54.魔女の終わり
【ジラルダーク】
カナエが元に戻った翌日。昨夜寝ることのできなかったカナエが午睡を楽しんでいる間に、俺は領主邸の地下牢に向かっていた。付き従うのは、俺が魔王になる以前から、特に俺を支えてくれた仲間のトパッティオ、ダイスケ、ボータレイ、エミリエンヌ、そしてカルロッタだ。
急な呼び出しではあったが、オティーリエとけじめをつけるためにとカルロッタも来てくれた。カルロッタの領は今もまだ雪が厚く残っているから、補佐だけを残してくるのも不安だったろうに。
「んなこと気にすんじゃねーよ。オッサン、これでも真面目にお仕事してんのよ?」
わざわざすまない、と声をかけた俺に、一日くらい抜けても大丈夫だと、カルロッタは笑った。
久々に顔を合わせる理由が、オティーリエの処刑だというのも皮肉なものだ。俺たちはあの頃と変わらないメンバーで、あの頃に仲間だと思っていた者を処するのだから。
この国を創る前からの仲間は皆、要職についている。今日はダイスケもサムライの格好ではなく、当初によく着ていた領主用の悪魔服を纏っていた。
「では、行きましょうか」
「ああ。ようやく、ケリがつくな」
トパッティオとダイスケが頷き合う。
「ウフ、カナエちゃんの分も懲らしめてやるんだから」
「な、ダーク。後で嫁さん紹介しやがれよ。俺だけ知らねって、何これ、新手のオッサンいじめ?」
笑うボータレイに、カルロッタが肩をすくめた。
まるで、あの頃に戻ったかのようだ。やり取りを懐かしいとも思うが、俺の思考を染めていたのは、あの頃とはまるで違う感情だった。
これを狂気と呼ぶならば、恐らくそれは正しいのだろう。
「オティーリエ」
銀糸を抱えるように床に伏せていた魔女は、俺の声に顔を上げた。
「だ、ダー……ク……?」
大きな瞳に涙を溜めて俺を見上げるオティーリエを、冷めた瞳で見下ろす。喜色に染まる魔女の顔が、不愉快で仕方なかった。
「ダーク、よかった。無事だったのね!今すぐそいつらから逃がしてあげるから、貴方を元に戻してあげるから、私をここから解放して頂戴!大丈夫よ、ダーク!今度こそ、そいつらの好きにはさせない!私が貴方を守るわ!貴方を幸せにしてみせる!必ずよ!お願い、信じて!」
堰を切ったように、オティーリエが俺に訴えかける。
まだ、俺がこの国の魔王として認められないか。
「どうしてお前がそちら側にいると思う」
「……え?」
「どうして俺は、お前のそばにいないと思う」
「それは貴方が、そいつらに毒されているからよ!大丈夫、私ならば解呪できるわ!」
「あの頃から、俺とお前は魔法の扱いに長けていた。その俺に、お前以外の誰が洗脳の魔法や呪をかけられると思う」
「!」
「俺を呪うならば、お前ではないのか」
「違うわ!違う!そんなこと、私はしない!私はただ、魔王に仕立て上げられた貴方を救いたいだけなの!」
仕立て上げられた、か。俺を全否定しながら、俺を守りたいと言う。詭弁もいいところだ。対面するだけで気分が悪くなる。
「お前は、お前の思うように俺を動かしたいだけだろう」
「そ、そんなこと、ない……!」
「ならば何故、お前は俺の選択を否定する。俺は俺の意思で魔王になった。今も、俺の意思でこうしてこちら側に立っている」
「貴方の意思を否定などしないわ!気付いて!どうして貴方が魔王なの!どうして貴方だけに責任を押し付けるの!貴方は騙されているのよ!どうか分かって、ダーク!」
「俺は一人で責任を負っていると思っていない」
そんなことを、俺の仲間が許すと思うのか。
確かに、俺は魔王だ。決断を迫られることも、多少の不自由もある。しかし、それを分かった上で選んだのも俺だ。そんな俺に、領主や魔神という形で付き従ってくれたのは、仲間たちだった。同じような責任と不自由を抱えてでも俺を支えるという選択をしてくれたのだ。
「俺は決して、お前のそばには立たぬぞ、オティーリエ」
「なっ……、嘘よ、ダーク!」
「お前は、俺の愛する民を傷つけ、仲間を傷つけ、……そして最愛の后を傷つけた。その罪、何よりも許しがたい」
剣を抜いて、切っ先をオティーリエに向ける。鉄格子に縋り付いていたオティーリエは、怯んだように一歩後ずさった。
「どうした、オティーリエ。俺を幸せにするのだろう?俺の意思を否定せぬのだろう?ならば大人しく、俺の意思に従って斬り捨てられよ」
「う、うそ……」
「嘘ではない。この牢屋は俺の張った魔法防御の結界の中だ。俺を操る何者もいない。純然たる俺の意思だ」
一歩、踏み出す。
「お願い、正気に戻って、ダーク……!」
ああ、そうか。
───お前は最期まで、俺を否定するのだな。
「我が国を脅かす大罪人よ。その身を以って償うがいい!」
剣を振るった先、長い銀髪が弾けて舞った。
◆◇◆◇◆◇
領主邸の応接間に戻ると、そこでは午睡から目覚めたカナエと、カナエの護衛を申し付けていたノエとミスカがままごとをしていた。ああ、トパッティオが出した玩具はまだ残してあったのか。
「お帰りなさい、あなた」
くすくすと朗らかに笑いながら俺を出迎えるカナエに、鬱屈としていた気分が吹き飛んだ。
「お帰りなさい、魔王様ー!」
「お疲れさまです、魔王様ー!」
「こらこら、魔王様はお父さん役でしょ。パパって呼ばなきゃ」
「ごめんなさい、ママー!」
「ごめんなさーい!」
パパ?ママ?……一体どういうことだ?そう不思議に思う俺をよそに、ノエとミスカは床に座るカナエの腰に甘えるように抱き着いている。やわらかく二人の頭を撫でるカナエは、穏やかに微笑んで俺を見上げた。
「今ね、ノエとミスカとおままごとしてるの。私がお母さんで、ジルがお父さん」
カナエの言葉に頷きながら、その隣に腰を下ろす。
「そうか。ならば、子供には厳しくせねばな」
「ふふ、ジルってば威厳あるお父さん目指すの?」
からかうように口元を緩ませるカナエの頬を、指先で撫でた。くすぐったいよ、と笑いながらもカナエは俺に触られるがままにしている。
「…………エミリ、ありゃあ、誰だ?」
「我らが誇り高き魔王陛下と、陛下が溺愛してらっしゃる御后様ですわ」
ああ、付いてきていたのか、カルロッタ。知らぬ顔がいるからか、カナエは驚いて目を見開いた。カルロッタはカナエの座っている位置から死角になっていたらしい。
「うわ、え、っと?!」
「ママ、行っちゃダメー!」
「邪魔しないでよ、オッサン!」
立ち上がろうとしたところをノエとミスカに邪魔されて、カナエはふらりとよろめく。その肩を支えて、俺はカルロッタを振り返った。
「俺の妻だ。カナエという。……紹介したぞ。満足だろう?」
「なあなあ、オッサンの扱い酷くね?いくらオッサンでも泣いちゃうよ?」
部屋の入り口付近で肩を落とすカルロッタから視線を外して、隣のカナエを見る。カナエは、ノエとミスカに抱き着かれ、俺には肩を抑えられ、困ったように眉を寄せていた。
「カナエ、あれはダイスケやトパッティオと同じ、我が国の領主だ。カルロッタという。俺よりも幾ばくか早く、こちらの世界に飛ばされてきた男だ」
「ええ、と。出来ればご挨拶をしたいのですがね、魔王様」
「いい、必要ない」
即座に首を振ると、カルロッタが背後で抗議の声を上げた。無視していると、腕の中のカナエが頬を膨らませる。
「みんな、我侭言わないの。挨拶はきちんとしなきゃでしょ」
その声に、俺もノエもミスカも、カナエを放そうとしなかった。
「ジル、ノエ、ミスカ」
頑なな俺たちに溜め息をついて、カナエは俺の額に人差し指を当てた。俺は目を瞬かせてカナエを見る。
「ダメよ、パパ。子供が真似しちゃうじゃない」
つん、と俺の額を突いて、カナエは笑った。その表情があまりにも可愛らしすぎて、胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。
「ほら、ノエもミスカも放して。いい子だから、ね?」
「……はーい、ママ」
「分かったよ、ママ」
渋々頷いて、ノエとミスカはカナエから離れた。カナエは俺の腕も緩やかに外して立ち上がった。纏っていた水色のワンピースが、俺の目の前でふわりと揺れる。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。ジラルダークの妻の夏苗と申します」
流れるような動作で挨拶をするカナエに、カルロッタは呆けたように固まっていた。絶対にカナエに見惚れている。だから俺やノエ、ミスカが止めていたというのに。
「そのままでいると八つ裂きにされますわよ、カルロ」
エミリエンヌの指摘に慌てて挨拶を返す程度に、俺は凄まじい表情をしていたらしい。この部屋でただ一人、カナエだけが微笑んだまま首を傾げていた。