4.奥様の朝寝坊
悪魔の王こと魔王様に拉致られて、悪魔城が私のおうちになったのは数日前。何故か、私をものすごく気に入ってくれてる魔王様は、村人Aの私を妻だと部下の前で宣言してくれちゃってまぁ……。パンピーのノミの心臓には、中々の大事件でございました。
“悪魔”という人たちの状況も、私もその仲間入りしたことも、魔王様の懇切丁寧な説明で理解した。驚きの内容だったけども、嘘を吐かれたとは思わない。私を騙すメリットがあるとも思えないしね。
だから、うん。是が非でも村に戻ろうとか、ジラルダークをどうにかしようとは考えてない。村でののんびりライフが、悪魔城でののんびりライフに変わるだけだ。
と、思いたい、んだけど。
「は、な、せー!」
「ん?断る」
悪魔城の朝は、どんより暗雲立ち込める窓からカラスがチュンチュ……いや、カアカア鳴く声で目覚める。しかも、ジラルダークの腕の中で、だ。
何故っ!毎朝毎朝っ!私のベッドに入ってくるんだっ!夜は別々の部屋で寝てるのにっ!
「ひゃわっ!?どこ触ってんの!」
抱き枕よろしく抱え込まれて目覚めるのはまぁ、百歩譲っていいとしよう。だけど、何故毎朝セクハラ紛いの接触を試みるかな、この色ボケ魔王!そこは腰じゃない!尻だ!
「カナエは抱き心地がいい」
「だからって尻を撫でるな、尻を!」
「俺とお前は夫婦だ。問題はあるまい」
夫婦だ、っていったって、魔王様が無理矢理拉致ってきたんだろう。私は流されるまま妻になっちゃっただけだ。うん、それもどうかと思うけどさ。
ジラルダークは、拉致られた時とだいぶ印象が変わった。ただのアホ魔王で、私だけが犠牲になっておけば村には危害が及ばないと思っていた。けど、悪魔の話を聞いて、私が思うよりずっとジラルダークは考えて動いてるんだと感じた。
そう。私のこと以外は。
「何だって私をチョイスするかねぇ。ベーゼアさんとか、美人さんの器量よしは他にたくさんいるでしょうよ」
擦り寄ってくるジラルダークの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。悪魔らしくと染められた赤い目は、柘榴のように濡れて綺麗だ。
「ベーゼアに非があるとは言わん。ただ、俺はお前が好きなだけだ」
「……ああ、そうですか」
こうもド直球にこられると、返答に困る。今まで、こんなに真っ直ぐに好意を向けられた経験なんてない。
嬉しいか嬉しくないかと聞かれると、そりゃあ嬉しい。ジラルダークが向けてくる好意は、裏があるとは思えないほどストレートだ。
しかしだね。沈黙を美とし、背中で語る日本人の私としては、ここまで開けっ広げだと恥ずかしくて堪らないのだよ。そりゃ、まぁ、私自身、ジラルダークのことは嫌いじゃない。ここで生活していくのもいいかと思うくらいには好きだし、彼の考え方を尊敬してる部分もある。
彼が背負う悪魔の王という座は、ラスボスとして勇者に倒される“魔王様”以上の重みを持っていた。だったら、隣で支えたいと思わないわけでもない。
「ジル」
ジラルダークをそう呼ぶと、彼は嬉しそうに笑う。ジラルダークって名前長いから略しただけだけど、気に入ってるらしい。
「カナエ」
囁くように呼ばれて、額やら頬っぺたやらにキスが降ってきた。
って、待て待て。私は起きたいんだけども。こんな、名前を呼び合ってちゅっちゅするような甘い雰囲気に持っていきたかったわけじゃない。
「ジル、ほら、起きるよ」
「ん、まだいいだろう?」
背骨を折りたいのかと思う程抱き付いてくるジラルダークに、私は苦笑いを浮かべる。このワガママ魔王め。
「ダメでしょ。魔王様が寝坊してどうすんの」
「魔王とは怠惰なものだ」
ごろん、と抱き締められたまま寝返りを打たれた。つまりは魔王様が私の上に乗っかってきておられまして、うぐえ。潰れる……!
「カナエは小さいな」
「お、おもっ!ジルに比べりゃ、そりゃ、小さいよ!」
もう一回、魔王様は寝返りを打たれた。つ、潰れるかと思った。ジラルダークの上に乗っかる形になって、それでも腕は緩まない。胸板といい腕といい、相当鍛えていらっしゃるようだ。
「ジルは強そうだねぇ」
「ん?そうだな。魔神たちを打ち負かせなければ、魔王ではないだろう」
「え。グステルフさんとかにも勝てるの?」
「当然だ」
あの殺人鬼さんに勝てるのか……!筋骨隆々としたおじさんに勝てるのか!すごいな、ジラルダーク!
「ふふ、今度、模擬戦を見てみるか?」
「うん、見てみたい!」
頷いた私に、ジラルダークは目を細めて笑う。魔法での戦いとか、結構興味あるんだよね。今のところ魔法っぽいのは、ジラルダークの光線しか見たことないし。殺人鬼さんだけじゃなくって、強そうな見た目の人たちが集まってたもんね。十二の魔神さん。
「分かった。魔神たちにも伝えておこう。我が妻が楽しみにしていると」
「ちょ、それって私が血の気が多いって誤解される……」
「魔王の后だ。多少、好戦的でなくば、な」
「うわぁ。とんでもない悪女だって思われないといいけど」
そう言うと、喉を鳴らしてジラルダークが笑った。この世界に来て、680年間、彼は悪魔だった。どのタイミングで魔王になったのかは聞いてないけど、それでも数百年と言えるくらいには、彼は魔王だったのだ。本来の自分の姿を忘れてしまうくらいに。
それがいいのか悪いのかは、私には分からない。少なくとも、ジラルダークが後悔している様子はない。だったら、私も付き合うまでだ。魔王の后として……というのはまだ、覚悟が出来ないけれど、せめて、悪魔として相応しい姿になればいい。
「ねぇ、ジル。私の姿をいじるのってできるの?耳、ジルみたいに尖らせたりとか」
「ああ」
ジラルダークの指先が、私の耳の輪郭をなぞる。髪の毛で隠れていた耳を暴くように、ジラルダークは私の髪の毛を撫で付けた。
壊れ物でも触るかのような手付きが、どうにもこそばゆい。私はそんなにか弱くないぞ、魔王様。少なくとも、この奇抜な悪魔城で悲鳴を上げない程度には図太いつもりだ。
「……いいのか?」
「まぁ、著しく外観を損なうことがなければ、別に」
ゾンビも驚きのグロテスクなクリーチャーにさせられるっていうなら考えるけど、耳を尖らせたり目を赤くしたりする程度だったら全く構わない。むしろ、前の世界でだってカラコンとかあったもんね。悪魔式オシャレとでも考えれば、何も問題はない。
「ふっ、そうか」
あ。もしかしてジラルダークって八重歯もいじってる?笑うと八重歯が見えるわ。
っと、え?
ジラルダークの顔が急接近して、私は目を見開いた。ジラルダークは、私の耳に舌を伸ばす。遅れて耳に当たった濡れた感触に、びっくりして仰け反った。逃げようとする私を強引に抱き寄せて、尚もジラルダークは私の耳を舐める。い、息が……!くすぐったい!腕、力が強くて、逃げられない!
ぞわわわっと背筋が震えて、私は硬直した。間近で響く湿った音が、ただでさえ免疫のない私を混乱させる。
「ひっ!?ちょ、ジルっ……」
「大人しくしていろ。もう少し、な」
低く甘い声が、直に耳を震わせる。たまに当たる硬いものは、ジラルダークの八重歯だろうか。
つうか、耳の形を変形させる魔法って、こんなことしないと変えられないのか!自分の見た目を変形させる場合はどうするんだ!?いや、人に魔法をかけるからこんなことしなきゃいけないのか!?くすぐったさと恥ずかしさと居た堪れなさが有頂天だ!
「……ん、出来た」
満足そうに見下ろすジラルダークに、私は無意識に詰めていた息を吐き出した。朝一からぐったりだわ。しんどい……。
恨みがましく見上げると、目の前の魔王様はいい笑顔を浮かべている。わーお。イケメンですね。
「もう片側も、だな」
「!」
そうだった!耳は一個じゃないんだ……!
結局、私の耳がジラルダークと同じように変形して、へろへろとベッドから起き出す頃には、朝なんて呼べない時間帯になってしまっていた。
悪魔城でののんびりライフ、前途多難かもしれない……。