24.魔王の一ヶ月2
【ジラルダーク】
五日前にこの世界へ飛ばされた来た女。あれは何の能力も持たない女だ。すぐに音を上げるだろうと、俺は他にも飛ばされてくる奴等と並行して観察を続けていた。
カナエ・ノノムラという名の女は、サリューの所で暮らしている。よく懐いているようだ。今のところは泣き言を漏らさずいるようだが、いつまで保つものか。
しかし、よく食べるな、カナエは。アマドも美味そうに食べるカナエに頻繁に菓子を与えている。報告にも健康優良、特に問題もなし、と上がっていた。このまま問題なく済むとは、到底思えないが。
異世界に飛ばされた直後に問題を起こさぬ者は、数日経って慣れた頃合いに何某かの問題を起こすのだ。ありもしない帰還方法を探し夢遊病のように彷徨ったり、情緒不安定になって泣き叫び当り散らしたり、この世界を現実として捉えられなかったり。この女の前に見ていた男も酷かった。あちらの村の者には苦労をかけたな。後で労いを……。
……ああ、それも、もういいか。俺でなくとも、フェンデルも知っていることだ。あいつならば、きっと上手くやる。
俺のように魔王として一人が立つのではなく、魔神たちのように幾人か集まって権力を分散させるのも悪くない。彼らは悪魔の中でも随分と長寿な部類の連中だ。戦争を経験した者たちもいる。上に立つには充分だ。
彼らが今、無事に存在できているだけでも、俺がここにいた意味はあったのだろうか。
◆◇◆◇◆◇
【カナエ】
「おはよう、サリュー」
「んん……、おはよう……」
私は朝ご飯の支度をしながら、寝ぼけ眼を擦ってるサリューに声をかけた。まぁ、姉御さんったら、昨夜も酒盛りしてたもんねぇ。
「大丈夫?はい、レモン水」
「ありがと」
お酒には強いみたいだけど、流石に寝不足には勝てないみたいだ。いつもはビシッと縛ってある水色の髪が四方八方に散ってる。
「朝ご飯食べられる?それとも、もうちょっと寝とく?」
「……食べる。カナの手料理を残したくない」
「あはは、ありがと、サリュー。さっぱり系にしたから、無理はしないでね」
うん、と頷いて、丸太で出来た椅子に座ったサリューに、私は目を細めて笑った。
サリューは、この世界で私を助けてくれた恩人だ。そして、トリッパーの先輩でもある。今お世話になってるのも、サリューの家だ。
異世界、と聞いてちょっと構えてたけど、思ったよりもここでの生活は快適だ。村の人はみんなトリッパーの先輩で、新米が何に困るかも心得てくれているから、先回りして助けてくれる。
まさに至れり尽くせり。こんなトリップがあっていいのかと、逆にそっちが不安になる。ほら、トリップしたら魔物に囲まれて大ピンチ、とか、言葉が通じずに大混乱、とか、村人に村八分にされてボッチ、とか、お、俺の右腕が勝手に……!みたいな事態があってもおかしくないじゃないか。異世界だし。
魔法は見てみたいけど、ここにいるのはパンピーだけだ。魔法使いはみんな冒険しちゃってるもんね。ま、それはいずれの楽しみにとっておこう。
「ごちそーさまでした」
「お粗末様です」
気合で朝ご飯を食べきったサリューは、そのまま寝室に戻っていった。着替えるのか、それとも潰れるのか。まぁいいや。私は私に出来ることをしておこう。
村での生活は、日本の山間部での生活に近いと思う。この世界にも都市部や街のようなものがあるらしいけれど、ここからだと遠すぎて滅多に交流はないんだってアマドさんが言ってた。
だもんで、基本は自給自足だ。近くに村はあるみたいだから、ちょっとした物々交換はあるんだけどね。
「おはようございます!」
「おはよう、カナちゃん」
外に出て鎌と籠を抱えつつ、同じように外に出てる村の人に挨拶をする。村の人は、髪の毛の色が奇抜だったり目の色が不思議な色だったりするだけで、基本は私の世界の人と変わらない。
みんな気さくでいい人たちばっかりだもんね。この世界での生活も、悪くない。帰る方法は無いって聞いたし、ここでだったらこれから生活をしていっても不安はない。
むしろ、米でも栽培してみようかと画策中だ。麦はあるから、きっとこの世界には米があるはず。今は収穫期のようだから、何もできないけどね。苗を手に入れられればなぁ。
「カナちゃん、大丈夫かい?」
「あ、アマドさん」
そんなことを考えながら籠を肩に担いで鎌を小脇に抱えて畑へ向かうと、アマドさんに会った。アマドさんも籠を担いでる。大丈夫かいって、この籠?担いでて大丈夫ってこと?
「このくらい、重くないですよ。そんなか弱くないですよ、私」
昨日なんて、クイズ☆サリューとカナエどっちが早く収穫できるでshow!を村人さんたちと行なったぐらいだ。で、サリューが祝賀会でお酒飲み過ぎたなれの果てが今朝の状態なんだよね。
チッ。流石に農業は前の世界で経験してなかったからなぁ。まだまだ勝負にならないか。精進あるのみだ。
「あ、いや、そうじゃなくてね。ええと……」
あれれ?アマドさんが困ってしまった。大丈夫って、籠のことじゃないのか。んー?昨日の酒盛りのことかな?
「ああ、サリューだったら、多分家で潰れてますよ。遅くまで飲んでたみたいですから」
「そうみたいだね。……うん、まぁいいか。何かあったら、すぐに僕に相談してね」
「はい!アマドさんのお菓子が食べたいです!」
アマドさんへの相談といったら、アマドさんの手作りお菓子しかないでしょう!めっちゃ美味しいんだ、アマドさんのお菓子!
「あはは、今日は向こうの村から貰ったオレンジでゼリーを作ったよ」
「うわーい!」
「お昼に食べようね」
「はい、もちろんです!」
ぐっと親指を立ててみせると、アマドさんは穏やかに笑った。オレンジのゼリーか。アマドさんの髪の毛の色だね。楽しみー!
朝はお日様と一緒に起きて、サリューとご飯食べて、畑仕事しつつ村の人と遊んで、お昼ご飯とアマドさんのお菓子食べて、再び畑仕事しつつ村の人と遊んで、夜は飲み会だったりアマドさんのお料理教室だったり宴会だったり飲み会だったり飲み会だったり。
健康的な毎日は、驚くほど早く過ぎていく。サリューやアマドさんは私がホームシックになってないか心配してくれてるけれど、それはない。
だって、毎日が楽しいもん。明日は何をしよう、お菓子は何だろうってワクワクしながら眠りにつくのなんて、本当に小さな子供の頃に帰ったみたいだ。
この世界には、家族も友達もいない。それが寂しくないわけじゃないんだけど、帰れないものをいつまでも考えたってしょうがない。答えは、帰れないからどうしようもないって、その一つしかないんだから。
だったら、今の生活を受け入れて楽しむだけだ。実際、楽しいしね。
「君は強い子だね、カナ」
「そんなことないよ。サリューやアマドさん、村の人たちが優しいからだよ。しかも、子っていうほど若くもないし」
昼前に復活してきたサリューとお弁当背負ったアマドさんと一緒に、熟れたトマトを齧りながら歩く。村に程近い山の中には、山菜や木の実がたくさん生ってるんだ。このトマトも甘くて美味しい。衣食住、こんなに充実しててしかも新米トリッパーへのフォロー体制も万全なんだ。文句が出るなんて、贅沢すぎるだろう。
「カナちゃんは、前の世界でもこういう生活だったのかな?」
アマドさんの質問に、私はトマトを咀嚼しながら首を振った。私は日本でのほほんと暮らしていたパンピーだ。会社員ではあったけど、農業は嗜んでない。ガーデニングすらやったことなかった。あるのは、昔々に学校で朝顔とかヒマワリを育てたくらいだ。
「確か、カナはニホンから来た、って言ってたっけ」
「うん」
「ニホン、か。トウドウ領主の生国だね」
トウドウ、さん?へぇ。同じように日本から来た人もいるのか。
「ここからは遠いけれど、いつか会えるよ。領主はよく旅をしていらっしゃるから」
「だといいですねぇ」
日本人もいるんだなぁ。そうだよね、サリューもアマドさんも、この世界の人じゃないけど、私の世界の人ってわけでもないから、もっと別の世界から来てるってことになるもんね。
「まぁ、今大事なのは、美味しい木の実を沢山取れるかってことですよ。ね、サリュー?」
「ははは、カナは色気より食い気だね。ほら、あそこだよ」
「あ、木苺!」
おお!すんごいいっぱい生えてる!これ、タルトにしたら美味しそうだなぁ。作ってくれないかなぁ?チラッとアマドさんを見ると、大丈夫分かってるよとばかりに微笑んでくれた。さすがアマドさん。面倒見のいいお兄ちゃん系メガネ男子だもんね。乙女心を分かってらっしゃる。
「少し多めに取ろう、サリュー。カナちゃん用にタルトとソースを作りたいんだ」
「ふふふ、了解」
やったね!もう何か、サリューとアマドさんがお姉ちゃんとお兄ちゃんに見えるけど、関係ないもんね!美味しいは正義なのさ!
「よーし!じゃあ、たくさん取って帰ろう!」
異世界生活6日目。私は今日も楽しく過ごしています。