第五十八話 大災害
「ラ――マザ――」
声が聞こえる。
必死で、苛烈で、懸命な呼びかけ。
「――ザラン! マザラン!」
慌てて目を開け、体を起こす。と同時に、ズキリと側頭部に痛みが走る。
「大丈夫?」
「あ、ああ」
呼び掛けていたのは、ルインだった。
「戻ってきたのか」
「うん。あそこで待ってるだけなのは嫌だから」
「馬鹿野郎。そうしてる間に攻められたらどうするんだ」
少年は瞑目し、首を横に振る。
「はぁ……。まぁいい」
彼なりの覚悟を持って帰ってきたのだ。駆けつけてきてもらってそれはないな。
「俺はどれだけ眠っていた?」
「わからない。ここに付く前、でっかい蛇が飛んでいくのが見えた」
少年の後ろには、鞍に付け替えた馬が待機していた。
「すぐ駆けつけてこれなら、絶望する必要はないな」
「何があったの?」
自分の身体をチェックしながら、彼に一部始終を伝える。
あまりに突拍子もなくて信じられないかもしれないが、今は説明している間も惜しい。悪いが、ここは無理にでも納得してもらう他ない。
「正直、お前が太刀打ちできる相手ではない。俺ですらこの様だ」
「……わかった」
「聞き訳がいいな」
「俺は俺にできることをしなきゃいけない。それだけ」
少し前まで、無駄に高いプライドを持っていたガキがここまで腰を据えることができるものなのか。その変わりように驚きも喜びもありながら、認めるしかないだろう。
「で、お前は何をする気だ」
「俺のことはいいから、早く行って」
「生意気め」
そう言い残して、俺は駆けだす。
場所は、マニフォール。その方角はルインが見ていてくれた。
街の方角からは煙の臭いがする。
アイツ、相当暴れてくれたようだ。
「そんなになってまでやりたかった事ってなんだ」
街の外れの民家の屋根の上に立つ。災害と呼ぶに相応しい惨状が広がっていた。
あちこちの建物で火の手が上がり、燃え上がらずとも半壊以上の損傷も見える。破壊されたのは物に限らず、煙と共に運び込まれる鉄の臭いが命すらも奪ったのだと知らせた。
「お前がその覚悟を持って行ったことなら、俺も示そう」
――やっと力を使うか。臆病者め。
「お前は出てこなくていい。お前は俺の迷いそのものだ。ならば、それに蓋をしてしまえばいい。今は消えていろ」
あの声を切り捨て、俺は真っ黒なヘルムを被る。魔族に乗っ取られた店主が渡してきた包みの中に入っていたものだ。
顔まで隠すことができることが、できるその代物が今は助かる。非常に悔しいが。
「ハアアアア……」
俺は被っている頭以外を蜥蜴へと変化させる。
頭さえ怪人態に変化させなければ問題はないのではないか。そう睨んでのことだが、後は運と気合だ。
その上で、顔を出してしまえば、民衆に正体がバレてしまう。
「さぁ、行こうか」
焼き焦がした黄昏の空を舞う龍へ向かって飛んでいく。
この身体は多少の無茶も乗り越え、本来人間では到達できない身体能力を得る。
それをふんだんに用いながら、屋根から屋根へ飛び移り、その距離を埋めていく。
「アアアア!」
龍がこちらに気が付き、身を捩りながらこちらへ突っ込んできた。
だが、もう同じ手にはかからない。
最初の喰らいつきはまず当たらないよう大きく避ける。だが、次に奴は捩った勢いに任せて尾を振り回す。そのタイミングでジャンプし、無防備になった白い胸元へと刀を突き立てた。
刀身の半分以上が龍の硬い皮膚を突き破り、鮮血を撒き散らす。だが、特段龍の動きは変わらない。ただ、体に止まった蝿を落とすように軽く身を震わすだけだ。
ならば、こちらは振り落とされぬよう、刀を握る手に力を入れ、鱗へ空いた方の手を伸ばす。鱗一枚一枚の大きさは掌よりも大きく、角は鋭利。掴んだ手に血が滲み、痛みも伴って滑りそうになる。
「クソが」
もう、これ以上キープするのは厳しい。
両手で柄を握り、体を振って更に食い込ませる。深々と食い込んだところで、重力に身を任せた。
「うおおおお!」
落下しながら、腹を切り裂いていく。
刀が抜けた後、龍の追撃が来るが、その鼻先を蹴って落下軌道を変え、受け身を取りながら地面を転がる。
降りてから気が付いたのは、住民達が同じ場所へ逃げていく姿。
その先を辿れば、ギルド方面。できる限り大規模で、人を抱えられる場所。ギルドには絶対近づけられない。近づけさせない。
龍へと向き直ると、その傷はもう塞がっていた。
「治癒スピードも化け物かよ」
あの回復スピード、どうしろというのか。
決め手となる圧倒的な力がいる。だが……。
「今はまた隙を伺うしかないか」
ギルドとは逆向きに走り出し、人が多い場所から引き剥がしに行く。
突如街に現れた、龍。
その巨体を振るうだけで街が破壊されていく。
たくさんの人が死んだ。たくさんの建物が崩れ、燃え上がった。
「ギルドは今から避難所となる。諸君、人民を誘導してくれたまえ!」
それが上司、ギルドマスターからの指令。
この建物の地下にはシェルターが作られている。こういった災害規模の何かや、魔族からの進撃から身を守る為に。今回は、災害に該当するのだろう。
ギルドスタッフ全員が、災害対策訓練時の役割を持って動き始める。
私の役目は外での呼びかけ。
中央の広場辺りまで走っていき、逃げ惑う人々へ声を掛けていく。
周囲の悲鳴や破壊の轟音でちっとも届かないが、身振り手振りも取り入れて、少しずつ少しずつパニックになった人々へ案内をしていく。
でも、このペースじゃ間に合わない。人手が、やはり足りない。
「ララさん!」
焦る気持ちが逸る中、声を掛けて来た人物が一人。
「ノアさん――」
「な、何なのよ、これ……」
そんなこと聞かれても、私は知らない。
「とにかく、危ないですから早く逃げて。ギルドを今避難所にしてますから!」
「その声掛けをしているのね。私も手伝うわ!」
「ノアさん……助かります!」
目の色を変えて駆け出す彼女に感謝をしつつ、少しだけ不安になる。
先日よりも、ずっと顔色が悪かった。
「でも、今は一人でも協力者が惜しいんだから」
首を横に振って、己の仕事に集中する。
龍が遠い場所にいる今がチャンスだ。そこまで長くは居られない。
少し経って、悲鳴が聞こえなくなってきた。
逃げた後か、もしくは。
建物の中を一つ一つ覗き込んで声掛けをしていく。そして、自分の管轄最後のラインまできたとき、建物の中から呻き声が聞こえた。
まだ、生きている。
「聞こえますか!」
「う、うう、助けて……」
声の方向へ目を配る。倒れた家具が散乱して、足の踏み場がない。
「痛っ」
くるぶしにガラス片が刺さり、赤い筋が入る。だが、気にしている暇はない。
「聞こえますか!」
枯れかけの声で呼びかける。
「ここにいるよ」
消え入りそうな声。見つけたのは、柱に足を挟まれた小さな男児だった。
「大丈夫!?」
慌てて駆け寄り、その柱を持ち上げようとする。
だが、足を抜くスペースすら作れない程にビクともしない。
どうしようか。こうしている間に、龍がいつこちらに来るか。
でも、動かない。
下手に引っ張れば、どうなるか。
この子は一生歩けなくなるかもしれない。
どうしよう。
「ララさん!」
「ノアさん! 戻ってきてくれたのですね!」
「ええ。こちらは終わって戻ってきたの。その子は?」
額に脂汗を浮かべ、みるみる弱っていく子供。
「足が挟まれているの。でも、持ち上がらなくて……」
「……わかったわ」
「え?」
彼女は何を思ったか、イヤリングを耳に付けた。
すると、角が生え始め、魔族に変貌していく。
「ノアさん、そんな……」
「人間、だったよ。でも、この子を救えるなら――!」
彼女は驚異的な力で、巨大な柱を僅かに浮かせる。
「早く、引き抜いて!」
「いくよ!」
男児の脇を抱えると、慎重に引き抜く。
足は……折れてはいるかもしれない。
「早く脱出しましょう」
そう言って二人、建物から出る。
しかし。
「あ、ああ――」
真上で宙を泳ぐ龍。
恐怖で体が固まる。
早く動ければよかったのに、もう、動かない。動けない。
そうしている間に、龍の太い尾が今いた建物に直撃し、崩れた瓦礫が落下してきた。
抱えた男児を庇い、背を向け、目を伏せる。
だが、その瓦礫に押し潰されることはなかった。
「あ、れ……」
恐る恐る確認する。
庇ってくれた人物が一人。
それは、鱗に覆われ、頭に黒いヘルムを被った、蜥蜴人間だった。




