81.奥様の戦闘
その日、メイヴとベーゼアと一緒に歩いていた私は、廊下でグステルフさんに遭遇した。私の肩に抱き着いて浮かんでいるメイヴを見て、グステルフさんは言う。
「奥方様。差し支えなければ、自分と手合わせをして頂きたく存じます」
「へっ?え、グスティさんと?」
驚いて慌てる私に、偶々ジラルダークが通りかかって。
そこから、とんとん拍子に話が進んで。
今、私はグステルフさんと鍛錬場で向かい合っている。グステルフさんは大剣を担いでこちらを見ていた。ちらりと鍛錬場の隅の方に視線を向けると、心配そうなベーゼアとどこか思案するようにこちらを見てるジラルダークがいる。
「グステルフは我が十二魔神の中でも戦闘に特化しているぞ。よもや、精霊の王が負けはしまいな?」
鍛錬場に来る前に、ジラルダークが挑発的にメイヴに言っていた。メイヴはくすぐるように笑って、花びらをジラルダークの顔面にぶつけていたけれど。特に攻撃でも何でもないからか、避けもしなかったジラルダークは花びらまみれになっていた。
「奥方様へは攻撃致しませぬ。どうぞ、ご安心くださいますよう」
「攻撃してもいいわよ?絶対に、指一本触れさせやしないもの」
ふふふ、とメイヴが笑って、私の肩を抱き締める。ふわっと暖かくなって体に目を向けると、青白く光っていた。メイヴが結界を張ってくれたらしい。名前呼んでないけど、どうなってるんだ、精霊の力って。
「愛されし子、さあ呼んで。怖い顔の子をやっつけましょう」
「こわ……、いや、うん、じゃあ行きますね、グスティさん」
グステルフさんは大剣を抜いて、こくりと頷いた。もう既に怖い。向かい合ってるだけで、ちびりそうだ。
「お願いね、メイヴ!」
「ええ、任せて、愛されし子」
「参る!」
ガキィン、と物凄い音が目の前で鳴る。メイヴが片手を上げて、グステルフさんの大剣を防いだようだ。ひえええ!怖ぇ!
数回、重く響く金属音が鳴って、グステルフさんは後ろへ飛びのいた。今までグステルフさんが立っていたところに雷が落ちる。メイヴは、くすりと笑ってグステルフさんを追いかけた。
私は二人の激突を見ながら、じりじりと後退する。近すぎて怖いわ、ここ。不意に、メイヴが私へ視線を向けて、私の方へ手をかざした。
「う、わっ!?」
風に全身を包まれて、そのまま空高く持ち上げられる。び、びっくりした。危ないから上にいろってことか。
「悪魔の王にはしてやられたけれど、今回はそうはいかないわよ」
メイヴはそういうと、自身の周りに色とりどりの玉を生み出した。グステルフさんは油断なく大剣を構えながら、メイヴの出方を窺っている。
メイヴが玉の間を泳ぐように移動すると、不規則にいくつもの玉がグステルフさんを襲った。グステルフさんはその玉を避けたり切り裂いたりしている。色によって、避けるのと切るのを判断してる、のかな?
玉をいなしながら、グステルフさんがメイヴに向かって踏み込んだ。どう見たって重たいだろう大剣を、空気でも切れるんじゃないかって速さで振り抜く。その剣は、メイヴの体を真っ二つに引き裂いた。
「っ!メイヴ!!」
驚いて声を上げたら、引き裂かれたメイヴの体がぶわっと花びらに変わる。ええっ?!あれ、メイヴじゃない?!
「ふふふ、驚いた?可愛いわ、愛されし子」
「うひゃあ?!」
耳元で囁かれて、私はびくんと肩をすくめた。メイヴはくすくすと笑うと、私の背後から手を伸ばす。
メイヴの手の先、グステルフさんを囲んでいた花びらが刃となってグステルフさんを切り刻んだ。浅くはないだろう切り傷をものともせず、グステルフさんは大剣を振って花びらを霧散させる。
「あら、粘るわね」
「この程度、効かぬ!」
「悪魔の王の子たちは、とても強いのね」
するりと私の横を通り抜けて、メイヴがグステルフさんの方へ向かった。彼女の軌跡に、桜色の光が残る。あ、これ、ジラルダークの時に見たやつだ。ええと、風と聖属性って言ってたっけ。
「ここを壊すほどの力を持つ、怖い顔の子。それでも、あなたは悪魔の王には届かない」
歌うようなメイヴの声に、グステルフさんが眉間のしわを濃くした。グステルフさんが振るう大剣は、メイヴに致命傷を与えられない。当たってはいる、と思うんだけど。
「そしてわたしは、愛されし子がいる限り倒せない。我武者羅なのは、時に盲目になるわ。まるで、あの日のわたしのよう」
ぶおん、とグステルフさんの大剣が鳴く。メイヴの肩が割けて、今度はそこからきらきらと光が漏れた。あれは、まさか、メイヴの血……!?
グステルフさんも、メイヴの起こした桜色の竜巻にどんどん傷だらけになっていく。ジラルダークのように、竜巻を強引に消せないみたいだ。追い打ちをかけるように、メイヴは花びらをその竜巻に乗せていく。
「さあ、呼んで、愛されし子。わたしの力は、あなたのものよ」
メイヴの声に、唇が震えた。二人とも傷だらけだ。手合わせだし、死ぬような攻撃はしないって分かるけど、そりゃ、分かるけど……。ああ、情けない。こんな体たらくで、ジラルダークの足手まといになりたくないなんて、よく言えたものだ。
呼ばないと。メイヴを、呼ぶんだ。精霊の王の力も満足に引き出せなくて、何が魔王の后か。でも、それは、メイヴを悲しませたあの人と何も変わらないんじゃないか。メイヴの力を利用、して、私は……。
「っ……、」
「そこまでだ」
視界が暗くなる。感触は、ジラルダークの手だ。彼の手に、目元を覆われたらしい。追って、ジラルダークのもう片方の腕が腰の辺りを抱き締めた。
「両名、実力は分かったであろう」
かちゃん、とグステルフさんが大剣を収めた音が聞こえる。ジラルダークは私の目元を覆ったまま、私を抱いて地面に降りた。すとん、と足が地面に着いた感覚がして、今度は花の香りに包まれる。
「強くなったな、グステルフ」
「いえ、自分は陛下の足元にも及びませぬ」
「そう思うのであれば、更に己を鍛えよ」
は、とグステルフさんが頷く声が聞こえた。メイヴは私のそばにいるんだろう。ふわふわと花の香りが届く。
「忘れないで愛されし子。あなたが力を使っても使わなくても、わたしはあなたのそばにいるわ。わたしが望むから、いるのよ」
「メイヴ……」
「やさしい愛されし子、また、わたしを呼んでね。きっとよ」
やわらかい声を残して、メイヴの花の香りが消えた。精霊の道に帰ったんだろう。傷は大丈夫だろうか。
「ベーゼア、グステルフを癒してやれ。后は我が預かる」
「かしこまりました」
ようやく目元の手が外れたと思ったら、もう鍛錬場にはいなかった。ここは、私とジラルダークの部屋だ。顔を後ろに向けてジラルダークを見上げると、彼は心配そうに私を見ている。
「ジル、ごめんね」
「謝る必要はない」
「だって、戦いの勉強がしたいって言い出したのは私なのに……。私、ジルの足手まといに、なりたくないよ。でも、メイヴを、精霊の王で誰かを傷つけたら、彼女が愛したあの人と変わらない。そんな酷いこと、できない……」
「カナエ」
後ろから包み込むように、ジラルダークが抱き締めてきた。私はジラルダークの腕を抱いて俯く。
「いいんだ。戦わずともいい。ただ、俺のそばにいてくれ」
「ジル……」
「俺はお前を一人残して死ぬことはない。絶対にだ。何があろうと、必ずお前の所に戻る。どうかそれを、信じていてくれ」
力強い彼の腕に、耳元で囁かれる言葉に、目頭が熱くなる。情けない、嬉しい、胸が、痛くて、暖かくて、苦しい。
「うん、信じる。信じるよ。絶対にだからね、ジル」
「ああ、ありがとう、カナエ」
彼の声が暖かくて、泣いてしまいそうになる。ジラルダークの腕の中で向きを変えて、彼を見上げる。
そうか。私は、ジラルダークを信じていればいいんだ。私が彼を信じて、どんと構えていればいいんだ。無理に戦いに慣れる必要はない。それで、いいんだ。
やさしく背中を撫でるジラルダークの手を感じながら、私は微笑む。ありがとう、魔王様。私の大好きで、大切な魔王様。
宝物を抱き締めるように、私は広い彼の背に腕を回すのだった。




