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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
愛憎の魔女編
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50.人形の嘆き

【エミリエンヌ】


 私は、幸せな人形だった。お父様とお母様に愛されて、大切にされてきた、幸せな人形。私はそれでよかった。私が微笑めばお父様は笑ってくれたし、私が甘えればお母様は抱きしめてくれた。

 使用人の誰かが、私を人形のようで怖いと言っていた。そうよ。人形でいいの。娘という名の人形で構わないの。二人の期待に応えることが、何よりも幸せなの。


 なのに。


「どこ、ですの……?おとう、さま……、おかあさま……?」


 暗い森に一人、私は佇んでいた。確かに、私はお父様とお母様に抱かれてベッドに入ったはずだ。暖かな腕はどこにもなくて、姿も見えなくて、そもそも、こんな場所に見覚えなどなくて。


「お父様!お母様!」


 声を張り上げても、応じる声はない。


「お父様!お母様!どこにいらっしゃるの!?」


 裸足で、草を踏みしめる。たまに硬い枝や石が落ちていて、足の裏がじくじくと痛んだ。フリルのネグリジェが背の低い木の枝に引かれて裂ける。それでも、誰も応えてくれない。


「誰か、誰かァ!」


「ん?誰かいるのか?」


 不意に、低い男性の声が聞こえてきた。反射的に、私は身を強張らせる。まさか、私は誘拐された?ああ、いけない。エミリエンヌは賢くあらなければならないのに。素敵なお父様とお母様の人形であるために。なのに、急すぎて思考がまとまらない……!


「こんなところに子供……?」


「おい、コイツ!」


「ああ、こんなところに、こんな奇妙なナリの子供がいるわけがない!」


 松明を持った男たちが、どんどん近づいてくる。私は、動くことも出来ずにお父様とお母様を呼び続けた。けれど、お父様もお母様も来てくれない。どんどん、人が、集まってくる!


「悪魔だ!」「悪魔が出た!」「悪魔の子供だ!」「おい、悪魔が出たぞ!」「武器を持ってこい!親の悪魔が来るかもしれん!」「悪魔め!」「女子供は避難させろ!」「男衆を呼べ!」「災いの悪魔を殺せ!」「村に入らせるな!」「武器を持ってこい!」「殺せ!」「悪魔だ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」


「悪魔だ、殺せ!」


 い、や……!


「いやあああああああああぁぁぁぁ!!」


 殺される殺される殺される!私は悪魔じゃない!悪魔じゃないわ!どうして?!同じ人間じゃない!どうしてそんな……!


「逃げるぞ、追え!」


「仕留めろ!」


 そんな、血走った眼で、私を見るの……!?


「やだッ、いや!やめてェェェ!!私は悪魔じゃないの!!」


 私はただのマリオネット、お父様とお母様に愛されるためだけのただの人形なのに!悪魔なんかじゃないのに!


「まずい!」


「何人かやるぞ!そいつを庇え、ダーク!」


 必死に逃げていたら、無理矢理腕を引かれて抑え込まれた。駄目、駄目だ、逃げないと、殺される……!


「きゃああああああ!!いや、放して!!!」


「大丈夫、大丈夫だから、落ち着くんだ」


「いや!殺さないで!私は悪魔じゃないッ!悪魔なんかじゃない!!」


 無茶苦茶に腕と足を振り回す。鈍い感触はあるけれど、腹に回された腕は解かれなかった。逃げられない殺される助けてお父様お母様!


「大丈夫だ。俺はお前を殺さない。大丈夫だ。もう、大丈夫だ」


「チッ……、ダーク!」


 瞬間、ぶわっ、と鉄錆の臭いが広がる。私の腹を抱えたまま、その人は目の前の男を切り捨てた。驚いて、私を抱えるその人を見上げる。


 月夜に輝く金色の髪に、泣き出しそうな青い瞳の人がそこにいた。その後ろに、無精髭を生やした男性が見える。


「粗方、仕留めたぞ。戻ろう」


「ああ、……そうだな」


 そうして、私は悪魔の里へ連れていかれた。



◆◇◆◇◆◇



 ここへ来た当初に混乱していた思考も、だいぶ落ち着いた。私は、お父様とお母様の完璧な人形なのだ。高々、環境が変わったくらいでいつまでも嘆いていられない。


「ダーク。少々よろしくて?」


 難民キャンプ、と名付けられた布や木で出来た家の一角で、私はこの悪魔を統治する男に声をかけた。ジラルダークは、幾つもの地図を広げたまま私に視線を向ける。傍にいたトパッティオやカルロッタ、ダイスケ、ボータレイがつられて私へと視線を向けた。

 異世界の人間が飛んでくる地点、この世界の国の位置、比較的安全な場所。あの地図にはどんどん情報が増えていく。しかし、それでは足りないのだ。


「どうした、エミリエンヌ?」


 この世界に飛ばされて最初に泣きついたのは、目の前にいる不愛想で不器用で朴念仁の男だ。それが、私にとっては少し不名誉でもある。


「いつまで悪魔たちを振り回すつもりでいらっしゃいますの?」


 ここ数ヶ月、ようやく落ち着いた思考で私は、私たち悪魔の現状を考察してみた。この世界は異世界で、悪魔と呼ばれるのは異世界から飛ばされてきた者で、人間は悪魔を忌み嫌う。事実、私も殺されかけた。

 そして、この悪魔たちが集結しているのが、ここ、難民キャンプだ。この世界の人間を恐れて逃げ回りながら、私のような飛ばされてきた悪魔を拾って、当てもなく世界をうろついている。


「振り回す……?」


「言い方が悪うございましたかしら。ダークは、どこへ落ち着くつもりでいらっしゃいますの?人間の領地を奪うでもない、元の世界へも戻れない。その日暮らしでどうにか生き延びる日々をいつまでも続けられると、本気で考えてますの?」


 私の指摘に、ジラルダークは苦い顔で黙り込む。彼の周りにいる人々も、困ったような顔で私を見ていた。


 分かっているのだ。彼も、彼等も、このままではどうしようもないと。カルロッタも、トパッティオも、ダイスケも、ボータレイも、いや、難民キャンプの皆が、そう思っている。拒絶しているのは、オティーリエだけだ。


「…………大丈夫と、貴方がおっしゃったのですわ」


「エミリエンヌ」


「貴方が大丈夫だと、守ると私におっしゃったのではありませんか。貴方以上の人はおりませぬわ。私も、他の皆も、貴方の存在を希望にしておりますのに」


 どうか、決断してくださいまし。


 貴方の決断であれば、私も皆も、きっとついていきますわ。この地獄のような世界で、唯一の希望であった貴方にならば。


「……分かった」


 ジラルダークは頷いて、立ち上がった。


「国を創ろう。俺たち悪魔が、安心して過ごせる国を。人間に、無暗に蹂躙されることなどない場所を、お前に用意しよう」


 そう宣言した彼に、私は微笑んで跪く。ジラルダークであれば、悪魔を守ることが出来る。導くことが出来る。そのフォローも、私たちならば出来る。


 それが、彼女の逆鱗に触れるとも知らずに。


 呼び出されたのは、ジラルダークたち大人が具体的に国を創る話をし始めた頃。


 ばちん、と耳を突くような衝撃が走った。幼い私は、踏み止まることも出来ず簡単に転がってしまう。


「何を、言ったの。彼に、何を言ったの」


「っ……私は、ダークの背を押したのですわ」


 口中に、血の味が広がった。飲み下して、私はオティーリエを見上げる。


「ダークが、国を創る……?悪魔の王になる?アナタは彼を苦しめるだけでは飽き足らず、気高く美しく優しいあの人を、汚し、嬲り、壊すつもりなの?」


 オティーリエが狂気の瞳で迫ってきていた。頬を張られて吹っ飛ばされた衝撃は、未だ強く残っている。震える膝に力を込めて、私は何とか立ち上がった。


「いいえ。このままでは、いずれ私たちは破滅する。私がここへ飛ばされる前から、もう何十年も逃げ回っているのでしょう?もう、ダークだけではなく、彼らも耐えるのは限界ですわ」


「限界?どうして?私はこんなに幸せよ」


 狂気に満ちた笑みで、オティーリエが手を振り上げる。思わず腕で頭を庇うと、その上から容赦なく叩かれた。


「その幸せを、アナタは奪おうとしているの。分かるかしら。ああ、最初から、アナタはダークを苦しめていたものね。もしかすると、アナタは本物の悪魔なのかしら。だから、あの人を苦しめるのだわ。なんてこと。気付かなかった。無意識のうち、手を下すことに躊躇ってしまった。何て様なの。ごめんなさい、ダーク」


 何度も何度も叩かれて、私は再び床に転がされてしまった。


「貴方は私が守るわ。大丈夫よ、ダーク。何も心配ないわ。ふふ、ダメじゃない。私がしっかりしなきゃ。躊躇いなどいらないのよ」


「おい、エミリ……、っ!?何をしている!」


 叩かれすぎて揺れる視界をどうにか律すると、そこに黒い髪の朴念仁がいた。駆け寄ってきた彼に抱き上げられて、じんわりと痛みが引いていく。魔法使いって便利ね。ぼんやりと見上げると、怒りに赤く染まる瞳がオティーリエを貫いた。


「だ、……ダーク?」


「何をしていた、オティーリエ」


「ダーク、その、……その、髪は……、その、目は……」


「何をしていたと聞いている!」


 激昂するジラルダークの声に、彼を真に支えようとする仲間が駆けつけてくる。ダイスケは何があったか察したらしく、舌打ちと共に剣を抜いた。


「こんな時に、仲間割れすんじゃねぇって言ってたよな、オッサン」


「ああ。だが……、そうだな」


「そうだよ!最初から、仲間じゃねぇんだよ、コイツは!」


 いつもは突っ走りやすいダイスケを止める役割のボータレイも、今は手を出そうとしない。カルロッタに至っては、一緒に突っ込みそうだ。


 ああ、この国を纏めるのは骨が折れるわね、ジラルダーク。


 意識を失う寸前、私は苦い気持ちで笑った。

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