62.日本人の回想1
【ダイスケ】
オレがこの世界に飛ばされたのは、今から670年か680年ぐらい前だ。気付いたら、小高い丘の上に立っていた。進級祝いで、クラスメイト何人かとカラオケボックスに入った瞬間、だった。何が起こったのか、オレの頭がいかれたのか、新手のバーチャルリアリティか、何も分からなかった。
どんな状況なのか把握できてない状況で動き回るのは得策じゃなかったかもしれないが、かといって助けがくる希望もない。丘から見えたのは、その先に広がる森と、そこそこ登りがいがありそうな山だった。
学校帰りだったから、一応竹刀は持っていた。家に帰ってからも、母屋の方の道場で稽古つけてもらうつもりだったからだ。今となっては竹刀じゃ致命傷を与えるのは難しいから持っててもあまり意味は無かったと思うが、あの時は何よりも頼もしく思えた。
趣味で集めてるラノベにも、トリップ物はあった。こうして、大自然の中に放り出されるシチュエーションも知ってる。だけどな、それが現実になって自分に降りかかるだなんて思うかよ。
ナイフなんざ持ってなかったオレは、川の水を飲んで、食えそうな木の実を食った。何度か腹も壊した。
飛ばされてから、何日が経っただろう。日付の感覚が完全に狂った頃、オレはようやく言葉の通じるヤツに出会った。全然嬉しくなかったけどな。
「くっそ……!何だってんだよ!」
ねぐらにしてた川辺の岩場から、だいぶ離れちまった。でも、もう戻れないだろう。薄暗い森の中を、ひたすらに駆け抜ける。
今日もリンゴもどきと木苺もどきで昼飯を済ませ、ちょっとずつ周囲を歩き回りながら生徒手帳に地図を書き込んでたところだった。誰かいるのか、と聞こえた声に、一瞬、思考がまっさらになる。もう一度、おい誰かいるのか、と聞こえてきてようやく、オレは動き出すことが出来た。ここだ、ここにいる、頼む、助けてくれ、と声の聞こえた方に必死に叫んだ。
で、姿を見せるなり悪魔だ何だと騒ぎ立てられて、石やら矢やらが飛んできやがった。
反射的に見通しの悪い藪の中へと逃げ込んで、真っ先に脳裏に浮かんだのは、コレ、最低最悪の嫌われ系トリップ物じゃねぇのかってことだった。まさか、オレ自身の姿形が変わらずに、見つけた瞬間殺されるレベルの嫌われ者になってるとは思わなかったけどな!この世界の奴等も服装以外、オレとほとんど変わらねぇってのに、なんでこっちは悪魔なんだよ!
「はぁっ……、はぁっ……!」
物音をたてない方がいいんだろうが、そんなスニーキングスキル、オレには無い。逃げるだけでも必死だってのに、方角なんざ分かるわけもない。ちくしょう、折角あの辺の地形、地図に起こしたってのに!
追いかけてくる音はもう聞こえない。森も、陽が落ちかけてるせいでかなり薄暗かった。荷物はほとんど置いてきちまって、今持ってるのは生徒手帳とペン、この世界の奴等を牽制するのに使った竹刀だけだ。
やっべー……、これ詰んでね?水場も分からない上に、食料もない。ついでに現在地は、国どころか星規模で分からないとたもんだ。しかも、現地人はこっちに対して殺意を向けてくる。無理ゲーだよ、無理ゲー。KOTY入賞もんだっつの。
そう気付いたら、もう走り続けることはできなかった。
藪の中に体を突っ込んで、荒い呼吸のまま地面に寝転がる。碌なモン食ってねぇから、体力もだいぶ落ちちまった。せめて、ナイフがあればな……。弓矢作ったり、罠作れるんだけど。
とにかく、今は生き残ることを考えないとどうしようもない。息が整ったら、また水源を探さないと、か。ついでに、食べ物も、探しながら……だな。ああ、やばい……。体力、ねぇのに、全力疾走……させやがって……。ん……、土が、冷たくて……気持ちいい、な……。
息が……、整う、まで……、だ、から……。少し……だけ、休も……う。
あー…………、おにぎり、食いてぇな……。
◆◇◆◇◆◇
眩しさに目を開けたら、視界いっぱいに男の顔が映った。
「おや、気が付いたかい?」
あ……?
オレ、確か、この世界の原住民に殺されかけて、逃げて、たんだよな?んで、力尽きてぶっ倒れてた、はずだ。少なくとも、ベッドらしきものに入った覚えはない。つうか、ここしばらく、ベッドなんて上等なモンで寝た覚えもない。
「ここ、どこ、だ……?」
出した声は、言葉になっていたか怪しいくらいに枯れていた。目の前の男は、陶器のコップを差し出してくる。中には透明の液体が入っていた。
「飲みなよ。ただの水だから」
頷いて、オレは一気に飲み干す。男が言った通り、中身はただの水だった。ほっと息を吐くと、男が呆れた顔でオレを見ている。
「素直なんだね。少しは毒が入っているか、疑った方がいいよ?」
「わざわざ、ぶっ倒れてた野郎運びこんで毒殺する変人だってなら、最初っから勝てる気しねぇもん」
「まぁ、それもそうだね」
男は肩をすくめると、長い茶色の髪を揺らして首を傾けた。もっと飲む、と水差しを向けられて、オレは素直に頷く。注がれた水をまた飲み干して、オレは男に向き直った。男は、……つうか、男っつうには線が細い、どこぞのアイドルのような顔立ちの野郎だな、コイツ。
「で、ここはどこだ?」
「ここは即席で作った隠れ家だよ。とはいえ、私も多くは知らないけれどね。気付いたら森に放り出されてたから」
「アンタもか」
「君も追われたんだろう?悪魔とか何とか言われて」
「ああ。じゃあ、境遇は一緒ってことか。言葉は通じてるわりに、日本人、には見えねぇけど」
「にほ、ん?何だい、それは。……亜人?」
不思議そうに首を傾げる男に、オレは苦笑いを浮かべる。言語認識はチート能力みたいだな。下手したら、この男は地球以外のどこぞから飛ばされてきたってことだ。
「オレの世界にある国だ」
「……聞いたこと無いね」
「そもそも、悪魔になった覚えはないんだけどな。オレは人間だ」
「私もだよ」
疲れたように笑う男に、オレも口元を吊り上げた。それからしばらくの間、オレはそいつと情報を交換するのに費やした。アイドルみたいな男だと思っていたボータレイが、ココロは女、体は男だったというどうでもいい情報も手に入れた。
オレの世界のこと、今までどうやってしのいできたかを話して、ボータレイの世界のこと、今までどう過ごしてきたかを聞く。一人では憶測でしかなかったことも、ボータレイの情報と合わせることで何となく仮説を立てることができた。
「ここが異世界で、この世界の人間にとってアタシたちは悪魔、で、アタシとダイスケはそれぞれ別の世界から来てる、ってこと?」
オレの世界では、男が女になるっつうのはそう驚くことでもない。そう告げた瞬間から、ボータレイはアイドルからオネエに転身していた。
「ああ。少なくとも、オレの世界に魔法はないぜ」
ボータレイが魔法で育てたというトウモロコシもどきを齧りながら、オレは頷く。味はジャガイモみたいだ。バターと塩がほしいな。
しかし、数日、下手したら数週間ぶりの穀物はマジで美味かった。まだまだたくさんあるから、食べれるだけ食べなさいと笑うボータレイに甘えて、胃袋が求めるだけトウモロコシもどきを詰め込んだ。
「便利だな、魔法って」
「そうね。アタシの世界ではあるのが当たり前だったのよ。魔法を使えない者も、少数ではあったけど、いたのにね」
オレに追加のトウモロコシを差し出しながら、ボータレイはどこか寂しそうな表情になった。魔法が使えない誰かが、元の世界にいたのかもしれない。それも、身近に感じるほどすぐそばに、だ。
「オレの世界では魔法が使えない分、想像力は逞しかったぜ。魔法も、よく小説の題材にされてた。こういう、異世界間を飛んじまうトリップも、な」
「解決できるの?」
「いいや。言っただろ、オレの世界では魔法もトリップも空想なんだよ。実証されてるものじゃない。思いつけば、それが全て正しくなる物語の中の話だ」
そうだ。こんな馬鹿げた状況は、物語の中のフィクションでしかありえなかった。だというのに、オレはここにいる。ここで生きている。異世界人を追い回す原住民と、魔法を使える異世界人。夢にしては、長すぎる上に空腹も焦燥もリアル過ぎだ。
「それでも、何の情報もないよりはマシだわ。貴方の世界の娯楽が、実体験を元にしていないとは言い切れないんでしょう?」
「そりゃま、そうだけどさ」
ラノベの王道設定だと何があったか。無駄に記憶力だけはいいオレの頭をフル活動させた。ボータレイにラノベにおけるトリップの何たるかを語り終わる頃には、オレの腹はトウモロコシで満たされてたし、ボータレイは一気に詰め込まれた知識に頭を抱えていた。
「嫌われトリップ?ってやつなのかしらね、これ」
「ラノベだとそうなるけどよ。この世界の奴等の好感度、回復できるレベルじゃなかったように見えたけどな」
「アンタの世界の嫌われトリップだと、周囲の好感度を徐々に回復しているのが王道なんじゃないの?」
「ここまで大規模に嫌われてる場合は、生まれながらの障害があるか、主人公の親に問題があるパターンなんだよ。どっちも転生だけども」
「そもそも転生してないでしょ、アタシたち」
「そ。だから困ってんじゃん」
オレのよく読むジャンルに、トリップしたそのままで嫌われってのは無くもなかった。ただ、それは世界観違うというか、その世界で現代人を見るとゲテモノやらバケモノに見えるっていう設定だった。けど、この世界の住人はオレたちと見た目はそんなに変わらない。肌の色だって、追いかけてきた奴らの中に黄色人種もいた。違いは服装くらいだ。
「オレたちの前にトリップしたやつがこの世界の住人を虐げてた、とか?」
「そうねェ……」
ボータレイは、何かを考えた後、恐る恐る口を開く。
「ネェ、アタシたち、そんなに凶悪に見える?」
「少なくともオレの目には、単なるオカマにしか見えねぇな」
この世界で初めて会った意思疎通のできる人間は、この世界に来て初めてオレにグーパン決めた野郎だった。




