32.奥様の暴走
どうせやるなら徹底的に。中途半端に躊躇えば、ただただ痛々しいだけだ。ジラルダークをしょんぼりさせないために、私の全力でメイドさんサービスをして差し上げよう。
「うっし、完璧」
胸元はがっつり、カチューシャもエプロンもフリルたっぷり、パニエもごっつり。無論、ニーソで絶対領域も作ってある。作業しにくいだろってくらい、可愛さ盛り盛りのメイド服だ。色はピンクにしてみた。これを作ってくれたエミリエンヌとベーゼアは、日本って分からない、と困惑していた。
鏡の中の自分に微笑んでみせる。ジラルダークが万が一覗いてた時の対策のために、声には出さずにセリフの練習だ。もしかしたらメイド服は見られちゃってるかもしれないけど、こんな恰好見たら絶対に部屋に戻ってくる、はず。まだ部屋に駆け込んできてないから、ジラルダークにはバレてないと思いたい。せっかくだから、驚かせたいしね。ええと、セリフは……。
“お帰りなさいませ、ご主人様。今日は私がご主人様のお世話をさせていただきます。何でもお申し付けくださいませ。”
うん。こんなもんだろう。その流れで夕食にして、オムレツにハートを描いてやろう。あ~んもしてやろう。ちょっとぐらいのお戯れも許してやろう。ふふ、嫁の最大限のサービスだ、受け取れ旦那様。
ここまで振り切ったんだ。協力してくれた三人のためにも、最後まで振り切れてやる。なんだか楽しくなってきたぞ。日本独自のメイドさんを見せてあげようじゃないか。度肝を抜かれるがいい、ふぅーはははは!
窓の外が暗くなってきた。ベーゼアも、食卓の用意で今はここにいない。今日は食堂じゃなくて、この隣の部屋でご飯食べるからベーゼアが用意してくれてるんだ。いや、うん。さすがにこの格好で部屋から出る勇気は無かったわ。
さて、そろそろ帰ってくるかな。ドアの前でジラルダークを待ってたら、すぐ後にこんこんとノックされた。
本番、スタート!頑張れ、私!
「カナエ、ただ……い……、…………」
ドアを開けたジラルダークは、目を見開いて固まった。硬直したままのジラルダークににっこりと笑って、私はいつもよりも高い声を出す。
「お帰りなさいませ、ご主人様♪今日は私がご主人様のお世話をさせていただきます!何でもお申し付けくださいませ!」
120%の猫なで声だ。全力でやったった。
「っ!?」
「まずはお夕飯ですね!お食事のご用意は整っております!こちらへどうぞ、ご主人様!」
「えっ?あっ、ああ……」
戸惑うように頷いたジラルダークの手を引いて、隣の部屋に向かう。んっふふふ、驚いてるようだな、魔王様。いくら東堂さんからメイド喫茶を教えてもらったとはいえ、所詮は耳で聞いただけ。想像にすぎないもんね。実際に日本のメイドさんを見ると、さぞ驚くだろうさ。
半ば放心してるジラルダークを席に座らせて、私は手早く準備をした。東堂さんから貰ったお米で作ったオムライスと、絞り袋に入れたケチャップ。もちろん、前菜やスープもあるけどそれは後回しだ。
「ご主人様のオムライスが美味しくなるように、私が魔法をかけてあげますね!」
ケチャップの入った絞り袋を手に、私は可愛らしく首を傾けてみせる。魔王様の目は、ほとんど点に近い。カルチャーショックもいいところだ。
「美味しくなあ~れ♪美味しくなあ~れ♪」
言いながら、オムライスの上にハートマークを描く。魔王様は、ぎぎぎ、と音がしそうなくらいぎこちない動きで、オムライスと私の顔を交互に見た。ふふ、大丈夫。言われなくても分かってるよ、旦那様。初心者が、あ~んをお願いするのは難易度高すぎるもんね。慌てなくても、ちゃんとお膳立てしてあげるってば。
「んもー、ご主人様ったら!早く食べないと私の愛情が逃げちゃうでしょ!」
「なっ……!?」
言いながら、私は用意してあったスプーンを手に取る。
「仕方ないわね!今回は特別なんだから!私が愛情ごと食べさせてあげる!か、勘違いしないでよね!こんなこと、ご主人様以外だったらしないんだから!」
ちょっと強引だけど、ツンデレメイド要素も交えてみる。ふっふっふ、日本のメイドは幅広いのだよ、ジラルダーク。
「ほら、ご主人様!あ~ん!」
「!!」
一口サイズにオムライスを掬って、ジラルダークの口元に持っていく。ジラルダークは一瞬躊躇った後、迎えるように口を開いた。そっとオムライスを入れてあげると、すんなりと食べてくれた。
「ご主人様、私の愛情、美味しい?」
「っ……、ああ、……とても」
メイド喫茶の雰囲気に慣れてきたのか、ジラルダークがようやく口元に笑みを浮かべた。よかったよかった。楽しんでもらえてるみたいだね。今日は、お帰りなさいの後にしょんぼりしなかったもんね。ここら辺で、日本のメイドさんの最終兵器を出すか。
「よかった!ご主人様に喜んでもらえて、カナエ、嬉しいにゃん♪」
小首を傾げて、スプーンを持ってない左手で招き猫よろしくニャンニャンしてみた。
あ、またジラルダークの目が点になってる。もしかして、ニャンコ系は聞いてなかったのかな?まぁ、これもサービスだ。
さて、後はお戯れ方向のサービスになるんだけども、ありゃま、ジラルダーク、また固まっちゃってる。こりゃ、東堂さんには日本のメイドさんのポピュラーな部分しか聞いてないのかもしれないな。なら、もうちょっとメイドさんに慣れてもらうまでだ。
「はい!ご主人様、もっと食べてくださいませ!」
再びスプーンでオムライスを掬い上げて、ジラルダークの口元に持っていく。スプーンの先っちょでジラルダークの口をノックすると、気が付いたように彼の口が開いた。よし、上手く唇にケチャップが付いたな。私はスプーンを置くと、ジラルダークの肩に両手を添えた。
「ふふ、じっとしてて下さいね、ご主人様♪」
「な、…………ッ!?」
ぺろっと、唇に付いていたケチャップを舐め取ると、ジラルダークの手が私の腕を掴む。そのまま引き寄せられて、私は座ってるジラルダークの上に乗っかった。
「カナエっ……」
切羽詰った声で名前を呼ばれて、強引に唇を塞がれる。ははは、魔王様。実際のメイドさんにこんなことしちゃ駄目だからね。ビンタ喰らってお縄頂戴しちゃうからね。そもそも、メイドからこんなサービス自体しないけどさ。
「ん、……元気出ましたか、ご主人様?」
膝の上に抱っこされたまま、ジラルダークを見上げる。ジラルダークは軽く目を見開いた後に、困ったような照れたような笑みを浮かべた。
「ああ……。すまない、心配をかけたな」
とかって殊勝なことを言いながら、どうしてスカートの中に手を入れてくるんだ、魔王様。絶対領域を撫でるな。くすぐったい。
「これはニホンのメイド、だったか?」
「え、うん。そうだよ」
あら?
「随分昔にダイスケから聞いたが……。お前が纏うと、想像以上に愛らしいな。見ているだけで気を遣りそうだ」
ん?え?あれれ?おっかしーぞー?
「ね、ねぇ、ジル」
「ん?」
着々とスカートの中を突き進んでくるジラルダークの手をそのままに、私は首を傾げる。ジラルダークの口ぶりだと、まるで東堂さんからメイドの話を聞いたのは随分前で、別に意識もしてなかったかのようだ。
「あのね、ここのところ、ジル元気なかったじゃない?あれって、東堂さんに日本の常識聞いたから、じゃなかった?」
「あ……。ああ、あれは……」
私の言葉に、ジラルダークはフイッと視線を逸らしてしまった。うわ、これってもしかして、私の予想が間違ってたってこと?メイド、無駄足?!
ってことは、根本的には何も解決してないじゃないか!まずい、ここでジラルダークがしょんぼりする理由を聞いておかないと、堂々巡りだ!
「ねぇ、教えて、ジル。私と東堂さんだと、同じ日本人とはいえ年代が違うの。だから、東堂さんが知ってることを私が知らないかもしれない。それにね、その、東堂さんが面白がって、違うこと教えちゃってるかもしれないの」
言いながらジラルダークを見上げると、ようやく彼はこっちを見た。何度か逡巡した後、そっと呟かれる。
日本では古来より、最愛の夫へ妻からかけられる言葉がある。もしも妻が夫に不満を持っているならば決してかけられない言葉だ。それは、夫の帰宅時に妻より投げかけられる、愛情の証だという。
「妻は夫へ、“お帰りなさい、アナタ。ご飯にする、お風呂にする、それとも私?”と問うものだと言っていた」
もぞもぞとばつの悪そうに呟くジラルダークの言葉を聞いて、私はがっくりと肩を落とした。これは東堂さんの嫌がらせか。新婚さんギャグみたいなあれだよね。東堂さん、恨みますよ。あんなの、私、一生かかっても言わないよ。
「それ、違うから。一種のギャグみたいなものだから。むしろ、今の私の格好の方が、よっぽど愛情を表現してると思うよ」
こんな格好でメイドさんごっこなんて、ジラルダーク相手じゃなきゃやってない。最初から東堂さんが何を言ったのか知ってたら、メイドの格好なんてしなかったのに。
「ああ、そうだな。言葉以上に愛らしい」
「んもう、変な心配させないでよね、ジル」
「すまない」
「今度から、何かあったら言ってね。じゃないと、私もジルの考えてること分からないから。察せられるように努力はするけどさ」
「ああ。ありがとう、カナエ」
ちゅ、とジラルダークの唇が私のこめかみに落ちる。ああ、ジラルダークの手はスカートにインしたままだ。そりゃあ、煽れるだけ煽ったもんね。
うん、旦那様が元気になってよかった、としとこうか。ここでお預けじゃあ、流石に可哀想だ。東堂さんへの復讐は、ボータレイさんとエミリに協力を仰ぐことにしよう。三人寄れば文殊の知恵さ。
ジラルダークの肩に腕を回しながら、私は硬く心に誓うのだった。