セールーン飛空1990便墜落事故⑦:CVRと真相
○レイル=バルタザーレ(事故調査チーム主任捜査官)の証言
スターゲイザー研究所からワッサタウン空港の調査室に戻ると、CVR、操縦室の音声を記録した黒箱の解析が終わったと連絡がありました。
我々は早速それの検証に掛かりました。
……データだけで事故原因が分かったと思うのは危険です。
乱気流によって墜落したと思われた飛空艇が、実は副操縦士による意図的な墜落だったという事件もありました。音声記録がなければ、解決できなかったでしょう。
『よし、再生してみてくれ』
再生魔導器を起動させ、音声に耳を傾けました。
《………ワッサタウン・アプローチ、セールーン1990、フライトレベル160を維持》
《セールーン1990、ワッサタウン・アプローチ、針路300に向かい、魔導誘導にて01R滑走路の最終進入経路へ。降下して9000フィートを維持》
記録は1990便が、滑走路への最終進入経路に進むよう指示されたところからでした。
《セールーン1990、了解。針路260に向かい、魔導誘導にて01R滑走路、降下して9000フィートを維持》
規定の呪文の遣り取りが終わると、機長と副操縦士が会話を始めました。
《空港の気温は25度だったか?》
《そう言ってました。夜になって雨も降ってるのに、それでも暑い》
《この季節は嵐が多い。心配だな》
セールーン飛空1990便の機長はロティマフ=ハルバード、副操縦士はソルブ=バンデージ。
2人はセールーン飛空の中でも経験豊富な操縦士で、特にハルバード機長の飛空時間は一万時間を超えます。
その日の飛空は、バンデージ副操縦士が操縦を担当し、機長が通信を担当していました。
しばらくすると、機長が副操縦士に言いました。
《見ろ、早速お出ましだ。305に嵐がいる》
《本当だ。気象ゴーレムは頼りになりますね》
《管制と話してみる》
機長が入域管制の管制官に要求を始めました。
嵐を迂回するコースを取りたかったのです。
《ワッサタウン・アプローチ、セールーン1990、針路305に雷雲を確認。コースの変更を要求します。迂回させて下さい》
《セールーン1990、雷雲をこちらでも確認しています。そのコースは雷雲の10カイリ横を通過できます。他の40機も問題なく通過できています》
ハルバード機長は引き下がりませんでした。
《ワッサタウン・アプローチ、セールーン1990、こちらの探知機器で捕捉した雷雲は針路を塞いでいます。コースの変更を要求します》
《セールーン1990、では針路060へ。目標は魔導灯台"ギガス"。通過したら報告を。その後を指示します》
《針路060、魔導灯台"ギガス"、セールーン1990了解。ありがとう》
《……嵐に向かわずにすみましたね》
《ああ、一安心だ》
その後は特に問題も起きず、1990便は迂回したコースから再び滑走路への進入許可を貰いました。
《セールーン1990、ワッサタウン・アプローチ、01R滑走路への魔導誘導による進入を許可します》
《ワッサタウン・アプローチ、セールーン1990、01R滑走路への魔導誘導による進入を許可》
《セールーン1990、ワッサタウン・タワーと交信して下さい》
《ワッサタウン・タワーと交信、セールーン1990》
ここで交信相手が、入域管制から飛行場管制へ切り替わりました。
《セールーン1990、ワッサタウン・タワー、150ノットに減速》
《ワッサタウン・タワー、セールーン1990、150ノットに減速》
前方の飛空艇との距離を開けるため、1990便は減速します。
その後でした。
音声記録に、激しい雨音が急に混ざってきたのです。
《……雨です。いきなり振り出しやがって》
《対気速度と高度に注意。管制官に空港の風速を訊いてみる………タワー、セールーン1990、雨に打たれている、風速を知りたい》
《セールーン1990、風は090より15ノット》
《タワー、セールーン1990、了解。風は090より15ノット………真横からの風だ。姿勢に気をつけろ》
《滑走路は見えますかね》
《魔導誘導は捕捉している。01R滑走路はカテゴリー2だ。規定高度になる前に見付けられなければ復行する》
魔導誘導による自動着陸でも、誘導ゴーレムの精度によってカテゴリーが分けられています。
カテゴリー2ですと地上100フィートになる前に滑走路が見えなければ、着陸はやり直しです。
《見えた。滑走路を視認。方位010》
《こちらも滑走路を視認。灯火がよく光ってる》
雨でしたが、無事に滑走路を視認できた2人は、着陸前の儀式を開始しました。
《チェック、エアスピード、フラップワン》
《フラップワン》
《チェック、エアスピード、ギアダウン》
《ギアダウン》
《着陸前チェックリスト開始》
《了解》
《着陸ギア》
《オールグリーン》
《フラップ、スラット》
《33度、33度、正常》
その儀式がなされている最中でした。
雨のぶつかる音が、これまでとは比べ物にならないほど膨れ上がったのです。
《―――10ノット加速したぞ!》
《機体が上昇中! 何もしてないのに!》
《落ち着け、風だ、来るぞ、急降下に備えろっ》
操縦室に緊張が走ります。
《来た! 推力最大! ファイヤーウォールパワーッ!》
ファイヤーウォールパワーとは、古代竜人の言葉で最大出力を意味します。語源はよく分かりませんが。
とにかく機長達は急降下と同時にエンジンの出力を最大まで上げました。
《対気速度がマイナス20ノット!》
《上げろ! もっと出力を上げろ!!》
《上げてます!》
《もっとだ!!》
『………機長は下降気流に気付いていた』
マイクロバーストという名前は知らなくても、機長はその経験から、突然の嵐で急上昇した後、急降下が起きると理解していたようです。
《対気速度さらに低下! 高度も低下中!》
《機首を下がらせるな! 高度が足りなくなる!》
操縦士達が、嵐に奮闘する様子が続きました。
そして不意に、あの激しい雨風の音が小さくなったのです。
エンジンの強力な稼働音が目立ち、操縦士達が大きく息を吐いたのが分かりました。
《………終わったようだ》
その直後に。
《っ!? 急降下!! また高度が下がってます!!》
《機首を上げろ! 最大推力維持!!》
《横に流されてる!!》
《踏ん張れ! 対抗しろ!!》
《―――――"ウープ・ウープ・プルアップ"》
そしてついに、全ての操縦士が最も聞きたくない警告が出ました。
地上に近すぎる、機首を引き上げて上昇しろ、さもないと墜落するぞ、という対地接近警報です。
《ゴーアラウンド!!》
機長の宣言は、激しい衝撃音にかき消されました。
着陸ギアが地上にぶつかった音です。
その後は、警告音と衝撃音、そして破壊の音しかしませんでした。
しかし最後の瞬間だけ、バンデージ副操縦士の声が聞こえました。彼の最期の言葉です。
《機長、あれは!》
そしてそれに応えたハルバード機長の声が、音声記録の最後の情報でした。
《――――――――竜だ》
……音声記録は、それで終了しました。
我々は、機長の最期の言葉に、耳を疑いました。
『機長は、なんと言った?』
実際、何度もそこを聞き直しました。
聞き間違いであってくれと思いました。
しかし、誰が何度聞いても、間違いようがありませんでした。
目の前が真っ暗になり、調査チームの誰もが、あのセレネイドくんですら言葉を失っていました。
『………竜だ。あのとき空港には竜がいたんだ』
私は彼らに結論を言わざるを得ませんでした。
『風の中に棲み、嵐を巻き起こす竜―――――雲竜が』
○ミリィ=セレネイド(事故調査チーム)の証言
竜は特別な生き物です。
空を泳ぐ生き物でありながら、竜による被害は空獣害に分類されません。嵐に巻き込まれたのと同じ扱いになります。
翼もなく、ヘビのような細長い躰で、私達が未だに知り得ない神秘を用いて空を泳ぐ、雷神ティーシャクーティンの遣い。
『上空の風や氷水の精霊を冷やして、地上に下降気流を作っていたのは雲竜だった……』
CVRの記録を聞き終わって愕然とした私達に、バルタザーレさんは力なく言いました。
『竜の起こす嵐、ドラゴンストームは、前兆もなくいきなり現れる。風雷の動きは不規則で、それでいてひどく激しい。いつまで嵐が続くのかも分からない。一瞬で消え去ることもある。竜の気分次第だ。彼らは空の支配者だよ』
私もそれに頷くしかありませんでした。
魔導器具がなければ魔法を使えない人間と違い、竜はその身ひとつで風や雷や雹を呼べます。雲竜は嵐そのものと言っていいんです。
飛空艇乗りが最も恐れる生き物であり、それでいて対策は一切ない。
それが竜です。
『飛空局の規定では、雲竜がワッサタウン空港上空の雷雲の中にいたと分かっていたら、空港の閉鎖を宣言できました……竜の姿が分かれば、ですが』
『雲竜を事前に探知することは、やはり出来ないのか?』
私は首を横に振りました。
『サンプルが無さすぎるんです。雲竜のものと思われる鱗や髭の一部といった小さなものは神殿で宝物として保管されてますが、宝物なので魔術の研究所には回ってきません。なんとか回ってきたとしても、サンプルが小さくて、この反応が竜だ、と確信を持てるほどの反応は期待できません』
探知魔法は目標に最適化された探知魔法を用いなければ、確度が上がりません。
しかも雲竜はどうやってるのか分かりませんが、汎用探知魔法で探知できないんです。クジラより大きいくせに。
『対雲竜用の探知魔法を作るためには、出来るだけ大きな雲竜のサンプルが必要です。生きてても死んでてもいいですが、とにかく大きなものが』
『それこそ無理だ。雲竜は嵐の中にいるときにしか、人間の目には見えない。普段は何かしらの魔術で隠れている。遭遇することさえ困難だ』
つまり飛空艇を竜から守りたいのなら、嵐の中へ飛空艇で突入して、竜をその目で直接見ないといけないんです。
本末転倒です。竜人のことわざで言う、羊毛を刈り取りに行ったら刈り取られて帰ってきた、ってやつです。
『竜人文明では、雲竜への対処をどうしてたんだ?』
『分かりません。発見されたどの遺跡からも、雲竜に関連したり言及したりした遺物はひとつも見つかってません。まるで雲竜なんていなかったみたいに』
『ダークスターのスーパーゴーレムでも?』
『ガルでもゴルンでもラグメゼでも、誰でも無理です。竜の探し方を知りません』
……要するに、雲竜に対して私達が出来ることは、何もなかったんです。
事故の全容が分かったっていうのに、敗北感だけが積もり積もっていきました。
その後、バルタザーレさんは報告書を提出。
雲竜による突発的かつ局所的なマイクロバーストとウィンドシアが、セールーン飛空1990便を墜落させたと公式に発表しました。
報告書では師匠の強化型気象ゴーレムの実地試験を行い、速やかに空港設置型と飛空艇搭載型の実用化を目指すことが強調されました。
けど、雲竜に対しての方策は、何も書かれませんでした。
どうすることもできません。
目に見えない竜が、空港や飛空艇の近くにいないことを祈るしかないんです。
メディアは色々と書き立てました。
『雲竜による墜落事故と断定』
『竜の脅威に無力? 次に墜ちる飛空艇は?』
『魔剣士最強チーム、竜によって墜ちる』
『魔剣士の敗北』
とても暗澹とした気持ちで、私たちは過ごしました。
そして報告書を作ってから、3ヶ月が経った頃です。
……大ニュースがカカナ連邦の全土を襲いました。
そうです、みなさんご存じのアレです。
――――――――――リナ=シャブラニグドゥスが、雲竜を殺した事件です。