第五十六話 顕現する風神
飛び去ったシルフを追いかけ、馬たちに無茶をさせ続ける。
木漏れ日に照らされる乾いた地肌には、真新しそうな轍が無数に付いていた。
どれだけの人数を乗せて、どれだけの数の馬車を走らせているのか。
「どれだけで追いつけるかな」
荷台から業者台へ乗り出すルイン。
「危ないから下がってろ」
そう注意するも、それへの反応はない。
少し間を開けるが、聞く耳は持たないようだ。
轍や足跡といった路面の悪さで、乗り心地は最悪。この世界の技術力ではさすがにサスペンションはないのだろう。故に、跳ね上がった時に怪我しかけないのだが。
まぁ、何度も言うことではないか。
諦めて回答する。
「はあ……。実際追いつけるかどうかはわからん。手遅れになるかもしれない」
「嘘だ!」
突然掴みかかってくるルイン。
「馬鹿! 何をするんだ! 離れろ!」
手綱片手に引き剝がそうとするも、流石に無理がある。
「だったら、手遅れになるなんて言うなよ!」
「……」
その目には、今にも零れ落ちそうな想いが詰まっていた。
不安で不安で仕方がない。そんなこと、分かり切っていた筈なのに。
「すまない。配慮が足りなかった」
ようやく力が緩む。
俺は乱れた襟元を整え、馬のコントロールに戻る。
「実際、どこまで逃げたのかは知らない。間違いなく言えるのは、この馬車のスピードより圧倒的にアイツの方が早い」
「じゃあ、もっと早くできないのかよ!」
「馬鹿言え。馬車の操縦なんて、初めてなんだよ!」
「え」
馬の駆ける足音と、ロードノイズと、車体の軋む音以外聞こえなくなる。
俺が経験あるように見えていたのだろうか。であるなら、嬉しいことだ。
だが、残念ながら俺自身が驚いているぐらいである。
少しずつ慣れてきてはいるが、この馬たちのチームワークに助けられているのが大きいだろう。しかし、この馬の調教師が優秀なのだろうか。艶があり、よく走る。
「できる限り早く着くようにするが、ある程度覚悟はしておけ」
「まだそんなこと――」
「一人でも、多くの命を救う」
「……」
黙り込むルイン。
気にせず、俺は続ける。
「俺達の目的は、一人でも多く助けることだ。たとえ家族や友人、恋人が死んでいようとも関係ない。それでショックを受けるのは結構なことだが、その間もさらに命を奪われるようなことがあってはならない。それは何の言い訳にもならない」
「マザランは――」
僅かな沈黙。息を整える時間をおいてから続けた。
「マザランは、それで割り切れたの? 家族とか友達とか、大切な人が死んでも割り切れたの?」
「……」
まさかの質問に、口を瞑る。
こちらもまた一息整える必要がありそうだ。
「……目的の為なら、当然だろう。例え、その対象が家族でも」
「……そっか」
微妙な空気になる業者台の上。
自分で振っておいて、こんな落としどころになるとは。少し反省だな。
そこからさらに数十分ほど走らせたところで、遠くから向かってくる集団が見えた。それは魔物や馬車でなく、人の姿だった。
逆に向かってくるということは、その向こうで何かがあったということだ。
俺は突っ込む前に鞭を振るって馬たちに合図を送る。それが止まれの指令なのかはわからないが、雰囲気で何とかやってみる。
すると、正解を引いたのか、想いが通じたのか、もしくは奇跡か、馬たちはぶつかり合いながらも急停止してくれた。しっかり掴まっていなかったルインは案の定消えていったが。
「あ、あの! 助けてください!」
そう言って、先頭を駆けてきたのは、全身薄汚れた服に身を包んだ、瑠璃色の長い髪を揺らす碧眼の少女。歳はルインに近いだろうか。
「魔族に捕まっていた者たちだな。何があった」
大勢の脱走者らしき人々が喜ぶ。
申し訳ないが、今はまだ喜べるタイミングではない。
彼女だけはそれがわかっているようで、冷静に受け答えをする。
「いきなり、鳥の魔物に襲われたの。人の形した、鳥の化け物」
「被害は?」
「この先に、たくさん怪我した人が。まだ戦っている人もいると思う」
「そうか」
一人ひとりの顔をサクッと目を通す。グロリアらしき人物はいなさそうだ。
ということは、戦っている人間というのは。
「全員を安全な所へ連れていきたいところだが、馬車一台では乗せきれない」
「そんな……」
落ち込む一同だが、同時に仕方がないという意見も出る。
これは、かなり精神をすり減らしているかもしれないな
「村まではどれぐらいの距離がある?」
「ここなら……歩いて行けると思います。たぶん」
「わかった。ならば――」
「待ってください!」
止めたのは、一人の中年女性。
「私たちの村は魔族に奪われてしまいました。このまま行っても、また何があるか……」
「それなら大丈夫だ。もう、あの村に魔族はいない。それに、ちゃんと護衛は付ける」
「護衛?」
首を傾げる女性へ、下を指差して伝える。
「あ、ああ、そんな……」
「ルイン!」
「――え?」
一行が気付くと同時に、青髪の少女が彼を抱き寄せた。
目を覚ました直後で状況を飲み込めていないルインだったが、ゆっくりとそれを自覚していき、そのまま抱き締め返す。
できることならそのままにしてあげたいが。
「感動の再開をしているところ申し訳ないが、俺達には余裕がない」
「そ、そうだね」
目を晴らしたルインが立ち上がって頷く。
「悪いが、お前には彼女らを村まで送り届けて欲しい。今度こそ、できるな?」
「……卑怯だ」
彼は悪態を吐きながら目元を擦って、膝に付いた砂を払う。
「もう、あの頃と違うんだ」
「頼んだぞ」
大勢の脱走者たちのうち、怪我人は馬車に乗せ、ルインを先頭に村へと向かっていった。
さすがにもう大丈夫だと思うが。いや、人の心配をしている場合ではないな。
「待ってろ。シルフ、グロリア!」
轍を辿り、さらに先へ向かう。
近づけば近づく程、血の臭いが濃くなっていく。嫌な予感が胸元で騒いでいる。だが、やることは一つだ。
走る、走る、走る。
心拍数が上がる。大丈夫だ。俺は、戦える。
見えた。横たわる無数の馬車。近づけば聞こえる呻き声。
その先にで、金属のぶつかる音と、激しい息遣いが聞こえる。
あと少し。少しで!
「アアアア!」
目の前では、幼児を庇って戦う満身創痍のグロリアと、すでに攻撃態勢に移ったシルフ。
マズい。いくらベテランの戦士と言えども、本気を出した彼の攻撃を受け止めきれるかはわからない。
待て、俺はどっちに味方する気だ。
マザランも、シルフも、どちらも仲間で、敵。
「ガアアアア!」
考えるよりも先に、俺は彼を斬り飛ばしていた。
吹き飛ばされる小さな身体。
その飛ばされた先にあったのは、小さな祠。俺達が、祈りを捧げた風神の祠。
積み上げられた石を崩しながら、鳥の怪物は転がった。
「マザラン! 助けに来てくれたのか!」
「グロリア、聞きたいことは山ほどあるが、後だ」
刀の先をシルフへ向けて構える。
彼は苔の上で転がったまま動かない。
「やっと、死んだか」
グロリアが警戒を解く中、俺はあるものに気が付く。
それは、ラグビーボール程の大きさを持つ、翡翠に輝く宝玉。
「まさか、あれが……」
グロリアがその玉へ近づこうとする。
「待て。アレに触れてはならない」
アレは、俺達怪人の中で育つ臓器のような結晶によく似ていた。
まさか、シルフの身体から落ちてしまったのか? いや、違う。アレは。
「グ、ガ……」
シルフが動き始める。
「まだ生きてやがったのか! 魔物にとってここはしんどい筈だ!」
「あ? 何を訳の分からないことを――」
集中を欠いた直後、シルフの指がその宝玉へ触れた。
嫌な予感がする。
森中の空気が震え、太陽は雲に隠れ、全身の毛穴が広がり、嫌な汗を噴出した。
「やめろ!」
「ガアアアアアアアア!」
怪人は、その宝玉を胸元に押し込み、悲痛な叫びを轟かせる。
強烈な光と共に吸い込まれる宝玉。
「な、何が起きているんだ……」
「わからない。一先ず言えるのは、マズいということだけだ!」
宝玉の入った胸元から中心に、彼の肉体が変化していく。
身体はみるみるうちに巨大化しながら、鱗に包まれる。
「とにかく撤収する」
「そ、その方が良さそうだ」
しかし、俺達のダッシュも虚しく、人知を超える膨大な力の余波は大爆発となって木々ごと吹き飛ばされた。
だが、爆発程度ならどうということはない。
一番の問題はそこじゃない。
木々の隙間を縫うように、上空へ舞い上がる、巨木なんかよりもずっと太く、長く、巨大な怪物。
その姿はまるで、
「龍」
そのものだった。




