第四十四話 白識
魔石街灯と月の薄明りを横から受けたノアの表情は伺いきれない。
彼女は問うた。進捗どうかと。それは彼女の子供の話か、事件の話か。それを聞いてくること自体が違和感だった。
緊張で、喉の奥がヒリつく。
それでも、芽生えた違和感を取り除くことを私は優先した。
「……ノアさんは、どっちが大事なんですか?」
子供を優先するというなら、母親として当然という話で終わり、事件を優先したというなら彼女が事件の犯人であることをほぼ確定したと言っても過言じゃない状態になる。
回答次第で、後に引けなくなる。
「どっちが大事? そんなもの、決まってるでしょう?」
「痛っ――」
直後、両肩を掴まれ、壁に叩きつけられた。
痛みで、自分の質問の持つ本当の意味を理解する。
実に無意味で、無神経で、無理解な身勝手さ。
聞くまでもないだろう。事件を優先するという回答が絶対にありえないということぐらい。そして、神経を逆撫でするということも。
肩に食い込む彼女の長い爪から伝わる、この痛みが答えだ。
慌てて目を開けると、ここまでの勘繰りを全て破壊するかのような、崩壊しかけの表情があった。
「ノアさん……」
「わ、私は……。私はっ!」
両耳に垂れた大きなイヤリングが揺れる。
「申し訳ございません。私が不躾過ぎました」
「……」
ノアは何も言わない。そこに彼女の中の爆発しそうな何かが見え隠れしていた。
「ノアさん。私はノアさんの味方になり切れるか、自信はないです。私は、私が正しいと思ったことを貫きます」
「ララ、さん……」
両肩の腕をゆっくりと外す。彼女の力はもう残っていなかった。
「その上で、ちゃんと教えてください。お子さんのこと」
「……ええ。よろしく、お願いしますわ」
それでも、彼女の顔が崩れることはなかった。
翌朝。
いつも通り、制服の袖に腕を通し、仕事の準備に取り掛かっていた。
少し遅れるようにして、スタッフが集まってくる。
「ララちゃんおはよう」
「おはようございます」
いつもは眠そうなクルトの表情が、どことなく明るい。
「何かいいことでもあったんですか?」
気になって聞いてみると、彼女は興奮して目を見開く。
「あ、わかる? わかっちゃう?」
「え、あ、はい」
そのテンションの高さに少し押され気味になる。
「実はね、昨日の夜に例のAランク冒険者が到着したんだって!」
「は、はぁ」
例のAランク冒険者?
誰だろうと逡巡していると、思い出したのは昨晩の出来事と、
「あ、私が依頼した件ですね」
「そそ! それが昨日見たって人がいてね、超強くて、超イケメンなんだって! キャー!」
朝からテンションの高い先輩は、少女のように可愛く映った。
いや、そんなことよりも。
「もしかして、三人組の白服ですか?」
「なんだ、ララちゃんも聞いてたの?」
クルトのカウンターを清掃する手が止まる。
「ええ、実は――」
その時、本日最初のお客様が来館された。
彼らの悠然とした歩みに、ギルドスタッフ全員が釘付けになる。清廉な白いコートを纏った背筋は伸び、気品溢れる秀麗な姿に、つい感嘆の声が漏れてしまう。
昨晩、黒ローブから助けてくれた三人だった。
彼らは私を見つけると、歩みのペースは変えずにこちらへと向かってくる。
隣では、
「え? え? どういうこと?」
と、戸惑ういつも通りじゃない先輩がいるが、それすら気にならない程目が吸い込まれていく。
カウンターの前まで来ると、リーダーらしき人物の背丈がいかに大きいかよくわかる。
背の低い私からすれば、見上げる形になる。彼と近いであろう身長のマザランと比較すると、細身でより高く見えた。
そしてその頂点に収まる顔も、彫刻のように端正で、切れ長な炯眼は見られるだけでドギマギしてしまう。あの時は薄暗く、その相貌を拝むことは叶わなかったが、なるほど。クルトの言う通り、かなりの美丈夫なようだった。
私が見惚れてしまっていると、彼は優しく微笑み
「お嬢さん、ご無事でしたか」
と、ホッとしていた。
「そ、その節はお世話になりました」
つい、語尾が尻すぼみになってしまう。異性相手にこれ程緊張するとは。
「いえ、危険な目に遭っている人を助けるのは、冒険者としての責務ですから」
歯の浮くようなセリフを堂々と言ってのける彼にまた掻き乱される。不用意に言ってしまうあの人とは大違いだ。
「そして、まさかまたお会いするのがこのような形になるなんて、運命を感じますね」
「う、運命……」
ああ、もうダメだ。恥ずかしすぎる。
「王都よりはるばるお越しいただき、ありがとうございます。私、風の街担当のクルトと申しますわ」
ダメダメな後輩から奪うように、クルトが受付を開始した。奪うというと人聞き悪いな。それが正しい姿なのだ。
「クルトさん、初めまして。我々はAランク冒険者のドライクーゲルと申します。依頼があって参りました」
「はい。承っております。それでは照合いたしますので、冒険者カードの提示をお願いします」
テキパキと手続きを進める先輩の姿に、これではいけないと両頬をピシャリと叩く。
よし、もう大丈夫だ。
顔を上げると、クルトと目が合った。彼女はアイコンタクトで「後よろしく」と伝えると、後ろに並び始めた冒険者の相手を始める。
悔しいが、まだまだクルト先輩には敵わないようだ。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」
「見苦しいなんてとんでもない。緊張させてしまったのは我々の落ち度でもあります」
紳士的態度の彼らが、いかに人としてのレベルが高いのか思い知らされる。
でも、もう負けてはいられない。
「では、依頼内容についてご説明いたします。機密情報も多いため、別室にてお話させていただきます」
「わかりました。よろしくお願いします」
こうして、私は個室へと案内し、これまでの顛末を伝えるのであった。
この事件の始まりと、これまで亡くなった人の数、殺害方法と容疑者。協力者である彼らも含めて。
「なるほど」
彼らは私が話し終わるまで、ずっと聞き手に徹してくれた。もちろん、相槌や表情の変化もあり、おかげで話はスムーズに進めることができた。
「その話で行くと、昨晩我々と交戦した黒ローブの討伐が今回の依頼内容ということですね?」
「ええ、そうなります」
その話を聞いて、リーダーのアーリムが瞑目して考えを巡らせる。何か、気になる点でもあったのだろうか。
「ねね、ララちゃん!」
「ラ――」
いきなりの『ちゃん』呼びで驚く。
声を上げたのは、これまでずっと黙っていたパーティメンバーの一人、小柄な垢抜けない少年のベルダ。
彼は何も気にするまでもなく、意見を述べた。
「アイツの正体って何か掴んでないの?」
「いえ、全くですね」
再びノックアウトさせられそうになるのを踏ん張りながら答える。
確かに、正体は全くわからない。しかも、ある日突然、この街に現れたのだ。
「ふーん、そうかー」
私の回答を聞いて、天を仰ぐベルダ。少し苛立ちを覚えたところで、前髪で顔を隠したツェーウェルドがたどたどしく諫める。
「ダメだよ、ベルダ。それは意地悪」
「ということは、交戦された皆さんは何か掴めたということですか?」
すると、ベルダが得意げに口角を上げた。
「アイツ、人間じゃなかったよ」
「え」
どう見ても人だと思っていたが、人でないというなら魔族とでもいうのか。
「じゃあ、魔族かって?」
彼はチッチッチとわざとらしく指を振ると、
「それが魔族でもなさそうなんだ」
不思議そうに奇妙なことを言った。
「どういうことですか?」
スムーズさを取り戻す為に、アーリムへ話を振る。
彼は周囲のことをお構いなしに答えた。
「どちらかというと、魔物であるかと。それも、かなりの知能と素早さを兼ね備えた」
彼らが提示したのは、見たことはおろか、聞いたこともないもの。
風を操る、鳥人間の魔物だと。それは、ハーピィとは別物だという。何故なら。
「標的は変化するのです。人から、鳥へ」
その恐ろしさに、嫌な汗が伝うのを感じた。
「そちらは我々に任せて頂くとして、もう一つ。お伝えしておかなくてはいけないことがあります」
「は、はい」
応接間の空気が重たくなる。
姿勢を直し、次の言葉を待った。
そして、アーリムが語ったのは、斜め上方向にできたしこりについてだった。
「もう一つ、指名手配犯を追ってここに来ました。魔族と繋がり、この人間界を貶めようとしている者を」




