クレインフライ飛空353便エンジン故障事故⑦:喪失
○ロック=ダイアクラブ(クレインフライ飛空353便 副操縦士(当時))の証言
私達は謎の光に包まれながら、353便を西へ飛ばしていました。
『………飛空診断ゴーレムからの対処手順、全て実行完了しました』
『了解。どうだった?』
『各種センサー類のうちいくつかが損傷して異常値を出してました。正常な予備を参照するよう、飛空管理ゴーレムを設定し直しました。これで先ほどのような誤作動は無くなるはずです』
『ありがとう』
『スラット、フラップは無事です。油圧イエローは右エンジン停止に伴い機能停止。グリーンとブルーの油圧は正常。飛空ゴーレム達に自己診断を指示して損傷がないことを確認しました』
ただ、と私は機長に言いました。
『機内への給気成分に異常があったので、換気ゴーレムのフィルタリング機能を最大にしました。やはり外の何かを吸ってます』
『補助魔力装置とラムエアタービンは?』
『ダメージなし。正常です』
『了解。出番が無いことを祈りたい』
補助魔力装置は、ジェット燃料を燃やして魔力に変換する装置です。
飛空艇のゴーレムや魔導器具はエンジンの魔力変換装置を魔力源にしていますが、エンジンが使えなくなると魔力源を失います。そうしたときは補助魔力装置で魔力を供給します。
双発の飛空艇はエンジンが1基あれば充分に装置類を維持できます。
なので、補助魔力装置の出番が来たときというのは、だいぶ危機的な状況を意味します。
『トイレに行っていたので自分は分からないんですが、"これ"が起きたとき、何があったんですか?』
『私にも分からない。突然この現象が始まった。気象用の探知ゴーレムは何も感知しなかった。思わずストームライトを点けようとした。したんだが……』
機長の声音が、少しだけ変化しました。
冷静沈着だったそれが、どこか夢現のような不確かなものに。
そんな声で、機長は言いました。
『………何かが、見ていたんだ。私を。外から』
『え?』
『目が、合った。私と』
それだけ言うと、機長は心ここにあらずだった声音を元のプロフェッショナルのそれに戻しました。
『ストームライトを点けた時には、もう外はあの赤い光しか流れていなかった。直後に落雷があり、あとは知っての通りだ』
『見てた? 目? 生き物が?』
それは何を意味するのか分からず慌てて聞いた、その時です。
飛空診断ゴーレムが警告を出しました。
私はその内容を見ました。そして、『嘘だろ』と思わず呟きました。
『――――左エンジンの出力低下! 回転数が落ち始めてます!』
右エンジンが止まったときと同様、スロットルレバーを操作してないのに左エンジンの出力がどんどん落ちていきました。
最も怖れていた事態です。
『了解。スロットルを下げる。速度、高度に注意』
機長はエンジンを壊さないよう、スロットルレバーを下げ、エンジン出力を落としました。
幸いその操作で、左エンジンは安定しました。
出力は低いですが、右エンジンのように停止するまでには至りませんでした。
『機長、高度が低下していきます、1万9,000フィート!』
片肺で飛んでいたオーディシアス号型はさらなる推力低下により、2万フィートを維持できなくなりました。
『飛空管理ゴーレムに、現在の出力で安定する高度を算出するよう指示』
『了解! ………出ました、9,800フィートです』
『了解、高度を9,800フィートに変更』
353便はさらに高度を下げました。
ついに1万フィートを下回ってしまい、しかもそれだけ高度を下げてもなおあの赤い光が途切れません。
『機長、このあたりはブジン諸島が近いです。8,000フィート(約2400メートル)を下回るのは危険です』
『了解。高度に注意』
ブジン諸島は、エデとカカナを結ぶ路線で一番の難所です。
西のエデ大陸と南のムヒュルム大陸に挟まれた南西海域から伸びる、高山列島群の最北端に位置します。
高山列島群はその名の通り高い山をもつ島たちで、2000メートル級の山がまるで防衛線のように空路を遮っています。
これを回避するには北へだいぶ遠回りをするか、1万フィート以上の高度で飛び超える必要があります。
エデ帝国の国産飛空艇ではこのブジン諸島を超すための上昇性能が得られず、帝国での飛空艇産業の発展を遅らせた要因の一つとも言われています。
オーディシアス号型は1万フィートどころか3万フィート以上のはるか上空を飛びますから、普段なら特に気にせず飛び越えていました。
しかし今はその自然の要害が脅威となっています。それほどに追い詰められていたんです。まさにぎりぎりの状態でした。
あと一押し、何か不慮の事態が発生すれば、それでおしまいになる。そんな気配をひしひしと感じていました。
○モトタカ=ウラベ(四魔協 (四大陸魔剣士協会) エデ大陸王者。魔剣士)の証言
エンジンから噴いていた火が消え、機体がゆっくり高度を下げていくのが客席からでも分かりました。
私は席に着き、シートベルトを締めて事態の成り行きを見守りました。それ以外に出来ることは何もありませんでした。
あの時ほど、魔剣を持っていないことを悔いて恥じたことはありません。魔剣士たちの多くが飛空艇を嫌う理由がいやでも分かりました。その時の私は、無力な乗客のひとりに過ぎなかったのです。
『なにか、匂わない?』
ふと、客席の誰かが呟きました。
清められた機内の空気に、確かに何か鼻につくものが混じっていました。
飛空艇には高性能な換気ゴーレムがあり、外の風を清めてそれを客席に送っているとパンフレットに書いてありました。
にもかかわらず、機内の空気に異常なものが入ってきていたのは明らかでした。
換気ゴーレムが壊れたか、ゴーレムの清浄魔法でさえ限界に近いのか。
そしてその異常なものというのは、飛空艇を包む赤い光であることは私にも分かりました。
『………なんだ?』
不意に私は、窓の外で変化が起きていることに気付きました。
夜の暗闇の中、後方へ高速で流れていた赤い粒子達が、いつの間にかその方向を変えていたのです。
緩やかに、斜め下、後ろへ。
『下…?』
私は訝しみました。
体感的に353便が高度を下げていたのは明白でした。
だというのに、赤い粒子はその353便よりさらに早く下方向に落下していたのです。
つまり、
『……上かっ!』
飛空艇の遙か上に、何かがいる。
私は悟りました。
この謎の現象は、その何かが引き起こしているのだと。
―――――――――ケェエエェエェエエエエェエエェエエエエ!!!!!!!!!!
不意に、それが響きました。
飛空艇全体を震わせる、何かの咆哮。
誰もが戦慄しました。
明らかに生き物の啼き声でした。
そして、窓から見えるあの赤い光の流れが、急に加速しました。
密度も勢いもそれまでと段違いで、あまりに力が強く、飛空艇が一気に押し下げられていたのが客席からでも分かりました。
間違いありませんでした。
この飛空艇を、何かが狙っていたのです。
空を飛ぶ生き物が。
○ロック=ダイアクラブ(クレインフライ飛空353便 副操縦士(当時))の証言
『高度が下がります! 左エンジンの出力さらに低下! 推力を出せません!』
突然の謎の遠吠えと、それに続く急降下に、私は為す術がありませんでした。
あの赤い光はもはや前からではなく、上から下へ滝のように雪崩れ落ちていました。
それに押し流されるように、機体の高度はどんどん下がっていきました。
下がっていったのは高度だけでなく、唯一生き残っていたエンジンの出力も同じでした。
そしてついに、一番言いたくない言葉を口にせざるを得ませんでした。
『ダメです! 左エンジン停止!! 全エンジン喪失!! 油圧グリーンが停止!!』
最悪の状況でした。
上からの謎の下降気流に追いやられた状態でエンジンが全て止まったんです。
高度と速度の両方が一気に落ちていきました。
絶望的な状況です。
『補助魔力装置を起動』
機長はそんなときでも、冷静な声で私に指示を出しました。
私は考えるよりも先に、訓練で身に染み込ませた動きで補助魔力装置を起動させました。
幸い補助魔力装置は無事で、燃料を燃やし353便に魔力を供給し始めました。
『補助魔力装置の起動に成功! 油圧ブルーに異常なし! 各動翼ゴーレムも正常!』
『了解。失速回避のため機首下げを行う。緊急事態魔法メーデーを発動してくれ』
『了解!』
幸運にも機体を押し下げていた圧力は長くは続かず、機体の操作もある程度できるようになりました。
機長は下降していく機体を操り、機首下げの形で降下させました。速度がどんどん上がりました。
これにより翼に流れる風の精霊が機体に空中浮力を働かせ、制御不能を回避できます。
『メーデー、メーデー、メーデー! こちらクレインフライ353、クレインフライ353、クレインフライ353、全エンジン喪失! 全エンジン喪失! 全エンジン喪失!』
緊急事態呪文を通信魔導器具で唱えても、やはり応答はありませんでした。
失速を逃れたとは言え、推力はなく、支援もなく、ゆっくりと落ちていく機体の高度は9,000フィートを下回っていました。
とてもエデ帝国まで辿り着くことは出来ません。
『駄目です、機長。通信は出来ません……』
『了解。この降下率ではフンドまで届かない。どうするべきだと思う?』
『…………海に着水するしかないかと』
私は機長からの問いかけに、苦々しい思いで答えました。
海面への不時着は、至難の業です。
海は地面はおろか川とも全く違います。波浪があって非常に不安定なため、安定した着水はまず望めません。機体が横転する可能性が高く、生存率は著しく低くなります。
しかも当時は真夜中でした。悪条件が重なりすぎて、とても成功するとは思えませんでした。
私は縋る思いで機長を見ました。
何か他に手が無いか、機長なら思いつくかも知れないと思ったからです。
しかし、機長は頷いて言いました。
『私もそう思う。着水時の手順を進めよう』
絶望のどん底でした。
訓練でもしたことのないことに挑まなければなりません。
血はとっくに引いて、口の中が異様に乾いていたのを憶えています。
それでも、やれることをやらなければなりません。
私は魔導卓からチェックアウトを探そうとしました。
その時です。
『――――――――――――クレインフライ353、こちらカオティックブルー、応答されたし』
通信魔導器具から、天の助けのような声が届いたんです。




