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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
純白の花嫁編
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66.花嫁の攻防

 障子から差し込む日の光に、ゆるゆると意識が持ち上げられる。隣に当然のようにある暖かい感触に鼻先を擦り寄せながら、一度、強く目を瞑った。


 んー、よく寝た。ええと、今日は、そうだ、結婚式だ。そろそろ起きないとなぁ……。


 私はしょぼしょぼと瞬きを繰り返しながら今日の予定を振り返る。いつもなら、ここら辺でジラルダークが頭を撫でてくれるのだけど、今日は特に何もない。というか、まだ隣から寝息が聞こえてくる。


 ……ん?寝てる?魔王様が?私が起きたのにも気づかないくらいに?


 まさか、そんなという思いと、これは珍しい瞬間に立ち会えたのではないかという思いで、一気に目が覚めた。ばちっと目を開いて、ゆーっくりとジラルダークの胸から顔を上げる。

 ジラルダークは、私を抱き込むようにして、寝ていた。スヤァと安らかな寝息を立てている。


「!」


 まだ、寝てる!魔王様がおやすみであられる!


 これは珍しい。というか、初めてではなかろうか。いっつも私よりも先に起きてて、まだ寝てたい私を甘やかしたり、朝食前の1ラウンドに持ち込んだりしてたもんね。あらま、魔王様、疲れてたのかな。それとも、昨日頑張っちゃったのかしら。その割に、私はそんなに疲れてないんだよね。むしろ、お目覚めすっきり爽やかだ。


 ううむ、折角だしちゃんとジラルダークの寝顔見たい。貴重だよ、これ。しかし、見たいんだけども、がっちり腰をホールドされてる。動いたら起きちゃうかな。ちょっと、腕緩められないかな。


 そう思って腰の方へ視線を向けて、……?視線の先、何とも言えない違和感に首を傾げた。何だろう。ジラルダークはいまだ、すやすやと寝息を立てている。これも違和感っちゃあ違和感なんだけど、それ以上に、うーん?

 そのまま、ジラルダークの腕を動かすこともなくああでもないこうでもないと考えていた私は、ある一つのことに気付いた。その事実に思わず、えっ、と声が出てしまう。


 無いのだ、キスマークが。昨夜あれだけ付けられたというのに、一切、どこにも、何もない。


 デコルテ付近だけは付けないでとお願いしていたからそこはここ数日付けられていなかったのだけど、今視界に入る自分の肌に、ジラルダークが残した痕がない。全くない。


「え、なんで……?」


 慌てて体を起こして、全身を確認した。どこにもない。今は見えないけど、この調子じゃあ背中にもないだろう。ドレスで隠れるところも、彼が付けてくれた痕跡は全部、何もかも消えてしまっている。


「なんで、無いの、キスマーク……」


 噛みつくような痕も、本当に全てが消えてしまっていた。まるで昨夜のことが夢のようだ。あれを見るたびに恥ずかしくて仕方なかったけれど、それだけジラルダークが求めてくれてるって分かって、好きだったのに。なにこれ、トリップした弊害?成長しないっていってたから、そのせい?でも今まで残ってたじゃない。何で、急に。


「やだ、うそ、なんで……?」


 混乱して腕の表やら裏やら、見える範囲の背中を確認していたら、急に視界が揺れた。同時に、全身が暖かいものに包まれる。

 改めて見なくても分かった。この匂いも体温も、私が好きな人のものだからだ。


「ジル!ジル、どうしよう、キスマーク消えちゃった、私っ……」


「ッ……、すまない、カナエ」


 どうして謝るの、ジラルダーク。見上げた先、ジラルダークが歪んで映る。ものすごく驚いた顔をして、歪んだジラルダークが私を見ていた。瞬間、弾かれたようにジラルダークが私の頭を抱え込む。焦りすら感じる仕草に、私は目を瞬かせた。瞬かせた目から、熱いものが流れ落ちる。


「すまない、泣かないでくれ。お前の体の痕は、俺が消したんだ。本当にすまない」


 泣く?私が?……え?てか、消した?ジラルダークが?


「ジルが、消したの……?」


「ああ、すまない、昨日、見境もなく付けてしまったから。その……きちんと回復を、させようとして……」


 回復……。そういえば、私、回復するなら無茶していいよって言った気がする。それを忠実に実行した結果が、これか。キスマークも全部消すってか。道理で目覚めも爽やかなわけだ。昨日の疲れも全部、回復してくれてたってことでしょ。


「……馬鹿ジル。式に問題ない程度でよかったのに」


 ぐす、と鼻をすすって、私はぐりぐりとジラルダークの胸に額を押し付ける。ついでに、何年ぶりかの涙を拭う。いやまぁ、毎晩泣かされてるけどさ、別の意味で。まさか、泣くか。キスマーク消えて泣いちゃうのか、私。いや、これは泣いてない。ドライアイだ、ドライアイ。そういうことにしておこう。

 涙も引っ込んだな、とジラルダークの胸から顔を上げると、しょんぼりと切なそうに眉を寄せた彼の顔があった。それが可愛らしくて、さっきまでの血の引けるような焦りも混乱も許してしまう。悔しい。


「次からは、最上級の回復魔法は禁止ね」


「ッ……だが、」


「やだもん、朝起きて焦るの。ジルの付けてくれた痕、消さないでよ」


「!」


 付けた本人だから消すのも自由かもしれないけど。そこは、付けられた側の権利を主張させて頂こう。いっぱい付けられたなぁと思って寝て起きたらまっさらとか、さすがに驚く。魔法がない世界のパンピーとしては、夢でしたかそうですかで済ませちゃうくらいの事象だっつうの。


「……つらい」


「?」


 ぼそっと、ジラルダークが呟く。


「すぐに、今すぐに付け直したい」


「え、ちょ、待った!だってもう、準備しないと!」


「これを、耐えろと……?」


「どれをよ!?」


 そう。忘れてはいけない、今日は結婚式当日だ。早めに起きたとはいえ、1ラウンドこなしてから行けるほどの時間はない。てゆうか、私はドレスアップしたりメイクしたりしなきゃいけないからね!?


「カナエ……」


「だ、だめ!だめったら、だめ!」


 捨てられた子犬のような目で私を見てくる魔王様に、必死に首を振る。だ、だめだ。ここで絆されたら、それこそ大惨事になる!


「ならば、この一つだけ」


 がしっと腰をホールドされて、私は身動きが取れなくなる。ジラルダークは私を片腕で抱いて、うなじに唇を付けた。


「っ……!」


 そこ、髪をアップにしたら見えちゃうじゃない!生え際ギリギリだけど、いや、そういう問題じゃない!


「ひっ、だめ、ジルっ……」


「……ここならば、ボータレイがうまいこと隠すだろう」


 敏感な場所にジラルダークの歯が触れて、ぞわぞわと背筋が震える。うなじに口付けて、不本意だがな、と彼が囁いた。

 消したの、ジラルダークのくせに。でも、確かに回復してって言ったのは私だ。いや、消せとは言ってないけども。ああ、もう、しょうがないなぁ。


「一個だけ、だからね!それ以上は禁止!帰ってきてからね!」


「……ああ、そこまでは、自制しよう」


 非常に引っかかる、そこまでは、発言に今は目を瞑ることにしよう。いそいそと布団から抜け出して浴衣を着ていると、朝食の声がかかった。毎度、ナイスタイミングです、侍女さん。

 今日も今日とて手際よく用意された朝食は、……これ和食じゃない。でも、分かる。厚切りのトーストと、ベーコンと、ソーセージ、当然の如く鎮座ましましているスクランブルエッグ。それに、サラダと牛乳とオレンジジュース。変化球できやがったな、大介くん。


「ん、今日は米ではないのか?」


「これはこれで、懐かしいのですよ、魔王様」


 和食ではない。ないんだけども、懐かしい、この組み合わせ。旅行先のホテルの朝食でよく出てたラインナップだ。例えばこのスクランブルエッグが魚のフライに変わっただけで、こんな懐かしい感覚にはならない。不思議なもんだよね。

 ちなみに私は、ベーコンでスクランブルエッグを巻いて食べるのが好きだ。スクランブルエッグをパンに乗せてもいい。むしろ、ベーコン、卵、パンという、贅沢盛り盛りパンにしても構わない。つまりは、どの組み合わせでも美味しくいただけるのだ。


「むぐむぐ」


 ベーコンカリカリ!スクランブルエッグふわふわ!厚切り食パン、カリふわ!うまー!ケチャップもいい塩梅でうまー!


「卵かけご飯といい、さすがに、カナエの和食の食べ方は旨いな」


 相変わらず私の食べ方をマネしながら、ジラルダークが穏やかに微笑む。でしょ、と笑うと、ジラルダークもおかしそうに笑った。

 これから結婚式だというのに、何だかほんわかのんびりしてる。みんな、こんなものなのかなぁ、結婚式当日の朝って。もっとなんかこう、緊張してたり、ドタバタしてたりするもんじゃないのか。


 元気に朝食を完食した頃、侍女さんが私たちを呼びに来た。支度を整えていたら、隣の魔王様が私の顔を覗き込んでくる。じっと見つめられて数秒後、ほっとしたように彼は眉尻を下げた。


「よかった、涙の跡は残っていないな」


「な、泣いてないもん!」


「ああ、すまなかった」


 ジラルダークはやわらかく私の頭を撫でて、こめかみにキスを落とす。私はジラルダークの黒髪をわしゃわしゃと撫でた。くすぐったそうに、彼は喉の奥で笑う。


「じゃあ、式場でね」


「ああ、楽しみにしている」


 結婚式かぁ。どんなことになるんだろうなぁ。楽しみなような、ちょっと不安なような。準備が大介くんとボータレイさんだもんね。ボータレイさんが踏ん張ってくれたと信じたいところだ。

 式の後はお披露目もあるって言ってたから、頑張らないとな。うん、よし。


「一丁、やったるか!」


 がっ、と両方の拳を合わせると、隣の侍女さんは微笑んだまま首を傾げるのだった。

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