87.戦の狼煙
※残酷な表現があります。ご注意ください。
【ジラルダーク】
ヴァシュタルにアサギナ侵攻を宣言した翌日、悪魔の兵隊はニンゲンの国に進軍していた。俺は軍を率いながら、眼下に広がる光景に目を細める。フェンチス帝国の侵略により、アサギナの町は戦火に飲み込まれていた。
ここは、帝国とアサギナが争う最前線だ。帝国兵を挟み撃ちにするよう、帝国とアサギナの国境付近からこちらへ向かってカルロッタが攻め込んでいる。グステルフには、国境から帝国側へ侵攻するように指示を出してあった。少し痛い目を見なければ帝国も手を引かないだろうという思惑と、当分防衛一択になる程度に帝国の軍事力を削るという目的のためだ。
闇を連れて空を駆ける一万の騎馬に、ニンゲンが混乱しているのが見える。カルロッタの領で訓練された空馬は、動じることなく列をなしていた。これだから、カルロッタを領主から外せない。軍を育てる力は、カルロッタが抜きん出ているのだ。
作戦としては、まずはアサギナから帝国を追い出す。アサギナの民を懐柔するのは頭の痛い問題だが、とにかく戦争を止めなければ意味がない。更地のアサギナを手に入れたところで、悪魔の俺たちには必要が無いのだ。
「聞け」
アサギナとフェンチスの陣営の中央まで進行して、俺は騎馬の足を止める。魔法で声を拡張して、遠く俺の言葉を響かせた。恐怖心を煽る目的で、自分自身を薄っすらと黒い影で覆うことも忘れない。
「我は悪魔を統べる魔王である。これより、アサギナはこの魔王のものだ。歯向かうものは須らく我が闇の餌食となるがいい」
ざわざわと、地べたを這いずるニンゲンが声を上げていた。ニンゲンに分からせるために、俺は帝国が設営した石造りの基地へ手をかざす。派手に何度か爆発させて、俺は大振りに腕を振った。風が巻き起こって、ニンゲンが散り散りに吹き飛ばされる。
「往け、我が誇り高き悪魔の精鋭よ。ニンゲン共を蹂躙せよ」
俺の言葉を合図に、先んじて作戦を伝えてある騎馬隊が降下していく。乱戦になっても構わないよう、俺は上空から悪魔の兵士たちに結界を張った。
ちらりと、横へ視線を向ける。そこには、騎馬に乗ったヴァシュタルがいた。青ざめた顔は、俺の魔力に中てられたか、母国を思ってのものか。
トパッティオに教育をしろと言われたから連れてきてはみたが、ヴァシュタルはそもそも王として教育されていないようだった。もう少し腹芸ができるものと思って昨日話してみたが、吐き出されたのは自身の境遇への不満と不安、申し訳程度に母国への憂いだけだった。覚悟の一つもない。
俺を仇敵と認識したのならばそれでもよかった。しかし、俺の隙をつくこともなければ、刺し違える気概もない。では、俺からアサギナの情報を引き出して活かすのかと思えば、それもない。挑発半分でアサギナを攻め落とすと目の前で宣言した後、俺の首を狙うかと待ってみたものの、全くの杞憂に終わった。
この侵攻の意味も分かっているのか、それすらも怪しい。
「こんな光景を見せて、俺を責めてんのか」
まあ、そうなるか。ヴァシュタルの震える声に、俺は冷えた視線を向けた。何故、わざわざアサギナの面倒な嫡子を受け入れて、国王直々に手厚い庇護の下連れ立っているのか、分かっていないらしい。
俺は遠くない未来、このアサギナの領主としてヴァシュタルを据えようと考えている。連れてきたのは、こいつに今のアサギナの状態を、耳ではなく己の目で確認させるためだ。と、そっくりそのまま伝えてもいいのだが……。俺は、自身で考えずに言いなりになる人形を領主に据える気はない。考えぬ領主など、民が苦しむだけだ。
お前の置かれた状況と、俺の立場を考えろ。魔王は慈悲深い生き物だとでも思うのか。そう言ってやりたいが、ぐっと堪える。
「嫌ならば帰るか?我が后が、優しくお前の毛並みを整えてくれるぞ」
ぎり、とヴァシュタルが歯を食いしばる音が聞こえた。参ったな。あまりに使えぬようならば、他に領主の候補を考えねばなるまい。魔神の中から出すか、あるいは各領地の村を任せている悪魔にするか。しかし、ここではあまりにニンゲンに近い。できるだけ、悪魔を領主に据えたくはないな。負担が大きすぎる。
眼下の戦闘を見守りながらそんなことを考えていると、不意に不愉快な気配を感じた。追って、花の香りが漂う。満ちる香りに、ヴァシュタルが体を硬くした。
「何用だ、精霊の。我が后はここにはおらぬぞ」
「随分な言い草ね。わたしは償いにきたのよ」
あえて王とは言わずに尋ねれば、精霊の王は特に気にした様子もなくひらりと俺とヴァシュタルの間を舞う。精霊自体、見る機会もなかったであろうヴァシュタルは目を丸くして精霊の王を凝視していた。
「獣の子たちを癒してくるわ。許して、なんて言えないけれど、謝らせてちょうだい」
驚くヴァシュタルの頬を撫でて、精霊の王が悲しげに微笑む。
「あなたのお母様が守っていたお城を壊したのは、わたしよ。本当にごめんなさい。せめて、あなたの大切な故郷を癒させてもらえるかしら」
「は……?な、んだよ、お前……」
戸惑うヴァシュタルに、俺は口を開いた。この程度の助言ならばいいだろう。ニンゲンは、精霊にも魔法にも疎いからな。
「よく知っているだろう。お前たちが魔方陣をもって酷使する、こいつは精霊だ」
「精霊?馬鹿な、こんな、これじゃ、人間じゃねぇか……」
「魔の狼の子、あなたの言うニンゲンが、意思を持って生きているものを示すならば、確かにわたしもそうよ。あなたと同じように、わたしも、生きているわ」
ひゅ、と息を飲む音がした。精霊の王はヴァシュタルの頬を再度撫でると、アサギナの陣営に向かって飛んでいく。呆然としているヴァシュタルを横目に捉えたまま、俺はカナエに念話を飛ばした。
『カナエ、精霊の王を呼んだか?』
尋ねれば、カナエは驚いたように声を上げた後、俺の言葉に頷く。愛らしい声に、自然と頬が緩んだ。
『うん、呼んだっていうか、さっきまで精霊王と話してたの。自分が壊した国の子に謝りたいって言っててね』
『そうか』
『それって、ヴァシュタルのことでしょ。だから、もし機会があるなら謝るよりは力になってあげて、ってお願いしたの。───は精霊の道に帰ったと思ったんだけど、ごめんね、もしかして邪魔しちゃった?』
不安そうなカナエの言葉を、俺はすぐに否定する。俺の眼下で、精霊王はアサギナの兵士を癒していた。アサギナを味方に付けられるならば、以降がやりやすい。
『いや、助かる。すまないな、カナエ』
『そんな。ジル、無理しないでね。ケガしちゃダメだよ?無事に帰ってきてね。待ってるからね』
心から案じてくれていると、声を聞いただけで分かった。すぐにでもカナエの隣に飛んで華奢な体を抱き寄せて、その甘い匂いに溺れたい。さすがに、戦場を投げ出すわけにはいかないと、か細い理性の糸が俺を引き留めた。
『ああ、約束しよう。無事に帰還したら、褒美をもらってもいいか?』
俺の言葉にカナエが息を飲む。んん、と唸る声が聞こえた。それは、照れた彼女がよく行なう仕草だ。もう一押し、カナエ、と名前を甘く呼べば許されることも、俺はよく知っている。
『ご、ご褒美でも何でもあげるから!無事に帰ってきてよね!ちょっとでも怪我してたら怒るからね!』
カナエに叱られるならば、それはそれでいいかもしれないなどという考えは、頭の隅に追いやる。
後ろ髪を引かれる思いでカナエとの念話を終わらせると、俺は騎馬の鬣を撫でた。さて、手早く終わらせるか。隣のヴァシュタルは、俺に牙を剥くこともなく眼下の光景を眺めている。
「飼い犬になりたくば言え。跪けば、飼ってやらんこともない」
「ッ!」
俺はヴァシュタルに笑って、騎馬を走らせた。手綱から手を離すと、腰の双剣を抜く。刃に炎を纏わせて、フェンチスの兵の群れに突っ込んだ。先に降りていた精霊の王は、アサギナの兵士を風の玉に包んで俺たち悪魔軍から引き離す。俺は混乱するフェンチスの兵を切り裂きながら敵陣深くへ突き進んだ。
「ま、魔王、だと……?!」
「何故アサギナに、悪魔が!」
「どうなってるんだ!」
阿鼻叫喚を極めるフェンチスの兵の間を駆け抜けて、この軍の大将格を目指す。飛び交う矢も槍も剣も、俺を傷つけることはできなかった。幾人もの兵士に守られた男へ、一直線に突っ込む。
舞い散る赤に、フェンチスの兵士が悲鳴を上げた。兜ごと、胴体と切り離された首を掴んで、よく見えるように掲げる。俺は意識して、残忍な笑みを浮かべた。
「さあ、加減ない虐殺の時間だ」
どれだけ悲鳴を上げようが、どれだけ這いずり駆け回ろうが、悪魔の手からは逃れられない。戦に手心は加えぬ。俺の守るべきは、俺の背にある悪魔たちだけだ。
「只の一人も逃がすな。掃討せよ」
オオォ、と悪魔たちが猛り立つ。手の中にある首を無造作に放ると、俺は向かってくる兵士たちを片方の剣で切り刻んだ。溢れる血の臭いに、恐慌状態となった兵士たちが逃げていく。司令塔を失えば、ただの羊の群れに過ぎない。
適当にフェンチスの兵士を一人、殺さずに捕らえた。哀れなほどに震える兵士に、俺は狂気の笑みのまま言う。
「お前たちの帝へ伝えるがいい。魔王がニンゲンを食らいに来たぞ、と」
囁いて、その兵士を帝の居城へテレポートさせた。手土産に、トパッティオをまねて作った爆弾を付けておく。俺からの言葉が伝わらずとも、目の前でニンゲンが弾け飛べばこちらの意図は察するだろう。
ふと、ヴァシュタルが動く気配を感じだ。それとなく目で追えば、どうやら奴はアサギナの陣地へ向かうらしい。
さて、どう出るか。血煙の中、緩く騎馬を歩かせながら、俺はヴァシュタルの様子を窺うのだった。




