小話1.魔王の戯れ
★魔王様が耳を舐めた理由のようなもの
【ジラルダーク】
カナエを城に迎え入れて数日。カナエの強い希望で、寝室は別になってしまった。残念で仕方ない。
だが、ここは俺の居城だ。合鍵も俺の裁量で自由に扱える。むしろ、魔法を使えば鍵すらも不要だ。
となれば、カナエの寝室に忍び込まないわけにもいくまい。夫としての義務だ。もしかしたら、カナエも俺が夜這いに来るのを待っているかもしれない。
そう考えて、カナエの寝室に忍び込んでいるが、彼女は毎夜、健やかに寝息を立てている。少々恨めしくも思う。しかし、カナエの愛らしい寝顔を見れば、そんな些細な感情も吹き飛んでしまうのだ。カナエは起こすのも忍びなく思う程に、よく寝付いていた。
起こさぬよう、そっと隣に体を忍び込ませて、眠るカナエを腕に包んだ。暖かく、やわらかい感触に、深く息を吐く。
この世界に来て、680年。俺は、安らぎとは無縁の生活だった。
俺がここへ来た時には、悪魔は今のように纏まっていなかった。ただただ弾圧から逃れ、世界の片隅で細々と暮らしていた。ニンゲンは、さながら悪魔を魔物のように扱い、見つけ次第殺すような時代だった。前の世界でも戦争はあった。俺は騎士として国を守るために参加していたこともある。幸い、愛用の剣は共にこの世界へ飛ばされていた。
ひたすらに剣を振るい、悪魔を守り、……そして、俺は魔王になることを選んだ。
悪魔を守るという誓いの下、俺たちは突き進んできた。ふと立ち止まってしまったのは、今が平和だからかもしれない。隣に並ぶものがいない。孤独な魔王。それが、進んでいた道だった。ならば、俺は何のためにこの世界で悪魔を守るのか。もう俺でなくとも、悪魔は守られるのではないか。魔王の座を退いて、延々と続く長い生に終止符を打つのもいいのではないか。
そんな考えを感じ取った魔神の一人が、新たに飛ばされてくる悪魔の監視をするよう勧めてきた。この世界に不慣れな悪魔たちを見せることで、王としての自覚を促すつもりだったのかもしれない。
監視にも飽いてきた頃、転機が訪れた。
カナエ・ノノムラ。彼女が、この世界に飛ばされてきたのだ。鬱屈と、ただ惰性で監視をしていた俺は、彼女が日々楽しそうに生きる姿を見て息を飲んだ。腐っていた自分を、殴り飛ばしたくなった。
そして、俺は彼女が欲しくなってしまった。
腕の中で丸まっているカナエに視線を向けて、俺は表情を緩める。彼女の香りで肺を満たしたくなって、カナエの白い首筋に顔を寄せた。
「んぅ……、る……、」
ふと、カナエがもごもごと口を動かす。耳を澄ませて、小さな寝言を拾い上げた。
「……ジル……、……セク、ハラ……」
セクハラ、と言ったか?確か、前にニホンという世界から来た悪魔に聞いたことがあるぞ。意味は……、性的嫌がらせ、だったか。
性的、嫌がらせ、……嫌がらせだと?
「!」
待て、誤解だ、カナエ。俺は夫として当然のスキンシップを図っているだけだ。断じて、嫌がらせではない。しかも、性的なものでもない。第一、俺はまだお前を抱いていないじゃないか。いや、抱きたくないわけではないぞ。俺は毎夜、悶々としている。現に、こうして夜這いに来ているではないか。
ああ、いかん。カナエにそのような誤解を与えていたとは。俺の愛情表現が足りなかったのか。
……そうだな。嫌がらせと捉えてしまうということは、カナエは俺の愛情を感じ取れていないのだろう。不安にさせてしまっているかもしれない……!何ということだ!カナエを不安にさせてしまっていたとは!俺は何と情けのない夫なんだ……!魔王と呼ばれ、何百年とそう振舞っていようが、夫としては半人前以下だな……。
分かったぞ、カナエ。俺が悪かった。もっと分かりやすく、熱意を込めて、お前に愛情を表現しよう。期待していてくれ。
カナエは照れ屋で恥ずかしがり屋だから、俺がしっかりと態度で示さなくてはな。彼女は恥ずかしがって、拒絶しているように見せかけているだけだろう。ニホンの悪魔も言っていた。嫌よ嫌よも好きのうち、とな。
俺は決意を新たに、腕の中のカナエを抱き締めた。明日の朝を楽しみにしていろ、カナエ。