英雄の弟子、湖をぐるっと回る
湖は三日月のような形をしていて、フォルトの家があるところは、三日月の凹んだ部分だ。
ここからぐるりと回って、霧の奥に去っていった舟を追うことになる。
「えっと、これって周りを歩くより、舟を使ったほうがいいと思うんだけど……」
「そうだなあ。父ちゃんが舟出せねえと思うから、俺が出してやるよ。でも、全員乗っていいのか? ひっくり返されたら……ソフィは溺れそうじゃねえ? っていうか、そんなでかい機械積み込めねえぞ」
ソフィとアンネが、うぐっとなる。
確かに、寒冷地生まれのソフィは首が浸かるほど深い水に入ったことが無い。
つまり泳いだことが一度もないのである。
そして、アンネは単純にカナヅチなのだ。
「おいら達はキャバリアで行くから!! ほれ、ソフィ、後ろに乗れ!」
「えっ、ええー!? あっ、はい!」
アンネに引っ張り上げられ、ソフィはキャバリアにちょこんと横座りした。
スカート姿なので、跨がれないのだ。
「難儀だな」
ドゥーズがため息を吐いた。
こうして、男子チームと女子チームに別れた一行。
フォルトの見事な櫂さばきで、舟は霧の中を漕ぎ出していく。
「俺は霧の中でも、水の動きでどこにいるか分かるんだ。いや、なんか分かるようになった。だから気をつけるのはお前らだからなー」
「うるせー! おいらは物心ついた時から、親父のキャバリア乗り回してたんだよ! 舐めんなー!」
フォルトとアンネ、仲がいいのか悪いのか。
アンネがキャバリアのエンジンを掛けた。
ぶるん、という振動がソフィのお尻を襲う。
「ひゃーっ」
「ソフィ、一応もっとおいらにくっついた方がいいぞ。そこにクッションあるからさ。んで、おいらの腰をぎゅーっと抱きしめろ! じゃないとふっ飛ばされるぞ!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
ぎゅっとアンネにしがみつくソフィ。
ライダースーツ姿のアンネは、引き締まっているがそれなりに柔らかい。
「そんじゃあ行っくぜい!!」
ばるんばるるん、とエンジン音が上がる。
強烈な振動。
そしてキャバリアが走り出した。
スタンに抱えられて運ばれるのとは、また違った乗り心地。
タイヤが石を弾き、地を噛み、疾走していく。
霧が、アンネ越しに湿った風になって吹き付けてきた。
これがもっと、晴れた天気だったら全然違ったんだろうなと思うソフィ。
そして、スタンさんならば、もっと背中は広いんだろうな、と想像してしまうのだ。
「ソフィ、大丈夫かー! しっかり掴まってろよー!」
「あ、は、はい!」
高くエンジン音を立てて走るキャバリアの上。
交わされる会話は、自然と大きなものになる。
「ってか、いいだろ、キャバリアは! こんな湿った霧じゃなきゃさ、すっげえ気持いいんだよ!」
「はいーっ!」
「ソフィはちっこくて軽いから、また乗せてやんよ!」
そう告げると、アンネはキャバリアの速度を上げた。
パスガー湖の三日月型をなぞり、ぐんと車体を倒してカーブしていく。
急にキャバリアが傾いたので、ソフィはびっくりしてアンネを抱きしめる力を強めた。
視界はどこまでも霧。
一体どこを走っているのか、どこに向かっているのかが全くわからない。
こんな何も見えないようなところを、迷いなくキャバリアで駆け抜けるアンネは、怖くないのだろうか。
自分の腕とキャバリアを信じているのか。
ソフィは不思議に思うのだ。
「おっと!!」
アンネの大きな声がした。
キャバリアの疾走に、急制動がかかる。
一瞬、車体がつんのめったように思えた。
ソフィのお尻がふわっと浮かび上がる。
「ひ、ひゃーっ!?」
「あ、悪い!」
吹き飛ばされ掛けたソフィの手を、アンネがガッチリと捉えた。
思わぬパワーで、ソフィを引き寄せる。
そして、ソフィを懐に抱き止めるような体勢になった。
「人だ。キャバリアが教えてくれなかったら、轢くところだったぜ!」
キャバリアの前で、腰を抜かした人影が座り込んでいる。
ソフィが目を凝らしてよく見ると、それはフォルト同様、人間ではないものに変わりかけている漁師らしかった。
「ひ、ひえええ! お、おだずげ~」
発する言葉は、フォルトの両親と同じように濁っている。
「おい、大丈夫か?」
「だっ、だいじょうぶだ……! ひ、ひゃー、びっぐりじだあ……」
二人は、キャバリアを降りて話を聞くことにする。
この漁師は、怪獣の肉を食べて人間ではなくなってしまった。
だが、漁をしなければという責任感から、ずっと湖に出ていたということだった。
「でも、なんが、舟にのっでるよりもおよいだ方が楽がなっで思っで」
「あー、魚っぽいもんなあ」
「だろー?」
アンネが漁師と打ち解けている。
だが、これは由々しき事態だ。
舟を使わないで、泳ぎたいと思ってしまうこと。
それは、漁師が人間ではなく、魚のような見た目に心の中まで近づいているということだ。
(それって、人間じゃなくなっちゃうことだよね。スタンさんが言う、悪い神様の方に行くっていうことだ。良くない、良くないよ……!)
「あ、あの!」
「は、はい!?」
漁師に向かって声を掛けるソフィ。
いっぱいいっぱいだが、彼女の中は責任感でもいっぱいなのだ。
「あなたのことは、私達が治しますから! なので、今は家の中で休んでいてください! 湖にそのまま入っちゃったら、帰ってこれなくなるかも!」
「ええーっ!? 本当がい!? ぞ、ぞれは困るなぁ……。わ、わがっだよ」
漁師からすると、自分の子供くらいの年令の女の子が必死な様子で伝えてくるのだ。
自分のことを心配しているのだなと言うことは分かるから、漁師はソフィの言う通り、今日は休もうと決めたのだった。
「でも、いづまでも休んではいられないよ。おでの家族を食わぜでいがないどだがらな」
「はい! だから、今日明日で終わらせますから!」
「おおう、言い切ったねえ」
感心するアンネ。
だが、彼女もソフィの言葉には同感だった。
※深い水に入ったことがない
ソフィの村のお風呂は、サウナである。
※横座り
かわいらしい。
※おだずげ~
理性ある半魚人である。




