46.魔王の逆鱗
【ジラルダーク】
「すまない、カナエっ……!すぐにお前の元へ向かうからな!」
カナエが連れ去られた瞬間、俺は一気に魔力を解放した。カナエが身に着けていた指輪には、魔神の研究した、使用者にのみ認識できる光の粒子が付いている。あの日、カナエがカラーボールだと笑っていた物の完成形だ。どのような経路を辿ろうとも、それが例え魔法による瞬間的な移動でも、対象を追える。あの女を捕らえるために用意していたものだ。
加えて、物理防御と魔法防御もかけてある。しかし、俺が直接防ぐならまだしも、渡した指輪で全ての攻撃を防ぎきれるかどうか……。ああ、やはりすぐに向かわなくては……!
「西、森の方角か。あの辺りは……ニンゲンの領地だな」
「厄介な。追いますか」
「お前は来い。ベーゼア、ダイスケとボータレイを送れ。後の者は、留守を頼む」
「は」
返答の声を聞いたと同時に、俺は粒子を追って移動した。捕らえられた場所自体には魔法防御がかけられているが、その手前までは瞬時に移動できる。
カナエ、どうか。どうか無事でいてくれ。
「ダーク!」
「カナエちゃんは、この中なのね」
「ええ、時間がありません。急ぎましょう」
すぐに合流したダイスケとボータレイを伴って、森の中を突き進む。ダイスケもボータレイも備えさせていた。だが、奴がカナエに何をするのか、分かったものではない。焦る思考の中で、カナエと繋いだ指輪が彼女の声を俺の中に流してきていた。
ああ、どうしてカナエが平伏せねばならない……!早く、早く助けなければ!
「……カナエちゃんのそばにあの馬鹿女もいるのね?」
「ああ。今度こそ、逃がしはせん!確実に息の根を止めてやる!」
「我々は捕らえる方向で動きますよ。いざとなれば、私とレイがダークを抑えます」
「ブチ切れてんなぁ、コイツ。ま、大事に大事に囲ってる嫁さん奪われりゃ当然か」
暗い森を駆け抜けると、木や雑草でカモフラージュされた洞窟が前方に現れた。光の粒子はそこに続いている。双剣で入り口の邪魔な木を叩き切って、洞窟の中へ飛び込んだ。光の粒子は、奥の扉へ続いている。あそこに、カナエが……!
そう踏み出した瞬間、俺の頭の中にカナエの声が響く。
『ジ……ル…………、……もち……、こたえ……る……から……ね……。ま……、って……るよ…………』
「カナっ……」
ごつん、と耳の奥に嫌な音が残った。
「カナエェェェェ!」
「まずい!ダイスケ!」
「おいおい、俺は魔法使えないってのに!」
「ここじゃどちらにしろ、結界を張った術者以外は使えないわよ!」
俺を抑えようとするトパッティオとダイスケを力任せに振り払って、目の前に現れた扉を蹴破った。
「カナエっ……、カナエ!」
土壁がむき出しの陰鬱とした空間に、不釣合いな金属製の檻が置かれている。その、中に、────ッ!!
「ジラルダーク、私よ!ああ、やっと迎えに来てくれたのね!」
カナエの纏っていたドレスが、落ちていた。俺の声に返事はない。力任せに鉄格子を捻じ曲げて、檻の中に入る。落ちていたドレスからは、カナエの腕も、足も、覗いていない。中央部が盛り上がっているが、……まさか、そんな……。この、短時間で……?
「カナ、エ……?」
嘘だ。嘘だと、言ってくれ。
震える手でドレスに触れる。残る温もりに、血の気が引いた。体を丸めているにしても、こんなに、厚みがないはずがない。カナエが、いない……?
「ジラルダーク!駄目よ、そんな汚いものに触れては」
「いい加減になさい。いつまで夢を追いかけている気かしら?」
「そのまま捕らえていてください、レイ。ダイスケ、縄を」
「これで抑えられるのかねぇ。オレは魔力が皆無だから分かんねェけど」
カナエ、カナエ……!どこにいるんだ!カナエは、どこだ?
「カナエ……、カナエ、どこだ?カナエ……っ」
「ジラルダーク!私よ、ここに、私がいるの!私を見て!ああ、忌々しい!放せ!ジラルダークだけでは飽き足らず、私までも汚そうとするのか!」
「カナエ、カナエっ!」
抱き込むようにドレスを持ち上げる。
「んきゃっ!」
と、同時に、ドレスの中からころりと何かが転がり出た。
それは、三つになるかならぬかという程に幼い女児だった。カナエと同じ栗色の髪は、転がった所為であちらこちらに飛び跳ねてしまっている。カナエと同じ色の大きな瞳をきょろきょろと忙しく動かした後、俺に視点を固定した。
じっと見上げてくる女児は、どこからどう見ても……。
「……カナエ?」
「あい!」
呼ぶと、女児……、カナエは元気よく手を挙げる。無邪気な笑顔を浮かべたままのカナエに、俺は目を丸くした。
左手の薬指には、俺の渡した指輪がはまっている。あの指輪は持ち主に併せて大きさを変えるように作ってあった。だから、カナエから外れることはない。つまりは。
「おにいさんは、だあれ?」
カナエが、縮んだ。
◆◇◆◇◆◇
【第三者視点】
「あの女は、魔力を吸う縄で縛って魔法防御を掛けた地下牢に閉じ込めてあります。抜け出せぬよう、今はダイスケが見張っています」
「きゃーい!」
「カナエ様には、子豚に変わるよう呪いをかけたと言っておりますが、術式は明かしません。もう少し、時間をかけて吐かせる必要があるかと」
「うきゃあ!がいこつだー!」
「エミリとフェン、トゥオモ、ヴィーにも、解呪の方法を探らせています。しかし、あの女がかけた呪いの全てがかかっているようではなさそうで……」
「じらる、じらる!こっちー!」
「こらカナエ。そんなに走っては危ないだろう?」
「きゃあ!たかいたかぁい!」
カオスだわ、とボータレイは頬を引き攣らせた。
オティーリエの隠れ家から引き揚げた彼らは、ひとまずトパッティオの屋敷に戻っていた。カナエを連れ去ったオティーリエは厳重に縛りあげられ、領主邸の地下牢に閉じ込めてある。今まで魔法のせいで捕らえることが出来なかったが、魔神の研究により作り出された特殊な縄のお陰で今のところ逃げ出される様子はなかった。
それはいい。オティーリエはこれからじっくり締め上げれば済む話だ。ボータレイの目の前で繰り広げられている光景は、あの女が要因ではあったが、それ以上に魔王の錯乱が大きく影響している。
「じらる、もっとー!」
魔法で幼い姿に変えられたカナエは、記憶の一部を失っていた。それは、彼女の4歳以降の記憶全てである。今、ここにいるカナエは、純粋に3歳のカナエであった。
溺愛する妻の記憶が失われ、姿すら変えられたジラルダークは、あの場でオティーリエに対して激昂した。それこそ、トパッティオもダイスケも止められぬ程の怒りである。ボータレイも、オティーリエの気が失われれば結界が解け魔法を使えるようになるから、死なないギリギリまでならば好きにしてくれと諦めていた程だ。
しかし、今の魔王を制御するのは良くも悪くも后のカナエである。
『おにいさん、こわい……』
幼女の涙目の一言で、憤怒の化身であった魔王は止まった。面白いほどにぴたりと止まった。直後に慌ててカナエに駆け寄って、どうにか泣かせずに済ませた辺りで、ジラルダークの何かが壊れたらしい。
「高い高いは楽しいか?」
「うん!じらる、たのしい!」
恍惚とした表情で幼女を持ち上げる魔王に、ボータレイはもうどうにでもなるがいいわ、と用意されていた紅茶を呷った。
「……カナエさんは、元に戻した方がいいのでしょうかね」
魔王への説明を諦めたトパッティオが、ボータレイの隣に疲れた表情のまま腰かける。当然至極の事柄ですら確認しなければいけないくらい、ブルリア領主は参っているらしい。
「エミリたちが解呪するまで、放っておけばいいんじゃない?」
「しかし、あれではまるで……」
どこか遠い目で、トパッティオはジラルダークを見やる。
「じらる、つぎは、おままごとするのよ!」
「ああ、分かった」
ジラルダークに抱っこされたまま、きゃいきゃいとはしゃぐカナエに、ジラルダークは穏やかに微笑んだ。それは今までカナエに向けていたものとは明らかに違う。トパッティオは、頭痛を抑え込むようにこめかみに指先を押し付けた。
「あれではまるで、子煩悩な親馬鹿ですよ」
「ああ、ベーゼアも巻き込まれたわ」
ままごとをする、と意気込んだ幼いカナエが、部屋の隅で何故か悶えていたベーゼアに突撃した。確かに、二人だけでのままごとはつまらないのだろう。
「どうしようかしらねぇ」
「とりあえず、民に知らせるわけにもいきません。カナエさんが戻るまでは、ここに留まってもらうしかありませんね……」
「アタシ、抜けたいんだけど」
「許しませんよ。どうせなら、魔神も巻き込んでみせます。保父と保母がそれだけいれば、こちらもオティーリエに集中できますからね」
「ああ、そう。じゃあ、使い魔に伝えとくわ」
ボータレイは、投げやりに答えた。その視線の先には、ベーゼアとカナエが夫婦でジラルダークが子供という再び頬を引き攣らせたくなるようなままごとが繰り広げられていた。