25.魔王の一ヶ月3
【ジラルダーク】
カナエがこの世界に来て、今日でちょうど20日目だ。彼女は相変わらず、楽しそうに毎日を過ごしている。
昨日など、酔ったサリューと共にアマドの家へ突撃し、三人が三人とも酔っ払って潰れていた。今朝、カナエだけがケロッとしていて、二人に粥を作っていたな。酒には強くないが、翌日まで引きずらないようだ。今も元気に野菜を収穫している。
カナエを見ているのは楽しい。彼女には、異世界へ来た者特有の影がない。安心して見守ることが出来る。行動も天真爛漫で飽きない。
しかし、カナエの涙は一度も見たことがないな。ニホンから来たということは、生活様式も一変したはずだが、望郷の念は無いのだろうか。もう少し、サリューに探らせてみるか。
今日はこの後、どう過ごすのだろう。俺は今までのような惰性ではなく、自主的に彼女の生活を覗いた。
◆◇◆◇◆◇
【カナエ】
私は今、非常に困っている。
この世界に飛んできた時くらいに困っている。むしろ、状況的には今のほうがピンチかもしれない。
「……動けない」
うわーお。どうしようかなぁ。まさか、転んだ先が崖だったとは。高さはそんなに無かったけど、落ち方が悪かったとは。足、捻挫するとは。立てないとは。うん、予想外です。予想外のピンチです。
んー……。立てない上に、今日は一人で山に入っちゃったからなぁ。携帯が通じるような世界じゃないし。
「ふむ。どうしたもんかね」
きっとサリューのことだ。夕飯時になっても帰らなければ、探しに来てくれるだろう。だったら、それまでを凌ぎきればいい。今がお昼過ぎだから……、大体6時間ぐらいかな。
寒くはないから、気をつけるのはアレか。サリューが言ってた、魔物ってヤツか。この山には滅多に出ないって言ってたけど、……んふふ、私は知っているのだよ。こういう時のお約束というものを。
そう、これは恋愛フラグの為のイベントなのだ!そう考えてみよう!
滅多に出ないはずの魔物が来る→私、大ピンチ→たまたま通りかかったカッコいい旅人(を装った王子)が助けに入る→私、感謝感激→フラグ成立!
うん、これだね。これしかないね。26年間、枯れた生活を送っていた私、サヨウナラ!ついに恋愛フラグが立つ時がきたのさ!
よっしゃ。そうと決まれば、魔物が来たときに牽制で投げられる石を用意しておこう。旅人(仮)が来るまでにやられちゃったら意味ないもんね。
他に準備するものは、ああ、そうだ。足はこう、お姉さん座りにしておこう。か弱い女の子らしさをアピっとかないとね。
「ふっふっふ……」
準備OK、万端だ。うん。万が一、普通に魔物に遭遇しちゃっても、これで時間が稼げるね。どうせ待つなら、妄想過多で楽しく待とう。
はて。そういえば、私の籠はどこいった?転げ落ちたときに落としちゃったんだよね。あれの中におやつとお茶入れてたんだけどなぁ。
きょろきょろと見回すと、籠は崖の途中に引っかかってた。普段だったら手を伸ばせば届く高さだけど、今の私にはちょっとしんどい。立てないし。せめて、近くに枝があれば、引っ掛けられたかもしれないけどね。
「あれ?」
籠をぼんやり眺めていたら、不意に籠が揺れた。風は……、吹いてない。何だろう?バランス崩れたかな?
「うおっ、と!?」
そのまま落ちてきた籠を、反射的にキャッチした。中身は無事、みたいだ。おやつのクッキーも崩れてない。派手に転んだから、絶対割れてると思ったのに。まぁ、何にせよ、ラッキーだったな。お茶も一緒に持ってきてたから、もし今日のうちに助けが来なくてもしばらく凌げる。
籠を抱っこして、私は崖に背を預けた。今のところ、魔物というか、動物の気配は無い。ウサギ一匹出てこない。
「んー、平和だなぁ……」
のんびりだねぇ。異世界って言葉の響きだけで、もっとデンジャラスなところだと思っちゃってたよ。
「うん。いい世界だ」
ここに来れてよかった。まだまだ新米トリッパーだけど、これからもこの世界で頑張ろう。
……あ、おやつ食べようかな。
「見つけた!アマド、あそこだ!」
「カナちゃん!」
「!!」
おやつを取り出そうと籠をがさごそしてたら、サリューとアマドさんが崖の上から顔を出した。は、早いな!
転げ落ちてからまだそんなに経ってないのに探しに来た二人は、驚く私を余所にロープを使ってちゃっちゃか崖を降りてきた。硬直する私を抱き上げたのはサリューの姉御様だ。抱き上げられた私の足首を、アマドさんがささっと確認する。折れてはいないようだね、とホッとしたように呟いた。
「ど、どうしてここに!?」
「いいから、帰るよ!早く冷やさないと!」
「うん、腫れてきてるから、あまり動かさないようにね」
おーい、私の質問は無視かーい。村人さんの誰かが落ちるとこでも見てたのかなぁ。
ハッ!まさか、はじめてのおつかいよろしく、私のことを見守ってた!?だから、転げ落ちた時に即行で救助用の道具を取りに戻ってくれた!?うわっ、恥ずかしい!コケたところを見られてるのって、何かものすごく恥ずかしい!
「カナ、ちょっと揺れるけど我慢しな」
「う、うん」
そうだね、お互いのためにも、あんまり問い詰めないでおこう……。
◆◇◆◇◆◇
【ジラルダーク】
サリューに運ばれて家路についたカナエに、俺は詰めていた息を吐いた。いきなり転げた時は、心臓が止まるかと思った。咄嗟に風の魔法で受け止めたが、転んだ時に足をやってしまったらしい。
不幸中の幸いと言うべきか、俺が直接覗いていてよかった。水晶越しに見ていたら、即座に魔法を使えなかっただろう。
すぐにサリューとアマドへ指示を出したが、全く、カナエはどうしてああも暢気なのか。結構な段差を落ち、立てもしないというのに彼女は微塵も慌てない。それどころか、小石を幾つか集めると満足そうに笑っていた。気に入った石でもあったのだろうか。肝が据わっているというか、器が大きいというか……。
そんな能天気な彼女が、カナエが言ったのだ。ここを、いい世界だ、と。
平和で、いい世界だ、と、彼女は笑っていた。
その言葉に、泣きたくなった。ずっと、俺は一心不乱に走り続けてきた。魔王として、民を守るためにただひたすらだった。
その道が正しかったのだと、そう言われたような気がした。必死に守ってきたこの場所を、カナエは認めてくれたのだ。俺が、……魔王が見ているとも知らずに。
「……カナエ…………」
鬱々と腐っていた自分を、殴り飛ばしたくなった。俺は、認められたかっただけなのだ。今までの、この数百年が無駄ではなかったと、喉から手が出るほどに欲していた平和があると、その言葉を聞きたかった。
ああ、だからフェンデルは俺に彼らを見守るよう勧めたのか。王として、確かな道を歩めたのだと自覚させるために。
ありがとう、カナエ。お前がこの世界をいい世界だと言ってくれるならば、俺は悪魔の王としてこの地を守ろう。遠い昔に、俺の懐にある悪魔たちを守ると誓ったのだ。こんな様では、あいつらに叱られてしまうな。
「アマド、カナエの怪我の度合いはどうだ?」
俺は、引き続きカナエを覗きながら、カナエから少し離れたところにいるアマドに声をかけた。アマドはカナエに聞こえないように彼女から顔を背けて応える。
『はい。折れてはいないようですが、捻挫してしまっているようです。おそらくは、一週間程度で完治するかと思われます』
「よく効く薬だと言って、薬草を巻きつけておけ。今宵、我が治す」
『……は。かしこまりました』
俺の指示に従って、アマドは薬草と包帯を用意した。サリューにも会話は聞かせていたから、上手く話を合わせるだろう。カナエは薬草を物珍しそうに見ている。彼女の目はいつも好奇心旺盛に輝いていて、見ているだけでこちらも楽しくなる。先程は、ひやりとさせられたが。
『うえぇ!匂いが苦い!』
『それは食べ物じゃないからね、カナ。食べるんじゃないよ』
『食べないよ!そこまで食いしん坊じゃないもん!』
『ははは、どうだか』
彼女の足に薬草を巻きつけながら、サリューが朗らかに笑う。カナエが崖から転落したと伝えた時はかなり取り乱していたが、サリューも落ち着いたようだな。
カナエのような女性が隣に立っていてくれたならば、俺はどれだけ救われるだろうか。彼女ならば、俺の隣に立ってくれるのではないか。ふと、そんなことを思った。




