43.魔性の女
クレープを食べ終わると同時にやってきたトパッティオさんと一緒にまた市場を回って、墓場屋敷に戻る頃には、昼間見た血の池のような夕焼けが空に広がる時間になっていた。商人たちが、この地の特産物の染め織物で作った服を持ってくるまでの短い時間、トパッティオさんとベーゼア、それにジラルダークと私は客間でのんびりお茶をしばいている。メンツ的には、魔王城のお茶室と何も変わらないね、うん。
「ベーゼア、このお茶美味しいね」
「はい。こちらの甘味も、きっとカナエ様のお口に合いますよ」
「ん、おお!すあま!素朴な美味しさ!」
そこはかとなく漂う気まずい空気を払拭すべく、私はベーゼアと女子トークを繰り広げた、……つもりだ。甘味にきゃいきゃいはしゃぐのは、それすなわち女子だろう。というか、魔王様も鬼畜メガネも、何ゆえ黙って紅茶を飲んでるのだ。もうちょい会話に参加したまえ。この気まずさを和らげたまえ。
というか、いつの間にかこんなに気まずくなってたんだ。何か、市でジラルダークの機嫌が急降下して、急上昇して、デザート食べて、再び市を回って、館に戻ってきたらこの状態だ。意味が分からん。
「ジル、今度はどうしたの?」
口の中の甘味を紅茶で流して、私は隣に座る魔王様に尋ねた。魔王様は優雅に紅茶に口を付けながら、視線だけをトパッティオさんに向ける。
つられてトパッティオさんを見ると、鬼畜メガネさんは肩をすくめてみせた。やれやれ、しょうがないですね、って声に出さなくても伝わってくる。
「魔王陛下は、そこそこ見目麗しいと思いませんか、カナエさん」
「はえ?!あ、はぁ、まぁ確かにイケメンですよね、魔王様」
唐突な質問に答えると、トパッティオさんは我が意を得たりとばかりに頷いた。
「その陛下が、今まで数百年の間、誰も娶らずにおりました。陛下の御眼鏡に適う者がいなかったのですよ。しかし、いくら陛下が拒まれても勘違いをする者はおりましてね」
「あー、誰も娶らないのはきっと私を好きだからだわ、とか、私が孤高の魔王様に愛を教えて差し上げる、とかですか?……となると、私が陛下を誑かしただの、催眠でもかけてるんじゃないかだの、妄想繰り広げそうですね」
「話が早くて助かります」
トパッティオさんは満足そうに頷くと、くいっとメガネを指で押し上げる。
「問題は、その勘違い女の中に飛びぬけて危険なものが一人いるのです」
「危険なひと?」
「はい。……よろしいですか、陛下」
ちらりとトパッティオさんがジラルダークへ視線を向ける。私の隣に座る魔王様は、苦虫でも噛み潰したかのようなお顔になっていた。
「だ、大丈夫、ジル?」
「……思い出すだけで不愉快なだけだ。あの女は、俺の意思などどうでもいいらしい。何度拒もうとも、それが伝わらぬ」
虫唾が走るとでも言いたげな表情のまま、ジラルダークは私の腰を抱き寄せた。よしよし、と魔王様の御髪を撫でると、幾分かその表情が和らぐ。
「その女に影響された輩が、先程陛下とカナエさんの周りをうろついていたのですよ」
「ああ、それで……」
「ええ。対処は致しましたが、あれはどうも手強い」
トパッティオさんのただでさえ鋭い目が更に細められた。ベーゼアが、窺うように口を開く。
「あの魔女、でしょうか」
───ま、じょ?
首を傾げた私に、トパッティオさんが頷いた。魔女……。魔王様の次は魔女かぁ。魔王と魔女でお似合い、なんて口が裂けても言えない雰囲気だ。
「我々と同時期に飛ばされてきた者です。あの当時の、誰よりも魔法が扱えました。恐らくは、今もあの女の魔法を打ち消せる者は少ないでしょう」
ということは、かなり手強いストーカーってことか。魔法って万能だもんね。もしかしなくても、その最強ストーカーに私は狙われてるってことか。
……おいおい。これは、洒落にならない死亡フラグではなかろうか。
私が知ってる魔法って、模擬戦で使っていたのとジルが偶に使うやつぐらいだけど、きっとそれだけじゃないんだろう。トパッティオさんは爆弾が作れるって言ってたし、ベーゼアだって魔法が使えるって言ってた。
「ねぇ、ジル。魔法って、どんな魔法があるの?」
「そうだな。これとこれだ、と括れるほどに少なくはない。詠唱の呪文は限られているが、詠唱破棄を覚えた魔法使いは呪文魔法を越える。俺やトパッティオのようにな」
「ええ。例えば、私が魔法で作る爆弾は、規模や造詣、火薬の種類や起爆形式など、細かく指定できます。無から有を生み出す魔法でもありますので、こと爆弾に関しては作成不可能なものはありませんね」
「無から有を生み出す魔法かぁ。うーん、使い方次第で大変なことになりそうですね」
で、その魔法を使いこなすストーカー魔女から私は身を守る必要がある、と。ねぇ、これ何て無理ゲー?こちとら、布の鎧装備の村人Aですがな。
「だからこそ、今、貴女にあの女のことをお伝え致します。今日、貴女を狙っていた男から、僅かですがあの女の気配を感じました。既に、あの魔女は動いていると見ていいでしょう」
トパッティオさんの言葉に、またまたジラルダークが苦い顔になった。あーあ、そんなに眉間に力入れたらシワになっちゃうよ。
「あれの住処は?」
「追ってはいますが、まだ」
「チッ、俺の透視でも見えん。相変わらず面倒な女だ」
お、おお。魔王様が舌打ちしたよ。本当に嫌いなんだな、そのストーカー魔女のこと。というか、ここまで嫌われるようなことをしちゃったのか。
ジラルダークの意思をガン無視して、って言ってたよね。私も似たような境遇だったけど、ジラルダークは無視しなかったもんなぁ。一応。強引だっただけだもんね。一応。娶るけどいいかって意思確認はしてくれたし。一応。連れてこられた後も、嫌がるのを押さえつけてどうこうしようというより、何とかして私に好かれようと動いてくれたもんね。うん、一応。
……同族嫌悪もあるんじゃないか、とは言わないでおこう。
しかしまぁ、由々しき問題ではある。ガチで命の危機だ。ああいうストーカーの思考は妄想ぶっ飛び型と相場は決まってる。私を排除して、悲しむ魔王様を慰めて後釜へ、とかね。排除した本人がそう都合よく納まれるとどうして思っちゃうんだろうか。
「相手も魔法使いってのは厄介だね。テレポートで目の前こられてグサーッとか、私防ぎようがないよ」
「させるものか。お前を害すこと、決して許さぬ」
やや食い気味に首を振る魔王様に、私は苦笑いを溢した。
「ジルはとりあえず落ち着いて。トパッティオさん、魔法を防ぐ方法ってあるんですか?」
「魔法の系統によりますね。身体にダメージを与えるような物理攻撃系の魔法であれば、結界魔法で打ち消すことも可能です」
身体に、とわざわざ言い添えるってことは、精神攻撃系の魔法もあるのか。メダパニか。
「じゃあ、精神攻撃系の魔法は……」
尋ねると、トパッティオさんは表情を隠すように指先でメガネを押し上げ、魔王様は忌々しげに歯を食いしばった。彼らの表情が、何よりも雄弁に物語る。
「……なるほど」
「いいですか、カナエさん。精神攻撃系の魔法は、幻覚幻聴による惑わし、不安や不信感を増大させ、暴走させるものが大半です。気を強く保っていて下さい」
「はい」
どうやら、精神攻撃系の魔法はメダパニよりもタチが悪いらしい。
「こちらとしても、あの女にいいようにはさせません。しかし、あの女の攻撃で貴女の精神が破壊されてしまうのが怖いのです」
「一撃喰らっても耐えろ、ということですか」
「防ぐ方法がない以上、解除するまでの間を持ち堪えて頂きたいのですよ」
ジラルダークは、トパッティオさんの言葉に強く拳を握り込んだ。私よりも、魔王様の方が深刻なのではなかろうか。主にメンタル面で。
「約束は出来ませんが、努力します」
安請け合いは出来ないけれども、もし精神系の魔法を喰らったら頑張ろう。魔法喰らったー、って分かるようならいいな。じゃないと、幻覚、幻聴の判断がつきにくい。
「……カナエ、これを」
精神系の魔法の話をしている間、ずっとぎりぎり歯を食いしばっていた魔王様が、何かを差し出してきた。
何だろう、と覗き込むと、ジラルダークの大きな手の上にちょこんと可愛らしい小箱が乗せられてる。ジラルダークが握っただけで粉砕できそうな華奢な箱を、もう一度彼は私に差し出した。受け取れ、ってことだよね。
小箱を受け取っても、魔王様はじっと私を見ている。開けてみろとな。
「!」
ぱかっと蓋を開けると、中に入っていたのは指輪だった。シンプルな銀の輪に、赤い宝石が一粒埋め込まれている。
「……これ」
フラグか!フラグなのか!
ストーカー魔女が精神攻撃してくるぞって話をしてる時に、アクセサリーを贈ってくるって、絶対何か起こるでしょうよ!ほら、精神攻撃受けてヒャッハーって狂っちゃったときにこの指輪が私を正気に戻すとか!もしくは、記憶を吹っ飛ばされちゃったけどこの指輪だけは手放せない、どうしてか分からないけれど胸が苦しいの……!みたいな悲恋系ストーリーになっちゃうとか!
「え、ええと……、ありがとう……」
う、うん。大人しく受け取っておこう。フラグ臭ビンビンだけども、受け取らずに攻撃喰らってそのままバッドエンドが一番怖い。箱から指輪を取り出して、どの指にはめようか一瞬迷った。この場合、旦那からの贈り物、だもんねぇ。結婚指輪も特にないし。うん、ここでいいでしょう。
「おお、ピッタリ」
「カナエ……!」
左手の薬指にはめてみせると、隣のジラルダークにむぎゅっと抱き締められた。こらこら、トパッティオさんもベーゼアもいるんだけどね、魔王様。生暖かい視線が注がれているんですがね。い、居た堪れない……!
魔王様の力強い腕の中で、私はそっと息を吐いた。
来るなら来い、ストーカー魔女。こっちのストーカー(魔王様)のストーカーっぷりも凄いんだぞ。負けてたまるかっての!