35.厨房の片隅
悪魔城に嫁いで、早二ヶ月。日本にいた頃よりも時の流れが早く感じるのは、日本で経験したことのないあれやこれやを経験しているからだろうか。例えば、トリップしたり、魔王に拉致られたり、魔法があったり、彼氏すっ飛ばして旦那が出来たり、付き人がいたり、メイドコスしたり。日本でも若輩者ではあったけれど、この世界では数百年単位で年下な私だ。今までの常識が覆されることは、日常茶飯事と言っていい。
「我輩、トマトは宿敵と認めている!」
そう。吸血鬼がトマト嫌いだとか。
日本のパンピーとしては、吸血鬼ってトマトジュースで喉を潤すものだと思っていた。何がどうして、吸血鬼=トマトジュース好き、と認識していたのかは覚えてないけど、吸血鬼のトゥオモさんがトマト嫌いと知って、私は少なからず衝撃を受けた。
吸血鬼ってトマト嫌いなんだ。血に似てるから好きなのかと思ってたよ。我輩はイチゴが好きだ、と絶叫されて目が点になってしまった。そんなに嫌いなのか、トマト。
あの、記憶から抹消したいメイドコス事件の後。ジラルダークを元気づけるためにケチャップとオムライスを自作した私は、ちょいちょい厨房に足を運ぶようになっていた。
「じゃあ、後で苺タルト作って、研究室に持っていきますね」
偶々、厨房に顔を出したトゥオモさんにトマトジュースの味見をお願いしたら、全力で拒否られて、好物アピールされた。悪魔領では、異世界各国の野菜や果物が栽培されてるようだ。トマトや苺は、東堂さんの治めているジャパン領で栽培されていた。
メイドコス事件の時にボータレイさんからトマトを融通してもらった関係で、苺も少し貰ってる。うん、研究所に入り浸っている三人が食べれるくらいのタルトは作れるかな。
「おお!イチゴのタルトは我輩の大好物でありますぞ!」
心なしか、トゥオモさんの目が輝いてる気がする。いや、この人いつも元気いっぱいで瞳キラキラさせてるから分かりにくいけど。吸血鬼が元気いっぱいっていうのも、何とも不思議な気分になる。
「そのような楽しみがあるのならば、午後の研究も捗るというもの!」
「あ、あの、あまり期待しないで……」
「なれば、こうしてはいられぬ!ヴィーとフェンにも、研究のペースを速めるように言わなければ!」
一人で納得するが早いか、トゥオモさんは厨房を出て行ってしまった。私は、茫然とそれを見送る。相変わらず、人の話を聞かない吸血鬼だ。
ちなみに、今の時間帯は厨房に人はいない。邪魔にならないように、私たちの昼食後、つまりはコックさんの休憩時間に、ちょびっとだけお借りしてるのだ。コックさんたちが夕食の準備を始めるころには、私はおやつ部屋で魔神さんの誰かとおやつを食べなければならないのだ。魔王様の配下との食べニケーションを大事にしているのだ。ベーゼアと作ったお菓子を振舞うことも出来るし、一石二鳥だね。
「吸血鬼、の概念が崩れるわぁ」
ヴァンパイアって、あんなにパワフルだったんだ……。
「カナエ様の世界の吸血鬼は、トゥオモとは違うのですか?」
冷蔵室から材料を取り出しながら、ベーゼアが首を傾げる。私のお菓子作りのお手伝いをしてくれてるのだ。
「うん、かなり。というか、トゥオモさん、厨房に何の用事だったんだろう?」
「そういえば、トマトが嫌いでイチゴが好きだと主張しただけで研究室に帰ってしまいましたね」
「せっかくフルーツトマトでジュース作ったのに。ねぇ、他の魔神さんもトマト嫌いかな?」
「いえ。皆、普通に食べていたかと。後で配っておきますわ」
「ありがと、ベーゼア」
ボータレイさんから貰ったトマト、消費しちゃわないともったいないもんね。このジュース、私も魔王様に献上しよう。
「薄力粉、バター、卵と……」
「イチゴは半分に切っておきましょうか?」
「そうだね、お願い。私は生地作っちゃうね。アマドさん直伝のイチゴタルトだよ。で、生地を多めに作っておいて、オレンジタルトも作ろう。研究室にだけ届けるのも不公平だもんね」
「はい、カナエ様」
陛下にはどちらも必ずお持ちくださいね、と笑顔で念押しされてしまった。そ、そうですね。魔王様すっ飛ばして魔神さんに差し入れすると、ご機嫌急降下しちゃうものね。
さーて、気合入れて作りますか!
◆◇◆◇◆◇
トマトジュースと焼きたてのタルトを持って、魔王様執務室までやってきた。私が持ってきたのは二人分だ。残りのトマトジュースとタルトは、メイド悪魔さんが魔神さんたちに配ってくれるらしい。ベーゼアも、私を魔王様のところに送り届けたら食べに向かいますって言ってた。
こんこん、とドアをノックすると、自動ドアの如く扉が開く。魔王様は自分の席についたままだけど、魔法で開けてくれたようだ。執務室の中にはトゥオモさんがいた。私を見て目を輝かせた後、恭しく頭を下げる。
「では、この縄は領主殿へお届けしておきまする」
「ああ。それと、第三鍛錬場へ向かうといい。そこに目当てのものがある」
「は」
トゥオモさんは頷いて、執務室から出て行く。それに続くように、ベーゼアも行ってしまった。音もなく閉められたドアを何とはなしに目で追っていたら、いきなり背後から抱き包まれる。
「ひゃわっ!?」
「甘い匂いがするな。それは、タルトか?」
背後から抱き着いてきたジラルダークは、私の持っているタルトに手を伸ばした。ごつごつした長い指が、オレンジタルトを掴む。こらこら、手掴みすんな。
「お行儀悪いですよ、魔王様」
「お前の作る菓子は美味いからな。待ちきれぬ」
ひょいっとタルトが私の頭上に運ばれた。あーあ、もう、しょうがないなぁ。手掴みで立ち食いって、王様がやっちゃダメでしょうよ。
「うん、美味い」
「ありがと。ほら、テーブル行こう。お茶も淹れるから」
促すと、ジラルダークは私を抱えてソファに座る。腰は抱え込まれたままだ。お茶淹れられないじゃないか、とジラルダークを見上げると、いつの間にやら二つ目のタルトを平らげたらしく、ちょうど指についたカスタードを舌で舐め取ってるところだった。
うん、さすがイケメン魔王様。いちいち仕草がエロい。
「お茶淹れるよ?」
もう一度尋ねた私に、ジラルダークはようやく腰から腕を外してくれた。タルトをテーブルに置いて、執務室の隅に備え付けてあるお茶セットを取りに向かう。
……つもりだった。
ええ、何となく分かっていましたとも。魔王様がそう簡単に放してくれないって。
「カナエ」
「ん?う、わっ!?」
呼ばれて振り返った途端に腕を引かれて、私はジラルダークの上に倒れこんだ。何をどうしてこうなったのか、今、私は魔王様をソファに押し倒してる格好になってる。いつの間に寝転がりやがった、魔王様。
「タルトの礼だ。好きにするといい」
「食べ物のお礼を嬉々として体で払おうとするでない、魔王様。望みどおり、着物でも着せてくるくる回してやりましょうか」
「アクダイカン、だったか?帯を掴んで回すのだったな」
「東堂さん情報でしょ、それ」
私に組み敷かれたまま、ジラルダークは楽しそうに笑っている。いつもと視点が違うからか、そんな笑顔ですら色っぽく見えてしまう。
「ああ。奴は大概碌でもない情報を持ってくるぞ」
「うん、身をもって体験したよ」
思い出したくもないあのメイドコスは、元はといえば東堂さんがジラルダークに適当知識植えつけたせいなのだ。
私は体を支えていた腕から力を抜いて、ジラルダークの胸に頭を乗せた。ジラルダークは私の髪を撫でながら、そのままもたれかかってもいいぞ、なんて私を甘やかしてくる。ぺったりとジラルダークの上に寝転ぶと、満足そうに彼は笑った。重いだろうに、何で嬉しそうなんだ。
「ジルは私を甘やかすねぇ」
「ああ、俺だけを頼るようになればいいと思っている。いっそ、俺なしでは生きることもままならないぐらいでもいい」
「漏れちゃいけないタイプの本音がポロリしてます、魔王様。そこまで私を堕落させないでよ」
「と、嫌がると思ってな。偶に甘やかすぐらいならばいいだろう?」
「ほぼ常に甘やかされてると感じてるけどねぇ。お菓子まで作らせてもらって」
「それは俺が食べたいからだ」
「仕事もしなくていいっていうし」
「カナエはこちらに来て日が浅い。この世界を知ることが仕事のようなものだ」
「ベーゼアとメイド悪魔さんがいつもそばにいて、至れり尽くせりだし」
「何かあったときに、常に俺がそばにいられればいいのだがな。応急策だ」
おおう。この過保護魔王様め……。私はぽんぽん、とジラルダークの胸を叩いて、彼の顔を見上げた。
「ジル、好きな食べ物って何?今度作ってみるよ」
「────」
Q.女の子から、『君の好きな食べ物って何?』と聞かれました。何と答えますか?
A.『いただきます。』
……魔王様って肉食でいらっしゃるんですね。知ってました、ごめんなさい。誘ったわけじゃないんです。今更止められませんか、そうですか。
一時間後、ようやく聞けたジラルダークの好きな食べ物は、オムライス、だった。やだもう泣きたい……。