92.獣の国2
ニンゲンを飛ばした後、ジラルダークは謁見の間に集まる悪魔たちに視線を向ける。ニンゲンを送り届けるのと同時に、悪魔の兵士たちもこちらへ戻してきたようだ。謁見の間に入りきらない兵士たちは、ここから続く廊下に列を作っているのが扉の隙間から見えた。ジラルダークは、ニンゲンを相手にする時と違って真剣な表情に変えると玉座から立ち上がって言う。
「皆、よく働いてくれた。もう暫くは慌ただしかろうが、耐えてくれるか」
魔王様の言葉に、悪魔たちは跪いたまま揃って頷いた。すごい連帯感だ。ジラルダークは跪いているカルロッタさんと大介くんにいくつか指示を出すと、玉座から立ち上がる。
「カナエ、ボータレイ、エミリエンヌ、フェンデル、トゥオモ、ヴラチスラフ、我に続け」
歩き出すジラルダークに頷いて、私もついていった。アサギナの兵士たちのところまでくると、ジラルダークは彼らに手をかざす。
「アサギナの獣も、居城がなくば寂しかろう。往くぞ」
言うが早いか、ジラルダークはアサギナの兵士たちをどこかへ飛ばした。次いで、私も飛ばされる。ああ、だから悪魔城のことはカルロッタさんと大介くんに任せたのか。
飛んできたのは、瓦礫の山の近くだった。ここは……、アサギナの城、だろうか?
「フェンデル、お前たちの好きに城を造るがいい。指揮はお前に任せる」
「承りました」
ジラルダークの言葉にフェンデルさんが頷いて、それからトゥオモさんとヴラチスラフさんと話し始める。そうか、この三人はホラー同好会だった。え、この三人にアサギナのお城を任せちゃうの?それ、色んな意味で大丈夫?そう思ってジラルダークを見上げると、こくりと彼は頷く。
「フェンデルたち三人ならば、おいそれと壊せぬ城が出来上がる。建材に術を組み込むからな。……まあ、内装は、我が城と似たようなものになるが」
オイこら!今、最後にボソッと一番重要なこと言わなかった?!
「大丈夫よ、アタシが防波堤になるわ。そのために呼ばれたんでしょうし」
「いや、お前とエミリエンヌにはコレを任せようと思ってな」
コレ、とジラルダークが顎で示したのは、ルベルトさんと並んで立っていたヴァシュタルだった。いきなり悪魔の視線が集中したからか、びくんとヴァシュタルの肩が跳ねる。あれ、ヴァシュタル、魔王様恐怖症が悪化してるんじゃない?
「あら、陛下の飼い犬になったんじゃなかったのかしら?」
ボータレイさんが長くて綺麗な髪を揺らして首を傾けた。ジラルダークは肩を竦めて首を振る。
「上に立つ者の自覚以前の問題だ。俺のそばに付けても、怯えるばかりで何の役にも立たん」
「あら、そうなの。アタシとエミリ、ねぇ」
考えるように顎に手を当ててヴァシュタルを見ていたボータレイさんが、不意に私の方を向いた。何だろうと首を傾げて見せると、ボータレイさんはにっこりと笑う。
「少しの間、奥方様もお借りしようかしら。どう、エミリ?」
「それは名案ですわね。そう致しましょう」
え、私!?驚いてエミリエンヌとボータレイさんを交互に見ていたら、ジラルダークに抱き寄せられた。同時に、エミリエンヌに手を引かれる。
「いけませんわ、陛下。きちんと新しい領地の城造りを監督なさいませ。御后様は私どもが責任をもってお預かりいたしますわ」
有無を言わせぬエミリエンヌの微笑みに、頭上のジラルダークがぐっと言葉に詰まった。さっきまでの威風堂々とした魔王様は、本当にどこへいったんだ。全くもう。
「私でお力になれるなら、エミリたちの方に合流致します。陛下、少々おそばを離れてもよろしいでしょうか?」
言いながら見上げると、ぐぬぬ、と口を曲げたジラルダークがいる。その顔がおかしくって、私は思わず笑ってしまった。
「陛下、こちらの領地のお城、私も楽しみにしておりますわ」
ジラルダークは私の言葉に長い長い溜息を吐くと、私の腰を抱いていた腕を離す。見るからに渋々といった様子だ。
「少しの間だけだ」
「ふふっ、ええ、すぐに戻ります」
ばさっとマントを揺らして、ジラルダークはフェンデルさん達の方に向かっていく。八つ当たりしちゃだめだぞ、魔王様。
この場に残ったのは、ボータレイさんとエミリエンヌ、それにどう反応していいか分からないと顔に書いてあるヴァシュタルだ。アサギナの兵士さんたちは、お城の建築のお手伝いに回されているようだ。
「全く、少しの間も渋るだなんて。陛下はカナエ様に甘えすぎですわ」
頬を膨らませて、エミリエンヌがぷんぷん怒ってる。うん、可愛い。ボータレイさんは呆れて肩を竦めた。こちらはそんな仕草すら優美だ。
「子犬ちゃんが怯えるって、そりゃ戦場やらニンゲン屈服させてる所やらにばかり連れ回したらそうなるわよ。そういうとこ、昔から鈍いんだから」
「確かにそうですねぇ」
魔王に怯えるヴァシュタルを、よりによって一番怖い魔王様やらなきゃいけないところに連れてってたんだもんね。まあ、魔王様の手腕を見せる、っていう目的があるのは分かるけど、怯えられちゃどうしようもない。
「俺が子犬扱いかよ……」
ぼそりと呟いたヴァシュタルに、ボータレイさんは片眉を吊り上げた。瞬間、ヴァシュタルが地面に伏せている。え、何事?しなやかにロングスカートを揺らして、ボータレイさんが片足を上げた。
「言っておくけれど、アナタ、今この場にいる誰にも勝てないのよ。見た目がお人形さんのエミリにも、勿論、陛下の后であるカナエちゃんにもね」
「ぐっ……」
言いながら、ヒールの高いブーツで、ボータレイさんは容赦なく地に伏せるヴァシュタルの背を踏む。じょ、女王様がいる……!ヴァシュタルはもがいてるけど、どうやら魔法で抑え込まれているようで抜け出すことは出来なかった。
「むしろ、最強なのはカナエちゃんかしら。手でも出そうものなら、一瞬で血祭りにあげてくる凶悪な悪魔を呼べるもの」
「あ、あはは……」
誰とは言わない。言わないけど、多分、そうなるだろう。私としては、苦笑いするしかない。だって、私に制御できるものでもないから、ね。
「いい?アタシたちは、アナタたちニンゲンが大嫌いよ。触れるだけで虫唾が走るわ。けれど、陛下の命令でアナタを教育しているの。まずはそうね、アタシたちが何故従っているのか、どういう意味を持つのか、分かる?」
背中を踏まれたまま、ヴァシュタルはボータレイさんをどうにかこうにか見上げた。ボータレイさんの言いたいことは何となく分かる。私たち悪魔にとって、魔王であるジラルダークは絶対の存在だ。特に、ボータレイさんもエミリエンヌも建国前から行動を共にしている。ニンゲンに対する憎しみは、ジラルダークと同じだろう。けれど、魔王様の命令であるならば、私たちは従う。
だって、私たちにとって、ジラルダークの命令は何をもってしても守るべきものだからだ。そう思えるほど、ジラルダークは悪魔からの信頼を得ている。この信頼がなければ、誰も魔王様の命令など守らない。
「そりゃ、王の命令だから、だろ」
「それだけ?」
ボータレイさんがもっと説明しろ、と促しても、ヴァシュタルは首を傾げるばかりだ。エミリエンヌが、深く溜め息をつく。
「……本当に、お話になりませんわね」
仕方ない、助け舟を出そうかな。ヴァシュタルはここで地下に閉じ込められてて、学習する機会がなかったんだもんね。
「根本的なところなのかなぁ。こう、獣人は本能で王を選ぶ、とか?」
「それならば、陛下は私たちに教育しろとご命令なさいませんわ。今アサギナの民を従えられないということは、この子犬には将来性がないということになりますもの」
「確かに。魔王様はそんな無駄な命令しないもんねぇ」
エミリエンヌと話している、この内容もヒントのようなものだ。分かっていて、私もエミリエンヌも話を続けている、と思う。じゃなきゃ、エミリエンヌは私の会話に乗ってこないだろう。
「ねえ、ヴァシュタル。どうして私たちが魔王様の命令に逆らわないと思う?私たちも、ヴァシュタルも、アサギナの人たちも、みんなそれぞれに意思を持って生きているんだよ。今、あなたの教育を投げ出して魔王様の命令に背くことだってできるんだよ」
「それは……」
私の問いかけに、ヴァシュタルが俯いた。命令だから、だけじゃない。それならば、従わない人も出てくるだろう。私たちは悪魔だけれど、それ以前に自分で考える頭を持った人間なのだ。それも、それぞれの異なる世界で、異なる常識を持っている人間だ。これは、ヴァシュタルには言わないけれど。
考え込んでしまったヴァシュタルに、ボータレイさんがやれやれと首を振る。ボータレイさんはひょいっとヴァシュタルの背中から足を外して、ぱたぱたとスカートの裾を手で払った。
「その答えが見つかるまでは、アタシたちもどうしようもないわ。アナタ、途中で考えることを放棄する癖があるようだから改めなさい」
「っ……」
「もう少し使える者かと思いましたわ。本当に、少しの間だけでカナエ様を陛下の下へお送りしなければなりませんわね」
ヴァシュタルは起き上がることなく地に伏せたまま、唇を噛み締める。エミリエンヌに手を引かれて、私はヴァシュタルを振り返りながら歩き出した。しばらくは、ヴァシュタル自身が考えないといけないことだろう。ボータレイさんだけがヴァシュタルのそばに残るみたいだ。
「……メイヴ」
そっと、彼女の名前を呼んでおく。私の考えが彼女に通じているなら、きっとヴァシュタルの助けになってくれるはずだ。
通じたらしい、呼んだはずなのにメイヴは私の前に姿を現さなかった。よし、頑張れ、ヴァシュタル。
私は、早速城の建造に取り掛かってるジラルダークのところに案内されながら、心の中で白い狼を応援した。




