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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
魔王の災厄編
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85.白狼の逃避行3

【ヴァシュタル】


 俺を膝に抱えて、カナエと名乗った女は俺を質問攻めにする。勝手に怯える体を、女の手が撫でた。怖くないよ、大丈夫だよ、と定期的に俺に言い聞かせた。そう言われて気付く。目の前の魔王からは、もうあの息の詰まる威圧を感じられなかった。

 しかも、この女は魔王の妻だという。トチ狂ってんのかと思って女を見上げても、にこにこと笑うばかりだ。


「アセガリア姓ということは、お前がアサギナ女王の嫡子か」


 離れた場所にいるというのに、腹に響く低音で魔王が問う。女の手が、俺の背を緩やかに撫でた。


「嫡子?ハッ、アイツは俺を嫡子だと認めなかったぜ。俺は化け物だからな」


「魔物との混血か。確かにお前には魔物の力が宿っているようだ」


 精一杯強がって吠えてみても、魔王はどこ吹く風といった様子だ。そりゃそうだろう。俺がいくら吠えたところで、魔王には傷一つつけられない。これほどに力の差がある存在は初めてだった。化け物と罵られずに会話をすることも、何年ぶりだろうか。


「まだ人型にはなれぬか。随分と消耗しているようだ」


「魔物は澱みで回復するでござるが、ヴァシュタル殿は獣人でもあろう。エミリに回復薬を持たせるでござるか」


 魔王の隣にいる男が、そう言って扉の近くに立つ女に目配せをする。どちらも、魔王程とは言わないが、かなりの力を持っているようだ。こいつらが、悪魔か。一匹が災厄級と恐れられる存在が、今目の前にいる。

 アサギナでも、数十年出ていなかった悪魔がここに、まるで普通の生活でもしているかのように存在していた。


「ここは、もしかして、死の森の奥、なのか?」


「死の森?」


「ああ、ニンゲンの国と我が国を分かつ森だ。トパッティオの領地に近いところにある」


 魔王の物言いに、俺は目を見開いた。死の森の奥が、領地という。


「悪魔の、国……」


 存在も眉唾だった国に、俺はいるのか。嘘だろ?いくら俺が魔物の力に目覚めてから数年、地下牢に閉じ込められていたからといって、国などそんなすぐにできるもんじゃない。ということは、以前から国としてあった、ということだ。


「俺は、アサギナにいたんだぞ!?何で、こんな場所に……」


「ここに来る前、アサギナで何をしていた?」


 魔王の質問に、俺は思い出す。そうだ。魔物についていったんだ。魔物が、俺をどこかに導くように歩いていた。気付いたら闇の中で、そしてここに放り出されたんだ。


「ああ、我が領地に来るのに澱みを通ったのか。道理で魔物の匂いが濃いはずだ」


 得心したように、魔王が頷く。何で、当事者よりも事情を把握してるんだ。魔王ってのは、そこまで万能なのか。こんなヤツ相手じゃ、人間に勝ち目はねぇじゃねぇか。

 ふと、扉の前の女が一度退室して、すぐに何かを手に戻ってきた。緑色の液体の入った小瓶のようだ。


「陛下、奥方様、エミリエンヌの回復薬にございます」


 魔王は立ち上がらずに、カナエを見る。カナエは微笑んで頷いた。


「うん。ヴァシュタル、ちょっと待っててね」


 カナエが悪魔の女の下へ向かう。カナエも、悪魔なのだろうか。魔王や他の二人と比べて、全く力を感じない。普通の人間のようだ。けれど、悪魔の女から傅かれている。

 カナエは悪魔の女から小瓶を一つ受け取って、俺のところへ帰ってきた。ソファに腰を下ろして、サイドボードに避けていた皿へ手を伸ばす。


「これ、元気になる薬だって。飲める?」


 さっき、カナエは水を飲んで見せた。俺に示すように。まるで、これは毒じゃないとでも言いたげに。偶々拾っただけの俺に、どうしてそこまでするんだ?魔王の妻だとほざいたくせに、お人好しが過ぎるだろ。


「飲める」


 どうせ死ぬ運命だったんだ。別にコイツからなら、毒を盛られても構いやしないか。


 皿に注がれた緑色の液体へ舌を伸ばしながら、そんなことを思った。一口、その液体を飲み込んだところで異変に気付く。何だ、この液体は。二口、喉へ流して全身が震えた。疲労が、嘘のように消えていく。力がみなぎってくる。


「え……?あれっ!?」


 カナエの驚く声が聞こえたが、液体を飲むのを止められない。体が欲するままに、俺は皿にあった液体を飲み干した。あれだけ枯渇していた力が、全身に染み渡る。今なら人型に戻れそうだが、服は城から逃げる時に置いてきてしまった。


 ふと皿から顔を上げると、目を見開いて硬直するカナエの顔が間近にある。


「おっきくなっちゃった!」


 ああ、完全に力が戻ったようだ。ソファの上に立てば、カナエと視線の高さはさほど変わらない。


「白狼か。ここ数代のアサギナ王家は狼族だったな」


「か、可愛いワンコが、成犬に……」


 何故か、カナエがショックを受けている。コイツ、俺を愛玩動物か何かだと思っていたのか?何度も魔物だ化け物だと言ってただろ。


「回復をすれば、少しは俺とまともに話ができるだろう?アサギナの狼」


 魔王の言葉に、俺は頷く。そりゃ、目が合うとまだ怖いが、震えて腰が抜けるほどじゃない。ただ、力の差に絶望するだけだ。俺はソファの上から降りて魔王の方へ数歩歩く。踏みしめた毛足の長い絨毯は、俺の知るどの布よりも上等なものだった。


「人型にはならぬのか?」


「服がねぇんだよ」


 魔王の言葉に精一杯の虚勢で答えると、ああ、と魔王は短く声を漏らす。それから、扉のところにいる女に目配せをした。


「人型の大きさはどの程度だ」


「……そいつよりも、もう少し大きい」


 俺は魔王に、見たことのない格好をした男の悪魔を示して見せる。魔王の服といい、こいつの服といい、どうやって着るんだ。


「ベーゼア」


「かしこまりました」


 魔王の声に、扉の前の女が頷いて出ていく。人を使うことに慣れた物言いだ。俺の、母のように。


「暫くは、こちらに逗留するといい。余計な問題を起こさなければ、我はお前にとってよき魔王であろう」


 赤く光る瞳が、俺を射抜いた。何をしても見通すぞ、と言わんばかりだ。悪魔について探るなと釘を刺されたのか。


「お前の立場上、国賓とはいかぬがな。着替えたら、案内をさせる。それまではここで休んでいろ」


 立ち上がって、魔王が言う。従うように、カナエと悪魔の男も立ち上がった。俺の横を通り抜けて、カナエが魔王に寄り添う。魔王はごく当然のことのようにカナエの腰に腕を回した。


 部屋に一人残されて、俺は今までの情報を整理する。


 ここは魔王の統治する悪魔の国、のようだ。物語の中だけの存在だと思っていた魔王は、実際にいた。それも、物語の中よりもずっと凶悪な存在として君臨している。あれはどう転んだところで人間に倒せるレベルじゃない。


 そして、その魔王はどうやら、アサギナの事情を知っている、らしい。地下牢に幽閉されていた俺よりも、もっと詳しそうだ。あの様子だと、アサギナが今、侵略されていることも知っているだろう。崩れた城にいたのは帝国兵だったが、魔王も一枚噛んでいるのだろうか。

 魔王が関わっているとして、俺はどうするべきなのか。魔王は俺をアサギナの嫡子と言っていたが、俺はそう思わない。女王は、俺を子供だと認めなかった。


 はははっ、いっそ、地下牢から解放してくれてありがとうとでも言っておくか?母を殺してくれて感謝していると、魔王に傅くか。


 アサギナは、もう終わりだ。俺がいたところで、国を立て直すことなどできやしない。しようとも思わない。俺を化け物と呼ぶ奴らを、俺は、救えない。


「失礼致します。お召し物をご用意いたしました」


 軽いノックの音の後、悪魔の女が入ってきた。さっきの女じゃない。侍女か何かだろう。短く頷いて、俺は服を受け取った。表情の読めない女はそれを確認すると、流れるように礼をして静かに部屋を出ていく。

 侍女の仕草も、母の下にいた奴等より洗練されていた。悪魔の国は、どれだけ発展しているんだ?


 久々に人型をとって、用意された服に袖を通す。笑えるくらいに肌触りのいい服だ。型はあまり見かけたことのないものだが、それでも魔王や悪魔の男が着ていた服ほど奇抜じゃない。ただ、凄まじく高級な布なのだろうと分かった。

 おおよその大きさを言っておいたからか、問題なく着れる。ゆったりとした作りの服は、サイズがある程度違っていても着れるように配慮されていた。


 魔王単体の力だけじゃない。こんな小さなことですら、アサギナと悪魔の国では歴然とした差となっている。


 こんな国があったのか。人間に、知られることなく。


 その現実に、背筋が凍った。これだけの国力をもった国を、人間に悟らせずに存在させている魔王と悪魔がいる。死の森の奥は瘴気に満ちていて、人間では立ち入ることができない。そう人間の信じる事実を、守り抜いた国。

 何を意味するか、理解する前に思考を止めた。理解してしまったら、俺は魔王に向かい合えない。魔王は、俺に話し合いを要求していた。


「ビビってんじゃねぇぞ……」


 小さく呟いて、言い聞かせる。魔王は、もし人間だとしたら俺よりも少し年上ぐらいの男だった。そう、アイツも俺と同じ男だ。


 萎れそうになる気持ちをどうにか奮い立たせて、俺はソファに腰を下ろす。まるでそれを見透かしたかのように、扉が叩かれた。


 案内されるままついていく道中、城内を飾る悪趣味な装飾品の数々に早速気持ちが萎れかけたのは、魔王に圧倒されただけだと言い訳しておく。

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