第四十二話 夜陰に乗じる何かのサイン
かつて、自然豊かで、農作物だけでなく、工芸品も製造していた小さな町。
若者が希望を抱き、それを支える大人達。裕福でなくとも、のどかで、幸せに満ちた日々を送っていたであろうこの町も、今は見る影が無い。
魔族の手に墜ちた土地は、浸食され、魔界へと変貌する。旧支配者たる人間がこの惨状を見れば、きっと絶望に慟哭することだろう。
「涙が溢れてきそうだ」
一人の人間が重々しい溜息と共に零す。
「下種が……」
聞こえない程度に小さく悪態を吐く魔族。それを聞き洩らさなかった男が、忌々し気に口角を吊り上げ、
「それ、君たちが言えた口ではないよね?」
と、煽り立てる。
「口が過ぎるぞ。人間」
金のネックレスに、巨大なイヤリング。全ての指にはそら豆サイズの宝石が鎮座している指輪。過剰に華美な装飾を身に纏った細身の魔族が、宝石のあしらわれたこれまた華美なチェアに腰かけていた。
「魔界貴族殿には逆らえませんな」
注意を受けた人間は、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「貴殿が家畜扱いされていないのは、貴殿がもたらすメリットがあるからだ。デメリットと少しでもつり合いが取れるようになってしまえば、貴殿をすぐに家畜小屋へ送り込むことも可能であることをお忘れなく」
たれ目を細めて冷たく言い放つ魔界貴族。
「長い付き合いなのに、それは悲しいな」
「人間!」
本気にしない態度の人間に、魔族が声を荒げる。
「そんなに睨まないでくれよ。人間は弱いんだ」
その無駄が多いやり取りに嘆息する魔界貴族が口を開く。
「貴殿がここに来たというからには、相応のメリットがある。ということで良いな?」
彼の問いに、隠しきれない笑みを見せつけ、小さく頷いた。
あの晩から数日。
新たな事件どころか進展も特になく、私は業務を続けていた。
あれから、彼女と会っていないが、もし出会ってしまった場合、私は何と声を掛ければよいのだろうか。
現状、容疑者として最も濃厚なのはあの人だ。
後は、信憑性のある証拠を集めて、彼女の身柄を押さえることで、事件は終わる。
だけど、まだ引っかかることがある。魚の小骨のように喉元へ引っかかって不快だ。
動機は、凶器は何だろう。あれだけのこと、強烈な恨みがなければ起こすことはない。
「そもそも、どうやって殺したのでしょうか……」
「うわ。物騒なこと呟いてる後輩がいる!?」
ハッと顔を上げると、弁当箱を持った美女、クルトが口元を押さえて固まっていた。
「も、漏れちゃってましたか……?」
「ええ、バッチリと」
コクコク頷く彼女に恥ずかしくなり、顔を手で覆う。
いや、もちろん本気にしていないことはわかるが。
「聞かなかったことにできませんか……?」
指の隙間から彼女の表情を伺うと、熱が伝わりそうな距離に彼女の顔があった。
「わわっ!」
「無理ね。さ、ご飯にしましょ?」
気が付けばもうお昼。
私は強制的に応接室へ連行されたのだった。
「で、ララちゃんは最近何しているのかしら?」
お昼を取りながら、クルトからの尋問が始まる。いつもはスタッフ用の休憩室で食事を摂っているが、今日は二人きりで話せる部屋に連れ込まれた。これはつまり、彼女もただならぬ話であると察したのだろう。
「最近、物騒な事件が起きているのは知っていますよね?」
「ええ、もちろん。ララちゃんのお気に入りさんと会った夜もそうだったよね」
「お気に入りさんって……」
何か言い返したくなったが、否定しきれないので諦めることにした。
「お持ち帰りされたって聞いたけど」
「そ、それはいいんです!」
とんでもないことも引きずり出されそうになったので、慌てて制止する。別にロマンスなんてなかったけれども。残念ながら!
「そ、それで、何が聞きたいんですか!」
誤魔化すようにサンドイッチを頬張る。
「あの殿方とはもう交わったのかしら?」
「ぶふぅ!?」
気が動転して盛大に口の中身を噴出させてしまった。
が、向かいの美女は美しさを崩すことなく、
「ララちゃん、それでは殿方も振り向いてくれませんわよ?」
と、優雅にガードしていたナフキンを下ろす。
「な、なんかムカつく……」
「あら? 何か言った?」
「いえ、何も!」
口元を拭い、粗相を片付けながら、文句を言う。
「真面目に聞こうとして損しました!」
「私は真面目だったわよ?」
「え?」
お茶を飲みながら、彼女はしれっと言ってのけた。
「だって、その気が無いなら、別に私が頂いても構わないのでしょう?」
「ダメです!」
この女狐は平気で人の男を奪おうとする。いや、まだ私の男ではないのだが! そんな予定もないのだが! でも、かわいいとか言ってくれたし、気がない譯じゃないと思うな……。
「おっほん!」
いかんいかん。彼女のペースに乗せられすぎた。咳払いして、リセットだ。
「最近の事件のことですよね?」
「そうね」
彼女の表情が、真剣さを取り戻す。先程の悪戯好きな子供のような表情から、打って変わってセクシーだ。
「最近、行動がおかしいから気になっていたの。そのうえ、物騒すぎるし」
「バレてましたか……」
「アナタが思ってる以上に。みんな気づいてて知らない振りをしているわ」
「え……」
吃驚して固まる。
「あまりそこは気にしなくてもいいわ。いつものことだもの」
「そ、そうですか……」
そうなると、変なのがいつも通りと言うことになる。それはそれでいかがなものなのか……。
「最近は特に思い詰めた顔をしてるから、かなり心配だったのよ。嘘じゃないわ」
嘘だと思っている訳ではないが、そんな風に思われているとも思っていなかったので、それはそれで驚きだ。
「ありがとう、ございます」
「あ、でも巻き込まれるのは勘弁だからね!」
「あ、はい……」
そこはいつも通りだった。
「それで、今は何に悩んでいるのかしら?」
それでも聞いてくる彼女に、これまでの経緯を具体的な名前は伏せつつ、簡単に説明する。伝わったかどうか心配だが、巻き込まないようにするためにも、それが限界だった。
「なるほどね」
腕を組み、考える。
「そもそも、レベルが足りないから、あり得ないんですよね……」
「じゃあ、共犯者がいたのかしら?」
「それも考えました。怪しい人物も見つかっていますし」
「黒ローブでしたっけ」
だが、何か決定的なものが掛けている気がするのだ。それが掴めれば……。
「あ、ちなみにペンダントってどんなやつなの?」
「木製のペンダントです。掌に収まる程度の」
どこまで話したり、見せるのかは悩んだが、ここまで話したら同じかと思い、ポケットから物を取り出す。
「これです」
「これ――」
それを目にした彼女が止まる。
「見たことある気がする。確か、ヤンググラスの三人が付けてたような」
「え」
仕事の帰り道。
クルトとの昼食にて、悩みが少しは解決するかと思われたが、深まって終わってしまった。
あれがそもそもヤンググラスの持っていたものだとしたら、何故ワイバーンが持っていたのか。買った? 奪った? それとも渡された?
ダメだ。訳が分からない。
もう一つ気がかりなのが、ノアの子供だ。見つかったのだろうか。事件とも何か関りが?
悩んでいた矢先、大人の怒号が聞こえた。
「逃げるなクソガキ!」
「え?」
振り返れば、黒いフードを身に纏って、薄明りの中を駆け抜ける少年と、それを追いかける若い冒険者二人。
子供は私を盾に身を隠すと、追いついた冒険者達が、息も切れ切れで止まった。
「ど、どういうことですか?」
「あ、アンタはギルドの! 丁度いい。そこのガキをとっ捕まえてくれ!」
焦って早口になりながら、私の足の後ろを指差す。
「俺達、こないだフードのガキに掏られたんだよ。だから、さっき見つけてこうなったって訳!」
「そうでしたか……」
その子供を覗き込む。
フードの奥の顔は泣きそうになっていた。どうやら訳アリのようだ。
子供と言えど、良くないものは良くない。だが、子供だ。仕方がないということもあるだろう。さて、どうしたものか。
「うーん……」
決めかねていたその時。
彼らの後ろで、影が動いた。小柄だが、大人サイズの。
「危ない!」
私の叫びに驚いて立ち退くと、彼らがいた場所は、地面が抉れていた。まるで刃物で切ったかのように。
彼らが冒険者でなければ、今頃死んでいたかもしれない。
「わ、わ、わああああああああ!」
そう思っても、当の本人たちは腰を抜かしながら、慌てて立ち去って行った。
一方、影はというと、今、私の目の前で、ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。
歩みはゆっくりでも、殺される時は一瞬。首も四肢も身体と永遠にさよならだ。
わかっているのに、身体は言うことを聞かない。早く逃げなきゃいけないという警笛が鳴り続けているのに、指一つ動かせそうもない。目線も逸らせられない。辛うじて動いた唇から微かに紡げるのはたった一言。
「アナタは、一体――」
死神が目と鼻の先に差し迫る。
と、その時。
「ベルダ、右から三番。ツェーウェルド、左に五番を」
「「了解」」
声が聞こえたかと思うと、左右から波状攻撃を繰り出す人の姿。
この町に、救世主が舞い降りた。




