後編
ギルバート様にお手紙を出したら、その日の内にお返事が来た。お兄様経由で。
手紙はご実家であるボールドウィン公爵家に送ったはずなのに、なぜ王宮にお仕事に行っていたお兄様が返事を持って帰って来たのか疑問に思っていると、どうも家に届いた手紙をわざわざギルバート様が所属している魔術師団の方に届けてくれたみたいだ。
ちなみにお返事はメモに『すまん。』と、走り書きが。んん????
「外の馬車で待ってるから、行って来い」
「は?」
お兄様が何を言っているかマーガレットには分かりませんわ。外……え、待って。今ギルバート様がいるってこと!?
晩餐どうしようと思ったら、お兄様が食べておいてくれるって。違うそうじゃない! 女子には支度と言うものがぁあぁぁぁ!?
お兄様にガシッと肩を掴まれた。
「ちょっと! お兄様、もう私子どもではありません!?」
「知ってる。重くなったなぁ」
部屋に引き返そうとしたら、お兄様に捕獲されて抱えられて玄関を出てしまわれた。
そのまま停まっていた馬車に突っ込まれる。外出着どころか侍女も付けずに! と、文句を色々と口にしたが、無情にも閉まったドアに弾き返されてきっとお兄様には伝わらなかった。呆気に取られていると直ぐに馬車は走り出す。
斜め後ろをソーッと見上げると、頭を抱えたギルバート様。
「……すまない」
「許しません」
手を出されたので、引き上げてもらう前に気がついた。パンプスが片方ない。
慌てて探すもドレスの下にもなくて、途方に暮れる。いつまでも床に座っていても仕方がないので、馬車の座面に腰掛けた。
しかし、今日はハイヒールのものを履いていたので、踵の高さが両足でチグハグでバランスが悪い。
散々痴態を晒した後なので、開き直ってもう片方のパンプスも脱いでしまう事にした。
断りを入れてから脚を座面の上にあげさせてもらい、ドレスの上から膝を抱える。
ギルバート様の方に顔が向かないが、今はまともにお顔を見たくなかったので丁度よかったかも知れない。
乱れた髪を直していると、自身のローブを脱いで広げてから、私の身体前面に掛けてくださった。
人肌に温まったローブを剥き出しの鎖骨に感じて、今更ながら身体が冷えていた事に気がついく。遠慮なくお借りすることに。
落ち着いたところでなぜ私はこんな目に遭わされたのかギルバート様に問いただす。
詳細を聞いたら今度はコチラが謝る番であった。
「この度は兄が大変失礼な行いを致しまして、申し訳ございません。勘違いとはいえ、ギルバート様に『許しません』などとんでもない八つ当たりをしてしまいました」
「いや。私も抵抗しなかったので、寧ろ巻き込まれたのはマーガレット嬢になる。八つ当たりでも何でもない」
「けれど……えっと、私よりギルバート様の方が……」
私と一緒で、お兄様に担がれて馬車乗り場まで運ばれたと言うから大変不名誉な事だと思う。むしろ王宮で人の目があった分なお悪い。
そこはギルバート様の具合が悪いとお兄様が誤魔化したらしいのだけれど、大の大人がする事ではないわ。何も説明せずに連れて来られて、何とかメモ書きだけ私に渡るようにしたと。
自分と同じ目に私が合うとは知らずに、てっきり晩餐でも食べながら話でもするのかと思ったらしい。
応接室じゃなくて馬車の中で待たされて変だとは思っていたけれど、晩餐じゃなくて何処かに3人で出かけるのかも知れないと考えていたとか。
しかし、私が馬車に乗り込んだと言うか、放り投げられて中に入って来たから驚いたって。それはそうよね。許すまじお兄様。
「それで、この馬車はどちらに向かっているのでしょう?」
「回り道しているが、この道筋なら王宮だな。ウチのはまだ騎士団の所に停めてある」
うん。この馬車はハワード家のですね。
多分お兄様の事だからギルバート様の従僕に話は通して、根回ししているだろうと。
そこから馬車の御者にも騎士団の方に待機するように話が行っているかも知れないと、憶測を述べられた。
「話は変わるが、私に会いたいとはどんな意味でだったんだろうか?」
「どんなと言われましても……」
普通に今後の事についてゆっくり話そうと思っていましたと申し上げると、ため息をつかれた。どうされました?
「いや、そうだよな。君の事だからそんな事だろうと思ってはいたんだ。それで、今後と言うのは?」
「お待ちください。ギルバート様は私がどんな話があるとお思いになったのですか?」
「…………笑わないでくれると約束してくれ」
絶対笑わないと念を押されて、頷きで返すとため息混じりで、「ただ単に会いたいだけ」だと思ったらしい。ちょっとよくわからない。
そのまま苦笑いをしながら、デートの誘いだと思って浮かれて仕事に支障をきたしていたところをお兄様に捕獲されたらしい。
「話は口実だと思ったんだ。すまない勘違いだ。忘れて欲しい……」
会いたかったのは自分の方だったと寂しそうに言われて、私は不覚にも胸の鼓動を速めてしまった。私に会いたかったんですかギルバート様が!?
好きな相手に会いたくなるのは普通の事だと言われて、顔に熱が集まるのがわかった。とても光栄で嬉しく思う。
今更ながら、ギルバート様と2人っきりだと認識して何だか落ち着かない。
「はははっ! やっとコチラを意識してくれたのか。正直、男だと思われていないのではと少し傷付いていたんだ」
「も、申し訳ございません」
「私の勘違いはもういいとして、話とは何だろうか?」
気を取り直してギルバート様に率直にお話した。
私の事を好いてくださっているのは十分伝わっているけれど、仮に私と結婚したとしてもギルバート様のご生家であるボールドウィン公爵家には今回旨味はないように思える。
むしろ王家や大公家によく思われないのではと。嫁ぎ先で王家筋との社交も難しい。
あまり良い話ではないのに、話を進めれば進めるほど、なぜかギルバート様は嬉しそうにされている。
私が色々と問題点を挙げて、どう思われますか? と、質問すると笑顔でひと言「嬉しい」などと言われてしまった。
「私の話聞いていましたか?」
「ちゃんと聞いていたさ。こちらの家の心配をしてくれて礼を述べたい」
ボールドウィン公爵家の心配までしてくれた事のお礼までされてしまったが、簡単にまとめると気にしなくて良いと言われた。
どうやら、私が思っているよりも魔術師の家と言うか、ボールドウィン公爵家の嫁取りは特殊らしい。
「公爵家としては格式ばっていないハワード家とは相性がいいのかも知れないと思っていたくらいだ」
「?」
魔術大国である東の国の血筋も入り、生活様式も取り入れているボールドウィン公爵家。魔術の腕前で公爵家にまで上り詰めた家と言うこともあり、内情は血筋よりも魔術師に理解のある柔軟性などを考慮して結婚相手を決めているんだとか。
守秘義務関係から社交もほどほどと言うより、女性陣は家からあまり出ないのでそれが苦じゃなければ問題ないと。割と社交を気にしない家だった。
言われてみれば、屋敷にあまり人を呼ばないと説明を受けた気がする。
後は大きなクロヒョウを前にしても物怖じしないので、ギルバート様のお母様が大喜びしていたみたい。
元は伯爵家の三女であったギルバート様のお母様が1番苦労したのはあの魔物のクロヒョウに慣れる事だったらしい。
そうか、家格が低いと尚更希少性の高いテイムされた魔物と馴染みがないのかも。
小さな頃から当たり前にウルフ系の魔物と戯れていたので、失念していた。
王宮を出てからはそう言えばウチも馬はテイム契約した魔物だけれど、番犬は普通の犬になったわね。
「むしろ、家格が釣り合って更に相性がいいと言うのは滅多にない。後は刺繍の腕前だ」
詳細は伏せられたが、ボールドウィン公爵家では男女問わず刺繍が出来ないとお話にならないらしい。多分魔術関係なんだと察した。
人の出入りを制限している事もあり、使用人も住み込みで他家に比べたら少ない。
忙しい時は屋敷の者総出で仕事する事もあるので、そんな家でも大丈夫か逆に心配されてしまった。
年々忙しくなり、人手がいくらあっても足りていないみたいだ。
社交の代わりに家に居ての刺繍を天秤に乗せるまでもなく、私はそちらの方が好ましく思う。
「マーガレット嬢の良いところなど探せばいくらでもある。ウチは最終的に信頼関係や好みの問題でもあるが……。綺麗事だけでは済まない家なので、辛い思いもさせる」
あぁ、今の言葉とギルバート様の眉根を寄せた辛そうな表情でわかってしまった。
私の左手にあった、黒い蔦模様の魔術契約紋の術式を施したのはやっぱりボールドウィン公爵家なのね。
「逆に言うと、仮にマーガレット嬢が私と結婚してもハワード家にはあまり旨味はないだろう」
「お荷物の私がいなくなります」
「ははっ。その言葉を聞いたら、エドワードが冷笑で怒り狂いそうだな」
苦笑いを浮かべるギルバート様だが、今度は魔術師の家であるボールドウィン公爵家の良いところと悪いところを教えてくれた。
良いところは勿論魔術関係に強く、王家の覚えもめでたい。その反面、敵も多い。
「血筋を重んじる貴族の家々には目の上のたんこぶだろう。しかし、魔術関係の技術力も買われているので排除も難しい」
私が嫁入りするのは願ったり叶ったりだけれど、無理強いはしたくないし、妥協で選ばれても結婚した後が辛くなるので辞めた方がいいと言われた。
何だか胸の内を読まれたような言葉に何も言えないでいると、眉を下げて微笑まれたギルバート様が「そろそろ到着する」と、言って私から視線を外されてしまった。
暫く沈黙が続き馬車が停まる。
どうやら目的地に着いたようだ。
ノックの音と共に御者のドアを開けてもいいかと言う声かけ。ギルバート様が返事をする前に少し待って欲しいと私が声を上げた。
馬車から降りるために立ち上がっていたギルバート様の服の袖を掴む。
驚いた表情でこちらに向き直ったギルバート様に、私は意を決して口を開いた。
「これだけは言わせてください。ギルバート様が思っているよりも、私は……貴方に惹かれていると思います」
「………………」
固まって動かないギルバート様。表情を無くすと、まるでよく出来た彫刻のような整った顔立ちを見つめながら、永遠にも思える無言の時間。
ギルバート様が顔を腕で隠してしまわれた。
「すみません。ご迷惑でしたね……」
「迷惑ではない。不意打ち過ぎて私に言われた言葉なのか理解するのに遅れただけだ」
今日は流石にこれ以上話をするには時間がないので、また休みの日に会う約束を取り付けて、別れの挨拶をすませる。
今度こそギルバート様は馬車を降りてから、時間を置かずに馬車が動き出す。
「ふぅ〜…………!? あ、上着」
自分の思いを伝えるのにいっぱいいっぱいで、お借りしたままで返すのを忘れていた上着の存在に気がついたのは、行きよりも短い馬車の移動時間を大分過ぎた頃だった。
「お帰りマーガレット」
「只今戻りました。お母様」
屋敷に着いた途端にいつもは冷静な侍女が駆け寄って来て、私の安否を確認。私がくしゃみをしたので脱げて置いて行ってしまった靴を履き直して、エントランスに急いで移動した。
お母様に抱きしめられて、挨拶を済ませる。相当心配させてしまったらしい。
自室で身だしなみを整え、場所を移動して遅めの晩餐と温かい飲み物をいただきながら、何があったか説明する。
端的に言うとお話しただけで、何もなかった事の説明なんだけれど。
お兄様はお父様にこっ酷く叱られている最中で、夕飯は抜きみたい。
お母様と一緒に食事を進めながら、ギルバート様の次のお休みに会う約束をしたと報告する。
「マーガレットがそう決めたのなら、母が反対する事はありません。今回も紳士的な対応をしてくださった方ですもの。旦那様には2人っきりでお会いすると伝えておきます」
「ありがとうございます。……それで、お母様……」
「エドワードの事ね。本当に貴女は昔から兄に甘い子ね。後で旦那様には内緒で軽食でも持って行ってあげなさい」
最近仕事が忙しいのか、あまり帰って来なかったお兄様が態々帰宅して来たのだ。
強硬手段ではあったけれど、おかげでギルバート様とは腹を割って本当の2人っきりで話も出来た。
次に会う時は従僕も侍女も控えているだろうし、あそこまで素直に言葉が出て来なかったと思う。ギルバート様もいつもよりよくお話しされていた。
貴族としては褒められた行いではなかったけれど、今の私には必要な事だったと理解している。まぁ、身支度の時間くらいは欲しかったと、嫌味くらいは言うつもりではいるけれど。
悪者になってくれたお兄様にお礼を述べてもバチは当たらないでしょう。
晩餐を終えて、軽食の入ったバスケットを持参してお兄様の居室にお邪魔する。
入室して、お兄様のお顔を見たら嫌味は吹き飛んでしまった。
「そのお顔……」
「転んだだけだ。むしろあちらの手の心配をした方がいいだろう」
絶対ヒビが入っただろうとお父様の骨の心配をしながら愚痴をこぼす器用なお兄様に駆け寄って、冷やしている痛ましい頬を覗き込む。血は止まったいると言われたが、唇も切れて変色している。
コレを転んだと言い張るのは相当無理がありますよお兄様。
「すみません」
「謝るのはこちらだろうが。全く……上手くいったか?」
おかげさまでと言うと、お兄様は安堵のため息をつかれた。
2人とも奥手過ぎてお兄様的にはヤキモキしていたらしい。次は何もしなくても2人で会えと言われてしまった。うん、流石お母様似だわ。言う事が一緒。
すでにお母様からは許可は出ていると伝えると、苦笑された。
軽食が並べられて、私は紅茶をいただきながらお兄様にお話を伺う事に。ボールドウィン公爵家の事だ。
人払いをして、部屋のドアが少し開けてあるのを確認してから傷で食べづらそうなサンドイッチを咀嚼して飲み込んでから、ゆっくりお話してくださった。
「アチラの直系は一度途絶えているんだ。先代が東の大国由来の入り婿で、コチラの貴族には不況を買った時期もある。特に年配の貴族は今だに家の降格をとのたまっている老害もいる」
わぁ。お兄様いい笑顔過ぎて、マーガレットは寒気がします。
しかし、全く気にするなと言われた。その降格を望む貴族達はボールドウィン公爵家をどうこうして仕事を気軽に引き受けてもらいたいだけだろうと。
今は王家の血筋に次いで力のある公爵家のひとつでもある。身分にもの言わせて、よからぬ事をお願いするのに権力を振りかざしたい小物だから心配するなって。お口がいつにも増して悪いわ。
王家が許しはしないだろう。一番気にしているのはボールドウィン公爵家の本人達だ。
私が嫁に行けば血筋のバランスも良くなるが、あまり心配して頭悩ませ過ぎるなと。
「けれど……。私がギルバート様と結婚する承諾は王家から降りますか?」
「降りるんじゃない。もぎ取るんだ。アチラが先に失態を犯しておいて、他に嫁にやるのがダメだとか言わせてたまるか。家臣には降ったが、父上の面子もある。父上は気にしていないが、ハワード家の事だ。私が気にする」
ワインを勢いよく煽ったお兄様は手酌で再びグラスに酒を注ぐ。
幸せになって見返してやればいいと静かに怒りを露わにしながら次の酒を口に運ぶ。
「教会に行くなら一緒に入るからな」
「お兄様までついて来たら、お父様が嘆きそうですね……」
「自分から入った経験のある父上の言葉なんか聞くものか」
その時は笑顔でお前と同じ事しただけだと言ってやると、開き直ると豪語したお兄様がとても頼もしい。
一緒に教会に入るのが嫌なら縁談なんか幾らでも跳ね除けて、住み心地の良い屋敷でも城でも手配するから家にいればいいと。どこまでも優しい言葉に思わず笑ってしまった。
「ギルバートと結婚したいなら手は打つから、そちらも気にするな。マーガレットは自分の心配をしろ」
多分、その時は一回領地には帰る事になるから支度しとけと言われた。
詳細を聞いたら内緒だと言われてしまう始末。いつもの事です。聞いても答えてくれないだろうし、悪いようにはならないだろうとお兄様を信用した。
食事が済んでまた王宮に行くと言うので、ギルバート様からお借りしたローブの返却をお願いする。お兄様を見送ってから今日を終えた私はベッドに入る頃にはフラフラで泥のように眠った。
結局、ギルバート様とお会い出来たのは2週間後。お忙しい中休みの日を私との時間に当ててくださって、ボールドウィン公爵家にお呼ばれした。
昼食をギルバート様のお母様、ギルバート様と共にした後に庭の散策。
お茶と刺繍を嗜みながら、ギルバート様とお喋りの時間だ。
私は普通のハンカチに草花の刺繍を施し、ギルバート様は仕事用のボタン刺繍をしている。
「色の使い方が美しいな」
「ありがとうございます。ギルバート様のは単色なんですね」
魔術系統の刺繍は特殊な糸で単色が基本らしい。色に混ぜ込んで使う場合は一見してわからないように縫うと言うから、普通の刺繍とは勝手が違うみたいだ。手際がいいので見ているだけでも飽きない。
手袋をしていない大きな手はゴツゴツとしていて、長い指の先で針を持ちながら繊細な刺繍が生み出されて行くのが不思議だ。
それにしても────
「そんなに見つめられると穴が空いてしまう」
「も、申し訳ありません!」
手を見て「男の人だな」なんて思っていたタイミングで声をかけられたので、声が裏返ってしまった。恥ずかしい。
チクチクと刺繍針を布に刺すのをやめて、勇気を振り絞って聞いてみたかった事をギルバート様に尋ねる。何で私を好きになったのかと。
「好きになるのに理由など必要だろうか?」
「え……えぇ?」
思っていた答えと大分違うと衝撃を受けていると、鋏で糸を切っているギルバート様は手元を見ながら、次の丸く切られた小さめの布に手を伸ばした。
「……キッカケは君が泣いている姿を見た時からだ」
失恋して大号泣している私を見て、自分も誰かにこんなに愛されてみたいと思ったらしい。
しかし、魔術契約紋を見て怒りが湧いたと。人為的なものによって引き出された愛に憧れを持った自分の純情を返せと。
「勝手に期待して、勝手にひとりで激怒しただけだ。説明は出来ないが、そんなものに涙を流す君は早く泣き止めばいいと花模様を施したに過ぎない」
思いのほか私が喜んでいたので、嬉しくて仕方がなかったと話されるギルバート様の目元がちょっと赤い。
八つ当たりに近い形で衝動的に施した花模様だった。少しでも慰めになればいいと言った言葉は嘘ではないが、私が思っているよりも綺麗な感情ではないので軽蔑でも、落胆でもしてくれていいと言われた。
「ギルバート様でも怒る事ってあるんですね」
「私はそんなに出来た人間ではない。分かりづらいとはよく言われるが、怒ることもある」
確かにギルバート様の表情はあまり動かないので、お兄様よりは分かりづらい。
私は自身の右手のガーベラの花模様を見た。色が薄くなって来たそれを見て、どんな理由であったにせよ私が慰められた事にはかわりはないと伝える。
「……どんな理由であれ、泣くほど愛されたいと思ったのもまた事実だ。淑女の仮面ではなくて感情の起伏がある自然体なマーガレット嬢を私は好ましく思う」
もう一度会いたいと思った時に、恋に落ちていると自覚したらしい。自然と惹かれた形なので、具体的にここが良いから好きになったと言う訳でもないみたいだ。好きだからこそ、良いところが目に入る。
そうか。いわゆる一目惚れに近い形なのかも知れない。話した時間も短く、感覚で選ばれたのかも。確認すると、確かにそうかも知れないと言われた。
私を知れば知るほど好きにると言われてしまっては自身の顔に熱が集まるのがわかった。
「むしろ私が質問したいくらいだ。この間、別れ際に言われた言葉の意味を」
『ギルバート様が思っているよりも、私は……貴方に惹かれていると思います』
真剣な表情でこちらを見ていると言うか、観察されているような視線で私はいたたまれない。
嫌われてはいないけれど、自身が好まれる要素も見当たらないと言うギルバート様は自己評価が低すぎると思う。
「優しくて気遣いが────」
「先ほどの例もそうだが、私の優しさはそんなに綺麗なものではない。好きな相手を気遣うのはごく自然な事だと思う」
「そう言うところですギルバート様」
「何?」
私はギルバート様の「誠実さ」に惹かれたのだ。綺麗なだけではない面も隠さず、それも含めて自分だと言えるのはとても勇気がいる事だと思う。
特に貴族社会は自身を大きく見せるために見栄も大事だ。
花模様を反対側の手にも施せた事。ボールドウィン公爵家の家の事情。
今もこうして、最初に花模様を施した時の心境を話してくれている。
まるで花が綻ぶように、徐々に私に心を開いてくれているようでとても幸せな気持ちになる。ギルバート様にとってそれを話してもよい相手だと、彼にとって自分は特別な存在だと実感出来る。
「貴方ならきっと、私を裏切る時は前もって言ってくれるだろ、うな……と……」
侍女にハンカチで目元を拭われて、自分が泣いている事に気がついた。
そのハンカチをギルバート様が受け取って、侍女の代わりに拭ってくださる。とても恥ずかしい。
「やはり、あんな男のために泣くのは腹立たしい」
「違うんですこれは……」
ギルバート様に裏切られた時の事を想像したら、とても悲しく、苦しくなってしまったと説明するとギルバート様は驚いた表情の後に急に真顔になった。
「……………泣き止んで欲しいと思いつつも、『嬉しい』と言葉にしたら不謹慎だろうか?」
「素直な方だと……思ぃます。ただ、あまり見ないで…………」
ハンカチを強奪して顔を隠すと、忍び笑いが聴こえてきた。
そのままジッとしていてと言われて大人しくしていると、左手を取られる。
暫くすると、ピカリと光った。もしかして? と、思ってハンカチから顔を出すと案の定、私の左手の甲には赤い梅の花々が咲き誇っていた。
「可愛い……」
「君の手には小ぶりな花の方が似合うな」
私の手に合わせて改良して、小さめの術式を生み出したと言うからお兄様が知ったらまた才能の無駄遣いだとおっしゃりそう。
「君がはじめて笑顔を見せてくれた時にとても胸が高鳴ったのを覚えている。私の事に泣いてくれるのも正直嬉しくも思うが、出来ればマーガレット嬢には笑顔でいて貰いたい」
色々なしがらみのある貴族社会の中で、なるべく私が心地よく過ごせるように努力はするつもりなので、これからもお互いを知るために定期的に会ってはくれないだろうかと懇願されて、私は笑顔で頷いた。
お互いの家を訪問したり、一緒に出掛けたりする中でギルバート様の事を知る度に私の中でギルバート様という存在が大きくなって行くと感じていた。
ニャン子さんにジャレつかれて、撫で回している時に弧を描く悪戯な口元。
魔術系統の刺繍をする時の真剣な眼差し。
私が笑うと目を細めてこちらを見ながら控えめに染める頬。
ふとした事で気遣う紳士的な対応にときめきを感じる。
下心からだと本人は言うけれど、私を大事にしたいと慈しみの想いも滲み出ている事に気がついた時。まるで何かに囚われたようにギルバート様を目で追ってしまい、視線が交わる回数が増えた。
ギルバート様が楽しそうに、嬉しそうにしていると私も何だか幸せで胸がいっぱいになる。
しかし、楽しい時間は過ぎ去るのも早い。
とうとうお父様とお母様が領地に向かう運びとなり、私も一緒に着いて行く事になった。王都から我が領地は馬車で3日はかかる。
必ず会いに行くと約束してくださったけれど、まとまった休みがないとコチラに来れないので……控えめに言ってとても寂しい。
手紙を書くので、返事がなくてもドンドン送って欲しいと眉を下げて私に言うギルバート様。アチラも寂しいとおっしゃっていたので、私と同じ気持ちだと知ってちょっとキュンとしたのは内緒です。
秋の色づく紅葉が落ち切った頃。私は領地に向けて王都を出発した。
途中雨が降り4日間の馬車の移動でワインが特産の領地の屋敷に到着。
荷解きに慌ただしく動き回る使用人達の喧騒とは離れて、部屋に荷物を入れている間に暖かいサロンでお茶をいただく。
お母様は荷物を置く場所など直接指示を出したいとかで、お父様と2人きりだ。
前はお仕事で忙しかったお父様だが、婚約破棄騒動から私共々屋敷にいる事が多くて、最近はよく一緒にいる。
「疲れてはいないか?」
「ちょっとだけ。お父様は大丈夫ですか?」
「ああ、私も少しだけな……。それにしても、相変わらず元気だなぁ」
ドアの方を見ながらお父様が言っているのは、多分お母様の事だと思う。
そう言えば、お母様から結婚前のお話は伺ったけれど、お父様側から聞いた事はなかったかも知れないと思い至る。
継承権問題もあり、あまり深くは聞けないでいたけれどここに来て興味が湧いて来た。折角なのでお父様本人の口から聞いてみたい。
「お父様は何でお母様と結婚しようと思ったのですか?」
「急に何だ? ゴホンッ……興味津々でキラキラした目のマーガレットの期待には添えないぞ。政略結婚だ」
珍しく狼狽えているお父様がとても怪しい。ジーッと見つめていると、白状してくれた。本当は結婚する気がなかったみいだ。えぇっ!? 今の仲睦まじい様子を知っている身からすると、そんなの想像出来ない。
「押し負けたとも言うか。教会に入った時に婚約は解消すると言ったんだが、待つと聞かなくてな。最終的に彼女らの粘り勝ちだ。いやいやいや、だからマーガレットの期待には添えない」
政略結婚とおっしゃっていたけれど、当時はお父様がダメでも生まれた子どもに王位が回って来る可能性もあったので、そのチャンスのためにお母様は送り込まれたみたいだ。
一生教会にいようとも思ったけれど、異母弟達に泣きつかれて結婚するしかなかったと。
「叔父様達が??????」
「マーガレットの前では威厳たっぷりを装っているが、大体馬鹿な奴らだ」
国広しと言えど、現王と大公家の当主を同時にお馬鹿さん呼ばわりするのはきっとウチのお父様以外いないと思われる。
今まで冗談だと思って聞き流していたけれど、お父様は本気で言ってるのかも知れない。
お父様を教会から引きずり出すためにわざと子どもを作らなかった節があるとか。
国の事もあるので、それは流石にないだろうと思ったけれど、だいぶ経ってから酔っ払った下の異母弟に直接聞いたと言うから本当っぽい。大公家の叔父様何してるんですか。
「聞いたら上の異母弟と示し合わせたと言うから、流石に怒って我が家を公爵家に降格させて王宮を出た」
マーガレットはそんな裏話は知りたくなかったですお父様。規模は違えど、まるでどこかの物語の家出話のよう。
その後、私とバージル王子が婚約したけれど……。
「家臣に降る代わりに私とバージル王子が婚約したのではないのですか?」
「表向きはな。真実なんて他の貴族や国民に言えないので、それらしい理由を向こうが考えたんだ。この父が謀反など起こすと思うか? 王になりたいならアレらが生まれる前に手を打っていた」
確か……に? 私が王妃になれないから怒っていたと思ったけれど、勘違いだった。ただただ、バージル王子が浮気した事に対しての怒りだったと知って呆気に取られる。
お父様本人が幾ら忠実な家臣の姿勢を貫いても周りがそうは思わないので困ると。異母弟達やお兄様も同様。他の貴族もだ。
「エドワードは自分が王位につきたかったのもある。私の言葉など最初信じてはくれなかったので、父はイジケていた」
「お兄様は王様になりたかったのですか? 初耳です」
「いっときな。エドワードには可哀想な事をしたが、アレは国を担うには潔癖すぎるので向いていないと勝手に決めつけてしまっていた」
母親似ではあるけれど、変なところ勘違いする性格だけ父に似ないで欲しかったと言っているお父様はいつもの穏やかな微笑みを浮かべている。
折角婚約者もいるのに、自分達のせいで結婚しないまま教会で過ごすのは可哀想だと身を挺して連れ戻した異母弟達。
王にならないなら、せめて幸せにはなって欲しいと願う異母弟達のために政略結婚を受け入れたと。
「捨て置けばよかったものを。国の行く末を賭けてやる事ではない。本当に馬鹿な奴らだ」
おかげでとても幸せな日々を送れているので、文句も言いづらいと愚痴るお父様はやはりいつもの穏やかな笑顔だった。
「マーガレットに施されていた魔術契約紋のことだが──」
私に施されていた魅了魔法の術式。お父様はどう言う経緯で魔術契約紋に組み込まれたのか自身が知りうる限りの情報を全て話してくれた。
元は大公爵位を賜る王子として王宮に宮を構えていたお父様だったが、先王の崩御により王宮を出て家臣として公爵家となった。それが私が10歳の頃。
「まぁ、怒って自ら出て行ったんだがな」
「タイミング的にそうは思われないでしょうね」
ちなみに大公家の叔父様も「兄上が仕事でしかいないならいても意味がない」と、時を同じくして王宮から出て行ったと言うから、次の王様の即位のために2人揃って追い出されたと思うわよね。
バージル王子と正式に婚約したのが私が12歳、バージル王子が14歳の頃。
話を持ち出したのは王家の方で間違いないみたいだ。バージル王子の提案に私が乗っかったらしい。全然覚えてない。
「話自体は出ていた。引っ越して暫くしてからマーガレットが『何でみんなでワンちゃんと遊べないのよ』とプリプリ怒っていたな」
それは薄っすら覚えがある。
環境の変化や今まで子どもだからと多めに見られて家族のように接していた相手に、急に家臣として線引きされて振る舞わなければならないストレスから癇癪を起こしていた時期だ。
淑女教育も本格的になり、外で遊ぶなんてはしたないと禁止された時期でもある。
そこでバージル王子が自分と結婚すれば王宮に住めるし、家族になれると言ったのに飛びついたみたい。初潮が来て子どもが産めると判断されてから正式に婚約を結んだ。
その時にお互いの貞操の印と、何かあった時に瞬時に居場所がわかるようにと最初の黒い蔦模様の魔術契約紋が刻まれた。
私は左手で、バージル王子には右手に。成長に伴い、年に1回書き換え作業が行われていた。
お父様が謀反を起こすと言うよりも、お父様を繋ぎ止めるために私が人質の役目を担っていた感があるのは、多分気のせいじゃないと思う。
最初は順調だった。王妃教育のために王宮に上がり、コッソリ遊んではバージル王子共々叱られる。
問題が起きたのはバージル王子の急激な成長にともない身体つきも逞しくなり、それに比例して力も強くなった。
内緒で遊んでいる時に力加減を誤ってバージル王子が私にケガをさせてしまったのがきっかけだったと。
「覚えていません……」
「多分、マーガレット本人は気にするほどの怪我ではなかったんだろうな。私も心当たりがないくらいだ」
急にまた遊んでもらえなくなった私はバージル王子と口論になり「バージルなんて大嫌い」と喧嘩の最中言ってしまったらしい。
その後、王妃教育に専念しはじめて淑女として前よりもよそよそしい態度で接してくる私に、更に嫌われたと思ったバージル王子は斜め上な方向に暴走。
一時的にでいいからボールドウィン公爵家に魅了の術式を使って欲しいと命令した。
「間に受けたボールドウィン公爵が次期王と次期王妃が不仲では世継ぎの問題もあると、魅了の術式を施したんだ」
あそこは直系が途絶えた事もあり、世継ぎ問題に関してとても敏感だと話された。何より王家からの命令では跳ね除けられない。
お父様自身も継承権に関して振り回された口なので痛いほど気持ちは分かるが、自分の娘にそんな事されて黙っていられるほど心が広い親ではないので責任は命令した王家に取らせたらしい。
術式を施したボールドウィン公爵様本人はあまり恨まないでやって欲しいとお願いされた。
そして魅力の術式を施して気がついてしまった。私がバージル王子に恋愛感情を少しも抱いていなかったと。
バージル王子は魅了の術式を施した前と後の落差に絶望したらしい。好きだったのはやはり自分だけだったんだと。
「………………」
「馬鹿なんだ。側から見たらそんな事はわかりきっていたのに。厳しい教育に耐えて、次期王妃としての自覚を持ちはじめたマーガレットの成長や努力を台無しにしたと、気が付きもしていなかった」
バージル王子は私に王妃としての務めはあまり求めていなかったのか。何のためにあんなに頑張ったんだろうと落胆する。
私に魅了の術式が施されたのは約1年。
私の態度が術式の範囲内から変わらず、根本的な愛情は育てられなかったと。バージル王子は継続して魅了の術式を施すのではなく、私を手放して自由にすると決めた。
それにともない自身の地位を盤石にするため王妃に大公家の娘である、従妹のローズをギッリギリに選んだ。そうか、今更結婚をくつがえすなら既成事実しか手段がなかったのね。
「ウチの娘を舐めないで貰いたい。きっとあのまま結婚していれば、燃え上がるような恋は無理でも、穏やかな愛を育めたと父は思っているよ。マーガレットを信じきれなかった、何も言わなかったバージルが悪い」
親の贔屓目を抜きにしても、お転婆を卒業して立派な王妃を務め上げただろうと、お父様は慰めのお言葉をくださった。
「お馬鹿さんです……ね。本当にどうしようもない」
私にわざと嫌われて目の届かない所に追いやるために浮気をしたのもあると言うから、本当に馬鹿だと思った。
色々言ってくれたらよかったのにと思うけれど、今となっては何もかもが今更な話だとも思う。
この話を聞いて、憎み抜くことも出来なくなった私も大概だわ。魅了の術式は許せないけれど、不器用にも私を手放して解放してくれたバージル王子のおかげでギルバート様と出会えた。お父様と状況は違うけれど、文句も言えない。
お話を聞かせてくださったお父様にお礼を述べて、私が使う部屋は粗方整ったと言うので旅の疲れを癒すためにゆっくり部屋で休む事に。
暗くなる前にギルバート様宛に領地に到着したと早速お手紙をしたためてから、いつもより豪華な晩餐を終えてベッドに入る。
王都の屋敷とは違う場所だからか、それとも昼間にお父様からお話を伺ったからか、中々寝付けない。
毛布にくるまって窓辺に近づき、出窓に腰掛けて月明かりの下で左手の甲を見る。
真珠の媒体を使った光沢のある赤い梅やピンクのマーガレットの花々が艶やかに咲き誇る花模様を眺めていると何だかギルバート様に無性に会いたくなって来た。
そして、私は唐突に理解する。
何も用事はないけれど、ただ単に好きな人に会いたくなると言う感覚はコレなのね。
バージル王子の時は浮気されるまでフワフワとた幸せな時間しか存在しなかった。定期的に会えていたのもあるが、予定より前に今すぐに顔を見たくなるとか声を聞きたくなるとかなかったな……コレが本当の私なのね。何だか寂しさでギュッと胸が締め付けられる。
まとまった休みが取れたらコチラにいらっしゃると分かっているのに。この待てない気持ちは何だろう?
逢いたいなぁ。
ギルバート様、私は今貴方を恋しく思います。
手紙と一緒に送られて来るプレゼントを楽しみに過ごす日々で、私の方も刺繍を施したハンカチやギルバート様のお好きなお酒なども贈る。
喜んでくれるか不安になる時もあるけれど、ギルバート様の手紙の内容から感謝と嬉しいとの内容を頂戴して、私は笑顔になる。
特にニャン子さんを模した深緑色のハンカチを気に入ってくれたみたい。
そんなある時ボールドウィン公爵家の庭の梅が開花したと知らせが届いた。
一緒に同封された最初に咲いた赤く小さな花の押し花を見て、ひと目で気に入ったとお返事を送った数日後。ギルバート様から知らせが届く。
まとまった休みが取れたので、明日の昼頃にはお兄様と一緒にコチラに到着出来そうだと。
お母様と準備を進めながら、2人の到着を今か今かと待つ。一分一秒がとても長く感じる。早くお会いしたい。
身支度を整えて、そろそろ到着すると侍女に教えてもらい、お出迎えのために屋敷の玄関前でソワソワと待ち構えていると玄関のドアが開いた。
旅装束の黒い外套に身を包んだギルバート様と目が合った瞬間、互いに微笑みを浮かべて見つめ合う。
ご挨拶のために近寄ると、あちらも歩みを進めて近づいて来てくれた。
お父様と挨拶を交わしている間にドキドキとした胸を押さえてやり過ごし、お母様と私の番。
応接室にギルバート様をお通しして、私に対応を任された。あれ?
「私だけですか?」
「そんな嬉しそうなマーガレットを差し置いて、父が相手をしたら可哀想だろう。私は後でいいから話して来なさい」
「初々しいわねえ。今日は晩餐までゆっくりしていただく予定ですけど、旅の疲れもおありでしょうからほどほどにね」
「ご配慮感謝します。ハワード公爵様、奥方様。マーガレット嬢、お相手よろしいだろうか?」
勿論だと答えてから、ふとお兄様はどうするのかと伺うと先に着替えて来るとおっしゃられた。
ギルバート様は後からお部屋に案内するので、少しの間お茶の時間。
席をすすめてから、侍女が淹れてくれた紅茶を飲んでひと息つく。
お会いしたらアレもコレも話そうと思っていたのに、急に言葉が出て来なくなってしまった。何だか胸がいっぱいで。
「……会いたかった。君に逢えてとても嬉しい」
「わ、私もです! あの、お疲れではないですか? 馬車じゃなくて馬で来たと聞きましたが」
馬車で3日の距離をバトルホースで1日半で駆けて来ると先ぶれが届いた時にお父様が「若いな」って呟いていたので、結構大変な事なのかも知れないと察した。
私に会ったら疲れが吹き飛んだと言うギルバート様の言葉に嘘はないらしく、何だか前より更に雰囲気が柔らかい。
「ニャン子も今回一緒に連れて来たんだ。よければ後で構ってやって欲しい」
旅の汚れを丸洗いされていると聞いて、今ごろ泡だらけのニャン子さんになっているであろう姿を想像したら思わずクスリとしてしまった。
その後はお互いの近況を軽くお話して、ギルバート様の客室の支度が整ったとの事で、お部屋までお見送り。
部屋の前に来たら、少しの間も別れが惜しいと感じてしまった。
「どうしたマーガレット嬢?」
「お恥ずかしい話ですが、ちょっと寂しくなってしまって……」
素直に今の気持ちを伝えると、私さえよければこの後一緒にお茶でもしないかと誘われた。
自分もこのまま晩餐まで会わないのは辛いと申告されて、同じ気持ちを抱いてくれていた事を知る。お茶の支度をして待っていると伝えてから、その場を離れた。
午後の暖かな日差しが窓から入るサロンで、長椅子に腰掛けながら待っていると、ギルバート様がお見えになった。その姿を見て、私は言葉を失う。
白を基調とした魔術師団特有の長衣に、豪華な刺繍。聖職者を思わせる衣装に身を包み、佇む姿はとても神秘的だ。頭の片隅でコレが魔術師団の長であるギルバート様の正装だと理解した。ゆっくりとした足取りでコチラに近づいて来る度に胸が高鳴るのを感じる。
椅子に腰掛けて動けないでいた私の目の前までいらっしゃってニコリと微笑まれたギルバート様はそのままおもむろに跪く。
片手を取られて、上を向いたギルバート様と視線が交わる。
「驚かせてしまったようだが、私がもう待てなくて。手に口付けてもよいだろうか?」
「はい……」
控えめな口付けを指先に受けてから、形式的な誓いの言葉を口にされた後に、ギルバート様は真っ直ぐ私の目をみながら言葉を続けた。
「私はニ度、君を諦めた。その事を許して欲しい」
一度目は私が教会に入るかも知れないと言われた時。
二度目は2人っきりの馬車で、妥協で選ばれても結婚した後が辛くなるのでやめた方がいいと言った時。
「何も言い返して来なかったので私は妥協で選ばれたのかと、とても落胆したな。ただ、その後引き留められて少なからず私に惹かれていると言葉を貰って……君を信じようと、待つことにした」
私とギルバート様の間に想いの偏りがあると理解して、私の恋心が育つまで待ち続けると覚悟を決めたと。
…………そうだったのか。
あの時諦めなくて良かったと口にしたギルバート様はとても嬉しそうだ。
「胸を張って君に結婚を申し込める機会を私に与えてくれてありがとう。どうか、これからの人生一緒に歩んではくれないだろうか?」
私は握られているギルバート様の手に自身の手を重ねて、同じく跪き視線を合わせた。許すも何もない。幾度もギルバート様を傷つけて申し訳なかった。結婚をお願いするのも、感謝を言うのも私の方だ。
「こちらこそありがとうございます。愛していますギルバート様」
そのままギルバート様に抱きつき、嬉しさで流れた涙が笑い声にかわるまで、お互いに抱擁を交わし続けた。
その後、晩餐の席で想いが通じ合ったと報告すると、あたたかい祝福の言葉を家族からいただき婚約を結ぶ運びとなった。
その時に私達の今後についてお父様から重大な発表を打ち明けられて度肝を抜くが、ギルバート様と結婚出来れば何でもいいです! と、元気に返事をして笑われたのはいい思い出です。
慌ただしく、目まぐるしく準備を進めて、花々が咲き誇る季節に正式な婚約発表のお披露目。私は久方ぶりに王宮に足を運んだ。
逞しい腕に手を添えてエスコートを受けながら、お父様達の後に続いてギルバート様と私が扉をくぐり、シャンデリアの煌めきを受けながら夜会会場に入場する。
会場にいた他の貴族のざわめきが嘘のように引いていく最中。ピンヒールで打ち鳴らす足音さえ聞こえる空間に僅かに緊張すると、添えていた手をポンポンと軽く叩かれた。
そのまま密やかな声で耳打ちされる。
「私同様マーガレットの美しさを褒め称える言葉を皆失ったらしい」
どこまでもいつもの調子でギルバート様に冗談を言われて、クスッとしてしまった。肝がすわっている婚約者様で大変心強い。
ハワード公爵家まで迎えに来てくれて、私の着飾った姿を見てフルフルと震えていた先程のギルバート様をつい思い出してしまったわ。
最近名前で呼んでくださるようになったのだけれど、今だに少し照れくさくて慣れない。
大分緊張が解けた頃には目的地である王族達が腰掛ける席に到着した。
ご挨拶のために膝を折り、ご挨拶の口上を述べはじめると途中で王様が直答でお父様に話しかける。
「待ち侘びたぞ。随分と遅かったな兄上」
お父様は返事をせずにそのまま正式な口上の続きを呪文のように唱えている。あ、強行するんだー……と、ちょっと心配に。不敬極まりない行いにも関わらずお父様は堂々としている。
ご挨拶が終わっても王様から「面をあげよ」と、許可がないので膝を折って頭を垂れているとお父様が低い声で「最近歳のせいか耳も遠いし、足腰も痛い」と、つぶやいた。いや、嘘でしょう。
昨日ニャン子さんと屋敷の中庭で駆け回っていましたよねお父様。
今度こそ許可が出たので、居住いを正す。
「すまない兄上」
「…………」
あくまでも家臣の姿勢を貫き通すと、王様の方が折れた。
「まだそんな歳でも……ゴホンッ。老体に鞭打って足を運んでくれたハワード公爵に褒美でも取らせたいが、いかがかな?」
「謹んで辞退申し上げます陛下。今回正式な婚約の場をわざわざ王宮でもうけていただけた事、家臣として大変名誉な事でございます。では、先ずは息子から」
お父様は若干トゲのある言い方だが、本音は内輪で済ませたかったみたいだ。流石に事が大きすぎるのでそれは無理だろうと思っていたけれど、まさか王宮で直接婚約発表するとは思わなかった。2回断って、3回目でお父様が折れた。
そう、今回の婚約はギルバート様と私だけではなくてお兄様のご婚約も含まれる。
早く終わらせろと言う圧力が私でもわかるくらい仕切り出したお父様はいつもの微笑みのまま、ギルバート様のお姉様とお兄様の婚約を王様にご報告。許しを得て正式なお披露目となる。
拍手が鳴り止んだ頃にそのままお兄様の婿入り先を発表した。
婿入り先はもちろんお相手の家であるボールドウィン公爵家。
お兄様はボールドウィン公爵家の長女を支えながら婿と言う形で魔術師の家をサポートする役目を担う事になったのだ。
その代わりにギルバート様がハワード公爵家を継ぐ形となる。
ギルバート様と私の婚約の発表後、公爵家の嫡子を交換して婿入りさせる異例の事態に会場がザワつく。
気持ちはとてもわかる。言われた時は私も度肝を抜いたくらいだ。
今回なぜこんな手段を取ったかと言う説明を王家側から発表している中で、私は空の席を眺める。
本来はバージル王子が座るべき位置だが、顔を合わせなくて済んだことに少しだけ胸を撫で下ろしていると、ギルバート様の腕が若干締まった。
どうしたのかとお顔を盗み見ようとしたら、すでにコチラを向いている。
耳打ちされたが……先ほどより低い声だったので少し驚いた。
「未練はないか?」
一瞬何を言われたか分からなかったけれど、バージル王子との事を聞かれていると理解して今度は私がギルバート様の腕をポンポンと軽く宥める。
「未練はありませんが、元気なのか気にする余裕が出来たみたいです。お人好しだと笑ってください」
ニヤリとしたギルバート様は「全くだ」と、呟いてから更に口元を綻ばせた。
今回の婚約でお兄様は大公爵を賜る王族に戻ると宣言。ボールドウィン大公家となるが、魔術師の家としての扱いは変わらない。
アレだ。私を次期王妃にと約束の元、家臣に降ったのに約束を反故にしたら戻って当然だろうと、表向きの理由を逆手に取ったらしい。
わざわざ婿に行かなくてもと思ったけれど、どうしてもボールドウィン家の魔術関係の資料や本がある禁書庫に用事があるとかで、お兄様がアチラに行く事に。お兄様らしいなって思いました。
更に魔術師不足を解消するために我がハワード家はギルバート様をお迎えしてボールドウィン大公家の分家として、魔術師の家になった。
受け入れないなら私もお兄様もボールドウィン公爵家に入って独立するか、爵位返上で東の大国にお世話になるって脅したとも言う。微笑みを消したお父様が。
今回の私の扱いを重く見たお兄様は王家の要求も跳ね除けられる魔術師の家として矢面に立つ事にしたらしい。
お兄様曰く「父上は謀反を起こさないが、今度下手な事したら私がやる」と、脅して王家の手綱をしっかり握ると私に約束してくれた。
ちなみに私から移してお兄様の手に刻まれていた黒い蔦模様の魔術契約紋は自力で解除したと言うから、どんな脅しも抑制も効かない解き放たれたお兄様を止める者はいなくなった。無双感が凄いと説明してくれたギルバート様が苦笑いを浮かべていましたね。
王家もだが、お兄様がボールドウィン大公家でご迷惑おかけしていないか、マーガレットは心配です。
自分よりもお兄様が怒ってくれた事によって、私の心は穏やかだ。今回の婚約破棄騒動で全く誰も恨まないと言ったら嘘になるが……それよりもお兄様に虐められ過ぎていないか心配する。
うん、特にバージル王子。元気かな(遠い目)。
無事に婚約発表を済ませ、用事は終わったと早々に王宮を後にする馬車の中。
私と馬車に乗るとはじめて二人っきりにされた時の事を思い出して、笑いそうになると話された。
「マーガレットがドレスの裾を捲って靴を探し始めた時はどうしようかと思ったな」
「…………はしたないマネをして申し訳ございませんでした」
人生で2回目となる本当に二人きりの馬車の中。
色々と混乱していた時と違い、更にギルバート様への恋心を自覚して、状況は同じだがあの時よりも私はソワソワと落ち着かない。
恥ずかしくて今は顔すら見られない。
行きは侍女や従僕もいたけれど、どうしていたか思い出そうとしていたらギルバート様の忍び笑いが聞こえて来て思わず顔をあげた。
馬車の窓はカーテンが閉じられ、備え付けのランプの灯りに照らされたお顔を見ると、ギルバート様の視線と交わる。
切れ長の目。
炎が揺れるような瞳に囚われた私はコクリと喉を鳴らした。
「やっと男だと認識してくれたな」
とても嬉しそうにしながら、なぜか蠱惑的な雰囲気を醸し出すギルバート様が美し過ぎて直視出来ずに、私はまた俯く羽目に。
「梅の花のように紅い」と言われた私は、その日はじめてギルバート様の控えめな口付けを頬に受けた。
お読みいただき誠にありがとうございました。