6 彼の策略
アサンside。
教皇レミが聖女を召喚するという知らせを受け、アサンは持っていたペンを落とした。
――魔塔。
聖王国リスティーアで、大陸最高の魔術師たちが集う場所である。その魔塔の主を務めるのが、アサン・ウィストリア・エルドリスカ、その人だ。
300年の間、魔術図書館を彷徨い、すべての魔術書を極め、脱出不可能とされた図書館を自らの力で抜け出した伝説の存在。故に、彼はこのリスティーアで、魔塔の主を務めることとなった。
「今何と?」
「教皇、レミ・レ・メルヴィルが神託を受けたの事。魔族を滅ぼすため、聖女を召喚すると」
「聖女ですか」
高い魔塔の頂上に位置する、主の執務室の机で、アサンは肘をつき指を絡めた。
「……なんたる僥倖」
「主殿?」
「いえ、報告ご苦労。退出しても良いですよ」
「かしこまりました」
報告係がその場を去ると、普段、氷の貴公子と謳われるアサンが、堪えきれないと笑みをこぼした。
「ハハ、やっと、貴女に会えるんですね。ユウリ」
アサンは用意周到な男だ。そして、目的のためなら手段を択ばない。
この世界において、魔法とは全て魔法陣を媒介して発動される。また、その魔法陣の正確さによって威力も変わってくる。一度書いた魔法陣はいつでも使えるが、それには魔力≪マナ≫を消費する。
魔法陣を書く際も同様で、大量のマナを消費する。マナを使い果たせば、3日は動けなくなるだろう。一般的に、普通の魔術師が一生に書ける魔法陣は10程度。1日に使える魔法は3回ほど。
だがアサンは規格外の魔術師。彼にはそれらの制約などない。
1人の女性を特定する設計図を、魔法陣に淡々と描いていく。これも、魔術図書館で得た知識だ。尽きることのないマナが、正確に、空気中に字を描き出していく。
アサンは、悠李がこの世界の人間ではないと分かっていた。なぜなら、魔法で隅々まで探し出しても見つからなかったからだ。
図書館では、異世界から人間を呼び出すという魔法の知識は得られなかった。
ずっと方法を探していたが、なるほど、神の御業なら可能だろう。神聖で透明な水に、黒いインクを一滴垂らすことを、アサンはためらわなかった。
(異世界から人間を召喚することは出来ないが、召喚される人間を『選ぶ』ことは可能だ。召喚する地点を設定すればいい)
ユウリのマナを辿り、そこで召喚が起きるよう細工する。
途中まで書いた魔法陣を指でなぞり、アサンは目を細めた。
(あなたが違う世界でもし幸せでも、あなたは約束してしまった、ユウリ)
――ずっと、傍にいると。
そして、召喚はつつがなく成功した。
アサンは、態と2人の人間が召喚されるよう細工していた。悠李だけだと、聖女だと持て囃され、容易に会えなくなってしまう。そのため、もう1人を聖女であると思わせる必要があった。
魔塔の頂から、遠隔で空間を映し出し、アサンはその場の様子を伺う。
そして、召喚された悠李以外のもう1人に『翻訳魔法』をかけた。
言葉が通じる者を、王国は聖女だと勘違いするはずだ。だが、誤算があった。
「聖王国に光あれ?」
悠李がこちらの言葉を理解していたのだ。
つまり、彼女は。
(まぎれもなく、本物の聖女)
厄介なことになってしまった。アサンはすぐさま、悠李に『言語遮断魔法』をかける。その後なんとか、思惑通り事が進み、違う人物を聖女に仕立て上げることに成功した。
「貴女が聖女でも、関係ない」
アサンはそう呟くと、悠李の下へ向かうためローブを羽織った。
アサンが悠李のマナを辿ると、そこは薄暗い路地だった。
久々すぎる、出会ったころと変わらない彼女の姿に、彼の気分は驚くほどに高揚した。今直ぐ駆けつけたかったが、まだやることが有る。
アサンは少年とガラの悪い男たちにカネを払い、悠李に絡むよう命令した。
もちろん、絶対に危害は加えないようにと念を押し、自らもその様子を監視する。すると、1人の男が今にも触れようとしているのを見て、アサンは燃え上がった怒りのまま、魔法陣を発動させた。
「触るな」
悠李の前で人を殺すのはためらわれたため、男たちを逃がす。
「お怪我は、ありませんか?」
栗色の瞳が驚きに染まる。懐かしくて、愛おしくて、自分がどんなに寂しかったかと、アサンはこの場で悠李に打ち明けてしまいたいと思った。
会えない間、悠李を憎む気持ちさえあったが、彼女に会った途端、嬉しさでアサンの心は埋め尽くされた。彼女は再び、優しく微笑みかけてくれるだろうか。
「た、助けて下って、どうもありがとうございます。日本語、お話しできるんですね」
だが、アサンの期待とは裏腹に、彼女は初めて会ったという風な態度だ。
「……私の事が、わかりませんか?」
「はい?」
暫く衝撃を受けていたが、アサンが悠李に尋ねる。しかし、やはり彼女は何も覚えていない。嬉しかった気持ちが一瞬で虚しさに溢れるのを隠しながら、アサンは気を取り直した。
(私が幼かったから、分からないのかもしれない。今は、彼女を保護するのが優先だ)
「……いいえ、お気になさらないでください。私はアサンと申します」
「あ、私は高梨 悠李と言います」
(知っていますよ)
と、アサンは微笑む。
「ユウリ様、貴女が御無事で良かった」
そして、アサンは悠李を憐れんだ。
(私のような者に、絡めとられてしまった可哀そうな貴女)
悠李の腰を強く寄せると、彼女が今ここに居ることを実感することが出来た。
(もう絶対に、どこへも行かせない)
アサンの瞳が、昏い炎を灯したのに、気づく者は居なかった。




