第三十二話 修羅場の時間に嗅覚効かぬ
「どうなっているんだ、一体……」
目を潤ませ、震える拳を振り上げるグロリア。テーブルへそのまま叩きつけるかに思えたが、寸でのところで止まる。
「一つ、謝らなくてはいけないことがある」
その言葉に彼は顔を上げた。
「折角の手掛かりを盗まれてしまった。あれだけ失くすなと言われていたのに、申し訳ない」
テーブルに手をつき、深々と頭を下げる。
少しの間。
しかし、グロリアの口から零れたのは「あぁ、そんなことか」という興味のなさげな一言だった。
「そんなこと、だと?」
その問いに答える気はないようで、大きな溜息の後、
「最後は俺だな……」
掠れた声で呟いた。
まるで、自分はこのまま死んでもいいとでも言いたげだ。
生を諦め、死を受け入れる眼。納得はいかない。
「諦めてどうする。あっさり死んでしまえば、死んだ仲間に顔向けできないぞ」
「アイツらの元へ行けるなら、その方がいいかもな」
再び沈黙。
雑音も消え、その空間に取り残されるグロリア。
そこにかける言葉は決まっている。
「そうか。ならばそのまま諦めるがいい」
俺の言葉に驚いたグロリア。
それはそうだ。俺はその選択をしなかったのだから。
「慰めの言葉でも欲しかったのか。そんな自己満足を味わいたいだけなら売春婦にでも頼ることだな。運が良ければ――」
俺はここまでのコーヒー代を机に置いて立ち上がる。
「運が良ければ、殺してもらえるかもな」
俺はそれだけ言い残し、彼の元を去った。
この後、彼がどう動くのかは俺の知ったことではない。
「以上がここまでの流れだ」
「そうですか……」
ギルドでララに現状報告をする昼下がり。
彼女は資料をめくりながら思いつめた表情をする。
「急に物騒な事件が増えましたね……」
「他にも、何かあるのか?」
「ええ、これですが――」
彼女が資料をこちらに見せてきた。
だが、俺には読めない。
「あ、すみません。何かと言うと、指名手配犯がこちらに来ているのではないかという情報なんです」
「ソイツは何をしたんだ?」
ゆっくりと深呼吸して、俺の目を見る。
一直線で繋がったその視線の先の瞳は迷いに揺れている気がした。
震える唇で、それでも一つ一つの言葉を噛みしめるように告げる。
「魔族の侵攻を手引きしただとか、魔族による大規模拉致にも関わっているだとか、そういう特級の罪を犯した、超危険人物だそうです」
「魔族……」
その単語に息を呑みこむ。
「その指名手配犯と今回の事件は繋がりがあると思うか?」
「……わかりません。ないとも言い切れないですが、薄いとは思います」
そう言って静かに首を横に振った。
「私から言えるのは、関わらない方がいいということです」
「何故だ」
「死んでしまうかもしれませんよ!」
「またその話か」
声を荒げるララにうんざりする。
「さっき、グロリアさんにも同じようなことを言ってきたんじゃないですか!」
「――っ⁉」
余計なことを言ってしまったかもしれない。そう後悔しながら頭を掻く。
「私には、死ぬ理由探しをしているようにしか見えないんです。あの三人が死んでから、ずっとおかしいです」
「……」
死ぬ理由探し、ね。
俺の命は一度燃え尽きている。だからこの命は惜しくない。俺の命は俺のものだ。どう使おうが、俺の勝手だ。何なら、これから魔界へ直接出向いても構わないと思っている。
などと言ったら最後。きっと彼女は泣き出してしまうだろう。もうすでに昂って、零れ落ちそうになっている。
「俺は、死なねぇよ。まだ、この事件を解決していないからな」
「解決したら、死ぬんですか?」
「魔族を根絶やしにするまでは死ねないさ」
今はこれで精一杯だ。心の底ではわかっている。そんなもの、不可能だと。ただ、ぶつける場所さえあればいいと思っているだけなのだと。
「わかりました。今度こそ、約束ですよ?」
「っ⁉︎」
驚いた。なんと、彼女は小指を差し出してきたのだ。この行為に約束を持つのは日本の文化だと思っていたのもあるが、過去の情景がフラッシュバックしたことも一因である。
それが幼少期だったのか、大人になってからなのか、それを誰としたのか。モザイクとノイズで鮮明に思い出せやしなかったが。
「わかった。約束しよう」
気恥ずかしくて俺はその指から目を逸らし、絡めることを躊躇った。
ちょっと不機嫌そうだったが、すぐに死なないから許してくれ。
「とりあえず、その指名手配犯については警戒しつつ、ついでに情報を集めてみようと思う」
「無理をしてはいけませんよ?」
「わかった」
「ダメだと思ったら逃げるんですよ?」
「……わかった」
「回復薬もしっかり持っていくんですよ?」
「……お前は俺のお袋か!」
ここで確認攻めが終わって舌をペロッと出す。
その様子に笑いあったことで、いつものペースを取り戻した。
「ありがとう。少し気持ちが楽になった」
「思い詰め過ぎてはいけませんよ? いつでも私は味方ですから」
ララには感謝してもしきれない。何度励まされればいいのか。
俺は俺自身の未熟さに嫌気が差しそうだ。
夕暮れ時。
俺は再び歓楽街に来ていた。
まだ混み出す前の通りを歩いていると、昨日のブロンドと目が合う。が、一瞬で目を逸らされてしまった。
仕方がないのでそのままスルーして歩くが、俺は何か悪いことでもしただろうか?
「お兄さん、今晩の相手は見つかった?」
ふと、後ろから声を掛けられる。
「生憎、空いている――」
振り返った先に居たのは奇抜な格好の女性。黒髪の右半分を刈り上げ、濃いめのマスカラにブラックチェリーの紅を引いた薄い唇。黒いレザーの服は七割ほど肌を露出しており、丸見えの腰にはクッキリと括れがある。
「いや、今見つかった」
「あら、奇遇ねぇ」
ゆっくり近づく彼女。
「私も見つかったところ」
彼女の伸ばした手が頬に柔らかく触れる。
俺はその耳に揺れる漆黒の三日月に吸い込まれていた。
夜。
宿屋で俺は彼女を待つ。
戦闘の準備を整え、万が一に備える。
探していた人物から直接接触があった。奇跡か運命か。このチャンスをモノにしない手はない。
そして、その時が来る。
誰かが近づく軽快な足音。そして、部屋の前で音が止まった。
そして、ドアをノックする音。
「ノアです」
少しハスキーな女の声。歓楽街であった女性だ。
「空いている」
扉を開けて、ノアと名乗ったイヤリングの女が入る。
水浴びをしてきたのか、ほんのり髪が湿っていた。
「こんばんは! 待ったかしら?」
「大したことはない」
彼女は手提げのカバンを壁際に置くと、
「隣いいかしら?」
と、ベッドの端に座る俺の隣に座ってきた。
「まだ何も言っていないのだが」
「あら? ダメだった?」
ジト目を向けると、彼女は俺の手を握って小首を傾げる。
「……いや、大丈夫だ」
目を逸らしながら答えた。
彼女はプロだ。向こうのペースに持っていかれると、最悪死にかねない。
「お兄さん、とてもいい腕してるね」
触れるか触れないかの力で右腕を撫でる。ゾワゾワとした不快感が走り、鳥肌が立つ。
「ああ、よく言われる」
学生時代、スポーツ推薦の話が出たこともあった。組織の用心棒としても、四天王になれたのも、腕を買われたからだった。
今でも、まだ言ってもらえるといいのだが。
「包み隠さないのね」
「隠しても得はないからな」
「ふふっ。アナタ面白いわね」
彼女は手で口元を隠しながら笑った。見た目に反して上品な笑い方をするものだと感心する。
「お兄さんは、冒険者して長いの?」
「いや、俺はまだ短い」
「そうなの? でも強そうね」
「強くなどないさ」
「またまた!」
肩を軽く叩かれる。痛みはない。
「こう見えて、レベル五十オーバーだったりするんじゃないのぉ?」
悪戯っ子のように横目で見る彼女の腹を探ろうとするが、まだ掴めない。
「そこまではない」
「そっか! お兄さんならなれるんじゃなぁい?」
刈り上げた側の耳にはイヤリングが揺れている。問題は反対側。そこに傷があれば、彼女が犯人であると確定できる。
俺は手を伸ばし、彼女の髪の隙間に手を入れ、頬から耳にかけて触れ、傷を探った。
「やん。大胆ね」
手を優しく払いのけるノア。残念ながら、イヤリングが付いていないこと以外は何もわからなかった。
「クールに見えて結構肉食なのね。嫌いじゃないわ」
「それは結構」
俺は彼女をベッドに押し倒し、もう一度その耳に触れる。
先に乗られたら、俺の首が飛ぶ可能性があるのだ。
「んっ」
ノアが艶っぽい反応をする。俺は無視して弄ったが、そこに異常は見当たらない。
と、次の一手を探っていたところに人が迫る気配がした。
身構える俺と気づかないノア。
ベッドの隙間に仕込んだ剣に手を掛けて待つと、扉が問答無用で放たれる。
ノックなしで飛び込む人物など、不審者に他ならない。
「マザランさん! 大事な連絡が――」
入ってきた人物目掛けて俺は飛び込む。そして、直後に後悔することとなる。
「え、え、えぇ⁉︎」
「す、すまない!」
そこに倒れているのは、良く見知った受付嬢の姿で、目をパチクリさせながら固まっている。
そして、壊れたロボットのようにゆっくりと横を見て、ベッドに横たわる奇抜な格好の女と目が合ってしまった。
「だが、丁度いいところに来た! 今からララも――」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
俺の掛けた言葉を塗りつぶすように絶叫が響き渡った。




