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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
魔王の災厄編
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90.水際の攻防1

 アサギナ国とフェンチス帝国の戦争に魔王様が割って入って、今日で一週間になる。まさか私が連れてこられるとは思わなかったけど、悪魔の軍のみんながいる陣は嘘のように平和だった。まあ、私は魔王様専用テントでメイヴと話したり、魔王様の抱き枕になってるだけなんだけどね。

 カルロッタさんが合流した翌日から、帝国側へ攻め込んでいるというグステルフさんの軍を追うように陣を移動させてた。とはいえ、魔王様の魔法で陣のお引っ越しも楽々なんだけど。つくづく、魔王様ってすごいなぁと感心する。


 そして、グステルフさんの軍に追いついたのが今日の昼間だ。追いついたとはいっても、もう私たちが来た時にはしっかりと陣が張ってあって、戦争中だとは思えない程落ち着いていた。


「カナエ、一つ頼まれてくれるか」


 暇を持て余してテントの中でメイヴの髪を三つ編みにしていたら、ジラルダークがやってくる。彼の言葉に、私は内容を確かめることなく、私に出来ることならと頷いてみせた。


「これから帝国の居城に乗り込む。嫌でなければ、精霊の王を連れて俺の隣に立っていてくれ」


 ジラルダークは、頷いた私に説明をしてくれる。


「……分かった。私は魔王様の后としていればいいんだね」


 ああ頼む、とジラルダークが口元を吊り上げた。次いで、ベーゼアが黒いドレスを持ってテントの中に入ってくる。おお、もう用意してあったのか。


 ベーゼアに手伝ってもらって黒のロングドレスに着替える。ところどころに金と赤の糸で刺繍が入っていて、黒いのに華美だ。魔王様自体が真っ黒なゴシック服だもんなぁ。黒いレースのショートベールを頭にのせて、ベーゼアが慎重にピンで留めてくれる。

 着替え終わったのを察したらしいメイヴが、テントの幕をひらりと揺らして入ってきた。そのまま、私の周りをくるっと飛んでいつものように肩に抱き着いてくる。


「黒の花嫁ね。悪魔の王には似合うけれど、愛されし子は白い方がいいわ」


「そうかな?」


「ええ。とても綺麗だったもの」


「褒めすぎ、メイヴ。照れちゃうよ」


 ふふふ、とメイヴが耳元で笑った。帝国に行くってことは、メイヴが愛した人もいる、んだよね。


「メイヴ、大丈夫?帝国に行くの、嫌だったら私がジルに言うから」


「やさしい愛されし子。私は大丈夫よ」


 メイヴは変わらずに微笑んだまま、私の頬を指先で撫でる。暖かい感触は、人のものと全く同じだ。彼女の胸元には、オレンジの首飾りが揺れている。


「悪魔の王は、わたしの心の内にも気付いているわ。だから、あなたとわたしを連れていくのよ」


「うん」


「あなたの愛する悪魔の王を信じてあげて。大丈夫、わたしには愛されし子がいるから、悲しいことがあっても、もう逃げないわ」


 やわらかく目を細めるメイヴの髪を撫でた。彼女は気持ちよさそうに頬を緩ませて、私の肩にもう一度抱き着く。肩口に頬擦りされて、私は決心した。


 メイヴに抱き着かれたままテントを出ると、そこには魔王様を中心として悪魔の軍勢が揃っている。ジラルダークは出てきた私を見て、冷徹な魔王様の表情をやわらかい微笑みに一変させた。


「お待たせいたしました、陛下」


「ああ、構わぬ」


 ジラルダークの隣に立つと、当然のように腰を抱かれる。ジラルダークの前には、跪いた領主さんたちと十二魔神、それと同じように跪いたヴァシュタルがいた。奥には、何万もの悪魔の兵が跪いている。ジラルダークは彼らに背を向けて、軽く片手を上げた。


「往くぞ。フェンチスを黙らせる」


 は、と跪いた彼らが応える。漂う緊張感の中、メイヴだけは微笑んで私たちの周りに浮いていた。

 黒く空間が割れて、中から騎馬が現れる。ジラルダークは私を抱えてひらりと乗馬すると、そのまま片手で手綱を引いた。騎馬は一つ嘶いて、空中へと駆け出す。魔王は数万の悪魔の軍勢を率いて、漆黒の騎馬を走らせた。晴れていたはずの空が、暗雲に包まれていく。雷鳴が轟く中、数万の騎馬たちは帝国の空を蹂躙した。


「こ、これも演出?」


「ああ、雰囲気が出るだろう?」


 こっそりと尋ねると、ジラルダークは悪戯に笑って頷く。悪趣味ね、と並走して飛んでいるメイヴが肩を竦めた。


 眼下の街は、恐慌状態になったニンゲンで溢れている。こっちを指さしながら叫んだり、逃げ回ったりしてるけど、幸い彼らの口から吐かれているであろう言葉はここまで届かなかった。

 遠く、小高い丘の上に城が見える。周囲は湖のようになっていて、一つ、正面に大きな跳ね橋があった。今は閉じられているけれど、空を飛んでいる悪魔の軍勢には関係ない。城の中から銀の甲冑に身を包んだ兵士が出てきていた。よく見れば、城壁にも兵士がたくさんいる。


 城壁の兵が構えている矢が届くかどうかといったところで、ジラルダークは騎馬を止まらせた。ジラルダークは、手綱から手を離して城壁に向けてかざす。


「聞け、ニンゲン」


 低く響く声は、普段聞くジラルダークの声よりもずっと怖いものだった。


「我は悪魔を統べる王ぞ。貴様らの王はどこか。我は野蛮な真似は好かんからな。歯向かわねば、こちらも手出しはせぬ」


 言って、ジラルダークは一歩一歩騎馬を進める。矢が届くほどに近付いた時、ひい、と悲鳴が上がって兵の一人が尻もちをついた。

 弾かれたように、司令官らしき兵士が声を上げる。怯むな撃て、の声と同時に、ジラルダークの魔法が城壁に向かって放たれた。ものすごい音を立てて崩れていく城壁に、何人もの兵士が巻き込まれていく。


「愚かな、まだ力の差が分からぬか」


 ジラルダークは、忌々しそうにそう呟いた。


「見なくていい。目を閉じていろ」


 ぼそりと囁かれた言葉に、私は首を振る。けれど、私の視界は私の意思に反して黒く染まった。その手は、よく知るジラルダークのごつごつした手じゃない。花の香りを纏う、華奢な手だ。


「メイヴ、大丈夫。大丈夫だよ」


 ぽんぽんとメイヴの手を叩くと、躊躇うようにそっと彼女の手が外される。視線の先、城壁の一角は崩れ切って瓦礫の山になっていた。こちらに向けて放たれる矢は、全部、当たる前に弾き返される。


 ジラルダークは、大振りに片手を上げた。険しく歪められた眉間に、一層の力が込められた。


「往け、我が悪魔たちよ。ニンゲンに、我らが狂気を示すのだ」


 前へとジラルダークの手が振り下ろされたのと同時に、後ろの悪魔たちがオオォ、と声を上げる。


「引き際を誤るか、皇帝よ」


「あの人が、まだ戦えると指示をしているのかもしれない。精霊の子供たちが、引き寄せられて力を、ああ、子供たちの悲鳴が、だめ、わたしの子を殺さないで!」


 メイヴが頭を抱えて叫ぶ。慌てて彼女へ手を伸ばすと、それよりも早くジラルダークが動いた。懐からいくつもの紙を取り出して、周囲にばらまく。その紙には、円が描かれていた。魔方陣、だろう。


「強制召喚になるが、ニンゲンどものものよりはいいだろう」


 ばらまかれた魔方陣は、それぞれが色とりどりに光って光の玉に変わった。ジラルダークの指先が、宙に何かを描く。


「元を断つ。精霊の王は我が后にしがみ付いていろ。カルロッタ、グステルフ、ナッジョ、イネス、城壁周りを制圧しておけ」


「は、かしこまりました」


 私の胸元に飛び込んできたメイヴを抱き締めると、纏めて抱えてジラルダークは手綱を引いた。ジラルダークが空中に描いた結界の中に、いくつもの光の玉が残される。騎馬は、ジラルダークの汲み取るかのようにしなやかな身のこなしで、城壁のその奥へ駆けた。飛び交う矢も恐れずに、騎馬は城の三階部分へ一直線に向かう。

 ジラルダークは当然の如く魔法を放って、ぽっかりと穴の開いた城に騎馬を突っ込ませた。


 突っ込んだ先、広い部屋の絨毯には巨大な魔方陣がいくつも描かれていた。濡れた血で描かれたかのような魔方陣は、くすんで光っている。部屋の隅には、うずたかく書物が積まれていた。広い部屋の中央、鈍く光る魔方陣の上に、一人の男が立っている。


「魔王を騙る俗物ですか、いい餌になりそうですねぇ」


 にんまりと口元を持ち上げた男は、ジラルダークを見て、それから私を見た。正確には、私の腕の中にいるメイヴを、舐めるように見つめている。


「おや、花の精霊ではありませんか。どこに行っていたのです?だめでしょう、私のそばを離れるなと、いつも教えていましたよねぇ」


 びく、と腕の中のメイヴが震えた。どこか焦点の合わない男の目から、メイヴを逃がしたくて胸の内に強く抱き締めた。ジラルダークは私たちを抱えたまま、身軽に騎馬から降りる。私はメイヴをしっかりと抱いて、魔方陣の上に立った。

 ジラルダークはつまらなそうに部屋の中を一瞥すると、靴底で魔方陣を踏みにじる。ざりざりと音を立てて、鈍く光る陣は光を失った。


「……やめなさい。魔王とて、これ以上の暴虐は許しはしませんよ」


「痴れ者が。誰に物を言うか」


 ジラルダークは男の言葉を鼻で笑って、もう一つの魔方陣のところまで悠々と歩いていく。止めようとする男を軽く片腕で振り払って、また魔方陣を踏みにじって消した。よせ、やめろと叫びながら男はジラルダークに縋りつこうとするけれど、ジラルダークはその都度軽くあしらう。ニンゲン程度じゃ、魔王は止められない。

 部屋にある魔方陣の内、最後の一つになったところで男が魔王に対抗する手段を模索するようにこっちへ視線を向けた。私はメイヴを抱いたまま、無表情のままに男を見下ろす。這う男の奥で、ジラルダークは最後の一つの魔方陣に立っていた。彼は魔王様の雰囲気のまま、私をやさしい目で見ている。それはまるで、守っているから大丈夫だ、と言ってくれているようだった。


「あなたは、この子を愛していますか?」


 突き動かされるように尋ねると、魔王に吹き飛ばされて倒れていた男は目を丸くした。メイヴは、私に抱き着いたまま、じっと聞いている。それから、男は何がおかしいのかケラケラと笑いだした。


「そう、そうです。私も精霊を愛していますよ。可愛い花の精霊、私と愛し合ったではありませんか。ああ、もちろん今も愛していますよ。だから、ほら、こちらにくるのです。一緒に悪の魔王を懲らしめましょう。その力を、また私のために振るいなさい!」


「愛しいからそばに置くと、そう、言ってくれたのは、嘘なの」


 メイヴが震える声で呟いて、私の胸に額を押し付ける。彼女の胸元の首飾りが、ちゃらりと音を立てた。


「もちろん愛おしいですよ、花の精霊!他の誰よりも、貴女を愛しています!さあ手始めに、その女を縊り殺すのですよ!早く!私を愛しているのでしょう!力を示してみなさい!愛する私のために!」


 けたたましく笑う男に、喉の奥が熱くなる。メイヴの、人の気持ちを、何だと思っているのか。叫びだしそうになった私を、メイヴの細い手が止めた。


 メイヴから漏れたのは、争う外の喧騒も届かない程に凛とした声だった。

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