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悪魔の王のお嫁様  作者: 塩野谷 夜人
悪魔の日常編
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23.魔王の一ヶ月1

【ジラルダーク】


 最近、ニンゲンの動きがどうにもきな臭い。性懲りもなくこちらへ戦争を仕掛けてくるかもしれない。思えば、百年にも満たない束の間の平和だったのだ。それまでは、何度も何度もニンゲンと戦った。戦いがある間は、民を守らなければならないと己を律していられた。

 たかだか数十年の平和で気が緩むなど、感情とは儘ならぬものだ。


 朝日が差し込む寝室で、俺は隣で眠るカナエを眺める。


 やわらかい手触りを持つ彼女の髪を指先で遊びながら、まだ暫くは目覚めそうにないカナエの寝顔を見つめる。安らかに眠る寝顔に、思い出すのは、あのひと月。異世界に飛ばされてきた彼女を見つけた、あのひと月だ。


 フェンデルに言われ、俺は彼女を見ていた。飛ばされてきた当初は、彼女もそれなりに動揺していたか。だが、それまで見てきた者たちとカナエは明らかに違ったのだ。



◆◇◆◇◆◇



【カナエ】


 ここはどこだ。


 私は、駅の公衆トイレのドアを開けた、はずだ。目の前にあるのは、私が切に求める洋式便器でも、そこそこ妥協して求める和式便器でもない。あえて表現するならそう、丘だ。


 私は今、丘の上にいる。石の中じゃなかっただけ儲けものかもしれないが、テレポータに引っかかった覚えはない。マロールだって使ってない。ああ、困った。トイレはどこだ。私の膀胱はアラート音を響かせられそうなくらいにピンチなのだ。やっとの思いで公衆トイレ見つけたのに。入れると思って安心してしちゃったから、もう色々ヤバイ。こりゃ、女を捨てる覚悟が必要かもしれないな……。


 い、いや!草むらを探そう。流石にこんな丘のど真ん中じゃあ、ハードルが高すぎる。私にそういう趣味は無い。というか、できることなら屋内を希望したい。


 ここは駅じゃない、ってことは分かった。むしろ、この景色に見覚えすらない。ということは、行き当たりばったりで草むら、叶うことならばトイレを探さなければいけないのだ。

 目の前には、丘と、木と、草原。草むら、というには背丈が低すぎる原っぱだ。


 む、無理か……?丘のど真ん中で致すしかないのか……?ああ、サヨウナラ、私の女心。26年間お世話になったね……。


「君、大丈夫?」


「!」


 背後から掛けられた声に、私は慌てて振り向いた。


 おお、女の人!小麦色のおねいさん!おねいさんだ!もうこの人が誰でもいい。顔立ちは日本人っぽくないけど、言葉が通じるから大丈夫だ。それだけで助けを求めるには充分だ。私に残された時間は、とても少ない。


「すごい汗じゃないか。どこか痛めたのかい?」


 心配そうに首を傾げた小麦色のお姉さんに、私は救いを求める意味で縋り付いた。


「うわっ!?」


「あのっ!」


 私が殴りかかってきたとでも思ったのだろうか。お姉さんは強張った表情で私を見下ろしている。殴りかかる?そんなことはしない。そんな動きをしたら、私の膀胱が決壊してしまう。

 私の望みはただ一つ、とても平和的なお願いなのだ。


「トイレ貸して下さい!」


 とりあえず、私は女を捨てずに済んだ、とだけ言っておこう。



◆◇◆◇◆◇



「いやあ、助かりました。いきなりすみませんでした」


 丘の近くにあった村にお姉さんは住んでるみたいだ。招かれたのは、平屋のログハウスだった。トイレもここでお借りした。このお姉さんは私の中で女神認定させてもらおう。

 今の私の心は菩薩なのだ。張り詰めていたものが解けたこの心地よさ。爽快感。私は慈愛で満ち満ちているよ。今なら何でも受け入れられそうだ。右頬を殴られたら、ボディを晒せるくらいの菩薩っぷりだ。


「ははは、いいんだよ。間に合ったようでよかった」


 豪快に笑うお姉さんは、小麦色の肌に水色の髪の毛という、落ち着いて見たらびっくりする色合いの姉御さんだった。目も黄色だし。日本人……には見えないけど、とても気さくでいい人だ。日本語ペラペラなのがすごい。


「あ、名乗りもせずにすみません。私は野々村夏苗と申します」


「ふふふ、ありがとう。私はサリュー。君は、カナエ、が名前でいいのかな?」


「はい、そうです」


「ああ、楽にしてくれ。ここは辺境の村でね。お客さんなんて久しぶりなんだ」


 サリューさんはそう健康的な笑顔を浮かべると、お茶を注いだコップを渡してくれた。色は黄緑色だ。緑茶に見えるけど、匂いはレモンティーのように爽やかで甘い。飲んでみると、思ったよりも甘みが強くて美味しい。不思議なお茶だ。


「ここはね、カナエ。異世界、って言って信じられるかい?」


 私がお茶を飲んでる合間を狙って、サリューさんが爆弾を投下した。私は、サリューさんの言葉を頭の中で反芻する。


 ふむ。異世界、とな。ここが、異世界ってヤツですと?ああ、確かにサリューさんの色合いは異世界っぽいね。異世界っていうか、異郷に近いけど。しかし……、そうか。異世界か。ふーむ、異世界ねぇ。


「てことは、私はトリップしたってことでしょうか?」


「ああ。この世界には魔法もあり、精霊もあり、魔物もあり、獣人もある」


「じゅうじん?」


「獣とニンゲンを合わせた種族さ」


「おお、獣耳ですね。それはファンタジーだ」


 ふむふむ。魔法と獣耳かー。異世界っぽいな。見てみたいなぁ。犬、猫、あとウサギ。それと羊とかも可愛いかも。女の子限定でね。


「……あんまり驚かないんだね」


「え。あ、ああ、結構驚いてはいますよ。サリューさんは現地人ですか?」


「いいや。私もカナエと同じ、異世界人さ」


 サリューさんは苦笑い混じりにお茶を飲んだ。これ、紅茶なのかなぁ?砂糖とは違う甘さがあるようなないような。


「ここは異世界人だけで作った村だよ」


「じゃあ、サリューさんはトリッパーの先輩ですね」


「ははは、そうなるのかな」


 うん。サリューさんがいるなら心強い。新米トリッパーだからって追い出すような雰囲気もないし、むしろ受け入れてくれてる感じがする。ありがたいことだ。


「では、右も左も分からないペーペーですが、よろしくご教授お願いします」


「ははは、こちらこそよろしく。君はこれから、ここで住んでもらうよ。部屋も余ってるし、女同士だ。何より君を見つけたのは私だからね」


 ぺこりと頭を下げると、サリューさんはにこやかに笑んだ。それから、ぐいーっとお茶を飲み干す。おお、豪快ですな、姉御。


「よし。じゃあ皆に紹介しよう。カナエ、カナエ……、うーん、カナだな」


「はい?」


「あだ名さ。一緒に住むんだ、仲良くしてくれ。敬語もナシ。私はサリューと呼びな。いいね?」


「は、……うん!」


 か、かっこいいです、姉御~!


 サリューに連れられて、私は村の人に挨拶して回った。この村にいる人は全部で十八人。私を入れて十九人になったという、超小規模な村だ。

 度々トリップしてくる人がいるって言ってたけど、こんだけ人数が少ないのにも理由があるんだって。


 村長みたいなヤツだよ、って紹介されたメガネ男子のアマドさんの家でお菓子を頂きながら話を聞いてる。このお菓子ウマー。エッグタルトみたいでウマー。アマドさんって、トリップするまではパティシエだったんだって。道理で、髪の毛も美味しそうなミカン色な訳だ。うむ、納得。


「異世界のヤツでも魔法が使えたり力が強かったりするのがいてね。折角の異世界なんだからと旅に出ちゃうんだよ」


「ほえ」


 そうか。異世界に来たんだもんね。魔法が使えたり武器使えたりする人は、冒険の旅に出たくもなるよね。獣耳見たいもんね。


「美味しいかい、カナ」


 エッグタルトを口に詰め込んでる私に、サリューが聞いてくる。必死に頷くと、よしよしと頭を撫でられた。異世界の料理も普通に美味しいのね。これは朗報だ。これから生活していくにあたって、食は大事だもんね。村にパティシエのアマドさんがいるなら、美味しいお菓子も期待できるし。


 満面の笑みでお菓子を堪能していたら、アマドさんがしみじみ頷いた。


「うん。カナちゃんなら、ここでの生活も大丈夫そうだね」


「ははは、カナは異世界なんざにびびりゃしないさ」


 な、なんか酷い誤解を受けてる気がする……。これでも驚いてるし、ちょっとは不安なんだけどなぁ。


 そんなこんなで、私の異世界ライフが始まった……らしい。

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