73.首飾りの精霊
目覚めると、そこはここのところ使わせてもらっていた離れの寝室だった。目一杯に涙を溜めたベーゼアと、そのそばに大介くん、それと、きりりとしたイケメンがいる。
「カナエ様っ……!」
体を起こすと、飛びつかんばかりにベーゼアが私に駆け寄ってきた。膝をついて、ベーゼアが私を覗き込んでくる。
「陛下は無事にお戻りになられました、どうぞ、お心を安らかに……」
「無事、だったんだ」
よかった。何があったのか分からないけれど、ジラルダークが無事なら、それでいい。一人だけ逃がされて、あんな思いをするのは嫌だ。
ほっとしていると、大介くんがベーゼアに下がるように命じた。ついでにジラルダークに報告に行くように指示を出している。
「少し説明をさせてくれ」
どっこいしょ、と私の寝ていた布団の近くに腰を下ろして、大介くんが言った。私はどうも、寝かされたときにドレスを脱がされたらしい。少し乱れていたワンピースの衿を直して、大介くんに向き直った。
「お願い。分からないことだらけで、混乱してる」
「だろうな。ああ、こっちのイケメンはリータ=レーナだ。オッサン……、カルロッタのところの補佐官だよ」
大介くんの斜め後ろできちんと正座していた細身のイケメンさん、リータさんはぺこりと頭を下げる。中世の騎士のような人だ。
「今回の件、まだ収束しちゃいない。ダークは帰ってきたけどな」
「精霊、だっけ」
「ああ。精霊王がニンゲンに捕らわれたらしくてな。転生させて逃がそうってんで、ダークに白羽の矢が立ったんだ」
「転生?」
尋ねると、大介くんは頷いて教えてくれる。
この世界の精霊は、殺せるが蘇れるらしい。花の精霊であるならば、花の咲き乱れるところで、生前とほとんど変わらずに生まれ直せるとのことだ。けれど、その転生の時に少し力を失ってしまうのだという。強ければ強いほどその傾向があるらしくて、精霊王ともなれば、転生してしまったらしばらくは力が弱いままなのだろうというのが大介くんの推察だった。
「だけど、例外もある。一つが、供物を捧げて、それをエサに転生させた場合だ」
「……まさか」
「そう、その生贄にダークが選ばれた。あいつの魔力を食わせて、精霊王を生き返らせようって魂胆だったみたいだぜ」
けれど、王になるほどの精霊に捧げる魔力は尋常な量じゃない。ジラルダーク一人では補い切れずに死んでしまうのだという。
「そんな……!」
「だが、ダークは取り戻した。今も対精霊の対策を練ってるぞ」
「……どうやって、取り戻したの?」
嫌な予感がする。そんな大切な供物であったジラルダークを取り戻せた、ってことは力で捻じ伏せたかあるいは、同等かそれ以上のものを捧げるしかないだろう。
「力を持って転生させる方法は、一つじゃない。そのもう一つが、生きた体に精霊を宿すことだ」
「依り代、ってこと?」
「ああ。この場合、元の人格は食われる」
まさか……!
「今、エミリが捕らわれた状態だ」
「エミリが?!」
重く頷く大介くんに、私は沸き上がる震えを抑えきれなかった。エミリエンヌが、精霊王の生贄になる、だなんて。
「国としては、魔王を失うわけにはいかない。エミリはそれを分かった上で、自分を捧げたんだ」
ジラルダークが無事に戻ってきたのは嬉しいけれど、エミリエンヌが代わりに死んでしまうなんて嫌だ。どうすればいい。
「もう少し、精霊について教えてもらってもいい?」
きっと、ジラルダークを筆頭にみんな、エミリエンヌを助けようと動いてるだろう。ここで私が足掻いたところで、何の役にも立たないかもしれない。でもほら、三人寄れば文殊の知恵って言うじゃない。何もしないで後悔するのは嫌だ。
「ああ、いいぜ。そういうと思って、精霊に詳しいリーも連れてきたんだよ」
「お願いします、リータさん」
リータさんは凛とした表情のまま、しっかりと頷いてくれた。
精霊は、契約を交わすことでその力を借りることができる。契約できる数がとても多くて精霊と自然に意思疎通できるのがノエとミスカだった。
「私も精霊と契約はしておりますが、三体が限界です。ノエとミスカはかなり特殊だとお考え下さい」
リータさんはそう言って、軽く手を上げて見せる。それから、音にならない言葉を紡いだ。すると、リータさんの手の中で軽く火花が散る。
「今のが精霊術ですか?」
「はい。私にだけ分かる、精霊の名を呼びました」
精霊とは、名前を交わすことで契約ができるという。その契約にも色々な種類があるらしい。精霊に自身の名前を告げると精霊優位の契約、精霊の名を貰い、こちらも名を差し出すと対等の契約、精霊の名前のみを貰うと、こちらが優位の契約になるのだ、とリータさんは教えてくれた。
精霊から名前を教えてもらうのか……。ん?名前……?
「ノエは、こちらを攻撃してきた精霊の名が分からない、と申しておりました。ノエですら制御できないのであれば、かなり上位の、それこそ精霊王級のものでしょう」
「その……、質問なんですけれど、精霊の名前を呼ぶと、どんなことが起こるんですか?」
「主に、精霊の持つ力を引き出せます。どのように、となると、感覚で、とお伝えするしかありませんが」
「なるほど……」
「こちらが優位の契約であればあるほど、引き出す力がこちらの意思に沿うものになります。精霊優位の場合は、あまり強い術は使えませんね」
ふーむ。そうか……。中々、制約が多そうだ。でももし、あの夢が本当なら、もしかしたらもしかするかもしれない。脱パンピーできるかもしれない。
「一人の精霊が、複数の契約をすることはできますか?」
「いいえ。もし複数の契約者がいる場合、使用者が最も優位な契約をしているものが優先されます。それ以外の契約は破棄されますね」
「ふむふむ」
「ああ、あと、名を呼べばどこにいようと精霊は自分の元へきます」
「あらゆる空間に通じる、精霊の道、っていうところがあるらしいぜ。オレは行ったことがねぇがな」
リータさんによると、精霊と精霊使いだけが入れる空間があるらしい。生身の人間が入ると、満足に動くこともできずに精気を吸われて朽ち果てるという。
「私は一度入ったことがありますが、花に囲まれた夕暮れの物悲しい空間でした」
花……。夢の中も、そういえば花畑だったな……。私が見たところは夕暮れじゃなくて晴れてたけれど。あの子は今、好きな人のところにいるのだろうか。それとも、あの花畑の中でまた泣いているのだろうか。
「……もしかしたら、夢を見ただけなのかもしれませんが、少し聞いていただいてもいいですか?」
「ええ、何なりと」
私は、さっきみたあの子の夢を二人に話してみた。花畑の中で泣き暮れていた女性。オレンジの首飾りのことと、力を使ってとても大変なことをしてしまったと言っていたこと。夢の終わりに、名前を教えてもらったこと。
話していくうち、大介くんとリータさんの表情が険しくなっていく。
「こりゃ、ビンゴかもしれねぇな。リータ、ダークを呼んでくれ」
「かしこまりました」
リータさんが頷いた瞬間、ジラルダークが目の前に現れた。と、同時に視野がゼロになる。抱きくるまれたらしい。ああ、やっぱりジラルダークの腕の中にいると安心するなぁ。いつもの真っ黒な悪魔服のジラルダークの胸に頬を擦り寄せて、ほっと息を吐いた。
「遅れてすまない。不調はないか、カナエ」
「大丈夫、大変なところにごめんね」
ぽんぽん、とジラルダークの背中を叩くと、少しだけ腕の力が緩んだ。呆れたように肩をすくめる大介くんが見える。
「ダーク、もしかしたら夏苗ちゃんが精霊王の契約者になったかもしれねぇぞ」
「……何だと?」
驚くジラルダークに、大介くんが今までここで話してたことを掻い摘んで説明した。その途中、ニンゲンの国が大変なことになってるのも教えてもらった。つい先日、落ちるはずのない城が潰された、というところで、私は唇を噛む。
あの子が言っていた許されない罪は、このことなのかもしれない。使ってはいけない力、とあの子は言っていた。
「本来、精霊は争いを好みません。奥方様の聞いた嘆きは、精霊の声だと思われます」
「夏苗ちゃんの見た場所も、精霊の道と似通ってるしな。符合する点が多い」
「だが、カナエは力をもたぬのだぞ。何故、精霊王が……」
「分からねぇ。それに、精霊王と決まったわけでもねぇからな。夢オチってのも考えられる」
大介くんの言うとおりだ。ただの都合のいい夢、という可能性が今のところ高いと私も思う。
「でも、もし精霊王だとしたら、エミリを助けられる。私、呼んでみるよ」
「危険だ、何を代償にされるか分からん」
「エミリを助けられる可能性が少しでもあるなら、賭けてみたいの。お願い、ジル」
私を抱き締めているジルの胸元に手を添えて、彼を見上げた。ジラルダークは眉間にしわを寄せたまま、苦しそうに口元を歪める。
それから、ジラルダークは私の頬を指先で撫でた。じんわりと全身に、暖かい感覚が広がる。
「気休めにしかならんが……」
「?」
「えげつねぇ……、オレでも分かるぞ。何だその結界」
呆れかえった大介くんの声に、思わず笑ってしまった。笑う私に、ジラルダークも少しだけ口元を緩める。
「じゃあ、呼んでみるね」
どうか、もう泣いていませんように。
その思いを込めて、私は口を開くのだった。




