40.民の希望3
諸事情により、夜だけジラルダークの魔法で城に飛んで帰った翌日。朝起きると、ちゃんと領主邸に帰ってきてたのだけは褒めてやろう。私は、魔王様に後日、教育的指導を行なうことを決意した。ここらで言い聞かせないと、今後の外出が不安で不安で不安で堪らない。外に出掛けるたびに夜だけ悪魔城へテレポートで飛んで帰るなんて、どれだけアホなんだ。外出の意味がないだろう。
まぁ、それは後でどうにかするとして。今日は、領内を見学しに行くことになった。勿論、魔王様と后として、だ。いつもは一緒にお喋りするベーゼアも、こういう時には私たちの後ろに控えてしまっている。
「こちらが、我が領自慢の赤の池でございます」
観光案内よろしく、トパッティオさんが領内名所を説明してくれてる。ここまでにあったのが、かかし代わりに磔が並ぶ畑、おっきい針のような鉱石が採れる山、溶岩のような蜜が沸く湖、だ。このチョイスはわざとか、トパッティオさん。あ、溶岩の蜜は水あめみたいで美味しかったよ。
「すごい光景ですわね」
ここまでくると、もう受け答えも平然と出来るってもんだ。この血のような水も、きっと何か他のものなんだろう。
「ありがとうございます。こちらの池は鉱物が溶けておりまして、抽出すれば良い染料となります」
「では、織物も盛んですの?」
「はい、おっしゃるとおりにございます。糸の原料は気候の条件もあり他の領から仕入れておりますが、染織物は我が領の特産品となっております」
ほうほう。織物が得意なところなんだね。領全体の雰囲気に反して、とても平和な特産品だね。
ん?ってことは、魔界全体では通貨があるってことか。ニンゲンとはやり取りをするはずないだろうから、そこら辺もジラルダークたちが整えたのかな。そして通貨が出来るくらい広いのか、魔界は。
今日はまた、あのデュラハン馬車で回ってるからそんなに移動した感じはないけれど、よくよく考えてみたら、この馬車、スピードが新幹線レベルなんだった。かなり広いよね。
「刺繍が評判の店もございますから、後でまとめて館に持たせましょう」
「織物がどのようなものか興味はありますが、それではお手間でしょう?」
「いいえ、御后様にお選び頂けたとあれば、それだけで名誉なことにございます。むしろ、館へ運ばせる数を制限しなければならないでしょう」
トパッティオさんは苦笑い混じりにメガネを直した。メガネが血の池を反射して、いつもよりも鬼畜っぷりが増してる。
「今も、我々の話を聞いて、駆け出しそうな者もおりますしね」
ちらりとトパッティオさんが視線をやった先には、この観光案内兼視察にくっついてきていた商人さんたちがいる。ぎくっと肩を揺らしてばつの悪そうにしているのは一人や二人じゃない。そんなに売りたいか。商魂たくましいね。
「では、各々にこれぞという一品を献上させよう」
「陛下」
それまで、血の池を眺めて大人しくしていた魔王様が口を挟んだ。私の隣に来て、当たり前のように腰を抱かれる。
「各自一つ、と我が命じれば、お前の館が布で溢れることもあるまい。どれが后に最も似合うか、我も楽しみだ」
おお。ここで魔王様のお眼鏡に適えば、王室御用達のお品ってことになるのか。さっき以上にそわそわしてるぞ、商人さんたち。
ふと、魔王様の指が、私の頬っぺたを伝って首筋、鎖骨を撫でていく。ちょっとくすぐったいです、魔王様。
「ひと揃えはいらぬ。1つの品で、我が后を彩ってみせよ」
「陛下のご命令とあらば」
トパッティオさんは恭しく礼をして、絶賛そわそわ中の商人さんたちを振り返る。
「陛下と御后様は私が引き続きご案内致します。御后様へ献上申し上げたい方は、お戻り頂いても結構ですよ」
その言葉に、商人さんたちがわっと動き出す。慌ただしく魔王様と私に礼をして、次々に街の方へ戻っていってしまった。その動き、ゴキブリの如し。残ったのは魔王様と私とトパッティオさん、ベーゼアだ。遠巻きに、この街の人たちが見える。流石に近寄ってはこないらしい。迫力あるもんね、魔王様。
「赤の池はお気に召されましたか、御后様」
「これがトマトジュースでしたら、トゥオモさんにお持ち帰りしたんですけどねぇ」
遠巻きに見ている民衆にはお上品に映るように、微笑んで小首を傾げてみせた。トパッティオさんも、形だけは恭しく礼をしたまま応える。
「ああ、吸血鬼はトマトが苦手でしたか。トマトで赤の池を作っても面白いですね」
「吸血鬼は十字架とニンニクが苦手だと思ってたのですけど、そちらは何ともなかったんですよ」
トマト嫌いだって言ってたけど、吸血鬼退治のテンプレはどうだろう、と思っておやつ部屋に来たトゥオモさんにニンニクと十字架をかざしてみたんだよね。そしたら、カナエ様は愉快なお嬢さんだ、とかって爆笑しちゃって、微塵も効かなかった。
「おや。御后様は吸血鬼を懲らしめたくていらっしゃいますか?」
「そういうわけではないんです。ただ、日本での常識とあまりにも違うので、色々と試したくなってみたと言えばいいのか……」
「知的好奇心、というものですか」
「強いて言うなら、そうなんでしょうね」
日光が駄目かと思えば、早朝に太陽の下で喧しく薔薇園の手入れをしてたり、鍛錬で気持ちいい汗流してたりで全く効果はなかった。コイツ、本当に吸血鬼?色が白くて八重歯長いだけのイケメンじゃね?と思ったのはそう昔のことじゃない。
「ヴィーさんにも御札効かなかったですし」
「くくっ……、悪霊退散、と叫んでいたな」
魔王様が、ヴラチスラフさんと私のやり取りを思い出して肩を震わせる。日頃、あんまりにも私を怖がらせてくれるもんだから、自作の御札をヴラチスラフさんに投げてみたんだ。効果は言わずもがな。興味深い絵柄ですねぇ、とヴラチスラフさんの興味が私から御札に逸れたことだけが、唯一の救いか。
「ヴラチスラフはファントムであって悪霊ではないぞ?」
「知ってるもん。効くかもしれないから、試しただけだもん」
御后様然とした立ち居振る舞いは崩さずに、隣の魔王様に反論する。ジラルダークは偶々あの場にいて、一部始終を見ていたのだ。梵字もどきが珍しいのか、御札をじっくり眺めるヴラチスラフさんの横で、ジラルダークは笑いを噛み殺していやがった。酷いよ、旦那さん。
「では、こちらはのんびりと市を巡ってから館まで戻りましょうか。彼等が極上の品を用意して大急ぎで持ってくるとしても、夕刻になるでしょうからね」
「市、ですか」
買い食い、は流石に無理だよね。エセ御后様スタイルだもんね。あ、でも、この領地にいる悪魔さんたちの日常生活を見てみたい。私がいた村とはかなり違うんだろうな。ああ、しかし、市ってことは市場ってことで、つまりは美味しそうな物がたくさんってことだよね。出店とかもあるんだろうか。
「気になるものがあれば、俺に言え。その場では食べさせてやれんが、館に持ち帰らせるようにしよう」
私が何を言わんとしているかを察して、ジラルダークが耳打ちした。いいの?え、いいの?昨日の出店を恨みがましく見ちゃってたらからな。
「ありがと、ジル」
こっそりとお礼を言うと、魔王様は優しく微笑んだ。遠巻きに見てる悪魔さんたちには、仲睦まじく話をしてる夫婦に映るんだろう。姿勢や表情は麗しいままにしてるからね。話してる内容は買い食いのことだけどね。
「市ってどんなところかな。楽しみ」
「ふふ、そうだな」
「では参りましょうか」
歩き出したトパッティオさんに続いて、魔王様が私を引き連れて歩き出す。後ろにはベーゼアがついてきてた。
道中、再びあのデュラハン馬車に乗せられて移動したからか、思い切り悪魔の皆さんの注目を浴びてしまった。再び、ウグイス嬢の出番だ。にこやかに微笑みながら窓の外に手を振ってやったとも。魔王様、魔王様をどうぞよろしく。
着いた場所は、石畳の中世ヨーロッパみたいな場所だった。もっとトパッティオさん領主邸付近の感じを想像してたから、何だか嬉しい。こういう場所を求めてたんだよ。異世界でファンタジーな街っていったら、中世的な街並みだよね。少なくとも、悪魔城やら墓地やらじゃないよね。
わくわくと窓の外を眺めていたら、やんわりとジラルダークに腰を引かれた。気付けば馬車も止まってる。
「行こうか、カナエ」
「はい、陛下」
早く外を歩いてみたいなぁ。日本にいた頃、海外旅行なんて行ったことなかったし。一度でいいから、ヨーロピアンな街並みを散策してみたかったのよね。
ひょいっと馬車を下ろされて、私ははしたなくない程度に辺りを見回す。領主邸周辺とはがらりと雰囲気が変わってるから、御后様って立場じゃなければはしゃぎまくってうろちょろしたことだろう。
隙あらば平伏しようとする街の人をトパッティオさんが制しながら、賑わう市の中を歩いていく。いいね、どんな生活をしてるのか興味があったから、こうして見学できると楽しいね。
野菜や果物、ちょっとしたおかずになりそうなお惣菜に、おやつ用のお菓子、それから小物屋もある。皆、魔王様のほうを見て笑顔で礼をしていた。
隣の魔王様を見上げると、何か気になるものでもあったか、とばかりに首を傾けて微笑まれてしまった。いや、うん。あそこの串焼きとマリモみたいなお菓子が気になるけどもね。
「とても賑やかで、見ているだけでも楽しいですわ。初めて見る食べ物も沢山ありますね」
応えた私に、ジラルダークは微笑んだまま頷いた。
「そうか。ここはブルリアの中でも最も栄えている市だ。出されている品の数も多い」
近くに溶岩蜜の湖があるからか、それを使ったお菓子も沢山ある。ああ、食べてみたい。食べ歩きしたいなぁ……。
表面上はおしとやかに、楚々として魔王様に付き従いながら、私は市に並ぶ目新しい商品に心躍らせるのだった。