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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
魔王の災厄編
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88.悪魔の狼藉

【ヴァシュタル】


 魔王率いる悪魔の軍勢は、夢であってほしいと思うほどに圧倒的だった。まず、先陣を切って特攻する魔王自体がありえない。フェンチス兵のいかなる攻撃も、魔王を傷つけるどころか歩みさえ止めることができなかった。無造作に振るう双剣は、確実にフェンチス兵を切り裂いていく。

 後に続く悪魔の兵も、魔王の命令を忠実に守ってフェンチス兵を蹂躙した。赤子の手をひねるより容易いと言わんばかりだ。


 これだけの軍を抱えていて、何故、今まで魔王は人間側に干渉してこなかったんだ。魔王の力があれば、アサギナもフェンチスも易々と支配できるだろ。どうして、今、魔王はアサギナを手に入れようとしてるんだ。

 自分で考えろ、と魔王は俺に言った。昨日の魔王の態度を思い出す。魔王は何度も俺に言った。アサギナの嫡子と話をしたい、と。


 まるで、俺がアサギナの代表で、アサギナの意見を聞きたいとばかりに。


 そんな馬鹿な。俺は、アサギナの化け物だ。母は、俺を嫡子と認めなかった。今のアサギナの置かれている状況も、俺は詳しく知らない。俺がアサギナの代表だなんて、筋違いもいいところだ。


 ふと見下ろした先、ぼろぼろになったアサギナの軍勢の中に、一人の男を見つける。まだ俺が魔物の力に飲まれていなかったころ、城に詰めていた兵士だ。俺の意思を汲むように、乗っていた騎馬が降下していく。

 アサギナの兵士が、固唾を飲んで見守る中、俺は騎馬から降りた。来たはいいもの、どう、声をかけるべきか。


「俺を、覚えているか?」


 兵に問う。こいつはあの当時、どこの部隊に所属していたか。顔を見たことがあるってことは、近衛の一人だったんだろう。


「……ヴァシュタル殿下にございますか」


 男は、半信半疑といった様子で言った。覚えて、いるのか。


「そうだ」


 ざわつく胸のまま頷くと、男は俺を殴り飛ばす。受け身も満足に取れずに転がされて、胸倉を掴まれた。男は、俺にのしかかって激昂する。


「今更のこのこと!悪魔を引き連れて、何をしに来た!魂まで悪魔に売り渡すとは、恥を知れ!」


「ッ……!」


「お前が逃げ隠れている間に、どれほどの民が死んだか!逃げたならば逃げたまま、二度と表に出るな!出るならば王族らしく、帝国に首を差し出して散れ!」


 何だよ。魔王も、こいつも。


「俺にどうしろってんだよ……」


 俺は、どうすればよかったんだ。


「母に閉じ込められて、出てくりゃ皆死んでて、壊れてて、魔王に取っ捕まって、じゃあ、俺はどうすればよかったんだ!地下牢から逃げて、女王を弑すればよかったか!教えろよ、なあ!」


「世迷い言を!お前には、王の血が流れているんだぞ!国を背負う血が、甘えるな!」


「俺は望んじゃいねぇ!王の血も、魔物の血も、俺は望んじゃいない!」


 男はもう一度、俺を殴る。口の中を切ったらしい、苦い血の味が広がった。


「望んで何かになれるならば、皆そうしている!お前は、与えられたお前の責任から逃げて甘えているだけだ!落城して、お前は何をしていた!落城したのはひと月も前だぞ!その間、兵を纏めるでもなく、情勢を把握するでもなく、お前は逃げていたのだろう!」


「ッ……」


「何故逃げた!民を見捨てて逃げておいて、何故、今更になって現れた!答えろ!」


 俺は、何故、ここにいる。魔王に連れてこられたからだ。何故、魔王は連れてきた。アサギナを救えないと逃げる俺が、アサギナに無関係でいられないようにしたかったからだ。魔王は、何がしたい。どうして、今更、人間の国に干渉した。


「ああ……、俺の、せいか」


 俺が、魔王の領地に逃げ込んだから、だ。


「魔王は、アサギナを守るために、来た」


 俺が逃げていたから。アサギナの嫡子として話し合いに応じていれば、魔王は俺に聞いたはずだ。お前はアサギナをどうしたい、と。


「俺が、話し合いを、拒んだから……」


 アサギナは、もう潰れかけていた。一刻の猶予もない。だから魔王は、自軍を引き連れてここへ来た。煮え切らない俺の、首根っこを掴んで。


「魔王は、俺たちの味方だ。唯一、アサギナが救われる、絶対の力だ」


「馬鹿なことをっ……!」


「言ったであろう。我は、アサギナを支配下に置く。これ以降、ここは魔王の領地だ。帝国になぞ傷一つ付けさせん」


 ばさりと黒いマントを揺らしながら、騎馬に乗った魔王が現れた。変わることのない息の詰まるような威圧感に、俺の胸倉を掴んでいた男の手が震える。魔王は俺たちの様子など全く意に介さず、高い位置から尋ねてきた。


「お前は国をどうしたい。アサギナの嫡子よ」


「……これ以上、民が死ぬのは耐えられない。ここは、俺にはあまりいい思い出はないけど、それでも、俺の、故郷なんだ。力を、魔王の力を、貸してくれ」


 絞り出すように答えると、満足したように魔王が笑う。凶悪な笑みのまま、三度首を振った。


「まあよかろう。まだまだ、上に立つには未熟ではあるが」


「意地悪ね、悪魔の王」


 ふわりと花を引き連れて、精霊が宙を舞う。気付けば、悪魔の軍勢は帝国兵を殲滅していた。こんな短時間で、どんだけの兵力だよ。


「アサギナの兵よ、名を何という」


「ッ……、ルベルト・ルートグリフ」


 男、ルベルトは震える声で答える。魔王の魔力は、有無を言わさず人を従えるようだ。この魔王ほど、王としてふさわしい存在もいないだろう。


「ルベルト、追って我が軍の補給部隊が来る。戦はこちらに任せて、お前たちは物資を民に届けよ」


「し、しかし……」


「帝国兵にしてやられる兵など邪魔だ。見れば分かるであろう?」


 言われて、帝国兵の張っていた基地の方へ視線を向ける。ルベルトは、ほとんど残っていない帝国の兵に息を飲んだ。魔王はこの短時間で、形勢をひっくり返したのだ。


「帝国側から攻めている我の軍が到着するまでは、我々もここに陣を張る。アサギナの軍を率いていたのはお前だな?」


「ええ……、はい、左様にございます」


「アサギナの兵士への指令はお前に任せる。異論は認めぬ」


 高圧的な物言いも、実力を伴った魔王ならば誰も咎められない。どうにか頷いたルベルトを確認して、魔王は視線を右へ向けた。悪魔が一人、魔王の方へ駆けてきている。


「陛下、こちら一帯の帝国兵は殲滅いたしました」


「ああ。イネスの部隊を集めて陣を張らせろ。明日か、遅くとも明後日にはカルロッタの軍が着くだろう」


「かしこまりました」


 魔王の指示を受けて、すぐに悪魔は立ち去って行った。魔王は、片眉を上げてこちらを見る。ルベルトの手がびくりと震えた。少しは慣れたとはいえ、俺もびびって体を震わせる。


「何をしている。もう一度命じねば動けぬ愚図か?」


 魔王の言葉に、慌ててルベルトが俺の上から退いた。転がるように、唖然呆然としている周りの兵士のところへ駆けて行く。

 入れ替わるように、精霊が飛んできた。俺の上に来て、精霊が顔を覗き込んでくる。


「怪我を癒すわ」


 精霊が俺に手を伸ばしたのを、魔王が止めた。


「いい。こいつの怪我は、いずれ癒えるものだ」


「そう?この辺りにいる獣の子たちは、もうほとんど癒えたわよ」


「充分だ。思ったよりも早く片が付きそうだな」


 魔王は死屍累々となった帝国兵の陣地へ手をかざす。血に濡れた地面ごと、巻き起こった竜巻が飲み込んでいった。災害級の魔法を、どうしてこうも容易く扱うのか。近くにいた悪魔たちは、特に驚くこともなく作業を続ける。


「もう少し綺麗に片付ければいいじゃない」


「どうせその上に天幕を張る。更地の方がやりやすかろう」


「愛されし子が知ったら叱るわよ」


 精霊の言葉に、魔王が口を曲げた。愛されし子って誰だ?魔王を叱れる存在なんて、この世にいるのか?冗談だろ。


「……少し城に戻るか」


「それも怒りそうだけれど」


 魔王が、さらに渋い顔になった。さっきまで、帝国兵を虐殺していた魔王には見えない。まるで普通の男のようだ。精霊は含み笑って魔王の周りをくるくると回る。魔王はその苛立ちをぶつけるように、俺を見下ろしてきた。


「それで、お前はいつまで転がってるつもりだ」


「うっせぇ」


「暇ならば、アサギナの兵に手を貸してやれ」


 来た時と同じようにばさりとマントを鳴かせて、魔王が背を向ける。広い背中を、一体何人の悪魔が追ってきたのだろうか。あれだけの規模の悪魔たちを、己の身一つで従え、守り、生かしているのだ。


「なあ、アンタは、望んで魔王になったのか」


 魔王は、視線だけを俺に向ける。赤い瞳は、初めて見た時よりも怖くなかった。ちらりと一瞬視線をかわして、魔王はすぐに前を向く。


「望んだだけで、王になどなれぬ」


 そのまま騎馬に乗って立ち去っていく魔王を、俺は見送った。


 重い体を起こして、口に溜まった血を吐き捨てる。抜ける乾いた風は、俺のよく知る匂いがしていた。

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