86.獣の国1
初めて入る小会議室には、大理石の円卓があった。まあ、ここも当然のことながら頭蓋骨のランプやら血の色カーテンやらで装飾されている。悪魔城の内装にすっかり慣れちゃった自分が悲しい。
ジラルダークは円卓についていて、その後ろにトゥオモさんと大介くんが立っていた。私はベーゼアと一緒に、少し離れたところにいる。場違いな気がするんだけど、話の進みようによっては精霊王を呼んでくれってジラルダークにお願いされていた。しかも、ヴァシュタルからは私とベーゼアが見えないようにって結界を張ってくれてる。まあ、うん、国同士の話になるのに私がいたら、緊張感も何もないしねぇ。
ちなみに、大介くんは面倒くさそうだから帰る、って言ってたんだけど、ジラルダークが引きずってきた。ジラルダークに不遜な物言いをしても怒らなくて、力で牽制できて、ついでに暇してるのはお前だけだってジラルダークが言っていた。酷い言われようだ。
暫くすると、メイド悪魔さんに連れられて一人の青年が入ってくる。白と黒が混じった獅子のような髪に、金色の目、体躯はジラルダークほどではないけれど、中々にいい。見た感じ、成人してるかどうかってくらいの若さだ。
「来たか、アサギナの狼」
「呼んだのはアンタだろ」
あれ、人型になったヴァシュタルか!えええ、あんな可愛い子犬だったのに!詐欺だ!薬飲んだら大型犬ぐらいの大きさになってたけど、それも詐欺だ!
「まあ座れ。そう警戒せずとも、取って食いはせん。話し合いをするだけだ」
「チッ」
ヴァシュタルは舌打ちすると、ジラルダークの向かいに座る。ジラルダークは威風堂々としていて、いつも通りの魔王様だ。
「自己紹介が遅れたな。我が名はジラルダーク・ウィルスタイン、悪魔の国の王だ」
「魔王に名前があんのかよ。ご立派なこって」
「ふん、お前の言う魔王とは、お伽噺の可愛らしい空想であろう。我は、アレほど優しくはないぞ」
吐き捨てるようなヴァシュタルの言葉を、ジラルダークは鼻で笑って一蹴する。あんなに怯えてたのに、頑張るなぁ、ワンコ。
「お前はどれほど自国の現状を把握している?」
「ハア?知るかよ。俺は地下牢にいたんだぞ。ああ、アンタが城を落としたのか?ありがとうよ、お陰様で逃げ出せたぜ!ざまあみやがれ!」
ヴァシュタルは、さもおかしそうにケラケラと笑った。胸が痛くなる笑い声だ。これ、自棄になっちゃってないか。
ジラルダークはぴくりとも表情を動かさずにヴァシュタルを見ている。やがて笑いを止めたヴァシュタルは、口元だけをいびつに持ち上げて口を開いた。
「アンタは俺を嫡子だなんだと言ってるが、こんなモンだよ。俺は何も知らない。俺が知っているのは、朽ちた城と、首のない女王と、焼き払われた町ぐらいだ」
噛みつきそうな勢いで、ヴァシュタルが言う。ジラルダークは軽く目を伏せて、そうか、と短く頷いた。
ジラルダークは一呼吸分置いてゆっくりと瞼を持ち上げると、鋭くヴァシュタルを見る。赤い瞳が、ぎらりと光った。
「考えた以上に使えぬ愚鈍だな」
「ッんだと、ゴラァ!」
言ったジラルダークに、ヴァシュタルは牙を剥き出しにして叫ぶ。ヴァシュタルの咆哮にも、ジラルダークは全く表情を動かさなかった。
「聞こえぬか?敵を誤認し、己の立場も弁えぬ阿呆と言ったのだ。母国を憂うならば、情報を持つ我を怒らせるべきではない」
「くッ……!」
「それとも、我が情報を持っているとも察せぬ頓馬と言った方がいいか?嫡子がこの様では、アサギナの終焉も近いな」
珍しい、ジラルダークが思いっきり挑発してる。ていうか、口悪いな、魔王様。ヴァシュタルは剥き出しにしていた牙を、言い返す言葉もないとばかりに収めた。
「我はアサギナの嫡子と対話を望んでいる。お前は何を望んでこの場に立った」
一々噛みつくな、と言外に含めているのだろう。ヴァシュタルにも伝わったらしい。叱られた子供のように俯いていた。
なんというか、ヴァシュタルは腹芸が苦手そうだなぁ。一番身近なジラルダークがそつなく魔王様をこなすから、ちょっと新鮮だ。いや、一国の王子様としては、あまりよろしくないことなんだろうけど。
「俺は、アサギナの王には、なれない」
絞り出すような声で、ヴァシュタルが言う。ジラルダークは、じっとヴァシュタルの声を聞いていた。
「俺は、まともな獣人じゃない。民も、俺が王では納得しないだろう。せめて侵略を止めたくても、民を逃がしたくても、俺にはその力も仲間もない……!俺は母国が潰れていくのを、ただ眺めるしかないんだ!」
涙に震える声は、ヴァシュタルの心からの叫びだった。ジラルダークは目を細めてヴァシュタルを見る。それから、ジラルダークは瞼を伏せて息を吐いた。
「決まったな。トゥオモ、ダイスケ」
「は、すぐに用意を整えさせます」
「ヒト助けは本意ではござらんが、乗りかかった船でござる」
いきなり喋りだしたトゥオモさんと大介くんに、ヴァシュタルは驚いたように目を見開く。ジラルダークは立ち上がって、ヴァシュタルを見下ろした。
「アサギナを我が配下に置く。即座に帝国を排除しろ。最優先で悪魔へ伝令せよ。これは我の勅命である」
「御意」
「御心のままに」
宣言したジラルダークに、大介くんとトゥオモさんが跪く。ヴァシュタルは、目を見開いたまま硬直していた。それもそうだろう。目の前で、お前の国を侵略する宣言をされたのだから。
前にニンゲンの国を一つ、支配下に置こうって話をしていた。どこにするか検討していたけれど、今、照準が定められたのだ。
「ば……、なん、で……?」
「自分の頭で考えろ」
素気無く答えて、ジラルダークはトゥオモさんと大介くんを伴って退室する。隣のベーゼアが、私の肩に手を置いた。ヴァシュタルは、呆然と座ったままだ。直後に、景色が変わる。ベーゼアがテレポートしてくれたらしい。
大丈夫かな、ヴァシュタル。ジラルダークがアサギナを支配下に置くって、それ、帝国を押し戻して民の安全を確保してあげるって意味だよね。ヴァシュタルはアサギナの王になるつもりはないって言ってた。このままじゃ、王もない国は滅びるだけだ。だから、ジラルダークが支配して、守るって言ったんだ。伝わってるのかな。
「すまない、カナエ。つまらぬ話に付き合わせてしまったな」
「ううん。知れてよかったよ。私も、ヴァシュタルのことは気になるし」
ジラルダークに答えて、そういえばどこに飛ばされたのだろうかと辺りを見回す。私が連れてこられたのは、来客時に使う応接間だった。ソファには、トパッティオさんとカルロッタさんが座ってた。大介くんもいるけど、トゥオモさんはいない。早速準備しに向かったのかもしれない。
「二人とも、聞いていた通りだ」
ジラルダークが言うと、トパッティオさんもカルロッタさんも首を振った。
「当代のアサギナ王は外れでしたね」
「まーあ、仕方あるめぇ、正式な王太子の方は処刑されっちまってるんだからよ」
トパッティオさんの言葉に、カルロッタさんは同意しつつもどこか投げやりに笑う。ううむ、ヴァシュタルは地下牢に閉じ込められてたんだもんなぁ。魔王様達と差があるのはしょうがない、とも思うけど、こう、パンピーとしてはどうしても期待してしまう。何がってそりゃ、ヴァシュタルの精神がここで折れない程度に強いことを、だ。
「奴はこの状況下で、陛下からアサギナの情報を一つも引き出していません。威勢よく吠えていましたが、己の国と民はどこにあるのでしょうかね」
トパッティオさんの言葉に、ジラルダークは肩を竦める。
「そう思うなら、お前が引き取れ」
「お断りします」
ジラルダークの提案は、トパッティオさんによって一刀両断とばかりにスパッと断られてしまった。まさに秒殺。鬼畜眼鏡の爆弾魔さんは、揺るぎない。
「お前のところは補佐官がいないだろう。雑用がてら、奴を補佐官として置いて学ばせるのはどうだ」
「寝言も大概になさい。こちらは補佐官がいないからこそ、野良犬に構っている暇などないのですよ。ましてや、これより私の領土付近が荒れると予想できる状況下です。まさか魔王陛下とあろうものが、その程度予測できていないわけもありませんよね?こちらは領土に及ぶ不測の事態に備えて余力を残しこそすれ、野良犬の躾に割く時間など爪の先ほどもありませんよ」
ジラルダークがなおも食い下がるも、トパッティオさんの答えは理路整然とした言葉の暴力として返ってきた。私を過労死させたいのですかとトパッティオさんに睨まれて、ジラルダークは二の句が継げない。あらら、しょんぼりしちゃったよ、ジラルダーク。トパッティオさんがダメなら、とカルロッタさんに視線を向けると、ふるふると首を振られてしまった。
「オッサンもパス。最近忙しいのよ」
「あ、すみません。リータさんにはいつもお世話になってます」
そうだった。カルロッタさんのところの補佐官を、私の勉強目的に呼んじゃってるんだ。ちゃんとお礼を言っておかないと。
ぺこりと頭を下げてお礼を言うと、何故かカルロッタさんは慌てる。大介くんが茶化すように笑った。
「昼寝とナンパの時間が減っただけでござろう」
「ちょ、余計なことを……、あ、いやいや、これでもきちんと仕事してるのよ、オッサン。誤解しちゃダメだぜ、姫様」
うわあ、あやしい。冷や汗交じりに言い訳するカルロッタさんをジト目で見ると、更に焦って説明をしてくる。曰く、ツァンバイの領地は天候が安定しないから見回るんだとか、日夜飛ばされてくる異世界の子を保護するんだとか、飛ばされてきた子と定期的に合コンするんだとか。え、合コン?
「とにかく、まずはアサギナを手中に収めましょう。彼のことは、それからでも遅くはない。カルロッタ、三個師団用意して待機していなさい」
聞き捨てならない一言があった気がするけども、私がカルロッタさんに突っかかる前にトパッティオさんが声を上げる。トパッティオさんは私とカルロッタさんの視線を受けながら、右手の指先を光らせた。次の瞬間、ばっちん、と音を立ててカルロッタさんの頭を叩く。と同時に、カルロッタさんがいずこかへ消えた。ひえぇ、なんて乱暴なテレポートなんだ。
「ダイスケ、兵糧の補給は任せましたよ」
「承ったでござる」
大介くんは特に叩かれず、トパッティオさんに飛ばされていく。トパッティオさんは、かちゃりと音を立てて眼鏡を押し上げた。
「悪魔側の国境付近の防衛と、難民の保護は私の方でおこないます」
「ああ、任せる」
頷いたジラルダークに、トパッティオさんは眼鏡の奥の氷色した瞳を向けた。
「前線に出ても構いませんが、どうせならあの犬の教育も頼みますよ」
言って、トパッティオさんは消える。残されたのは、ちょっと嫌そうな顔をしたジラルダークだ。こんな魔王様を見たら、きっとヴァシュタルは驚くんだろうな。
現実逃避なのか私を抱っこしてソファに座り込んでしまったジラルダークを撫でて、私はまだ若い狼のことを思った。




