6.奥様の決心
魔王様は強かった。ラスボスどころか、裏ボスレベルのチートっぷりだった。
だって、あの殺人鬼さんだけじゃなくって、海坊主さんとアマゾネスさんを加えても、ジラルダークの圧勝だったんだ。殺人鬼さんの馬鹿でかい剣も、海坊主さんのブーメランできそうな剣も、アマゾネスさんの叩かれたらクレーター出来そうな斧も、全部ジラルダークは受け流した。斧なんて破壊しちゃうし。というか、展開が早すぎてほとんど何やってるか分からない。気付いたら、海坊主さんが吹っ飛んで、アマゾネスさんが吹っ飛んで、殺人鬼さんが吹っ飛んでた。分かったのは、魔王様がとてつもなく魔王様だったってことぐらいだ。
そんな悪魔の王ジラルダーク様は、只今、歓声の真っ只中にいらっしゃる。三人同時に相手するとか言っちゃった時にはどうなることかと思ったけど、むしろ、三人同時じゃなかったら一人くらい死んじゃってたんじゃなかろうか。魔法もさることながら、ジラルダークの身のこなしは曲芸の域だ。
不意に、舞台の上にいたジラルダークが背中に羽を生やした。初めて会った時に見た、あのコウモリの羽だ。
歓声を上げる兵士さんたちは、自分たちが敵わない魔神をぶちのめした魔王様に陶酔してる。分かっててぶちのめしたんだろう。王である自分の実力をその目で確かめさせて、改めて忠誠を誓わせるのだ。
ジラルダークは、完璧な悪魔の王だった。
「皆、よく鍛えられていた。我も久方ぶりに血が滾ったぞ」
低く通る声で、ジラルダークが兵士たちを労う。私は、立ちっぱなしだったことを思い出して、その場に腰を下ろした。隣のベーゼアさんが、肩にストールを掛けてくれる。いつの間にか落としてしまっていたらしい。
「我が誇り高き悪魔の軍よ、これに慢心せず鍛錬に励め。我の期待を裏切ってくれるな」
ジラルダークは宙に舞いながら、強めに言い放った。一拍置いて、兵士たちが声を上げる。魔王陛下万歳、大魔王陛下万歳、って聞こえてくる。
え、ドМ揃いですか、悪魔軍は。今、ジラルダークは『サボんじゃねーぞ、弱かったら切り捨てるからな。』って意味で言ったんだ、よねぇ……?
どうしてこうなった。
「陛下は兵に慕われております。陛下の御為ならば、その身を投げ出そうとする者も少なくありません」
私の言いたいことを察したのか、ベーゼアさんが説明してくれた。
「なるほど。期待をかけてもらえて嬉しい、って感情が先に立つわけだ」
私の言葉に、ベーゼアさんはこくりと頷く。かくいうベーゼアさんもその一人なんだろう。私の側仕えを任されて嬉しそうだったし、期待に応えられるように護衛の訓練も頑張ってる。
「ジル、すごいなぁ」
「それは光栄なことだ」
「っ!」
独り言として呟いた言葉に返事があって、私は目を見開いた。真正面に、ジラルダークがいる。私の真正面……、いや、空中に、だ。
何でここに、って声を上げる前に、ジラルダークは私を抱えて飛び上がる。そのせいで、さっきまでは魔王様万歳って声だけだったのに、御后様万歳が混じってしまった。
「ちょ、ジルっ!」
「言うべきことは言い終えた。このまま城まで戻るぞ」
他の人には聞こえないように、ジラルダークは私の耳元で囁いた。さっきまで、アクション映画のような戦いを繰り広げていた人と同一人物とは思えないくらい、穏やかな声だった。
ジラルダークは私を抱えたまま、見せびらかすように会場の上で一周する。私は、ジラルダークにしがみついたまま、片手で軽く声に応えた。それを確認して、ジラルダークは一気に高度を上げた。
全身で風を切る感覚に慣れなくて目をきつく閉じていたら、いつの間にか息苦しさはなくなっていた。
どうやら、直接、寝室の窓から部屋に入ったらしい。羽があるっていいなぁ。
「大丈夫か、カナエ?」
私を抱えたままで、ジラルダークが覗き込んでくる。心配そうに眉を寄せる表情は、殺人鬼さんたちを吹っ飛ばした時の凛々しい顔からは想像できない。
振り幅が広いな、魔王様。
「うん、大丈夫」
頷いて、私はジラルダークから降りた。ほっとくと、四六時中抱き上げられそうだ。重くないんだろうか。
まぁ、あんな戦いが出来る人なんだったら、百人乗っても大丈夫とか言いそうだけどね。
「にしても、すごいね、ジル。魔法もバーンって、魔神さんもドーンって」
「カナエの世界には、魔法が無かったのだろう?」
「うん。だから、びっくりしたよ」
驚いただけじゃない。ぶっちゃけ、ジラルダークは、めちゃくちゃかっこよかった。
体が何倍も大きい殺人鬼さんや、瞬間移動でもしてるんじゃないかって程の海坊主さん、筋骨隆々としたアマゾネスさんの三人を相手にしても余裕たっぷりだった。
ジラルダークは、びっくりしたという感想だけじゃ不服なのか、じーっと私を見てる。うん、魔王様がご覧になっていらっしゃる。
「それに……、あの、その、ジル、かっこよかったよ」
もそもそと、俯いて呟く。いや、うん。恥ずかしいんです。ジラルダーク、こっちめっちゃ見てるし!見るな!
「……カナエ」
俯いてたら、ジラルダークの手が私の頬を包んだ。硬い掌は、ついさっきまで剣を握っていたんだ。
私は、促されるまま、ジラルダークを見上げる。
「あんまり無茶しちゃダメだよ、ジル」
「ああ……、そうだな」
ジラルダークは目を細めて笑って、私の額に口付けた。
そういえば、ジラルダークって口にはキスしてこないなぁ。耳とか舐めてくるのに、口へのチューは避けるのか。お前、私の尻撫でたり掴んだりしてるだろ。何でそこを遠慮するんだ、そこを。人のこと、娶るとか后だとか好き勝手に言っておきながら、そういうところは遠慮しちゃうのかい。むしろ、そこもぐいぐい来てもいいのにね。
……ああ、うん。そうだよね。
三対一、頑張ったご褒美だよ、ね。
「!」
魔王様の服を引っ張って、爪先突っ張って背伸びをして、顔を傾けた。あ、でも、歯をぶつけないように、勢いには気を付けて……。
とん、と触れたのはかさついた感触だった。ぷるぷるリップじゃない。うん、今度、魔王様に唇の蜂蜜パックを教えてあげよう。
唇を離すと、魔王様はこれでもかと目を見開いて私を見ていた。
……う。
「が、頑張ったご褒美なんだからね!別に、してほしかったとか、そんなんじゃないんだからね!」
凝視してくる魔王様に恥ずかしくてまくしたてたら、何故かツンデレになってしまった。私、ツンデレキャラ目指してないから!そんなんじゃないから!
「……カナエ、もう一度」
ぐいっと後頭部を引き寄せられて、息を飲む。ジラルダークがものすごく近い、と、思ったら、また乾いた感触がした。さっきはほんの一瞬だったのに、今度のは瞬きを二回挟めるくらいに長い。
「んっ、……ちょ、ジルっ……」
「もう一度、いいだろう?」
ジラルダークの低い声が、唇を通して耳に響いた。クラクラするのは、きっとさっき空中飛行したからだ。パンピーの身で生身のまま飛行とか、無謀だったんだ。
「っは、……ん、」
口呼吸してるわけじゃないのに、息苦しくて、胸が締め付けられて堪らない。触れるだけのキスが、物足りなくてしょうがない。
ああ、どうしよう。わたし、この人に惚れてしまったかもしれない。
悪魔の王であろうと頑張ってる、このちょっとズレた魔王様に。
「ジル……」
私、パンピーの村人でいたかったんだけどなぁ。派手な魔法も、華麗な剣術も、吟遊詩人が歌うような物語も要らなかったのに。
「魔王様の奥様って、なんだか色々大変そうだね。これから、気合入れて頑張らなきゃ」
悪魔と呼ばれる人たちを守るために矢面に立って、名ばかりじゃなく実力もつけて、それでいて、私みたいなパンピーに引っかかっちゃうこの人を、私は嫌いにはなれなかった。ほら、イケメンだからね、ジラルダークは。
妻であることを肯定した私に、ジラルダークは驚いたように目を見開いた。魔王様のことだ、もっと時間をかけて私を落とす、とか思ってたのかもしれない。ていうかさ、私、頷いてたじゃない。魔王様のお后になるって、はいって頷いてたじゃない。
いや、うん。あの時は村に被害が及ばないようにって頷いたんだけども。ほら、漢たるもの、一度決めたことを覆すのも、ね。というか、私が魔王様に惚れちゃったんだけどね。
私が思う魔王そのものだったら、きっと、一生惚れることなんてなかっただろうに。こんなに人間臭い魔王様の隣になら、立ってみたいと思うんだ。
「……ベッドルームに行ってもいいか」
「っていうか、ここがベッドルームじゃないの、ジル」
真面目に聞いてくるジラルダークに笑って応えて、私は彼の肩に腕を回した。
パンピーの村人改め、魔王様の御后様。私はそれを口先だけじゃなく、受け入れる。これもほら、ファンタジーの王道ってヤツじゃない。ただの村娘が、とてつもない力を持った誰某に娶られるっていうの。その誰某が、トリッパーの先輩で魔王様だったってことだ。
それにね、目の前でものすごく嬉しそうにしてるイケメン魔王様を見れただけでも、覚悟決めた甲斐があるってもんだ。
「その身も心も、魔王に捧げてくれるか、カナエ?」
「御心のままに、魔王様」
ふざけて笑いあって、私たちは赤黒いベッドに身を沈めた。