34.人形の暗躍
第三者視点
トゥオモがノエとミスカと合流しようとする頃、エミリエンヌはフェンデルと共にジャパン領にいた。ボータレイに赴く旨を伝えていたからか、放浪癖のあるダイスケの姿もきちんと館にあった。
領主の屋敷の一室、私的な来客を迎えるための応接間で、エミリエンヌは椅子に縄で縛り付けられているダイスケと相対している。エミリエンヌの後ろに控えているフェンデルは、慣れたことのように魔法で防壁を作った。無論、自分自身を守るためだけに、だ。ダイスケとは離れた位置にいるボータレイも、同じように防壁を作っている。
「御機嫌よう、領主殿」
「うむ、変事ござらぬか、エミリ殿」
「どうして私がここに来たか、お分かりですわよね。わざわざ、フェンに魔法で運んでもらいましたのよ。フェンも暇ではないのに」
にっこりと微笑んで、エミリエンヌがダイスケに一歩近付く。ダイスケは無駄なことと知りながら、がたがたと椅子を揺らして下がろうとした。しかし、数センチも下がらないうちに、エミリエンヌの白く細い足がダイスケの脛を蹴り上げる。
「ぐおっ!い、痛いでござる!」
「でも、移動だけお願いするのも失礼でしょう。だから私、何か研究のお役に立てないか考えましたの」
「なっ、何故っ、貴殿の足が、斯様なまでの硬さを……!」
「うふふふふ、私は人形ですわ。少しの衝撃で壊れてしまったら悲しいじゃありませんの。だから」
がつ、とエミリエンヌがダイスケの座っている椅子を蹴り飛ばした。いくら木製の椅子とはいえ、幼い体のエミリエンヌが無傷で済むものではない。しかし、豪快に蹴り飛ばしたエミリエンヌの足は綺麗な白色だった。
むしろ、椅子の足が少し削れている。冷や汗を流しながら、ダイスケはエミリエンヌを見上げた。
「じょ、冗談、で、ござろう……?」
「昔、貴方が言っていたのは、ロンズデーライト、でしたわよね」
「!!」
「模してみましたの。私の足で。ちょっと硬くて歩きにくいのが難点ですわね」
「でっ……、殿中でござる!殿中でござる!」
驚き首を振るダイスケに、エミリエンヌは変わらぬ微笑みのままで首を傾げる。防御壁の中で見ている分には愛らしい人形だわな、とフェンデルはどこか他人事のように頷いた。エミリエンヌの足の物質を変えたのは己だという自覚がないらしい。
「そう。ここは貴方のお屋敷の中ですわね。ふふふ、ですからこれも、ただの可愛いイタズラですわ」
もう一度椅子を蹴れば、ダイスケはバランスを崩して床に転がった。その肩を踏みつけて、エミリエンヌは口元を吊り上げる。彼女の小さな手には、研究室の幽霊と共同開発した薬品の袋がこれでもかと握られていた。
「どこぞのド阿呆が、我が偉大なる魔王陛下にして下さったのと同じ、ね」
ダイスケを見下ろす笑みは、絶対零度の輝きを放っていたという。
◆◇◆◇◆◇
「これがそのメイド服?可愛いじゃない」
ボータレイは、フェンデルの水晶が映し出すメイド服を見ている。感心したように服の細部を眺めるボータレイに、エミリエンヌは呆れたように肩をすくめた。
「それとこれとは別ですのよ、レイ。カナエ様は一生懸命な方ですわ。陛下がダイスケの阿呆な発言に惑わされていたのも問題なのですけれども、カナエ様にまでご心労をお掛けしたのが許せませんの」
「珍しい、随分と入れ込んでるわねぇ」
顔に緑色の液体をぶちまけられ、白目を剥いているダイスケを床に転がしたまま、エミリエンヌとボータレイ、フェンデルはソファで茶を嗜んでいた。
「当然ですわ。カナエ様のお陰で、魔王陛下が潰れずに済んだのですから」
「ああ、相当危なかったみたいね、陛下」
「危ないなんてものじゃなかったがな。あと数日遅れておれば、確実に沈んでおったわ」
魔神として傍で見ていて、あれほど胆の冷えた試しは無い。ある朝突然、寝室で冷たくなっていてもおかしくないほど、当時の魔王は危うかったのだ。
「ダイスケは随分と認識が甘いようなので、矯正する意味もありましたの。少しは理解していただけたかしら?」
「充分、理解したと思うわよ」
人の足とは思えぬ硬い足で蹴られ、身動きできないところに謎の薬品をぶちまけられ、最終的には、痺れるほどに苦い液体を飲まされたのだ。ダイスケでなくとも懲りただろう。
「カナエちゃんを逃したら、この国は滅びると思っていいのね」
ボータレイの言葉に、エミリエンヌは頷いた。
「ええ、確実に」
迷うことなく頷いたエミリエンヌに、ボータレイは溜め息を吐く。魔神と違って、離れた場所にいる領主や補佐官である自分たちは中々魔王の変化には気付きにくい。今回の婚姻の件も、魔王に城へ呼ばれるまで殆ど詳細を知らなかった。恐らく魔王は、カナエを確実に守りきれる地盤が整うまでは外に知らせる気は無かったのだろう。もしくは、単なる独占欲の所為かもしれないが。
「魔神だけではどうしても、カナエ様と気安く接することが出来ませんの。ですから、貴方たちに声を掛けるよう、陛下に進言させていただきましたわ」
「成程。だから陛下は、サリューとアマドまで招いてカナエちゃんに会わせたのね」
「陛下は暫く大丈夫だろうからな。カナエ様は、どこで危うくなるか分からん。居心地の悪い思いをさせたくはないでな」
「まるで孫ができたようね、フェン」
からかうようなボータレイの言葉に、フェンデルは口をへの字に曲げた。
「孫にはでか過ぎるわい。せめて娘だろう」
「ねぇ、レイ。カナエ様を気にかけてあげて下さらない?」
エミリエンヌはティーカップを小さな手で支えながら、小首を傾げた。先程とは違い、安心して見ていられる愛らしさだ。
エミリエンヌの言葉に、ボータレイは真意を測るように目を細めた。応えて、エミリエンヌが続ける。
「私だけでは、魔神を説得し切れませんの。でも、魔王の腹心であるレイと、そこの阿呆の言葉なら、若輩の魔神でも耳を傾けますわ」
「ウフ、そうね。アタシは、陛下が魔王になる前からの忠実な部下、だもの」
エミリエンヌの意図を汲んで、ボータレイは笑みを浮かべた。流し目でダイスケを見れば、意識を取り戻したのだろう、もぞもぞと体を動かしている。あの怪しげな液体を拭き取りたいらしい。
「アレもね、陛下から罰を受けてるのよ」
「まあ、陛下が?」
「アレの数少ない特技って、見たり聞いたりしたものを忘れないことじゃない?だから、ニホンについての情報を仔細、報告書に纏めて提出しろ、ってね」
ひらりとボータレイが手を振ると、ダイスケを椅子に縛り付けていたロープが解けた。慌てて起き上がったダイスケは、転がるように応接室から飛び出していく。アレは何、と視線で問えば、ボータレイの正面に座っている人形がふわりと微笑んだ。
「私の知りうる全ての薬草の中で、最も苦いものを煮溶かしましたの。あまりの苦さに、肌に触れるだけで痺れるほどですわ」
「ウフフ、文字通り、いい薬になったんじゃないかしらね」
「領主殿も悪ふざけが過ぎたな」
フェンデルは、四方八方から責められる羽目になったダイスケを少々気の毒に思いながらも、特に擁護する気は無い。仮にもジラルダークはこの国を治める王だ。そしてカナエは王妃である。ニンゲンの王制とは毛色が違うものだが、それでも高い地位の二人に対し悪戯をしたのだというのならば、フェンデルが庇う義理はないだろう。
「いやしかし、拙者も御二方を慮って仕掛けたのでござるよ」
布で顔を拭いながら、ダイスケが戻ってくる。まだ顔色は悪いが、先程よりはだいぶ赤みが戻ったようだ。
「折を見て、拙者から御台様にも仕掛けようと画策しており申したが、予想以上に魔王陛下が凹んでしまったでござる。それに、何よりも御台様が拙者の予想以上に行動派だったでござる」
ようやく人心地が付いたと言わんばかりに息を吐いて、ダイスケはソファに身を預けた。
「それで、拙者はお詫びに何を致せばよろしいか?」
「あら、意外と協力的ですのね」
微笑みを浮かべるエミリエンヌに、ダイスケは苦笑い混じりに首を振る。もう懲りたという意思表示だった。
「カナエ様が望まれるのは、魔神との友好関係ですわ。気安い関係のほうが、息も詰まりませんでしょう?」
「ああ、魔王陛下も気を揉んでおられると、ブルリア領主殿より聞き及んでおる。……ふむ、委細承知した。拙者の方でも動いてみるでござるよ」
頷いたダイスケに、エミリエンヌは満足そうに笑みを深めた。利用できる事象は、一枚噛んででも利用してみせる。
微笑みに美しく飾られたビスクドールは、見た目に反して凶暴で、そしてしたたかな少女だった。