爆発しアリスは粉々になり焼かれて灰になる予定だった。仮に爆発したのが片方のみだったとしても、倉庫側が爆発すればアリスは灰になるし、アリス側が爆発すればアリスは粉々になる筈だった。
倉庫側の起爆は成功した。それは倉庫が炎上していることでも明らかだ。
しかしアリスは動いている。さらには現場より逃走さえしている。
「どうなっているんだ……」
幾つかの可能性が頭に浮かんだ。
急ぎのシステム改変だったため予期せぬエラーが発生したのかもしれないこと。戦闘による損害で機器が故障したのかもしれないこと。戦闘により現場の状況が大きく変化していたかもしれないこと。それ以外にも様々な可能性が考えられた。
無線からは今もなお現場は混乱している様子が聞き取れる。
情報端末からはアリスが逃走し続けている様子が座標の数値で読み取れる。
どうする……。
足立はこのままアリスを放置したならどうかるかを考えた。
アリスのシステムはまだ生きている。このまま警察に確保されたら膨大な情報が抜き取られることになるだろう。組織の情報がどれ程流出するかは想像も付かない。最悪、自分が組織から追われる立場になる可能性だってある。
この逃走がシステムの暴走であるなら、アリスが今後どのような動きをするか分かったものではない。今の状態のアリスが更なる人口密集地に入ったなら、罪も無い大勢の人に被害が及ぶことになるだろう。周囲の人々を敵と判断して銃器を乱射する可能性は充分にある。
様々な不安が頭をよぎる。
アリスを放置するのもまたリスクが高いと判断する他無かった。
足立は車のサイドブレーキを外すとアクセルを踏み込む。
「くそっ、もうどうにでもなれっ!」
足立は車を発進させた。
・・・
足立はアリスの現在に至るまでの逃走ルートのデータを呼び出した。それをもとに、今後のアリスの逃走ルートを予想する。
幸いにもアリスは市街地には向かっていなかった。ほぼ一直線に人気の無い郊外へと向かっていた。更には今自分がいる方へと近付いて来てさえいる。
「よし、上手くいけばアリスの逃走ルートに先回りできるっ」
足立はアクセルを踏み込み車の速度を上げる。
・・・
時代遅れの黒ずんだ木造家屋が建ち並んだ街並み。
郊外ということもあり周囲に人気は無く静まり返っている。時折、型落ちの古い車が通り過ぎていく程度だ。
足立は交差点近くの路肩に車を停めた。そして情報端末を見る。
アリスの現在位置を示す座標の値が足立がいる座標へと近付いてきている。アリスがこのまま真っ直ぐに進んだなら、目の前の交差点に出る筈だ。
足立は情報端末を持って車を降りた。
アリスが向かって来ているであろう方向の空を見詰め、ごくりと息を呑む。
少しの間――、
そして建物の屋根の上からアリスが飛び出てきた。
来たっ!
足立は情報端末をアリスに向けると戦闘用プログラムを停止させる信号を送った。
アリスのシステムやセンサー類が生きていることを願うしかなかった。信号が届かなければ今の足立にはアリスを止める術は他には無い。そしてこの瞬間を逃してはもう二度とアリスと接触する機会も得られないだろう。
最初で最後の機会だった。
だから足立は願った。
頼む、届いてくれっ
アリスは道路の真ん中に着地すると、その場で膝を着き、動かなくなった。
情報端末を見ればアリスの稼働状態が通常モードに切り替わっていた。各筋肉組織や器官のリミッターも次々にロックが掛けられていく。内部のエネルギー値が見る見るうちに下がっていく。
戦闘用のプログラムが停止した証拠だった。
よしっ、成功したっ。
足立はホッとするのもつかの間、急いで車の後部座席のドアを開け放った。
そして叫ぶ。
「音声認識、コード1865、俺が分かるなアリスっ、車に乗れっ!」
情報端末にアリスが足立の声紋を認証したことを示す文字列が流れた。続いて空白だったユーザーの欄に足立の作業員番号が表示された。そして次々に新たなプログラムが動き出していく。
アリスは立ち上がると走り出し、車の後部座席目掛けて車の中へと飛び込んだ。
アリスの重量により車は大きく片側へと傾く。
足立は勢いよくドアを閉めると、自分も運転席へと向かい車に乗り込んだ。
後部座席で今まさに体を起こそうと動いているアリスに向かって足立は言う。
「アリス、すべてのプログラムを一時停止、スリープモードに移行しろっ」
アリスはピタリと動きを止め、そのままピクリとも動かなくなった。
足立は急いで車を発進させると、その場から走り去った。