82.城下の散歩
結婚式から一ヶ月が過ぎた。日課となってる魔法のお勉強も、リータさんやベーゼア、ジラルダークに協力してもらって順調だ、と思う。咄嗟に防御、って考えながらメイヴを呼ぶのにも慣れた。攻撃はもういい。守れさえすればいいんだ。
そう決心して、それをメイヴやリータさんに伝えたら笑って頷いてくれた。今は、自分だけじゃなくて他の人も守れるように修行中だ。
そして今日は、初めて悪魔城周辺を散歩している。もちろん、ジラルダークと一緒に、だ。悪魔城に来た当初は雪の深かった悪魔城の周りも、今やごつごつとした岩がむき出しになってたりうっそうと茂る森が広がっていたりと、随分と様変わりした。
「俺の直轄地に住むのは、殆どが軍のものだ。少しは街のようになっているが、ブルリア領やジャパン領のように栄えてはいない」
「へぇ、そうなんだ」
ジラルダークに抱っこされて、空中散歩を楽しむ。眼下に広がるのは、石造りの重厚な街並みだ。
確かに、トパッティオさんのところとか大介くんのところのように、民がわいわいしてる雰囲気じゃない。魔王様が空を滑空するのにも慣れているのか、ざわつきもせずにこちらへと跪いていた。一見した限りで確認できるのは、鎧で武装した人たちばかりだ。
大介くんのジャパン領みたいにジラルダークの故郷を模した、ってわけじゃなさそうだよね。必要最低限を整えた、って雰囲気が漂ってる。
「俺の直轄地は、軍事拠点として使うためだけのようなものだ。一個大隊を賄える程度を基準としているな」
「ふむふむ」
「有事の際に、俺かグステルフの指示で動けるようにというのが一つと、まあ形式上、城を警備させてもいる」
するりと城下町を旋回して、今度は森の方へと向かう。悪魔城は、石造りの城下町と草も生えない岩場、深い森の三つに囲まれているようだ。おおよそ、ニンゲンの国からは離れているし、精霊の王を蹴っ飛ばす魔王様もいる。形式上の警備っていうのも、言葉のままあまり機能してないっぽい。
「察しの通り、さすがに我が城の警備などすることもないから、定期的に各領地の自警団かツァンバイ領……、カルロッタの領地の兵と入れ替えているぞ。カルロッタの領地は魔物がよく出没する森があるから、兵を鍛えるにはいい環境だ」
「うわ、スパルタだなぁ」
魔物、か。そうだ、魔物もいるんだ、この世界には。今まで手厚く守られていたから見たことはないけれど、ニンゲンの国では魔物の被害もあるって聞いたことがある。魔物……、か。日本人の私が想像する魔物っていうと、コボルト、ゴブリン、ゴーレム、ハーピー、サキュバス、ヴァンパイア……、いや、吸血鬼は除外しておこう。あとは、オーガ、トロールの巨人系、それにゾンビやスケルトン、リッチとかの不死系とかかな。
個人的に、不死系の魔物さんはご遠慮願いたいとこだ。視覚的にも、嗅覚的にも。ああ、あとドラゴン系統の魔物もいるんだろうか。
いやそれよりも何よりもまず、魔物がどれだけの頻度でこっちを襲ってくるんだろう。そもそも、日本人の私が想像した魔物がいるとも限らない。
「ねえ、ジル。魔物って、ここでもたくさん出るの?」
「いや。俺の領地ではこの森に魔物が沸くが、大体が俺の気配を感じて逃げていくな」
「おお、さすが魔王様。物語だと魔王様が魔物を生み出すけど、この世界だとどうなってるの?」
「魔物は精霊の比較的少ない、澱みと呼ばれる場所から生まれる。生まれ落ちた地が住みにくければ、魔物は澱みから澱みへと移動するようだ。となれば、ある程度こちらで澱みの場所を把握して、ツァンバイ領へ追い立てることができる。ブルリアもジャパンも、定期的に自警団が澱みを巡回しているからな」
えええ……。それは追い込み漁か何かですか、魔王様。ここにもブルリアにもジャパンにも兵士がいるんだから、わざわざカルロッタさんの方に送らなくてもいいんじゃないのかな。
考えがもろに顔に出てたのだろう。ジラルダークは、くすりと笑って言葉を続ける。
「ツァンバイ領は、この国の中で最も魔物の素材を捌くルートが整っている。魔物にまつわる税も、ツァンバイは優遇しているぞ。その分、他の領地では澱みを巡回すれば色々と利が得られるようになっている」
「ほええ、なるほど。強い兵士を集めてあるカルロッタさんのところは魔物の素材で交易してて、他の領土は無理に魔物を追わないようにする。みんなを守るようにちゃんと整備されてるんだね」
私の言葉に、ジラルダークはそうだと頷く。各領地の自警団も魔物ではなく澱みを狙うのだったら、領地ごとに利益の奪い合いにはならない。ツァンバイ領以外で魔物を狩っても美味しくない、かといって、澱みを放置するような事態にもならないよう、各々が利益を得られるようにしてある。
国として、数百年機能するわけだ。目の前の人がそれを整えたのかと思うと、気が遠くなる。
「だというのに、ツァンバイは頭痛の種だ」
「ツァンバイが?」
ジラルダークでも、頭痛に悩まされるのか。あ、そういえば、頭が痛いって嘆いてた人がいたわ。その件について、いつも聞こう聞こうとして機会を逃してたんだった。ジラルダークなら知ってるはず。
「ねえ、リータさんがここのところよく領地に帰ってるけど、何か問題があったの?」
リータさんは、何かしら連絡を受けていた日から、夕方になると自分の領地へ帰ることが多くなった。領地の方が忙しいならそっちを優先してくれってお願いしても、リータさんは首を振るばかりだ。大切な任務はこちらで、領地の急用は手を出したくないけど出さざるを得ないってよく分からない説明をされてる。
森の上を低空飛行しながら、ジラルダークは目を細めた。ジラルダークは、ゆるく首を振って溜め息をつく。
「カルロッタのところだけ、領主の補佐官が二人いる。リータ=レーナともう一人、式にも呼んでいたが、紹介はしていなかったな」
「あ、もしかしてお団子頭の女の子?」
私の言葉に、ジラルダークはそうだと頷く。あの中華っぽい子、カルロッタさんの補佐官だったのか。
「ヤツを面倒見きれんと、補佐官の一人が爆発したんだ」
「それは、ええと、カルロッタさんが悪いのか、とても領地のお仕事が忙しいのか……」
「前者だ。ヤツのサボリ癖だけはどうにもならん」
忌々しそうにジラルダークが呻く。どんだけ恨みこもってんのさ、魔王様。そういえば、初めてカルロッタさんに会った時もものすごい雑な扱いしてたなぁ。
「本腰を入れて動けば、かなりの実力者なのだがな。本腰を入れるまでに時間がかかって仕方がない」
「魔王様も大変だねぇ」
よしよし、とジラルダークのわかめヘアーを撫でると、苦虫を噛み潰したような顔から一変、ジラルダークはとろけるような微笑みを浮かべた。続けろと言われているようで、照れた私は肩よりも少し長いくらいの彼の髪をもしゃもしゃと掻き混ぜる。
じゃれて叱るように、ジラルダークが髪を撫でる私の手を舐めた。私を横抱きにしてるから両手が塞がっているジラルダークは、手を引っ込めた私を挑発するように舌を出す。そんな仕草でさえ色っぽいとか、イケメンはずるいと思う。
「んもう、ジル」
「ふふっ、ほら、カナエ。こちらへ」
ジラルダークの肩へ腕を回すように誘導されて、私は口を尖らせながら従う。お互いの顔が、ぐっと近付いて息のかかるくらいの距離になった。さすがにここでキスするのは恥ずかしい。そう思って、こつん、と額を合わせると、ジラルダークは緩く瞼を伏せて静かに笑った。笑う彼の振動が、額越しに伝わってくる。
「我が后は、随分と俺を煽るのが上手い」
くつくつと喉を鳴らして笑うジラルダークに、顔が赤くなるのが分かった。しょうがないじゃん!恥ずかしいんだもん!ってか、煽ってないし!
「い、いくら飛んでるからって、野外でイチャイチャするのは抵抗があるの!慎み深いって言ってよね!」
「ああ、では」
伏せていた瞼を上げて、ジラルダークが赤い瞳で私を覗き込む。柘榴のような深紅の瞳に、心臓が掴まれたような気分になった。真摯なようでいて、その実横暴で、なのに甘えたがりで、どうしたって私はこの人から目が離せない。
「我が后は慎み深い故に、堪らなく暴き甲斐がある」
ジラルダークは八重歯を覗かせて、にい、と凶暴な笑みを浮かべた。有無を言わさずに抱き寄せられると、強引に唇を奪われる。空中で何をしてるんだ、と脳裏によぎるけれど、息すら食べられてしまいそうなキスに思考が狂わされた。
魔物が出るという森の上だから、きっと、悪魔の人はいないはず。だから、うん、大丈夫。何が大丈夫か分からないけど、大丈夫。
乱暴なくせに甘くてやさしいキスから解放されたときには、私はもう息も絶え絶えになっていた。魔王様、マジ魔王様。容赦なさすぎだわ。どうにか意趣返ししたくても、イケメン魔王様の手練手管に恋愛レベル1のパンピーは翻弄されるばかりだ。
ジラルダークの肩にぐったりと頭を乗せて、私は指先で彼の髪をいじる。ジラルダークは引き続き空中を舞いながら、時折くすぐったそうに笑った。
「誘っているのか?」
「違いますー」
「もう少し待て。あと数体、追いやったら部屋に戻れる」
違うっつうに。聞け、魔王様。
「……ん?」
ふと、ジラルダークが視線を向ける。私は首を傾げて、ジラルダークの視線の先へ目を向けた。当然のことながら、私には何も見えない。
「どうしたの?」
「珍しい個体がいるな。……これは、魔物、か?」
眉間にしわを寄せて、ジラルダークが魔王の顔になった。私を抱いていた腕を離して、ふわりと私の全身を囲むように手を揺らす。結界かけてくれたのか。
「念のため、精霊王呼ぶね」
「そうだな」
ジラルダークが頷いたのを確認して、私はメイヴを呼ぶ。すぐに、花の香りを纏ってメイヴが現れた。
「呼んだ?愛されし子」
「来てくれてありがと、メイヴ」
「精霊の王、カナエを暫く任せるぞ」
メイヴはジラルダークの言葉に頷いて、私の肩に腕を回す。ジラルダークはすぐに踵を返してさっき見ていた森の中へ突っ込んでいった。
「珍しい子がいるのね」
「そうみたい」
ううむ。変なことにならないといんだけど……。
そう、私はジラルダークが向かった先を眺めながら思った。