大樹の立つ世界
少女の蒼い瞳が見つめる先にあるのは赤く染まった夕焼けの空ではなく、はるか遠くに霞む山脈の更に向こうに聳え立つ大樹である。 人間の目には木と分かる程度のシルエットにしか視えないが、逆に言えば遥か遠方からでも木だと分かるほどに巨大だという事だ。
まだ十歳にも満たなそうな少女は、高価そうな生地で作られた可愛らしい服を身に着け、立派な城のテラスに立っているのは、彼女がこの城の住人だからである。
赤色のショートカットの髪が風で僅かに揺れた直後に、「……マナの大樹、我らの世界を支える世界樹ですね」と背後から女性の声。
振り返ればそこには少女の良く知る女性の姿があった。 長く伸ばした青い髪に魔法使いか何かを思わせるローブ姿で四十代前半くらいに見える人物を、「先生……」と少女は呼んだ。
「かつては生きる者の存在しない死の大地であったこの世界に命をもたらした大樹……神が植えたとも、はるか遠くの世界から飛来したとも言われています」
女性が語ることは、少女も何度も聞かされた話である。
「大樹からつねに放出されているマナは……」
女性が言葉を止めたのは、少女の手のひらに創り出された小さな光球のためである。
「目には視えないけどあたし達の周り存在する、だからこうして魔法が使える……でしょ?」
女性は一瞬だけキョトンとなってから「ええ、そうよ」と微笑む。 暗闇を照らすこの魔法は、ここ最近ずっと練習していたものだ。
「マナは魔法の力の源にもなるし、私達の生活を支える機械の動力源でもある。 でもね、私達がマナなくして生きていけないのはそれだけはないわよ?」
「え~と……あたし達の身体がマナを吸収しないと生きていけないんだっけ?」
「そこまで大袈裟な話でもないわよ」
マナは生き物に活力を与えるとされ、仮にマナの存在しない場所にいたとしても元気がなくなるという程度であろう。 もっとも、それはあくまで理論としてはという話で、実際に試したニンゲンはいない。
それでも、少なくとも活力や気力というものを失ったニンゲン……いや、生物がどういう風に生きているのかという想像は、彼女にはゾッとするものがあった。
「マナがないとみんなの元気がなくなるのよ。 外で遊ぶ元気もなくなる、そんなのはあなたも嫌でしょう?」
それを子供に伝える気にもなれずにそんな言い方をすれば、「うん」と頷く少女は、しかし次の瞬間には不安げな表情へと変わっていた。
「あのさ……もしもだよ? マナの大樹がなくなっちゃったら……大樹だって生きてるんでしょう? だったらいつか……」
少女が言葉にして口に出すのを怖がっている事も、それが何を言いたいのかも女性には分かる。
「はい。 おそらくこの世界は終焉……つまり終わりを迎えるでしょう」
「そんなのって……」
怯える少女に対し、女性は少し意地悪な笑顔になる。
「こんな予言があります……空から星が墜ちる時、世界樹……つまりマナの大樹は終焉を迎えるであろうと……確かノースト・ラダムスでしたか……」
しかし、見上げる少女が泣きそうな顔になっていくのに「大丈夫ですよ?」と優しい笑顔を返した。
「予言は予言です。 それに仮に本当だとしても、その日が明日なのか千年後なのかなんて事も分かりません」
言いながら少女の頭に掌を乗せると、今度はキョトンとしたものになる。 感情が素直に出るのがこの子などたとは、女性は良く知っている。
「つまりはです、全然心配ないかも知れないし、ダメな時はどうしてもダメという事……今考えて怖がってもどうにもならないという事ですよ?」
どうなるか分からない未来を不安に思うより、今するべき事や出来る事を精一杯するのが大事なんですよと言うと、「うん!」と少女の顔に笑顔が戻った。