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閑話 義善

それは過ぎ去りし、あの頃の記憶

「ただいまぁ……」


「おかえり、母さん!」


 アパートの玄関が開き、居間へ顔を覗かせたのは、優しい優しい母の姿。

 しかし、その顔は何処かやつれて見えた。


「大丈夫?」


 僕は母に駆け寄り、その手のカバンを両手で受け取る。

 母はその疲れた表情を引っ込め、満開の笑顔で


「大丈夫よ。ありがとう!」


 と、コートをポールハンガーに掛けた。


「さ、お腹空いたわよね。ご飯作るから待っててね」


 母が厨房へ向かう。

 僕はその背中を見てニヤニヤしていた。

 さぁ、どんな反応をするだろうか。


「わ! 何これ!」


 驚きの声がした方へ僕は駆けていく。

 ワクワクしながらその様子を覗くと、そこには、鍋蓋片手に口元を押さえた母が固まっていた。


「母さん?」


 その首が壊れたロボットのようにぎこちなく振り返る。顔には目を大きく開いた笑顔が張り付いていた。

 かなり不気味だ。


「も、もしかして、これ、まーくんが作ってくれたの?」


「う、うん」


 どうも、褒めてくれそうにない。


「あ、ありがとうね……」


 母は僕の頭を撫でてくれた。でも、ちっとも嬉しくなかった。


「うーん、どうするか……」


 母は腕を組み、考える。

 やがて、よしっと腰に手を当て頷く。


「やるだけやってみるか!」



 そして、食卓に並んだのは夜遅く。


「遅くなってごめんね!」


 僕の作った料理は原型を失い、全く別の料理に生まれ変わっていた。


「ううん。ごめんなさい」


「……作ってくれたのは嬉しいわ。でも、まだまだね。これからは、母さんと一緒に作ろう?」


「……うん!」



 今回は上手くいかなかったけど、次は母の助けになりたい。

 その想いで、次の休みの日に一緒に料理した。

 その結果、僕は厨房に立つ権利を失ったのは別の話か。


 僕の家は母しかいない。

 僕は家に帰っても母はいない。

 俗にいう鍵っ子だった。

 でも、全然不幸じゃなかった。

 ただ、寂しいと思うことはあった。でも、慣れてしまえば平気だった。

 母はいつも疲れていた。なのに、仕事が休みの日は僕の為に時間を使ってくれた。

 だから僕は、母の力になりたいと思っていた。

 母はいつも言う。


「誰かの為に動きなさい。弱い人は助けてあげなさい」


 僕は、母の為に、母の想いに応えるために、動いた。



 学校で起きたある大事件。始まりはあの日か。


 給食後の昼休み。

 僕はいつものごとくグラウンドへ出ようとしたが、トイレへ行ったりなんやかんやで出遅れてしまった。

 昼休みが始まって少し経った人気の少ない教室。

 そこには異質な光景があった。

 長い黒髪の華奢な少女が一人、ポツリと座っていたのだ。


「うぅ……ぐすっ……」


 僕のクラスでは、食べきらなければ休みに入ることができないというルールがあった。

 だが、一人の女の子は食べきることができず、泣いていた。

 いつも昼休みに入ればみんなで外へ遊びに行っていたから、その子だけが居残りさせられていたのに気づいていなかった。

 その日はたまたま、トイレ等で出遅れてしまい、その姿を見つけたのだ。

 僕は彼女のことが気になり、近づく。


「食べられないの?」


「……うん」


 彼女はこちらを一瞥すると、すぐに俯き、消え入りそうな声でつぶやいた。

 その目は赤く腫れていた。

 その子は僕の隣の席で、知らない仲ではない。むしろ、そこそこ仲はいいと思っていた。だから、これからの行動に抵抗はなかった。

 机の上には、お椀に入ったスープ。赤色の、トマトスープに白いアルファベット型のもっちりした具が浮かんでいる。母のスープと比べれば美味しくなかったが、飲めないことはない。彼女には、それが苦手でしょうがないのだろう。半分ぐらい残っていた。


「じゃあ、貰っていい?」


「あ……」


 僕はその器を奪い取ると、ゴクリと一息で飲み干した。

 トロっとした甘酸っぱいスープが喉を通る。うん、あまり美味しくないな。


「よし、遊びに行こうぜ」


 食器を片付け、彼女の手を取る。


「え、あ……」


 少し困った顔をしていたけれど、僕は構わず駆け出した。

 たぶん、初めてその子と外で遊んだ。



「ねぇ、母さん。今日ね、こんなことがあったんだ」


 その日の夕飯時。いつものごとく遅い時間に、母へと報告する。


「そうなの⁉」


 母は目を丸くして驚いていた。

 僕は期待値高めに、


「『誰かの為に』やってみたよ!」


 僕は緩む頬を出来るだけ抑えながら、母の表情を探る。

 その様子はどこか悩まし気で、顎に手をやり、難しそうに瞑目していた。


「そう、ね……うん」


 そのままこちらへ手を伸ばし、


「困ってる子を助けたのね。偉い!」


 頭をガシガシと撫でてくれた。


「でもね、まーくん」


「うん?」


 ニカッと見せていた歯がゆっくりと引っ込む。

 急に寒気がして、僕は唾を飲み込んだ。

 その様子を見て「んんっ」と咳払いをして指を一本ピンと立てると、


「給食を残さず食べるというのはとても大切なことなの」


「……どうして?」


「ご飯を作ってくれた人や、私達のご飯になってくれたお野菜にお魚にお肉。みんなに失礼でしょう?」


「うん。でも、無理して食べたらみんな悲しいと思うんだ」


 僕の一言で、眉間に皴が寄る。


「そ、そうね……」


 そして腕を組み、うんうんと唸ると、


「あ」


 と声を上げた。


「その子の食べるものが減っちゃったら、お腹いっぱいにならないかもしれないよ?」


「お腹いっぱいにならないのか……」


「うん、お腹空いたら大変よ」


「そっか。確かにそれは大変だ」


「そ! 大変なの!」


 母はそう締めくくった。



 それから、僕は少女と給食時間にある交渉をすることになった。


「まーくん、これあげるから、それ頂戴」


「おっけ」


 毎日のように、苦手なものを引き取り、得意なものと交換する。

 僕は好き嫌いがあまりなかったから、特に不自由を感じていなかった。

 これなら、お互いお腹が空くなんてことはないはずだ。

 変化はそれだけではなかった。

 それをきっかけに、その少女と仲良くなっていき、気が付けば僕らの遊びに欠かさない一員に変わっていったのだ。

 決して彼女は運動神経がいい方ではなかったが、ケラケラ笑う姿はみんなの癒しになっていたと思う。


 いつメンとなった少女――みっちゃんとの思い出。


 楽しい日々はあっという間に過ぎ、ある転機が訪れる。


「なぁ、今日はドッヂやるよな?」


「……うん」


 いつもの給食の時間。

 昨日はみっちゃんがクラスの他の女子と一緒に居たので、確認を取る。

 了解を得ることができたものの、どこか歯切れが悪い。具合でも悪いのだろうか。


「どうした? 今日は苦手なものでも多いのか?」


 今日のメニューは唐揚げに焼きそば、コッペパン。野菜はブロッコリーとカリフラワーを茹でたもの。野菜を除けばどれも美味しそうだ。野菜を除けば……。

 好き嫌いはあまりないとはいえ、カリフラワーはあまり好きではない。だから、できる限り食べたくない。食べたくないのだが……。


「……」


 チラリと彼女の表情を伺う。

 その表情は何処か暗い。


「ぶ、ブロッコリーなら食べてやるよ!」


「あ――」


 みっちゃんのブロッコリーを箸で摘まむと、息を止めながらブロッコリーを噛んで飲み込んだ。


「……ありがと」


「え?」


 小さく、消え入りそうな声で呟く少女。


「何でもない! 唐揚げ貰うね!」


「え、あ、あぁ……」


 僕の大切な、大切な唐揚げは、その小さな口に消えていった。


「ふふん♪」


 満足気に頬張るその顔を見てしまえば、もう僕が言えることはない。

 だって、そういう契約だからだ。

 渋々、唐揚げの代わりに茹で野菜を頬張る。心なしか、僕より多く盛りつけられているのがより残念さに拍車をかけていたが。


「ごちそうさまでした!」


 手を合わせて完食するみっちゃんが笑顔ならそれでいいのだ。



 それから、放課後。

 ランドセルに教科書を詰め終わり、蓋を閉じる。


「これでよし。さ、帰ろ――」


次いでちょっと重たいそれを担ごうとしたその時。


 ふと隣を見た。


「……」


 ランドセルの蓋を開けたまま固まる少女の姿。それはまるで、彼女だけが世界に取り残されているかのような異質さ。

 わなわなと震えるその唇から、言葉にならない何かが溢れ出ていた。


「み、みっちゃん……?」


 恐る恐る声を掛けると、ピクッと小さな肩が跳ね、ゆっくりとこちらを向く。


「まーくん……」


 その眼は徐々に潤みだし、やがて一筋の光るものが零れた。

 僕の中で警笛が鳴る。これは、ただ事ではないと。

 僕は担ぎかけていたランドセルを机上に下ろすと、唾を飲み込み、覚悟を決める。

 ゆっくりと、赤いランドセルの中を覗き込む。


「――っ⁉」


 目の前を火花が散った。

 こんな、こんなこと。どうして、誰が、何で、何の為に?


「ど、どうしよう……」


 ふと、腕に重みがかかる。

 そこで、僕の意識が身体に戻った。

 見ると、みっちゃんが僕の袖を引いていた。今にも、崩壊してしまいそうな顔で。

 刹那、脳が冴え、視界がクリアになり、周囲の雑踏の一つ一つを捕らえることができた。

 それは、今にも帰ろうとするクラスメイトの姿だった。


「待って‼」


 数える程の年月しか生きていないが、その人生の中で最も大きな声を僕は出していたと思う。空間を切り裂く程の甲高い怒号に、教室の空気が凍る。


「どう、しましたか?」


 担任が眼鏡を飛び越えるぐらい目を見開く。


「これやったの、誰?」


 僕は周囲を見渡す。

 とぼけた顔が多い中、僕は目を逸らした集団にピントが合ってしまった。

 それは昨日の昼休み、みっちゃんと一緒に居た女子たちだ。彼女たちのグループだけ様子がおかしい。


「お前らがやったのか」


「し、知らないわよ!」


 リーダー格の女子がこちらを一瞥すると、ぶっきらぼうに言い放った。


「知らない訳、ないだろ」


「証拠はあるの⁉」


「な、ないけど」


 証拠などない。でも、その態度が犯人だと言っている。僕の直感もそう告げている。

 だが、彼女はあっけらかんと


「だったら、めーよきそんで訴えてやるわ!」


「なっ――⁉」


 ふんっとそっぽを向く。自慢げに揺れる短めのツインテールに苛立ちを覚えた。


「人を犯人呼ばわりするなんてサイテー!」


 おかっぱの取り巻きAが舌を出して糾弾する。


「謝罪をよーきゅーするわ!」


 チビ眼鏡の取り巻きBも便乗した。


「しゃーざーい! しゃーざーい!」


 その集団が謝罪コールを始める。

 クラスの大半もそれに便乗して手拍子を始めた。

 いつメンの数人だけがそれをおろおろと見渡していた。だが、味方になってくれるわけではない。


「ふざけんな! なんで、なんで俺が謝らなきゃいけないんだ!」


 手に持っていた赤いランドセルを振り上げる。

 が、俺の手首を大きな手で止められた。


「先生――」


 担任は首を横に振り、


「落ち着きなさい」


 にっこりと諭す。


「放してよ!」


 俺が暴れても、大人の力に敵う筈がなく、その場で無意味に体をくねらせるだけだった。


「さ、みんなは帰っていいよ」


 その一言に、生徒たちは顔を見合わせた後に、帰ろうとする。


「待てよ! 帰るな!」


 暴れる中、そのランドセルから中身が零れ落ちた。


「え――」


 クラス中が、担任も含め、固まる。その全員が驚愕の表情を浮かべて。もとい、一部を除いて。

 拘束が緩んだ隙に勢いつけて振り払うと、自分の髪に付いた緑のそれを払う。


「これ、ブロッコリーだよな。給食の」


 ツインテールを睨みつける。


「な、何よ! そいつが食べずにその中に入れたんじゃないの!」


 なんと、彼女は食べ残しで昼休みが台無しにならない為に自らがやったことと言うのか。


「あれだけ食べ物を粗末にしてはいけませんと言ったのに……」


 鵜呑みにした担任は眉間を押さえる。


「そんな訳あるか!」


 俺は散らばった大量の残飯を指差す。


「こんな量、一人分な訳ないだろう!」


「ぐ……」


 彼女は唇を嚙みしめる。


「そもそも、今日は俺がそれらを食べたんだ。入れる物はなかった!」


「それは、本当ですか?」


 担任はこちらの瞳を覗き込む。

 眼鏡越しで感情は推し量れないが、ようやく聞き耳を持ってくれたと気が緩んでしまった。それが間違いだったと、直後に知ることになる。


「本当だよ! だからみっちゃんは悪くな――」


 パチンと乾いた音が、教室に響いた。

 駆け抜ける鋭い痛みとじんわり熱を帯びだした頬に、遅れて実感する。叩かれたのだと。


「せ、先生――?」


 混乱の中、先生を見上げる。その顔は、何故か微笑んでいた。その異常さに俺は震えた。


「ごめんなさいね。でも、何で叩かれたかわかるよね?」


 優しく、諭すような声。態度と言動の矛盾に、世界がひっくり返そうになる。


「で、でも――」


 パチンと再び掌が炸裂する。今度は耐えられず、地面に倒れた。


「はぁ……。これでもわかりませんか。これもずっと言っているでしょう? 言い訳をしてはいけないと。アナタが悪いのですよ? 先生を騙して、美冬さんの栄養を偏らせ、クラスに迷惑をかけて、先生に手をあげさせて、本当に困った子だ」


「お、俺は……」


「その目は何ですか。目上の人にそんな態度をしてはいけないですよ。まだ痛みが足りないみたいですね」


 彼が振りかぶる。怖くて顔を伏せると、鈍い音が聞こえた。

 だが、自分の身体はどうということない。

 顔を上げると、倒れたみっちゃんと、手首を押さえた担任の姿。

 どうやら、彼女が間に入り庇ってくれたようだった。そして、たまたまその手に持っていた筆箱に飛んできた腕がぶつかったようだ。床には落とした筆箱と文房具が散らばっていた。


「痛いですね。まさかアナタも先生に歯向かう不良だと思っていなかったですよ」


 少し切ったのか、その押さえる手からは血が滲んでいる。

 その様子に、泣き出した生徒もいた。


「ああ、五月蝿い! です!」


 彼はよろめきながら、椅子を手に取る。


「どうしてどいつもこいつも言うことを聞けねぇんだクソガキどもが……」


 ぶつぶつと零しながら振り上げた。

 マズい。心臓が高鳴る。

マズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズい!

彼の視線の先は、みっちゃん。

 腰が抜けて動けそうにない。

 動け、動け、動け!


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 恐怖を押し殺し、俺は咄嗟に少女の細い体へ覆い被さった。

 脳内に鈍い音が響き、視界が真っ赤に染まる。

 ドクドクと脈打つ何かが徐々に熱を奪っていく感覚。

 遠くでたくさんの叫ぶ声を聞きながら、瞼を下した。


 みっちゃんは、大丈夫だろうか――。


次回から第二章ですかね。

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