47.幼児の奥様1
第三者視点
トパッティオが呼び出したのは、魔神の中でもカナエの相手ができそうなフェンデル、アロイジア、ダニエラの三人だった。ベーゼアは元よりこちらにいるので、これで魔神の三分の一を呼び出したことになる。
また、オティーリエを監視するためにグステルフとノエ、ミスカも呼び出されている。オティーリエが魔法を使って逃げ出さぬよう魔法を封じる縄や結界を張っているので、どうしても魔力のない者が監視しなければならなかった。現状、ダイスケ、グステルフ、ノエ、ミスカ、アロイジアが交代で当たっている。ここまでの手配を、トパッティオは日が昇るまでに済ませた。それだけ、オティーリエを警戒していたのだ。
朝食を終え、ぐったりと応接間のソファに身を沈めたトパッティオに、ダイスケが苦笑いを浮かべる。数百年単位での付き合いになるが、こんなにも疲弊したトパッティオを見るのはジラルダークが魔王になる前以来だった。
「大分振り回されてるでござるな」
「…………黙れ、エセ侍」
「おお、素が出るほどに疲弊しておられる。あの屑女を一晩見張るほうが楽とは、中々に愉快な状況でござる」
ダイスケが笑いながら視線を逸らした先、ジラルダークに抱かれたカナエがきゃっきゃと彼の髪にじゃれついている。傍に控えるベーゼアとダニエラは、微笑ましそうに目を細めていた。
「愉快な状況ではありますが、あの状態は奥方様の精神に負荷をかけませんかね、領主殿?」
カナエのお守り係で呼ばれたアロイジアは、ジラルダークたちが絶えず彼女を構っているから問題ないだろう、とトパッティオとダイスケのいるソファへやってきていた。
「どうにも、中途半端に魔法がかかっているようでござるよ。戻すとして、あの女を吐かせるか、エミリたちが解呪方法を見つけぬ限りは難しいとの見立てでござる」
「見立ては、そちらの補佐殿が?」
「うむ。ブルリア領主殿は、お主らを呼ぶために奔走しておったからな」
「ああ、そうですね。流石に魔王不在、魔神も半分以上不在、期間も未定となれば、……ね」
「左様」
ダイスケは頷いて、こちらへ興味を示しているカナエへ再び視線を向けた。不思議そうに見ているアロイジアに、小さく笑ってみせる。
「……このチャンスでしか確認出来得ぬことを確かめてみるもまた一興、か」
「今だけ確認できること、ですか?」
「左様。御台様は幼少返りしておられる。……しかし、昨夜より一度も泣かぬのだ」
笑みを消したダイスケは、ソファから立ち上がるとジラルダークに抱かれたままのカナエに歩み寄った。
「魔王陛下、夏苗殿、少々よろしいでござるか」
「どうした、ダイスケ?」
「おさむらいさんー」
手を伸ばしてくる夏苗に微笑んで、ダイスケは出来る限り穏やかに尋ねた。
「……夏苗ちゃん。パパとママは、どこにいるんだい?帰らなくていいのかな?」
その言葉に、ジラルダークが目を見開く。こちらの世界に来て数百年の間に、すっかり色褪せてしまっていた記憶だ。自分にも、父と母がいた。カナエほどの年齢の時には勿論、両親の庇護の下にいたのだ。カナエは体も精神も幼少期に戻されてしまっている。それなのに何故、両親を求めないのか。
「んと、ぱぱもままも、おそらにいるのよ。かなね、ばあばにおそとでまってるように、いわれたのよ。おむかえがくるのよ。そしたら、じらるがきたの」
「!」
「ああ、そういうことか……」
小さくダイスケが呟く。同郷であるダイスケだけでなく、ジラルダークもカナエの返答が異常なものであると察した。
「……拙者の生国では、両親と引き離された幼子は泣き喚き混乱するのが常道。夏苗殿は落ち着きすぎているように見受けられる。恐らくは、引き取られた先で酷い扱いを受けていたのではなかろうか。……幼子を、家に招き入れず放り出すような」
「な、んだと……?」
「???」
ダイスケの話す言葉の半分も理解できなかったのだろう。カナエは愛らしく大きな目をぱちくりと瞬かせて首を傾けた。
「……夏苗ちゃんは、おりこうさんだね」
栗色のやわらかな髪の毛を撫でると、カナエは嬉しそうに笑う。
「寂しくはない?」
「あい!じらる、やさしいの。たくさん、ちゅっちゅするのよ」
嬉しそうに笑うカナエに、ダイスケは思わず目を半眼にしてジラルダークを見た。いくら自分の后が縮んだ姿だからって溺愛しすぎだろうが、と視線でジラルダークを睨みつけると、誇り高き魔王はするりと視線を逸らす。
「ダイスケ、あの女はどうした」
「未だ口を割らないでござる。エミリからの返答も来てはおらぬでござるよ」
「我が直接手を下すか」
「抑えられるでござるか?まだまだ、あれからは聞き出したいことがある故、使い物にならなくされても困るでござるよ」
口調こそふざけてはいるが、ダイスケの目は笑っていなかった。
最強の魔女と呼ばれたオティーリエは、国として構えるニンゲンや獣人などよりも悪魔に害を及ぼしていた。オティーリエが悪魔に妙なことを吹き込んだ所為で国が割れかけたり、今回のような自称勇者が出てきたりと、ジラルダークだけでなくダイスケも苛立ちを覚える程度には迷惑を被っている。こちらは自分たちと悪魔が生き残れる環境を造るために必死になっているというのに、己の勝手な恋愛感情だけで妙な言いがかりをつけられていたのだ。簡単に潰されてしまっては、面白くない。
「夏苗殿」
「あい!」
呼ぶと、カナエは元気よく返事をした。
「後でおままごと用のキッチンセットを持ってきてあげるよ。だから、ジラルダークとお姉さんたちと、ここで仲良くしていてね」
「あい!」
元気よく返ってきた返事に、ダイスケは微笑んで頷く。これでいい。ジラルダークは不服そうな顔をしているが、今はまだ、ジラルダークをオティーリエに会わせるべきではない。このままここで、カナエに足止めしていてもらおう。
「目付けはアーロとフェンでよいでござろう」
「はは、容赦ないですね、領主殿」
乾いた笑みを浮かべるアロイジアに、ダイスケは口の端を吊り上げた。
「ティオ、行くでござるよ。ついでにままごと用キッチンセットを出すでござる」
ダイスケの言葉に大きく溜め息をついた後、トパッティオはぱちりと指を鳴らして、ままごと用のキッチンセットとぬいぐるみ各種、ついでにドールハウスを作り上げた。いきなり現れた魅惑的な玩具の数々に、カナエはぽかんと口を開けた後、ぱあっと輝くような笑みを浮かべる。
「わああ!すごいよ、じらる!あっち、あっち!」
「ああ、待て。今連れて行くから、暴れるな」
ジラルダークは、腕の中ではしゃぐカナエに、魔王とは思えないほど穏やかな声で応じる。一瞬で目の前に現れた大量の女児用玩具に、ダイスケは片眉を吊り上げた。隣の領主はすまし顔で牢に向かおうとしている。
「……お主、案外子供好きでござるな?」
「黙りなさい」
ぴしゃりと言い切ったトパッティオに、ダイスケは堪えきれずに吹き出した。何のことはない。この冷たい目をした領主も、カナエを構いたかったのだ。
笑われたトパッティオは、部屋を出ようとした足を止めてダイスケを睨みつける。ダイスケは、どうにか笑いを堪えようとしてはいるものの、ひくひくと口の端が痙攣してしまっている。
魔法で叩きのめしてやろうか、とトパッティオが手の内に魔力を込めていたら、不意に自分と然程大きさの変わらない犬のぬいぐるみを抱えたカナエがこちらへ駆けてきた。転ばないように、とジラルダークもついてきている。トパッティオの元にやってきたカナエは、紅潮した頬のまま彼を見上げ、笑った。
「おにいちゃん、ありがとう!」
「…………、いいえ、どういたしまして」
直球で感謝の意を示されたトパッティオは、カナエの視線に合わせるように跪く。ぐふ、とダイスケが再度吹き出した音が聞こえたが、辛うじてトパッティオはカナエに向ける微笑みを保った。
「きちんとお礼が言えましたね。えらいですよ、カナエさん」
「えへへ」
頭を撫でてやれば、カナエは照れてはにかむ。カナエの後ろに狭量な魔王が見えるが、今回くらいは見逃してほしいものだ。別に、魔王の寵愛する后を奪おうとしているわけではない。魔女の一件で迷惑をかけてしまっているカナエを、皆と同じように甘やかしただけだ。
「では、カナエさんはジラルダークたちと遊んでいなさい」
「あい!」
「陛下、報告は随時入れますので、こちらへはご遠慮願いますよ」
「……分かっている」
では、と今度こそ、トパッティオは退室した。笑い疲れて涙目になっているダイスケもそれに続く。
「いやぁ、まさかティオに幼女趣味があり申したとはなぁ」
「逝け、クソ野郎」
そして今度こそ、トパッティオは手の内に溜めていた魔力をダイスケに向けて放つのだった。




