61.陽炎の行方
たっぷりと時間をかけて可愛がられた後、私は疲れを取るために温泉に入った。新しい浴衣を纏って、ほっと一息つく。ジラルダークは私が温泉に向かう途中で東堂さんに呼び出されてた。仕事のことだって言ってたから、夜までかかってしまうかもしれない。まあ、終わったら瞬間移動してくるでしょ。魔王様のことだし。魔法使えるっていいなぁ。
そう考えて、私は部屋には戻らず、お城の庭園を散歩することにした。ここ、梅やら桜やらが植えてあるのは勿論、藤棚や竹林、もみじや楓が植えられた一角もあるし、池に錦鯉モドキもいる。
あ、ウナギモドキもいるぞ、この池。
「すくすく育つんだぞー、ウナギちゃん」
「夕飯はウナギの蒲焼にしようか。夏苗ちゃんは山椒かける派?」
「いえ、私はそのまま食べる派で……、え?」
不意にかけられた声に振り向くと、すぐそばにダメージ加工されたデニムと黒のパーカーという、日本の一般的な洋服を着たの少年が立っていた。この人の声といい、顔といい、あれまさか。
「と……、東堂さん?」
「正解」
ニッと口角を吊り上げて笑う東堂さんは、普段の侍スタイルでござる口調してる時よりも年相応の少年に見えた。
「と、東堂さんがまともに見える……!」
「はっは、そうだろうそうだろう。どう?ギャップ萌えした?」
「いえ、それは特に」
鷹揚に頷いた東堂さんに首を振ると、東堂さんは喉を鳴らして笑う。
「ちぇっ、どうせならダークに妬かせてみたかったんだけどなぁ」
「自慢じゃありませんが、消し炭にされますよ」
つい最近まで、私に触るな令が出てたくらいだ。からかい目的でも、ちょっかい出してきた人を叩きのめしかねない。イケメンにそこまで執着されるって時点で、パンピーな私にとっては光栄でしかないんだけどもね。JS、JK、カワイイ、イケメンは正義なのですよ。
「だよなぁ。アイツ、夏苗ちゃんのことヤンデレレベルで溺愛してるもんなぁ」
東堂さんは呆れたように肩をすくめると、私に並んで池のそばにしゃがみこんだ。足元の池の中では、餌がもらえると思ったのか鯉とウナギが集まってきてる。ジラルダークも一緒かと思ったけど、ここには東堂さんしかいない。
「お一人ですか?」
「ああ、ダークはもうちょいかかりそうでさ。オレが様子見に来たの」
「魔王様も領主様も大変ですね」
「まぁな」
東堂さんは曖昧に微笑むと、池に視線を移した。相変わらず、餌を貰おうと鯉やウナギがせわしなく口をパクパクさせてる。
「……いいのか、夏苗ちゃん」
「え?」
緩やかに流れる風にすら掻き消されそうなくらい、小さな声だった。思わず東堂さんの方を見ると、東堂さんは池に視線を落としたまま口を開く。
「オレはさ、ここに飛ばされて、散々苦労して、気付いたら領主にまでなっちまった」
東堂さんの横顔に浮かぶのは、どこか嘲笑するような、嘆くような、悲しい表情だった。普段のふざけた口調の東堂さんからは想像もつかないくらい、暗い感情が滲んでる。ああ、この人、こんな顔も出来たのね、とどこか他人事のように思った。
「オレ、日本じゃ高校生だったんだ。共学でさ、2年になったばっかだった。新しいクラスでさ。ダチもいたけど、半分くれぇ知らない面子だった。部活には新入部員もいた。次は大会で優勝するぞって、さ。6月にあったんだ」
「東堂さん、何部だったの?」
「剣道部だったよ。結構、強かったんだぜ、オレ」
そう笑う東堂さんは、どう見ても年下の高校生にしか見えなかった。ここで、数多くの悪魔を守る領主をしているだなんて、嘘のようだ。
「でもさ、オレ、日本人なんだよ。バカみたいに平和で、武器になりそうなのっつったって竹刀とか包丁ぐらいしか持ったことがなくて、人が死ぬような戦争なんて、そんなの、遠い国の、テレビの向こう側の話だったんだ」
「うん……、そうだね」
「そりゃ、サバゲとかやったことあるよ。殴り合いの喧嘩だってしたことある」
「男子高校生だもんね」
「おう。男子高校生だからな。……けどさ、誰かの上に立つとか、誰かの命を奪うとか、そんなことできるわけがねェんだ。オレの采配次第で人が飢えたり、ニンゲンに殺されたり、災害で死んだりするんだよ。そんなの、マジ、無理だって。オレ、まだ高校2年だぜ?社会経験すらねぇのに」
「……うん」
鯉とウナギは、いつの間にか私たちのそばから離れて、何もなかったかのように池の中を泳いでる。さわさわと吹く風は、どこからか花の匂いを運んできた。
「けど、結局ここまでやってる。今はむしろ楽しんですらいる。何百年も同じ領主じゃ飽きるから、趣味を混ぜてみたりな」
「それは、うん。東堂さんとこの領地を見れば分かるよ」
「ああ」
口角を吊り上げた東堂さんは、それでもどこか真剣な色を帯びた目で私を見た。
「夏苗ちゃんは、そんなオレよりも、何倍も何十倍も苦労したジラルダークの嫁になろうとしてる」
「……うん」
「この国では、魔王の后って前例がねェけど、これだけは断言できる。絶対にその道は甘くない。ニンゲンだって何度も攻めてきたし、これからも攻めてくるだろう。魔物もいる。災害も多い。民から異常な期待を寄せられることもある」
「その全部、日本で平々凡々な生活してたら、絶対にありえないことだもんね」
「そうだ。だからこれは、同じ日本人として言っておく」
東堂さんは私に向き直ると、完全に笑みを消して言った。
「本当に、魔王と結婚していいのか、夏苗ちゃん」
その言葉に、私はゆっくりと微笑む。
「うん。私は、魔王様の……ジラルダークのところに嫁ぐよ。私はまだ、身近でニンゲンとの争いを見たことがないし、いつだって魔王様の手厚い庇護の下にいるけれど……。それでもね、ほんの少しでもジルを支えたいんだ。その為だったら、どんなことでも、どんなに時間がかかっても、飲み込んでみせるよ。ニッポンのOLなめんな、だよ」
しっかりと頷いて答えると、東堂さんは一瞬目を見開いた後、とても可愛らしい笑みを浮かべた。16歳の男の子らしい、全開の笑顔だ。
「そっか」
よかった、と言わんばかりに、東堂さんは何度も頷く。
「別に応援してないわけじゃねぇよ。むしろ、ダークを精神的に守ってやれる人がいて、安心してんだ。アイツ、馬鹿みたいに真面目だろ?溜めこんで溜めこんで、いつか自滅すんじゃねぇかって思っててさ」
「心配だったんだね、東堂さん」
「大介でいいよ。苗字にさん付けなんて、思いっきり他人行儀じゃんか」
「じゃあ、大介くんって呼ぶね」
「おう」
拗ねたように言う東堂さん……、大介くんに促されて、彼の呼び名を変えてみた。日本にいた頃は弟いなかったけど、何だか弟と話してるような、不思議な気分になる。
大介くん、と呼んでみたら、彼は照れたように笑った。おお、笑顔が眩しい。若いっていいなぁ。精神的には年上だけども、まだまだ私は見た目の年齢に思考が引っ張られちゃうなぁ。
「オレさ、昔、あの魔女と結構でかい喧嘩しててよ」
「魔女って、オティーリエさん?」
「そ。ダークを盲目に崇拝してたんだ。ヤンデレっつうか、ダーク以外はマジでどうでもいいって、どっか狂っちまってた。オレたちのために国を創ろうってのに、ことごとく邪魔しやがってさ。剣向けて、殺すつもりでやりあった」
確かに、私を誘拐した時のオティーリエさんは、話が通じてるようで通じてなかった。ジラルダークが魔王として“らしく”いようとした行為すら、歪んで受け取ってたもんね。金髪碧眼のジラルダークが本物で、黒髪赤目のジラルダークは騙されて汚された姿、だっけ。
「仕事と私、どっちが大事なの?」
「えっ」
「って、言いたかったんじゃないの、オティーリエさんは」
私の言葉に驚いて固まった大介くんに、私は苦笑いを浮かべた。オティーリエさんはつまり、ジラルダークのことが大好きだっただけなんだよね。ジラルダークのことが大好きなのに、彼が魔王になってしまう。一から国を創るって、何から始めればいいのか、どこまでやればいいのか、想像もつかない。ただ、とても大変なことだというのは素人でも分かる。そして、建国に着手してしまえば、ジラルダークが国のために自己を犠牲にするのも目に見えている。彼はそれでいいと言うだろうけれど、オティーリエさんはそれが許せなかった。
「まぁ、日本人にとって髪の毛染めるのもありふれた行為だし、カラコンだって引くほど珍しいものじゃないからね。オティーリエさんの捉えかたとは、ちょっと違うのかもしれないけれど」
「ああ、それもあるかもな。あの女はダークが金髪で碧眼じゃなきゃ嫌だって感じだったよ」
「あれ、王子様みたいだもんねぇ」
「どっちもダークなんだけどな」
そうだね、と私と大介くんは笑いあう。瞬間、大介くんが大きく揺らいで池に落ちた。
ざぱーん、といい音を立てて池ポチャした大介くんのいたところには、真っ黒な塊が立っている。魔王様はいつもの魔王様ルックで、大層不機嫌そうに浮かせていた片足を地面へ戻した。大介くん、蹴り落とされたのか。
「ぶはっ!げっほごほごほっ!何しやがる、ダーク!」
「人の妻に色目を使うな」
残念だったね、大介くん。魔王様はギャップ萌えに頼らずともやきもち妬いちゃう人なんだよ。しかも、もう1ラウンドってところで呼び出し喰らってるから、ご機嫌も絶不調なのよ。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ大介くんと、もう一度沈めてやろうかと殺気立つジラルダークに挟まれて、私は思わず笑ってしまった。ジラルダークを支えてくれる人は沢山いる。そのうちの一人に私もなれるといいなぁ。




