第五十一話 凶星瞬く赫き衝撃
コロシアムの裏側。周囲を囲むようにできた石の塀に身を隠し、様子を伺う。
俺達は、何事もなく目的地へ辿り着いたのだ。
「ほえー。初めて見た」
「でっけぇ……」
大半のメンバーがコロシアムを見たことが無いようで、口々に圧倒された感想を抱いている。それもそうか。これを見た時点で、生きて帰れる保証はないのだ。
とはいえ、以前見たものよりも一回りほど大きなその石造りの建物に、俺自身も驚いているところではあるが。
ここは裏側で、一階には巨大な出入り口がぽっかりと口を開けている。まるで、腹を空かせた巨人が新たな奴隷が入ることを心待ちにしているように。
「これ、やっぱり使われているんだよな?」
「ああ、この熱狂的な声を聞けばそうとしか思えん」
コロシアム内部から伝わる地響きが、こちらの心髄を震わせ、意思を砕きにかかる。
「行くのか?」
「当然だ」
見張りは、いない。
声の主を見るまでもなく、俺は巨人の胃袋へと歩を進めた。
最も確率が高く、最も危険なゾーン。
「本気かよ!」
驚きと恐怖の入り混じった制止を背にちらついたのが『虎穴に入らずんば何とやら』か。もっとも、虎の子盗られたのはこちらだが。
「あ、ガキんちょ! お前まで!」
横に並び立ったのは小さな相棒。少し遅れていくつかの砂を踏む音が追従した。
アクセルの町民、バルの村民、合わせて何人いるかはわからない。規模からすれば数千人はいるだろうか。それだけの人数、どう利用する?
全てここに収容し、闘わせる? それはさすがに効率が悪いだろう。金集め以上に、維持費がかかる。
中世時代のイメージを反映させるなら、戦闘に使うのは屈強な男。弱い女子供は性奴隷や小間使い。だが、それをしている様子がこの町に見られない。いや、こんな戦場となりえる場所には寄こさないか。
「なぁ、捕まった人間の末路ってわかるか?」
すぐ後ろを歩くひょろりとした男に尋ねる。
「し、知らねぇよ! 基本的に帰ってきたなんて聞いたことねぇ」
「そうか」
やはり、情報が乏しい。文献がないことも影響しているか。
想像力だけで賄うのが危険なのは重々承知の上で、コロシアムの目的を考える。
何故、これだけ広い出口が必要なのか。そして、大量の轍が刻まれた地面。
「人間を競り落として出荷する――」
「こ、怖ぇこと言うんじゃねぇよ」
実際、過去にそれをシノギにしていた組織を相手にしたことがある。それはこの世界の話ではないが。
「あり得ると思う。前、脱出するときに檻を引く大きな馬車がいっぱいあった」
希少な生還者の生き証言に、一同の背筋は凍った。
「だからこそ、ここで助けなくてはいけない。ここで助けられなければ、救出は不可能になる」
柱に身を隠しながら、中の様子を伺う。
やはり、ここにも見張りはいない。
「楽な仕事で助かったぜ……」
誰かがそう零した。本当にそれで片付けていいのだろうか。
「何が待っているかわからない。各位、警戒は続けるように。もし敵がいても、戦闘は避けろ。騒ぎが大きくなれば、解放どころの話じゃなくなる」
「わかってるよ。マザラン殿は強いくせに慎重すぎる」
悪態を吐かれる謂れはないが、いちいち突っ込むこともない。内部に入るも、部隊は崩さず、全方位に意識を集中させる。
緊張の糸を張り詰める中、勢い良く揺さぶるのが、上階から聞こえる怒号と悲鳴と金属音。今も誰かが、大勢の観客の前で闘わされているに違いない。
「ほ、本当にここに居るのか?」
「知らん」
「無責任な!」
雑なやり取りを重ねながら、物陰に身を潜めつつ、ドーナツ状に囲っている通路を行く。
四分の一程調査したところで、分岐が現れた。
「どっちに行く?」
ドーナツ状に続く通路と、中央へ続く細い通路。幅は、大人三人横並びでは肩が擦れてしまう程度。
「おいおい、こっち行ったら闘技場の中だろ? 正気じゃねぇぜ」
確かに、方角はそうなっている。だが、俺は無言で地面を指した。
「これって」
明らかに踏み固められた砂まみれの床。それが裏口からこの細い通路まで続いていた。
「それに、この壁擦れた跡があるよ」
ルインが示したのは、細い通路の壁に付いた無数の擦れ傷と血の跡。
「この先にいるって言いたいんだろうが、魔族が一人ずつ無理矢理突っ込んだとも言えるぞ」
恰幅のいい冒険者が両手を上げた。
「わかった、無理について来いとは言わない」
俺はルインにアイコンタクトを取り、頷き合うと、一列で通路に足を踏み入れる。
「けっ勝手にしろ」
無視しようとする彼を他所に、他のメンバーも通路へ続く。
「お、おいおい、お前らあり得ねぇだろ!」
「じゃあ、アンタはここで見張りでもしてな」
「なっ――」
彼は脂汗を流しながら、消えゆくその背中を見つめていた。
通路はおよそ十メートルで抜け、大広間へと出た。
「なんじゃこりゃ……」
半径で数十メートル。高さは五メートル程はありそうな巨大なホール。周囲には、木製のコンテナが大量に設置されていた。
「もしかして、この上が……」
振動と共に、砂埃がチラチラと降る。
「ああ、そうだろうな」
「で、この箱の中にあるのが……」
恐る恐るコンテナへ手を伸ばすルイン。
「待て。一旦触るのは――」
「え?」
触れる直前、カチりと音が鳴った。
「あ――」
後ろで声を漏らした主は、ひょろりとした冒険者。
彼は、床から木のように生えたレバーを握っていた。
「ち、違うんだこれは!」
何が違うのかは知らない。だが、何かの装置が働いたのは間違いない。
「全員構えろ」
「構えるって、何に――」
その問いかけに答える前に、床が紫色の光を放つ。
それは何かの紋章のようで、と同時に、天井から光が注ぐ。もとい、天井が中央に穴を作っていた。
「これはマズいぞ」
振動と共に床が持ち上がり、その穴へと吸い込まれていく。
全員伏して、強烈なGに耐える。
穴の先、俺達は閃光に目を焼きながら、どよめきの塊に耳を焦がす。
「これはこれは、新しいゲストが来てくださるとは。本日は実についておりますね!」
高らかな声がする方へ、目を凝らしてみる。
観客席の最上段、光を乱反射して輝く、異様に目立つチェアに腰かける血色の悪い男。
「魔界、貴族――」
直後、今の俺達が『マズい』などという言葉で片付けられない状況にあることを、呻き声と血の臭いと観客席を埋め尽くす魔族によって思い知らされた。
「さぁ、オーディエンスの皆様! 本日の余興はこの程度では終わりません!」
「――っ!」
刹那、眼前に迫る不可視の刃を直感で避ける。
「マザラン!」
叫ぶルインを左の掌で止めた。
そこに居たのは、かつて俺達の前に乱入し、殺戮を繰り広げた黒フードの怪物。否、今はその装いも傷だらけで、その顔がはっきり見えている。
「鳥の、怪物?」
「違う。アレは――」
猛禽類の特徴を嘴、瞳、体毛、両翼、鍵爪に纏った怪人。
蘇る記憶。脈を乱す動揺。
「アレを相手にしてはいけない。アレは――」
既に死んだかつての仲間。黄昏の三連星、四天王が一人。最凶と恐れられた男、シルフの怪人態そのものであった。




