51.魔女の誘惑
【オティーリエ】
ジラルダークと分かたれた後も、私は努力した。あの悪魔たちに洗脳されたジラルダークを、どうやって助ければいいのか。あの悪魔たちはジラルダークの気高き力を利用して、どんどん国を発展させていく。早く助けなければと気ばかりが急いたけれど、卑劣な悪魔たちは私を捕らえて殺そうとしてきた。ジラルダークにも何度も呼びかけた。けれど、彼の洗脳は根深く、中々解けてくれない。
今回こそは、と。
あんな家畜を押し付けられて、私の我慢は限界だった。あまりにもジラルダークが不憫すぎる。
「辛そうだな、アンタ」
じゃらじゃらと装飾品を過剰に付けた男が、牢の向こう側から呼びかけてきた。確か、ジラルダークを囲う下賤な悪魔の一人だったはず。
「そんなにジラルダーク様のことを心配しているのか?」
「当たり前じゃない。アナタたちに利用されて、あんなにも美しい金色と青色は失われてしまった」
「俺は、その頃のジラルダーク様を知らないけどな」
「そうでしょうね。優しいあの人は、誰にも気持ちを吐き出せない。あんな風に利用されて、洗脳されても尚、あの人はアナタたちに縛られる!」
男は、何かを考えるように俯いた後、視線を左右に走らせた。
「俺はまだ、あの人の部下になって日が浅い。少なくとも、ダイスケ様やトパッティオ様からすれば、足元にも及ばないほどだ」
だが、と男は顔を上げる。その表情は先程までの呆けた顔とは違い、何か覚悟を決めているようだった。
「あの人を助けることはできるのか?」
「……そうね。私をここから解放して頂戴。そうしたら、あの人を救えるわ」
そう言うと、男は悔しそうに首を振る。
「言ったろ。俺はまだ日が浅いんだ。ここの鍵を渡されるほど、信用されちゃいない。上は上でばたばたしてるからな。とりあえず見張らせておくにはちょうどよかったんだろ」
吐き捨てるように言って、男は鉄格子にもたれかかるように座り込んだ。私に背を向ける格好だ。私にくびり殺されるとは思わないのだろうか。まぁ、ここでこの男を殺しても私に何の得もない。むしろ、この男を利用して、ジラルダークを助けることができるならば利用するべきだ。
そう。そうしたらきっと、洗脳の解けた彼が私を迎えに来てくれる。そしてまた、二人で旅に出ればいい。幸福な旅路を、また辿るのだ。
「……ねぇ、アナタの名前は?」
「アロイジアだよ。オティーリエさん」
「アロイジア、ね」
私は、鉄格子越しではあるけれどもアロイジアの傍に腰を下ろした。あの雌豚もそうだったが、日が浅ければまだ、洗脳されていないのだろうか。それとも、力の強いジラルダークだけを集中的に洗脳しているのか。ああ、可哀想に。早く彼を解放しなければ……。
「ねぇ。アナタが洗脳されていないかどうか、確かめさせて」
「何をすればいいんだ?」
「そうね。……アナタは、ジラルダークにどうなってほしい?」
私の言葉に、アロイジアは顔だけを私のほうへ向けて迷いなく口を開いた。
「俺はあの人が幸せであればそれでいいと思っている。いっそ、魔王を挿げ替えてでも、な。あの人だけが貧乏くじだろ、今の状況は」
「そう」
どうやら、この男も洗脳はされていないようね。洗脳などしなくとも、力でねじ伏せられると思っているのかしら。
「そんなもんさ。俺はろくに魔法も使えなければ、武器の扱いもあの人たちには敵わない。俺がどうこうしようとも、抑えられると踏んでるんだろ」
「よく分かっているのね」
「自分のことだからな」
自虐的な笑みを残して、アロイジアはまた正面を向いた。
「で?何か策でもあるのか?」
「どうしてそう思うの?」
「捕らえられたって割に落ち着いてるからな、オティーリエさん」
ふうん。中々観察眼にも優れているようね。これならば、今の手持ちの駒よりは上手く動いてくれそうだわ。あれは変な妄想が強すぎて、あまりコントロールできなかったもの。唯一の功績は、雌豚の趣味が地味だって聞きだしてきたことくらいかしら。そのお陰で、あの雌豚をジラルダークの元から引き離すことができたものね。トパッティオやダイスケが躍起になって聞き出そうとするくらいだもの。雌豚に、私の呪いは効いたに違いない。ああ、あの駒、もう一つ功績が増えたじゃない。
「そうね。ジラルダークのためにも、あまり時間はかけたくないの」
「確かにな。少し前、ジラルダーク様はとても危うかった。自ら命を絶ちそうなほどに憔悴しておられたからな……」
「何ですって!?」
ジラルダークが、自ら命を絶とうとしている……!?
「どうしてそんな重要なことを黙っていたの!ああ、ジラルダーク……!早まってはダメ!私が、私が守ってあげるから……!」
鉄格子を叩きつけると、座り込んだままのアロイジアは驚いて私を見上げた。何て愚鈍な!お前の主が命を絶とうというのに!
ああ、魔法が使えないことが、こんなにもどかしいだなんて!今すぐにジラルダークの元へ飛んで、大丈夫だと、私が守ると伝えたいのに!あの悪魔たちを皆殺しにして、貴方を解放してあげるのに!
「だ、だから、オティーリエさんに話しに来たんじゃないか」
ようやく立ち上がったアロイジアは、怯えたように後ずさった。
「一分一秒を争うのよ!もしものことがあったらどうするの?!彼の命ほど重いものなどないのに!」
「じゃあ、俺はどうすればいい?ダイスケ様にも、トパッティオ様にも俺は敵わない。ジラルダーク様の元には常にあいつらがいる。オティーリエさんをここから出すことも出来ない。鍵もあいつらが持ってる。どうしようもないんだよ」
嘆くアロイジアに、私は告げる。もう、迷ってなどいられない。ジラルダークがその手で命を絶つなど、あってはならないことだ。
「ならば、街に行きなさい。コパルという男に会うといいわ。アレに私の魔力を中継しているの」
「魔力を?」
「ええ。銀の腕輪よ。それを奪いなさい。そうすれば、私の魔力を使える。ここから私が操作できればいいのだけれど、忌々しいこの檻が邪魔で出来ないから」
そう伝えると、アロイジアは表情を引き締めた。
「分かった。どうにかやってみる。コパル、という男だな?」
「ええ。腕力も彼自身の魔力もないただの男だから、奪うのは簡単だわ」
「…………ああ、そうだな」
頷いて、アロイジアは私に背を向けた。
「上手くやれたら、ジラルダーク様をここに連れてくる。ジラルダーク様なら、ここを開けられるはずだ。それまでは、このまま耐えてくれ」
「ええ、お願いね。絶対にジラルダークを救って頂戴」
だから私は気付かなかった。
目の前の男が、あの冷たい目をした男と同じような、冷酷な笑みを浮かべていることに。