39.民の希望2
様々な種族の異世界人が集まる広場は、さながらお祭りのようだった。国を挙げての慶事ですから、と傍に控えていたトパッティオさんが何事もないように言う。私なんて、スマイル固定で頬っぺた引きつりそうだっていうのにね。広場を見渡せる高い位置に魔王様と私の席が用意されていて、魔王様の挨拶が終わってからこちら、そこに大人しく座っている。
魔王様が恐ろしいからか、異世界人の悪魔さんたちは私たちの座る場所の近くまで来ては、拝んで平伏して去っていく。数珠でも揉みしだきそうな人までいた。
こうして沢山の世界の人を見ていると、本当に無差別に飛ばされてるな、って思う。魔王様や私は二十代だけど、エミリエンヌと同じくらい幼い子供がいたり、恰幅のいいお母ちゃんがいたり、仙人みたいなおじいさんがいたり、見た目から年齢から様々だ。偶に、ものすごい見た目の人?クリーチャー?がいるけれども、その見た目で平伏されるのでスマイルをキープするのがベリーディフィカルトだ。脳内でルーのおじ様に助けて頂かないと、笑顔になれないくらいに難しい。
時折、魔王様は異世界人の悪魔さんたちに声をかけてた。冬の間に困ったことはなかったか、とか、前に献上された作物はいい出来だった、とか。
ああ、魔王様は国王様でもあるんだなぁ。しかも、民に人気の国王様。無駄に男前だから、悪魔の娘さんたちの視線が痛かったりもするんだよね。甘んじて受けますとも。私は、何の努力もせずに魔王様の隣に立つことになった、ただの棚ぼたパンピーですから。
「おきさきさま!」
そんな風に声をかけられたのは、私が顔に笑顔だけ貼り付けて魂飛ばしてた時だった。私へ向けて声を掛ける人なんていなかったから、びっくりして笑顔のまま固まってしまった。
声を上げたのは、…………おおおおお!!
「おきさきさま!オイラ、おきさきさまを、たすけにきたんだ!」
二足歩行ワンコ、キター!!
え、この子も悪魔なの!?獣人の国があるって言ってたけど、ここにいるってことは異世界からきたワンコ様なんだよね!?豆柴が頑張って二足歩行してる!!ちっちゃい!!カワイイ!!お犬様!! モフりたい!!
って、あれ?ちょっと待って。今、このお犬様、何て言った?私を助けに来た?
「あくのまおうに、さらわれたんだろ!?オイラが、たすけてやるからな!」
「こ、こら!やめなさい!」
きゃんきゃん吼えるワンコを、異世界での保護者だろうか、頼りなさそうな緑色のおじさんが止めてる。色的には、おじさんのほうが大魔王ですね。
ワンコはこちらに来て日が浅いのか、飛ばされたのが幼な過ぎてこちらの仕組みを理解できてないのか。魔王様を文字通りの魔王様として認識しているようだ。まあ、うん。気持ちは分かる。私も最初はそうだったよ。喰われる覚悟までしたもん。
「ほう」
さて、どうしようか、と思ったら、先にジラルダークが口を開いた。隣を見ると、魔王様は肘掛に寄りかかって頬杖をついて、すっかり悪役面になっている。にんまり笑うと八重歯が牙みたいに覗くから、悪魔らしいことこの上ない。何やってんの、魔王様。
「我の后を奪うと申すか」
「うっ……!」
「我の后は魔王の至宝。それを奪うならば、それ相応の報いを与えねばならんぞ」
「う、う……!それでも!おきさきさまが、かわいそうだろ!」
あ、尻尾が足の間に挟まってる。かーわーいーいー!!
愛らしい子犬ちゃんにきゅんきゅんしてたら、隣の魔王様がお立ちあそばされた。じゃらん、と魔王様の装飾が音をたてる。その音にびっくりしたワンコ様は、きゃん、と鳴いて飛び上がった。あ、魔王様が笑いを堪えてる。ちなみに、私も笑いそうだ。
幾ら高い場所にいてお犬様からは距離があるとはいえ、立ち上がった魔王様は迫力が段違いだ。
「我に立ち向かうか、小さき者よ」
「ひっ……!も、もちろんだ!おきさきさまを、はなせ!」
耳ーっ!!耳が垂れちゃってるから!!尻尾だけじゃなくて耳も逃げ腰だから!!ああ、今すぐ抱っこしたい!!
「クククッ、威勢だけは褒めてやろう」
「も、申し訳ございません!陛下!」
「なんであやまるんだよ!おきさきさまをかえせ!」
「だ、そうだが。我が至宝はどちらを望むのだ?」
ジラルダークは、お犬様にキュンキュンしてた私に話を振りやがった。何コレ。え、私が裁きを下せってか。ああ、もう。期待に満ちた目で見ないでよ、魔王様。
仕方ない。これも魔王様……いや、魔界に嫁いだ者の勤めだ。民を悪戯に不安にさせてもよくないだろう。
私は立ち上がると、魔王様の手を借りてお犬様の方へと降りていく。血の色をした毛足の長い絨毯の上をピンヒールで歩くから、下手したらふらつきそうだ。それを隠して、私は民衆の前に降り立った。お犬様の言動にざわついていた人達は、間近で見る魔王様に水を打ったようにしんとなる。
あの日、魔王様の嫁になると決めた時、私は覚悟をしたのだ。
ジラルダークの嫁になるってことは、ただの奥さんになることじゃない。魔王の后として、その役割を演じる必要もあるってことだ。その上で、私は頷いた。このどこか抜けてる魔王様と一緒に、異世界で暮らすのも悪くないと思ったんだ。
「ありがとうございます、小さな勇者様」
だから私は、震えてるワンコににっこりと微笑んでみせた。
「ご心配頂かなくて大丈夫ですよ。私が望んで陛下の隣におりますからね」
「おきさきさまが、じぶんで?」
「ええ」
澄んだ色をした丸い目で見上げるワンコに、私はしっかりと頷く。魔王陛下は健在で、夫婦仲もよくて、国は安泰なのだと、このやり取りを見ている民衆に思わせるためだ。
「おきさきさま、こわくないの?」
「いいえ。陛下はとてもお優しい方です。怖くなんてありませんわ」
「じゃあ、かなしくない?」
「ええ。むしろ、とっても幸せですよ」
笑顔で頷くと、お犬様はピンと耳を立てた。足の間にしまわれてた尻尾が、ゆっくり定位置に戻っていく。それから、私の顔とジラルダークの顔をきょろきょろと見比べて、立っていた耳をぺたりと下げた。
「ごめんなさい、まおうさま……」
しょんぼりしちゃったお犬様に、ジラルダークは屈んでそのふかふかの頭を撫でる。ああ!ずるい、魔王様!自分だけ、モフりに行きやがった!
「よい。我は魔王であるが、お前たちを虐げるつもりは微塵もない。無論、我が后もだ。お前たちが安らかに暮らせるよう、我が力を尽くすと約束しよう」
魔王様に頭を撫でられた子犬ちゃんは、さっきとは打って変わってキラキラした目で魔王様を見上げてる。ふふふ、魔王様信者がまた一人増えたか。そして私にもモフらせるがいいよ、魔王様。
内心そんなことを思っていたけれども、もふもふな子犬様はぺこぺこ頭を下げる緑色のおじさんに連れられて人ごみの中に戻っていってしまった。ああ、私も、私にも撫でさせてほしかったのに……。私たちを取り巻いている民衆は、一定の距離から近付いてこない。怖がってる、ってわけじゃなさそうなんだけどね。
それから、また高いところの椅子に戻って、広場で催されるお祝いの儀式を見てた。踊り子さんたちの舞やら、曲芸師と調教師のプチサーカスやら、見ていてとても楽しい。最後に、ジラルダークが祝いの礼だと言って、キラキラ光る粒子を空中に放った。どこのミノフスキー粒子だ。ていうかあれ、何て魔法?
◆◇◆◇◆◇
「あれは魔法ではないぞ。魔法で空中に飛ばしはしたが、元はフェンデルたちの研究だ」
広場での催し物も終わって、私たちは墓地のところにある領主邸の一室に引っ込んでいた。ジラルダークは広場での魔王様然とした姿はどこへやら、ソファで私を膝に乗っけてくつろいでいらっしゃる。
トパッティオさんもベーゼアも、今は別室にいる。この部屋にいるのは、私とジラルダークだけだ。
「研究ってまさか……?」
「ああ。あの宴でも使われた光る液体だ。だいぶ改良が進んだだろう。あれは空中で暫く留まり発光した後、消えて空気と同化する。民に付かぬように高い位置に投げたが、あれはあれで良かったな」
「うわー。カラーボール、すごい進化を遂げたね」
もうカラーボールじゃないよね、これ。
「気に入らなかったか?」
「ううん。びっくりするくらいに綺麗だったよ。いきなりで、本当に驚いたけどね」
「ふふ、そうか」
思わず、貼り付けてたスマイルを忘れてしまうくらいには驚いた。だって、魔王様の手から砂金みたいなのがぶわっと放出されるんだもん。何事かと思うよね。
ジラルダークは私の頭に顎を乗せて、完全にくつろぎモードだ。一方、私はジラルダークの膝の上に納まったまま、用意されていたお菓子を食べてる。この地域の特産物らしくて、とても美味しい。広場にいたときは高いところから出店みたいなものを見てるだけで、何も食べられなかったのだ。フラストレーションが半端ない。
「うまいか?」
「うん!ジルも食べる?」
ちなみに、今私が食べてるのは棒に刺さったお餅みたいな塊にきな粉のようなものが振りかけられたお菓子だ。絶妙な甘さと素朴さが素晴らしい一品だ。ジラルダークも食べたいかなと思って差し出すと、お菓子じゃなくて私の顔の方にジラルダークの顔が迫ってきた。おい、ちょっと待て、これは……!
「……ん、うまいな」
私の口から直に味わった魔王様は、大変満足そうに笑っておられた。
その後、人様の家なので今日はお預けだよ、と拒否したら、どえらいことになったのは言うまでもない。