3.悪魔の王
【ジラルダーク】
悪魔とは、この世界における異分子である。
異分子とは、この世界に本来、あるはずのないものである。
異世界人しかり、各世界の文明しかり。
この世界のニンゲンは、異分子たる存在を受け入れなかった。悪魔と称し、迫害した。今から数百年の昔である。迫害は苛烈を極め、異分子たちは結束するより他、生き残る術はなかった。この世界のニンゲンに対抗する異世界の人間、そう、悪魔の始まりはただの人間だった。
「カナエとは違う世界だが、俺も異世界人だ」
そう告げると、カナエは驚いたように目を丸くした。常より大きな瞳は、零れてしまわないか心配になるほどだ。
異世界人がそのまま、以前の世界のようにこの世界で生きられたならば、異分子とは称されなかっただろう。異分子の異分子たる所以、それは飛ばされてきたそのままの姿を保つから、だ。不死ではないが、不老。俺も680年前から、全く老化していない。それは気味の悪いものだろう。
「カナエのいた村も、麓のニンゲンには悟られぬよう暮らしているものたちだ。こちらは少々……、奇抜であろう?」
「そ、そうだねぇ、奇抜っていうか……。うん、悪魔っぽいね」
「はは、そうだな」
ニンゲンと“悪魔”は相容れぬもの。何度も歩み寄ろうとして、しかし、悪魔はどう足掻いてもこの世界ではニンゲンとして生きられない。不老という枷は、予想以上に悪魔を苦しめた。
「相容れぬとはいえ、俺たちは人だ」
「ヒト……。ねぇ、さっきの光線はどうやったの?」
「ああ、魔法だ。我が城にいる者は、魔法に長けた者や武術に長けた者でな。特異な能力を持たぬ者たちは、カナエ、お前も知っているだろう」
「なるほど。村の人たちってことか。魔法が使える異世界人は冒険にって、ここに来てたってことね」
俺の説明に、カナエは納得がいったように頷く。ドレスを引き立てるために纏め上げた髪が一筋、カナエの白い首筋に揺れる。遠く見ていた彼女が、触れるほどに近くにいる。つい伸びそうになる手を自制するのも、骨が折れるな。俺は意識的に彼女の首筋から視線を逸らせて、話を続けた。
何らかの特異な能力を持った悪魔はここに集まった。歩み寄れぬなら、自衛するしかあるまい。ニンゲンに畏怖されるならばそれもいい。そうして近づかなければいい。要は、住み分けだ。それが出来ていれば、衝突もないのだ。
ニンゲンは、恐怖を克服しようとする。魔王は打ち倒されるべくある、と。だが、この世界のニンゲンの使う魔法の精度は低い。いや、騎士の剣術、武術、戦術の一つを取ってみても、ニンゲンが悪魔に勝ることはない。あらゆる世界の剣術、武術、戦術を集めた悪魔に勝つことは容易ではない。向かってくるニンゲンは、いなすだけだ。
そして、悪魔がニンゲンの領域を侵すことはない。元は不毛の地と言われていたここも、魔法があれば開墾も不可能ではなかった。定期的に飛ばされてくる異世界人の“悪魔”たち。国を成す民も充分だった。
「そうして幾百年と、俺たちはここで暮らしている。悪魔を守りながら、な」
「で、晴れて私も悪魔の仲間入り、ってことね」
そう笑ったカナエに、陰はなかった。俺は目を細めて笑い返す。
「でも、私は何の力もないけど。パンピーよ、パンピー」
「言わなかったか?俺の一目惚れだ」
「ひ……!?」
俺の言葉に、カナエは目を白黒させた。ここへ連れてくる時に告げたと思っていたが、……ん?言っていないか?
「俺は悪魔の王だ。飾りではない。この世界へ来た悪魔は全て、把握している」
「全員?」
「ああ。伊達に何百年も生きていない。異世界と繋がる地点は抑えてある。絶対とは言えないが、地点ごとの周期も分かっている。防ぐ手立てはないが、な」
その地点に、力を持たぬ悪魔の村を作った。ニンゲンとは万が一にも接触しないよう配慮はしているが、念のためにある程度の期間で村人は入れ替えている。
「それで、私が来たのも分かったってことか」
「そうだ。暫く監視していて、俺が勝手に惚れた」
そう告げると、カナエは顔を赤く染めて硬直した。本当に可愛い奴だ。恥じらって視線を泳がせて俯く姿を見ると、心臓の内側がくすぐられるような感触を覚えた。
「……ジラルダーク、恥ずかしい」
「ふふ、カナエは可愛いな」
「い、今はそういう話と違う。ええと、悪魔とニンゲンの話!」
テーブルを叩いて続きを促すカナエに、俺は苦笑い混じりに頷く。
「ああ、そうだったな」
「悪魔の事情は大体分かった。これって、悪魔なら常識なの?」
「そうだ。ある程度こちらに慣れたら教えるようにしている。不老は、いずれ気付くことだからな」
「そう、だよね」
カナエは考え込むように紅茶を口にした。一度に話し過ぎただろうか。通常であれば、年単位で様子を見る。少なくとも、この世界へ来てひと月の者に教えることはない。
「ちなみに、なんだけど。ジラルダークの耳とか目って、あなたの世界の特徴?」
「いいや、俺は魔法でいじっている。中々に悪魔らしいだろう?」
「えー……」
「ダニエラやグステルフは、彼らの世界特有のもののようだ。後程、詳しく紹介しよう。側仕えのベーゼアは魔法だな。他の悪魔も、魔法に特化している者は自ら見た目をいじっているぞ」
「悪魔コスプレってことですかい……」
「そうとも言うな。俺はもう、元の姿も忘れたが」
悪魔の王になると決めてから、幾年が過ぎたか。ニンゲンに恐れられる、悪魔の象徴。魔の王に、俺はなったのだ。
「まぁ、似合ってるんじゃない?魔王様」
「!」
「私も悪魔っぽくいじったほうがいいのかなぁ。でもボンデージは嫌だ……」
半目で菓子を齧りながら、カナエは自分の耳を指先でいじる。
ああ、そうだ。このひと月、俺はずっと見ていたじゃないか。この、器の大きな女性を。カナエならば俺の隣に立てると、喜んだじゃないか。
「用意しておいただろう、ボンデージ。着ればいい」
「あれは!あれだけはご勘弁を、魔王様!」
本気で嫌がる彼女に、俺はおかしくなって笑った。ああ、こんなに気兼ねなく笑うのは、何年ぶりだろうか。
俺は一頻り笑った後、すっかり拗ねてしまったカナエを撫でる。菓子を持ったままの彼女を抱き上げて、膝の上に座らせた。やわらかな肢体を、掌で労わるように触れる。
彼女は、この世界に飛ばされた後、こちらが驚くほどの速さで順応した。普通、異世界に飛ばされ、特に生活の基盤が確保できた後などは、気が緩んで不安になるものだ。嘆く者も多い。
しかし、カナエは違った。毎日健康的なまでによく寝、よく笑い、そして村の生活に溶け込んだ。元々そういう世界から来たのかと村の者に探らせれば、それも違うという。彼女はただ全てを受け入れるのだと、村で彼女の世話をしていた者は笑った。
どれだけの度量かと、ここへカナエを招く際、俺は一芝居打つことにした。魔王のまま、彼女を村から攫ってみた。俺の妻にしたいという、それは本心だが。
攫われても、カナエは状況を見て悲鳴の一つ上げなかった。魔王が攫うと言っているのだ、暴れれば村人に危害が及ぶと考えたのだろう。それだけではなく、この城へ来てからも、自身へ危害を加えられないと判断したからか随分と大人しかった。暴れようとも、逃げようともせず、敵意すらも向けない。
それをいいことに、俺は手に入れようとしているのだ。何を言えた義理じゃないが。
膝の上で菓子を食べているカナエの首筋に吸い付く。短く声を上げて、カナエが身を捩った。ああ、そんな仕草も可愛らしい。
「ちょ!ジラルダーク!」
「ああ、俺の妻、というのは建前でも何でもないからな」
「っ!」
「お前は俺の妻だ。どう足掻こうとも逃がしはしない」
耳たぶに口付けて囁けば、面白いほどに色付いた。細い腰に腕を回して、俺の上に固定する。カナエの力程度、日頃鍛えている俺に敵うものではない。
「お、横暴っ……!」
赤い顔で睨みつけてくるカナエに、俺は口元を吊り上げた。
「当然だ。俺は悪魔の王だからな」
久々に思う。
ああ、これからが楽しみで堪らない、と。