84.白狼の逃避行2
森の中に降りてったジラルダークを待っていたら、いきなり耳元でジラルダークの声がした。びっくりして横を見ても、ジラルダークはいない。これはテレパシーだって教えてもらった。こんな風に聞こえるのか。
で、そのジラルダークがこちらに来てほしいという。珍しいなと思いながらジラルダークのところに行ったら、彼のそばに薄汚れた子犬がいた。
「少々気にかかることがあってな。だが、恐らく俺では近寄れん」
うん、だろうね。子犬はぶるぶる震えて魔王様を見てる。あらら、めっちゃ怯えられてるじゃないか。
「魔王様、怖いもんねぇ」
「他の魔物が寄らぬように魔力を解放しているだけだ」
むすっとしてジラルダークが言う。拗ねちゃったよ、魔王様。
子犬のところに行こうとしたら、メイヴが私の手に触れた。念のため、って何かの魔法をかけてくれたけど、何だろう?除菌かな?
それから、ぐったりしてしまった子犬を抱えて大慌てで城に戻る。腕の中の子犬は、とても軽い。ろくに食べてないのだろう。汚れてかぴかぴの毛の下は、皮と骨の感触しかなかった。お風呂に入れるわけにもいかないからとお湯で濡らしたタオルで拭いても、子犬は目を覚まさなかった。
とりあえず私が子犬を抱えたまま、ジラルダーク、ベーゼア、それに呼ばれてきた大介くんと客間にいる。メイヴは確かめたいことがあるって精霊の道に帰ってしまった。
「ワンコ、あんまり人に慣れてないのかなぁ」
「いや、それは魔物だ。恐らく、半分は、だが」
ソファに座ってる私から少し離れたところで、ジラルダークが言う。大介くんも、ワンコを見て頷いた。
「半分?」
「確実ではない。言葉を操る魔物がいてもおかしくは無いのだが、気になる情報もあってな」
ジラルダークは腕を組んで、瞼を伏せる。誰かに連絡を取ってるのか、軽くジラルダークの指先が光ってた。
「アサギナ国の嫡子が一人、行方が分からないのでござるよ」
「ふむ」
「その嫡子は公にはされておらず、市井の噂では魔物と獣人の混血といわれていたのでござる。女王は否定しておったようでござるが、火のない所に煙は立たぬでござるよ」
魔物と獣人のハーフ。って、獣人自体が獣と人間のハーフだったよね。随分と中二病心がくすぐられる境遇だ。
「やはり、嫡子は未だ行方不明だ。こいつが嫡子であるかもしれん」
すっと目を開いて、ジラルダークが言う。ああ、さっきのは色んな悪魔さんたちに確認してたのか。
もしかしたら、メイヴが確認したかったのは、アサギナのことだろうか。この子が、彼女が力を振ってしまった国の子供なのかどうか。
「精霊の王はアサギナ国の王城を落としたのであろう。こいつが隠されていたのだとしたら、その拍子に逃げ出してきたのかもしれないな」
「そっか……」
隠されていた、女王の子供。この子がそうなのだろうか。
「しかし、拙者にも怯えるようだったら如何するでござるか?」
「カナエには怯えていなかったぞ」
「魔物は魔力に怯えるでござるが、獣人はそもそも悪魔に怯えるでござるよ?御台様はまだ日が浅いでござるが、拙者はもうどっぷりと悪魔でござる」
「その可能性もあるか……」
「なら、私が面倒みようか?って、面倒みれるものなのかな。魔物で獣人なんだよね」
「精霊王の加護がある今なら、それが一番現実的ではござらんか?」
「見つけた以上、放置するわけにもいかぬ。こいつが俺に怯えねば話は早いのだがな」
「魔力の気配を消したとて、陛下は雰囲気が恐ろしいのでござる。凶悪犯ヅラしてるでござる」
ジラルダークに蹴っ飛ばされる大介くんを、私は苦笑いで眺める。部屋の隅にいたベーゼアは、転がってきた大介くんを慣れたことのように起こしてあげてた。
「元より、俺はトゥオモや諜報のアロイジア程、魔力や存在を消すのに慣れておらん。変化も奴等の方が得意だろう」
「ま、そりゃそうでござるよ。魔王陛下としてはむしろ、存在感も魔力もモリモリでいかねばござらんかったからな。とはいえ、二人とも多忙でござろう」
「ああ。比較的融通の利く魔神の中では、魔力が無く悪魔として若いのはヴラチスラフだな」
「え。魔改造されそう」
「むしろ、陛下以上に怯えられるのではござらんか」
うん、私もそう思う。言ってみたもののジラルダークも同意見なのか、何とも言えない顔をしてる。
膝の上のふかふかした背中を撫でていると、ひくりとワンコの鼻が動いた。あ、起きるかな?そう思ったら、ジラルダークと大介くんも油断なくこちらを観察してる。
目覚めを促すように背中をやわらかく叩くと、ワンコの目が開いた。ワンコは、しばらくぼんやりと辺りを見ている。けれど、ジラルダークを見つけた瞬間、ぶわっとワンコの毛が逆立った。膝に伝わってくるワンコの心臓が、痛いくらいに早まる。
「大丈夫、怖くないよ。大丈夫だよ」
落ち着かせるよう、ゆっくり声をかけながらワンコの背中を撫でた。このままじゃ、ワンコの小さい心臓が破裂しちゃいそうだ。
ワンコは私の声に気付いたのか、バッと私を見上げる。動揺しないように微笑んで、ワンコの背中を撫で続けた。飼い主の不安はペットに伝わる、って聞いたことがある。いや、ペットじゃないけどさ、この子。
「大丈夫、ね、怖くない。ここは安全だよ」
「……て、ん……」
喋った。
ワンコが喋った。びっくりした。そうだ、そう。トパッティオさんの領地に行った時にも、二足歩行ワンコがいたじゃないか。落ち着け、私。
「どこか痛いところはない?」
ワンコは、私の言葉に首を振る。ふるり、と緩やかにワンコの尻尾が揺れた。どうしよう、可愛い。
しばし私を見上げていたワンコは、恐る恐るジラルダークと大介くんの方を見た。またジラルダークを見つけて、尻尾が足の間に入ってしまう。
大介くんはどうだろう。そう思って視線を向けると、彼は頷いて立ち上がった。びくん、とワンコの体が跳ねる。
ダメだ、大介くんも怯える対象だ。私は首を振って大介くんに視線を向ける。伝わったようで、大介くんは浮かせていた腰を下ろした。
「ねえ、わんちゃん。あなたのことを聞いてもいい?」
「……?」
尋ねると、ワンコは二人から視線を外して私に向ける。くりくりした金色の目が、じっと私を見上げてきた。
「私の名前は、夏苗というの。あなたの名前は?」
「……ヴァシュタル・アセガリア」
「ヴァシュタル。私たちは、あなたに危害を加えないよ。だから、安心してね」
言いながら、ヴァシュタルと名乗ったワンコの背中を撫でる。まだ鼓動は大分早いけど、少しずつ落ち着いてきてるように思う。とにかく、この子にここは安全なんだって分かってもらわないと、落ち着いて話もできない。
「お腹は空いてない?喉は乾いてる?何か持ってこようか」
「……水、飲みてぇ」
あ、思ったよりも口が悪いぞ、このワンコ。こんな可愛らしい見た目してるのに。
「分かった。ちょっと待っててね」
ヴァシュタルを私の膝の上からソファへ移動させて、私は立ち上がった。不安そうに私を見るヴァシュタルに微笑んでみせる。ジラルダークと大介くんは、私の動向を見守るようだ。今、この場でヴァシュタルから話を聞けるのは私だけ、という認識なのだろう。
ジラルダークの視線に頷いて、私はベーゼアが用意してくれていた水差しをトレイに乗せた。コップと、ちょっと深めのお皿も備え付けの棚から取り出して、ヴァシュタルの所へ戻る。ソファのそばのサイドボードに全部置いてから、私はヴァシュタルを見た。不安そうに、金色の瞳が揺れている。
「私も、ちょっと喉が渇いちゃった」
言って、水差しからコップとお皿に水を注ぐ。お皿はヴァシュタルの前に置いて、私はコップを持ってソファに腰を下ろした。私がぐいっと水を呷ると、ヴァシュタルの視線が私から外れる。
しばらくして、ぺちぺち、と小さな舌が水面を叩く音が聞こえてきた。よかった。とりあえずは信用してくれたみたいだ。
必死に水を飲むヴァシュタルを、私は微笑んで眺める。一度、水をおかわりして、ヴァシュタルは人心地がついたようだった。
「ここがどこだか分かる?」
ぴったりと寄り添ってきたヴァシュタルをまた膝の上に抱き上げて、私は質問を再開する。ヴァシュタルは、分からないと首を振った。
ってことは、悪魔の国に迷い込んでる自覚はないのか。ここが悪魔の国だっていうのを教えるのは、今はやめておこう。怯えさせてしまう。
「じゃあ、あっちにいる彼が誰か分かる?」
示した方向には、ジラルダークがいる。とっとっと、とヴァシュタルの鼓動が早くなるのが分かった。
「魔王、だろ。あんなの、人間じゃ考えられねぇ」
魔王様は知ってるのか。いや、ううん、微妙だな。ものすごく怖い人を魔王って呼んでるようなニュアンスだ。
「ちなみに、ヴァシュタルはどこから来たの?」
「アンタ、質問ばっかだな。俺はアサギナの化け物だ」
「俺に怯える子犬が、随分と大口を叩く」
びくっとヴァシュタルが跳ね上がる。ちょっと、魔王様。何で口を挟んできてんですか。近付かなきゃいいってもんでもないでしょうよ。
「ジル、怖い顔しないの。ヴァシュタルが可哀想でしょ」
ジラルダークは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。拗ねたよ、魔王様。ねえ、あれのどこが怖いのって聞きそうになるのを何とか堪える。
ヴァシュタルは、小さく唸りながらジラルダークを見ていた。安心させるように背中を撫でても、小さな体は震えている。
「怖がらなくても大丈夫だよ、ヴァシュタル。あの人は魔王様だけど、やさしい人だから」
「何言ってんだ、魔王だぞ?!」
馬鹿なこと言うんじゃねぇ、とばかりに吠えられてしまった。というか、尻尾、足の間に入っちゃってるよ。これはどうしてくれよう。可愛すぎる。
「そう。魔王様だけどやさしいの。私の旦那様だから」
そう伝えると、ヴァシュタルはぐるぐる唸っていた声を止めた。それから、金色の目をまんまるに見開いて私を見上げる。
なんとも可愛らしい表情に思わず笑ってしまったけど、私は悪くない、と思いたい。




